最弱の怪物   作:肩たたき

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第七話『向こう岸』-2

 

「亜冴お嬢様は……足集利家の一家相伝の術式を継いだお方で……」

 

 途切れ途切れの言葉ばかりの老婆は、品の良いハンカチで目元を拭いながら、ファミレスの席で涙した。何度も何度も泣く彼女は、対面する三人に虎杖の話なら聞くという言葉に甘えて、コーヒーを前に口を開いていった。虎杖と野薔薇に挟まれた伏黒は、一人あまり聞きたくなさそうにしている。亜冴のあの様子から、聞かれたくないのは嫌でも分かる。本人が嫌がるなら、聞かない方がいいんじゃないか。そう抗議はしたものの、虎杖たちは「でも知りたいだろ」と伏黒を誘惑してここに至る。確かにあの箱入りがどのようにして生まれたのかは興味がある。

 

「本館とは別で……離れでお一人で住んでおられました……。我々、使用人たちがお世話を……」

「どうして? 足集利って暴れたりしてたの?」

「いえ……むしろ従順なお方で……、あの術式を継いだ方は……あの離れで住むことが、亜冴様の代で決められたのです……」

「ふぅん、なんで? 別に危険はないわよ?」

「……みな、亜冴様の術式を……恐れていたのです……」

 

 老婆曰く、件の術式というのは精神汚染に近い。

 視覚だけでなく、全ての五感で錯覚をさせ、自由自在にその幻覚は操ることができる。麻薬の副作用である幻覚を、自由自在に他者に見せるようなものだという。特に同じ術式を持つ亜冴の父は凄まじく、普段は調査や諜報などの任務を請け負っていたのだが、戦闘においても並の術師では敵わなかったらしい。

 特級案件の調査任務であろうと、一人だけ無傷で帰ってくることがザラだったそうだ。

 

「父親が怖いからって、その子供まで怖いとはなんないでしょーが」

「そうそう、足集利ってのほほんとしてんじゃん」

「私も……危険はないと感じていたのですが……」

「なんかあったんですか?」

 

 口籠もる老婆に伏黒は尋ねた。迷いを見せた彼女はゆっくりと口を開き、話の続きをしていく。あの能天気無知の何をそんなに恐れるのだろう。

 

「…………隔離されて、育てました……。何も知らぬように、何も出来ぬように、常に使用人が控えて……亜冴様がお一人になられるのは、就寝してからです……」

 

 人形のような生活だったという老婆は、その時の亜冴は大人しく言うことを何もかも信じ、疑うことを知らずに育っていたと話す。それを足集利家の者は満足気にしていたという。誰も疑わず、口に差し込まれるものを受け入れ、風呂では衣服を脱がされ、身体を洗われることさえも全て。自主性を取り除き、根腐れするよう育てられた。いずれ来る胎としての務めを果たすためだけの人形として。そうした日々を過ごして五年後、亜冴は七五三を迎えた。鮮やかな空と派手やかな着物に、亜冴は頂戴した千歳飴の袋を見て呟いた。

 

『せんさいあめ、であっているのかしら?』

 

 気の抜ける台詞に、三人はなんとも言えない残念な表情を浮かべた。正しい読み方は千歳飴の“ちとせあめ”であり、そのままでは読まない。あの棒状の紅白二本の飴を思い浮かべる中、野薔薇が拍子抜けしたとばかりに項垂れた。

 

「ただ言い間違えただけじゃない、アホらしー」

「足集利って昔から抜けてるとこあるんだな」

「……違うのです……」

 

 そうじゃないと首を横に振る老婆は、震える手をもう片手で抑えるようにして、話を勿体ぶった。その姿はまさに恐ろしいと訴えているもので、先程の亜冴への熱弁と真逆をいく。なんだと聞く耳を立てる三人へ老婆は、ある情報を付け足した。

 

「当時の亜冴様は……。文字を、教わっておりません……」

「……は?」

 

 ならどうして、“千歳飴”が読める。

 戦慄した伏黒同様に、野薔薇も口を閉ざして顔を硬くさせた。未だピンと来ていない虎杖は、伏黒たちの様子に首を傾げて尋ねてくる。伏黒は思考を邪魔されたことに少し苛立ちながら、虎杖に説明をした。

 

千歳(せんさい)ってチトセと、センサイって読み方が別れるだろ」

「ん? うん」

「そもそも文字を知らない奴しか、どっちも読めないのよ」

「あっあぁ! なるほど!」

 

