吉野順平と吉野凪、並びに数名の葬式が行われる前日、亜冴は参列するという五条と七海の元へ駆け付けた。無論、虎杖も亜冴と共に参列する手筈なのだが、彼を置いていの一番に来たらしい。彼女なりの全速力で、高専の端にある霊安室まで走り抜けた。亜冴の小さくて薄い肩は、それはもう上下に揺れ動いて、全身で息を刻むように繰り返している。
「その……! ハァッ! 閃いたん、ハァッ! ですけど……ッ! ッハァ!」
「なになに、どうしたの?」
「まず息を整えてください」
口内の唾を無理に飲み下し、カッと上げた顔付きは汗を垂らして真っ赤なのに、勇ましい他ならない。結局、しばらく息を整えるのに時間を有し、亜冴は意を決したように言葉を流暢に並べていった。
「遺体の破損は死者を冒涜することにも繋がるとお聞きしました。それを承知で進言いたします……!」
今更ということは分かっている。
分かっていても亜冴はこの一つの閃きを選びたかった。
「──吉野順平、並びに数名の遺体の一部を食し、葬式を生前の姿で迎えさせることは可能でしょうか?」
通常、人を食すことは禁忌に触れることだ。
増してや呪いに弄ばれた遺体を食すなど、正気の沙汰ではない。相手が相手なら斬り捨てられることでもある。でも、この一件で私に唯一できることはこれしかない。
「人型呪霊は魂の形を変形させる術式なんですよね? なら、私の術式とは関係がありません。遺体に生前の姿を映すことができます。……お願いします……!」
勢いよく頭を下げた亜冴は、歯を食いしばって大人たちの決断を待った。彼らの背後にある死体袋も含めて許しをこう。
ここで横たわる全員、誰も望んで死んだ訳じゃない。弄ばれる姿は惨く、誰もが苦しんでいた。せめて、火葬される直前までは生前の姿で終わらせたい。戻してやることはできない仮初の子供騙しだが、本当に魂があるのならば惨い自身など見たくはないだろう。送る側だって、後悔しか残らない。
──見せかけでも、感情だけは真実だ。
「──いいよ」
「えっ、いいんですか?」
「うん。初めて自分から食べたがったね。ね、七海。いいと思わない?」
「……ノーコメントで」
「えー冷たいなぁ。まいいや、硝子を呼んでくるよ」
「っお願いします!」
宣言通り家入を呼びに行った五条を見送り、七海と亜冴が安置所に残された。気不味い空気というよりは、どこかカラリとしたものが流れている。
「……本当にいいんですか? 生前を知っている相手とはいえ、遺体です。いえ、知っていることも問題ですが……。とにかく、彼らの腐敗は進んでいないものの、あなたが今からすることは、人の道を外れます」
何かの役に立つ訳じゃない。
人助けの仕事に対して、亜冴のそれは自己満足のものだ。遺された側の綺麗事。何より、食わねばならない。同意なしどころか、拒否も許容もできない相手だ。それでも善意ある者たちが同意してくれるなら、一概に悪ではないのだろう。
──人の道の外。外道。
「いずれ、私は人の道を外れます。というより、外れさせられる。いえ、もう外れているかも」
きっと七海の意見は尤もだ。亜冴は今まで喜怒哀楽の怒を高専で晒したことはない。苛立ちはあったが、そこまで怒るようなことは何一つ起こらなかった。逆に、足集利家では常に怒りに満ち溢れていた。
怪物の娘として、怪物として育てられた。飼いならす為の無能への道が作られた。道は鉄壁で舗装され、逃げ場はどこにもない、細長い檻だった。その檻の中で、私は進む度に怒りで満たされていた。結果、追い出された先の別の道を歩くだけのナニカが私だ。
──この人には、私が人に見えてるんだ。
何が人を人とたらしめるのかを知らないし、誰も教えてはくれなかった。高専に来る前からあった、この倫理観が合っているのなら、父様に教わったものだ。もし間違っているのなら、足集利家一同の洗脳によるもの。そういう育てられ方をされた。
あの場に残ってもいずれ何から何まで知らされず、子を産む道具にされていた。
今は自身の平穏を守るために従って、出されたものを食している。どう違うのかと問われれば、退屈か楽しめているかである。いや、一番重要なのはそこではない。あそこでは、私自身が自分の子を抱き上げることは叶わない。というより、産みたくない。血統を残すためだけの馬扱いされて、同じ思いをさせるくらいなら。
──私は我が子を殺す。
吉野凪なら、息子である吉野順平にそんなことはしない。彼女は模範的な人間であり、善人だった。つまり、私はもう外道だ。それに、あの大量の血液サンプルの中にはおそらく遺体も含まれていただろう。山勘だがそんな気がする。とっくに人の道など踏み外している。これくらいの汚れ役で、この澱みは変わらない。
「……彼らは望まない姿で亡くなった。それ以上の理由がありますか?」
亜冴のやろうとしていることは、礼儀でありそれがプラスになるなら、という自己犠牲だ。これが自己満足の自己犠牲だときちんと理解している。すんなりと受け入れた五条はこの方法を思い付いていたのだろう。微塵程度でも亜冴の意思を考慮して、この凶行を取り止めた。そう信じたい。
「……分かりました。そういうことでしたら、構いません」
亜冴も七海も礼は言わない。選んだ反面、亜冴は自分の意思で遺体を食すことを選んだ。外道かどうかはあくまで亜冴の予測であり、これから踏み外すのだ。
──明確なタガが外れる。
戻ってきた五条が連れてきた家入は、遺体を運ぶためのタンカを用意してくれた。運ばれた先の解剖室で、亜冴は変質した順平の前で手を合わせ、目を瞑る。黙祷は確か五秒で満たされる。彼らの血は、私の血と肉となり、私の一部になる。その為に私は食す。
──助けられなくて、ごめんなさい。
「──いただきます」
言葉を迷った亜冴は、声を乗せず、口だけ小さく動かした。
二十秒ほどで目を開けた亜冴は、目の前に用意された凝固途中の血液を喉に流した。