──ガザザザザザッ、ズザッズズズズズズッ
あちこちの木々になるべく当たるよう、亜冴は受け身を取りながら、生い茂る草に柔らかい皮膚を斬り付けられて転がり落ちていく。途中で何度か木に打つかることで勢いを殺していき、亜冴は制服の至る所を引き裂かれ、身体を何度も打ち付けはしたが、頭と脚だけは死守した。坂下でやっと止まった身体を起こして、茂みを元通りに見せかけておく。亜冴はフラフラつきながらも、なんとかその場から校舎の方面へと歩き出した。
「……念のため」
もう一度、巨大なペットボトルを今度は離脱直前の茂みに出現させた亜冴は、今度は五秒間だけにして、後は五条の視認範囲だろうと消し去らせる。
茂みを掻き分けること数分、亜冴は見えてきた京都校の学長と接敵しているらしい男に片眉を上げた。まだ距離はあるがここで躍り出れば、邪魔になるだけだ。どうしたものかと思っていれば、やって来た五条に男は両手足を切断されてしまった。一瞬の出来事に、亜冴は来た道を振り返ったが、特に変化はない。真人の方は間に合わなかったのか。亜冴は己の判断を誤ったことに、内心で歯噛みしつつ、次からは早く呼び寄せることにした。ガサガサとわざと音を立てて、近付いてきた一向に姿を表した亜冴の、あまりの怪我具合に京都校の学長は敵かと背後へと目を配らせた。
亜冴の小柄な身体の長髪には枝や落ち葉が絡まり、擦り傷と打撲だらけの身体は軋み、血が至る所から流れている。濡れた土と乾いた土が顔や靴下に付着しているのも、分かった上で亜冴は本来の姿を二人の前に表した。
五条がこちらにいたのは、加勢ついでに亜冴の回収だろう。五条なら茂みから塀、坂下の移動した形跡を見た筈だ。進行方向を変えなかったのは、五条と合流を図る為であったし、きちんと亜冴の意図を汲んでくれたようだ。
「来たね、亜冴」
「あちらでツギハギの人型呪霊を目撃しました」
「うん。逃げられちゃったけど、盗みは防いだよ」
「両面宿儺の指ですか?」
「そうなの?」
「道中の歩みに然程迷いがありませんでしたし、元々は彼が宿儺の指を所持していましたので、目印を付けてそれを頼りに盗みに来たのかと仮説を立てていました」
「ん、まぁ。多分そうだろうね。えらいえらい」
ボサボサの頭に絡まるゴミを摘み取る五条は、呆気に取られている京都校の学長を放っている。亜冴はこのままでは駄目だろうと、いそいそと身嗜みを整えて、京都校の学長へとお辞儀をした。きちんとした挨拶をできていなかったので、今一度やっておこう。
「改めまして、お初にお目に掛かります。東京都立呪術高専一年生の足集利亜冴と申します」
「う、うむ……。呪術高専京都校学長、
「今年の春からの新参者の不束者ですが、以後、よろしくお願いいたします」
深々と頭を下げる亜冴に、楽巌寺は困った様子をしながらも受け入れて頭を上げるよう声を掛けた。お年寄りの男性は目上の方と刷り込まれている亜冴は、恐る恐るといった具合で刺激しないよう頭を上げると、トートバッグの存在を思い出して一つを取り出す。冷たい緑茶は先程転がり落ちたことで、細かい泡が立ってしまっており、人様に差し出すには似つかわしくない。トートバッグに入ったペットボトルを見れば、どれもこれも白く泡立ってしまっている上、その内の数本は凹んだりしていた。目尻を見るからに下げた亜冴は悲しげな顔を浮かべ、貢ぎ物による好感度上昇作戦が失敗したことを悔やんだ。こんなことなら、もう少し別の逃げ方をすれば良かった。
「……申し訳ありません。長時間の交流会にお疲れになるだろう先生方へと思い、皆様に購入したのですが……」
手の内のお茶を見せた亜冴は、言葉を濁して引っ込めるとトートバッグに戻した。トートバッグも至る所が解れて泥だらけだ。折角の私物を撫でて労った亜冴は、しょんぼりと肩を下ろす。楽巌寺はまたしても面食らった様子だが、見開いていた目を常時の細目に戻すと、頬を掻いて首を横に振った。
「構わんよ」
短いが発せられた優しい声色に亜冴は顔を上げる。確かに目の前の老人から出された声だ。足集利家当主が孫娘に向けた声色と同じもの。慈愛に満ちたそれだ。亜冴は自分に向けられたものに信じられず、固まっていると薄い肩に背後から手を置かれた。
「亜冴。僕のコーラは?」
肩から走る激痛と共にハッとさせられた亜冴は、珍しく冷や汗を掻いて反対へと目を泳がす。非常事態なのだから仕方なかったと思い至る筈なのに、わざわざ聞くなんて底意地の悪い。
「えぇと……治療後に買いに行かせてもらいます」
尻すぼみで答えた亜冴は、五条にグジグジと頭を強く齧られてしまったのだった。
一度、離席した五条に置き去りにされた楽巌寺と亜冴は、捕縛まで待てをされてしまったことで、しばらく会話に耽った。亜冴は根掘り葉掘り、楽巌寺が提げる呪具について尋ね、ギターという弦楽器について知った。好奇心旺盛にして眺めていれば、彼は軽く弾いてくれ、太鼓やお琴しか知らない亜冴は唸るような高音の音色にハメを外してしまった。
「あっ、すみません。端ないですよね……」
「人前ではない。気にするな」
「お心遣い、ありがとうございます」
礼儀正しい亜冴に気を良くした楽巌寺は、数人による曲、特にロックというジャンルについて話を続けた。気に入っているバンドの名前と、楽曲を弾いて聴かせてくれた楽巌寺に亜冴は微笑んで、音楽への知識を貪欲に深めていく。有意義な時間を過ごし、呪詛師も捕縛したことにより、亜冴はやっと家入のところへと向かう為、楽巌寺に再度礼を言ってその場を後にした。