 叫ぶ虎杖に釘崎が捕捉をしていく。老婆が苦々しげなのは、亜冴をどこかで侮っていたからだろう。伏黒も亜冴の認識を改める話だ。

 

「使用人たちが話してるのを聞いてんなら、読み方間違えないでしょうし……」

「他の七五三の子の話を聞いたってのは? その子が間違えて読んじゃったとか」

「……いえ……、離れで執り行われたので、亜冴様以外にはいらっしゃいません……」

 

 つまり、どこからか亜冴は知識を付け、読み方を言い当てようとしたのだ。家全体で行われた軟禁生活に、小さな少女が抜け道を見つけたらしい。誰が教えたのだと屋敷は騒然となり、当時の使用人たちは拷問に近い精神関連の術式を掛けられたが、誰一人として亜冴に知恵を与えた者は出てこなかった。

 

「存じ上げぬ筈のことを……たびたび仰られ……どこで知り得たのかと尋ねても、ここしか知らない、とお答えするだけでした……」

 

 勝手に知識を身に付けて、信用を落としてしまうくらいならと、このことから亜冴に最低限の教養を与えだした。文字の読み書きから、食事作法、礼儀作法まで、様々なことを教え、国語辞典なども与えた。生まれて初めて触れる知識もあったようで、亜冴は楽しげに取り組んでいったそうだ。

 実の両親との面会も解禁され、彼らは情操教育を身に付けるよう言い付けた。

 

「父から聞いたと、空の色は青色なのだと、鼻高々に仰られて……」

 

『空って、水色だよねぇ……』

 

 二年生との任務での亜冴の台詞に、伏黒は眉を顰めた。両親の言葉を信じて疑わなかった彼女が、違うのだと気が付いた時、どんな心境だったのだろう。老婆はコーヒーに口を付けて、はぁ、と溜め息を漏らす。嗄れた顔は疲れが溜まっているように見えた。同時に使用人は敵だと話したことも伏黒は思い出した。足集利にとって、この老婆も敵なのか。

 

「……足集利の父ちゃんと母ちゃんって今なにしてるの?」

 

 伏黒はそれとなく察していた内容に、狼狽える老婆の答えを待った。悪気のない虎杖は静かに待っており、釘崎も同様に答えを待った。三人に待たれた老婆は、言いにくそうに口を開いていく。

 

「……亜冴様の、目の前で……お亡くなりに……」

 

 初対面時の亜冴の“復讐”という言葉と結び付いた伏黒は、きっかけであるそれに心を痛めた。亜冴が両親を大事に想っていたことは確かだ。それを目の前で亡くせば、純粋な亜冴が呪うのもおかしくはない。

 

「で、でも、足集利の父ちゃんって同じ術式を持ってたんだろ? 離れで暮らしてもないしさ」

「男児だからで御座います。優秀な呪術師でもあり……外を行き来するのを許されておりました。亜冴様は女子の身……婿養子と子供を成すことが勤めとされております……」

 

 術式大好きな家系は大抵そうだ。術式を継いだ者は優遇されるが、女である場合は特に歪んでいる。子供を産む道具としか認めない家がザラで、足集利家も例外ではない。次の後継者が生まれるまで、あの離れは亜冴だけを住まわせる気だったのかもしれない。

 

「なんでアイツの親は死んだんですか」

 

 使用人であろうと軟禁に加担したのに変わりない。伏黒は苛立ちが込められてしまった質問の答えを、催促するように老婆を見つめた。老婆は申し訳なさそうにして、カップを握り締める。

 

「亜冴様と……縛りを交わしたのです……」

「縛りって、あの縛り?」

「はい……その内容は……恐ろしいもので……」

「……なんなのよ」

 

 教えろとばかりに急かす野薔薇も、男尊女卑を目の当たりにして苛立った様子で尋ねた。更に頭を下げた老婆は、指の先を白くして告げた。

 

「“十六になるまでに離れを出る代わりに、足集利亜冴に手をあげないこと”」

「……それのどこが怖いの?」

 

 意図が分からない虎杖が追及し、伏黒は拳を握り込めた。縛りを破るということは、何らかのペナルティが課せられる。亜冴は軟禁生活で自由がなく、外に行くことも出来なかった。両親側の縛りは簡単なもので、従順な亜冴に手をあげる理由はそうないだろう。そして、日本の法令上、女性の結婚できる歳は十六だ。つまり──。

