自己紹介もせずに、詰め込まれた車は一台。例のお見合い事件の中心人物三名は、大変気まずい空気の中、亜冴、伏黒恵、五条悟の並びで後部座席に着かされた。
「五条先生、前に座ってください。狭いです」
「いいじゃん、積もる話もあるし」
含みのある言葉に冷や汗が流れる。車窓へと首を回して全力で目を合わせぬようにしていれば、五条の追撃がやってきた。
「そういえば、自己紹介がまだだったね! 僕は五条悟。最強だよ」
始まってしまった地獄へ、流石に俯きがちに向けば、にっこり笑顔と目が合う。いや、目は見えていないので、目元が笑っていることはないのだろう。圧がすごいし。促された伏黒も五条に引き気味でこちらを見て自己紹介を始めた。知っておりますとも、一か月間もみっちり教え込まれたのだから。
「伏黒恵」
「…………」
「ほらほらぁ、キミも名乗りなよ」
──うわうわうわ……。
愉快犯というやつだ、と胸中叫びつつ、震える指先で拳を作る。遅かれ早かれ知られることだが、この密室で明かすだなんて。無言の抵抗虚しく、伏黒の奥に控える最強の凄みに耐えきれず、亜冴は小さく喉を開いた。
「…………足集利、亜冴と……申します……」
つつつ、と尻すぼみになりながら、車窓へと首を回していく。二つに増えた圧のある視線に耐え切れず、車の扉を開けようとしたのは仕方あるまい。悲しくも、鍵の掛かった扉が開くことは無かった。
「お嬢さん、危ないから走行中は車のドア開けようとしないでね」
運転手の声が更に亜冴を追い詰める。味方はいない。視線がキツい。心が苦しい。
「……ごめんなさい」
運転手というより、元見合い相手に向けた言葉は受け取られず、体感時間数時間後に車は目的地に到着した。地獄の延長に悲鳴をあげそうになりつつ、扉を勢いよく開けて先に車から出ていく。着いた先をキョロキョロと眺め、高専内ではない場所に更に悲鳴をあげそうになった。
写真で事前に見せられていたが、どう見ても料亭だ。しかも、ここには見覚えがある。
「そう警戒しないでよ、取って食ったりしないからさ」
車から出てきた五条はニッコリと笑いつつ、距離を詰めてくるので恐怖だ。脅されている、と本能が訴えてくる。後退りしても足りない距離を埋めた五条は、目隠しを捲ってこちらと目を合わせてきた。
「見覚えあるでしょ? 恵とのお見合い会場」
──拝啓、父様、母様。そろそろそちらへ行くことになりそうです。
* * *
──カコン。
中庭の竹の音が鳴り響く席で、両者正座して向かい合う。片方である亜冴は葬式のように首を擡げたまま動かず、どこかご機嫌な五条とその隣の返って冷静な伏黒は、二人の顔色を伺っていた。逃げたい。しかし、逃げ場がない。
「で、どういう了見で顔出しに来たわけ?」
始まった尋問に亜冴の顔は更に下がる。
正直に言っても逃してくれる雰囲気はないどころか、次に機嫌を損ねたら暗殺されそうな勢いである。答えなくても同じなら、答えた方がいいか。
「先日のお見合いをきっかけに、家と縁を切られました……」
次の瞬間、恐怖の仲人は腹を抱えて笑い出していた。
「それでそれで?」
先程と打って変わって愛想良く話を根掘り葉掘り尋ねてくる男に、亜冴は素直に受け答えていく。笑いながらの話に五条以外は少しばかり引き気味で通っていった。先程まで殺意を向けられていたものだから、出されていく料理の味も碌に味わえない。いつも通り作業と化した腕と口に対して、五条は事の顛末を何度も聞いてきた。
「──呪術師にでも何にでもなって、二度と帰ってくるな、だそうです」
「ぶはっははははは! ちょーウケる!」
人の不幸で爆笑する男が後見人である伏黒は、バンバンと座卓を叩いて、上に並べられた食事が揺れる。誰も酒は一滴も飲んでいない筈なのだが。
「これからどーするつもり?」
「高専に行くしかないのでは……?」
「ブフッ、見合いドタキャンしといて、来れると思ってんの? いい度胸してんね」
突然、底冷えする声を出されても困るというものだ。絶縁されて荷物も適当に持たされた状況なのだから、本当に行き場がない。というか、五条悟の配下なのだろうか、高専は。
「……あ」
忘れるところだった。亜冴は両親の言い付けを思い出し、座布団から後退した身体をそのまま下へと付けた。額を床に付けてキッチリ五秒間保つ。
「先日の件、誠に申し訳ありませんでした。先方に至らぬ点がある訳では御座いません。此方の身勝手な理由故の御無礼を働きましたこと、深くお詫び致します」
「謝って許されると思ってんの?」
「いいえ全く。最低限の礼儀として、謝罪を致しました」
「……もういいんで、顔を上げてください」
伏黒の言葉に顔を上げた亜冴は、二度目の初めて彼と目を合わせる。慣れない感覚にすぐに顔を伏せた亜冴は、身体の位置を元に戻した。気不味さに逃げる亜冴を責めるような五条の視線が痛い。これはもう関係改善は望めそうにもない。亜冴は大人たちが切り捨てる前の会話を掘り起こし、ある人の姿を探したが、近くにいる気配はない。
「なんで家を裏切ったのかな? ドタキャン王女様? 中々いないよ、女でありながら家にそこまで歯向かう子」
また理解不能な単語が出たが、恐らく欠席を意味しているようだ。亜冴は家での忌々しい記憶に飲み込まれそうになった頭を持ち直し、簡潔に相手に伝えるために言葉を選んだ。五条相手は頭を回さなければ、良いように利用してきそうな人だ。
大人を嫌っている亜冴の勘がそう訴えている。なんかこの人、嫌いだと。
「大嫌いだから。……いや、ううん。合っているけど、違います」
出迎えた父と母が泣きながら、愛おしげに抱き締めてくれた暖かな記憶と、以降の地獄は血反吐の底無し沼だった。人の善意など何もない、悪意と邪気が渦巻く陰鬱な場所だ。
──扱い易くする為だけに、アイツらは。
あの家は血に取り憑かれて、人を殺めた。どこの家もそうだが、許す許さない感情は別だ。いや、許せない。私に価値観を教え、最低限の自立心と思考能力を与えてくれた全てを奪ったんだ。
「……復讐、したかった。もう果たしたけど」
言語化したことにスッキリした亜冴は、さっさと食事の続きへと戻っていく。目の前の痩せた少女が何をやらかしたのか、五条たちはドタキャンからの勘当という風に捉えたのだった。