「……亜冴お嬢様?」
例の如く釘崎の買い物中、聞き馴染みのある声が聞こえた亜冴は、錆びた機械のように声がした方へ振り返った。互いに洋服を着た二人は目を合わせると、それぞれで驚いた反応を見せる。瞬間、亜冴は三人の服の袖を引っ張って立ち去ろうと、くい、と初老の女から逃げようとした。
「おい、足集利の知り合いじゃねぇのか?」
「人違いです。早く行きましょう」
「でも、アンタの名前呼んでたわよ」
「知らない人だから」
彼女はもう終わった過去のことである。
縋るような目でいる女が、亜冴へと一直線へ近づいて来た。出会ってしまったのなら、許容はできた。けれど明確に彼女は、いま亜冴に近付いた。また私を壊すつもりなの。
「まだお屋敷にいるものとばかり……よく、ご無事で……」
嗄れた手が伏黒の袖を掴む手に伸びてくる。反射的にパッと離して、自身の手を胸に寄せた亜冴は、後ろへと一歩下がった。優しい手と知っているものの、とても許すことが出来ず、どうすればいいか頭が回っていく。ちっとも血流に見合った仕事をしてくれない真っ白な頭が、嬉しさに満ちた顔でまた手を伸ばしてくる女の様子に、プツンと弾かれた。
「──あなた、私の何のつもり?」
どのツラ下げて現れた、と言に伝えてしまった亜冴は、全てが止まって感じる世界で、一人動く老けた女だけと言葉を交わす。あの家にいた時と同じ空気感で、居心地の悪さと腹立たしさが膨れ上がっていく。傷付いたと言いたげな顔にはもうウンザリだ。
お前如きが、どうして私を理解した気でいるの。
「わ、私は亜冴お嬢様の乳母で……っ」
「もう違うでしょう」
「幼い頃から……見守ってきて、初めてお一人でお立ちになられた時も……」
「他の小間使いたちもそうです」
「彼らはお嬢様を恐れて、近付こうと致しませんでした! あなたに私が一番……!」
あぁもう。この人はエゴを満たす道具としてしか私を見ていないことに気が付いていない。一番近くにいたからなんだ。お前が一番大きく裏切ったことの裏付けだろう。一度ならず二度までも、私を食い物にする気なのか。
「一番は父様と母様で、それ以外はそれ以下よ」
そんなに驚くようなことを言った覚えはない。
諦め悪く手を伸ばしてくる女の手を払い、亜冴は今度こそ睨み付けて怒りを露わにした。女自身も怒りの対象という自覚がなかったようだ。復讐から省いたのに、音を立てる熱した油に自ら飛び込む気である。
「もう一度聞きます。あなた、私の何?」
答えなんていらないし、二度は嫌いだと話した。
まだ追い縋ろうと手を伸ばし、涙混じりに名前を呼ぶのが不愉快で、亜冴は姿を消して数歩後ろへ下がって泣き崩れる彼女を見下ろした。
馬鹿な人。お前がやってきた乳母というのは、この行い全てじゃないか。
亜冴は慰めにかかる三人に、味方しないでよと踏みそうになった地団駄を胸の内に留める。街中の楽しいショッピングが台無しだと、三人の袖を連れて行くか悩んだが、この女も付いてくると思い直し、一人で人混みの中へと飛び込んで行った。もう知らない。あんな人を構うなら、私も三人と遊んだりしないんだから。
「……ばーか」
呟いた虚しさが喧騒に揉まれていったので、少しは気が胡散してくれていった。