 

「……ご両親は……十六歳になられた亜冴様を……殺めようとしたのです……」

 

 賑やかなファミレスでこのテーブル席だけが静まり返る。信じられないとばかりに虎杖は目を見開き、釘崎は舌打ちをした。胸糞の悪い話からして、殺めたのは亜冴を失ったら困る足集利家の者たちだろう。

 

「先に縛りを破らなければ、亜冴様の実兄を……長男を殺めると当主様は脅迫し、亜冴様に手をあげられたご両親は……」

 

──だから、目の前で死んだのか。

 

 亜冴の頬を叩いた彼らは、血を吐いて地面にひれ伏し、亜冴は必死に助けを呼んだらしい。それから数日間、両親のことを尋ね、泣き濡らして暮らしたという。意欲的だった稽古も手に付かず、返事がなくとも行なっていた日々の挨拶もしなくなった。生死という概念すら知らず、葬式というものも知らなかったのを教え、使用人たちは正しく生死を認識させた。結果、擦り切れた状態で過ごす傷ましい様子に、乳母であった老婆はついに心が揺れ動き、亜冴に真実を告げてしまった。

 

「──笑って、おられました……」

 

 声を上げて笑うことを禁じられていた亜冴は、初めて言いつけに逆らって、声を響かせて笑ったという。美しく滲んだ目を細めて頬を染め、楽しげに口元に手をやり、耐え切れないとばかりに彼女は高笑いをした。

 両親に殺され掛けたことに、妙に敏い亜冴が両親の亡くなった理由を聞いて、気付かない筈がない。両親は息子を生かすために、娘である自身の殺害を諦めたことにすら、亜冴は気が付いたのだろう。

 生き残れた代わりに、足集利亜冴は壊れてしまった。

 

「それから私に家から出て行くよう、告げられまして……お側にと望みましたが……」

 

 拒絶された老婆は、そのまま足集利家を後にした。覚悟していたお咎めはなく、追手もやってはこなかった。亜冴が自ら解雇したと告白したからだと、老婆は推測を述べる。お優しい方だと付け加えた。

 老婆は亜冴の混乱を解消したが、引き換えに絶望を与えていったようなものだ。亜冴は確かに真相を知りたがっていただろうが、与えたところで更なる絶望が彼女を追い込むことなど、容易に想像がつく。自身の罪悪感を減らすために白状したようにも見える老婆に、伏黒は亜冴の胸中を察した。拒絶するのは当たり前だ。同情を寄せて寄り添おうとするのが、許せなかったのだろう。全て奪われた後に告白されても、亜冴の両親は帰ってこない。

 

「亜冴様はなぜ、ここにいらしたのですか……? 離れからは出られない筈です……あなたたちは、一体……」

 

 この中で唯一経緯を知る伏黒は、答えるべきか悩んだ末、連絡先だけを老婆から受け取った。俺は亜冴ではないし、完全に測り切るほどの理解はしていないだろう。少なくとも、老婆から聞いた話から、数ヶ月を共に過ごした亜冴とは結び付けづらかった。能天気な無知と括るには、見えないように背負うものが重たく尾を引き摺っている。

 

「あ、足集利ー? アンタどこほっ付き歩いてんのよ」

 

 老婆と別れた後、釘崎が電話口に文句を募り、一先ず合流すべく話を進めていく。老婆が去ってから三人で話した結果、亜冴にはこの事はまだ触れない方針を取ることにしたものの、気はあまり浮かない。要は知っているのに、何もできないと同義だからだ。腫れ物として放置することが、今できる確実な最善なものの、背中に乗っかるものを何一つ下ろしてやれないからこその選択だ。気を遣ってではなく、何もできないからこその見送り。いつか払い退けられる時が、できるだけ早く訪れてくれることだけしか願えない。

 

「つか、ソッチうっさいわね! ハァ?! さっきのゲーセン?! 何遊んでんのよ! 迎えだなんて、甘えんじゃないわよ! ……コインゲームって一番時間使うヤツじゃない!」

 

 今はただ外の世界の娯楽に浸って、笑って人生を謳歌してほしい。釘崎の怒号を宥める虎杖の横を通り過ぎ、一歩だけ先に亜冴を回収しに向かった。伏黒の胸に広がる純粋な善意を吹き飛ばすように、スロット型のメダルゲームから大量にコインを産出する亜冴を見るまでは。

 

 

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