最弱の怪物   作:肩たたき

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第七話『向こう岸』-7

 

 畳の上で微睡みに揺蕩う、低い視点。

 伏黒は頭を撫でられる感触に、夢だとすぐさま思い至った。両親らしき人物との交流で、自分には経験のない触れ合いだったからだ。母は物心つく前に亡くしたし、父も小さい頃に再婚相手と家を出たっきりだ。畳独特の匂いと、縁側から差し込む日差しに隠れ、着物の女の膝上で頭を撫でられるのを、目の前の着流しの男が胡座をかいてこちらを眺めている。穏やかな情景と優しい感触に、伏黒は微睡みに負けて、緩やかに夢の中で夢へと落ちていった。

 

 

  *  *  *

 

 

 治療室にて目を覚ました伏黒は、勢いよく起き上がってすぐに激痛が走る頭を抑えた。パジャマを着せられた身体は、あちこちに包帯が巻かれている。除伐した呪霊から回収した宿儺の指を探すが、そんなものがある筈はなく、仲間の誰かが回収したのだと独り言ちる。

 

「お、起きたね」

 

 治療室に戻ってきたらしい家入の声に、伏黒は差し出される水を飲んでから答えた。曰く、今はあれから夜明けを迎えた昼頃らしい。任務は無事に済み、宿儺の指を横取りに来た半呪霊も、虎杖たちによって祓われたそうだ。

 

「足集利は?」

「無傷でピンピンしてるよ」

「そうですか……」

「さっき、廊下で紙飛行機で遊んでたし」

「…………」

 

 なんとも言えない気の抜ける行動に、心配した気持ちを返して欲しい。了承を得た伏黒はベッドから降りると、部屋に戻るべく治療室の扉を開けた。呼び止めない家入は、お大事に、と軽い言葉をかけ、礼を言いながらそこを後にした。虎杖たちにあの後どうなったか、詳しく聞いておきたい。昨日のことなので、報告書の確認も兼ねて丁度良いだろう。男子寮に向かうべく、廊下を歩いている道中、伏黒は単身で向こうからやってくる人物に僅かに眉を上げた。

 

「起きたか、寝坊助」

「真希先輩。虎杖たち見ませんでしたか?」

「アイツらなら、お前の見舞い買いに出掛けてたぞ」

「紙飛行機の次は買い物か……」

「は? あぁでも、亜冴なら廊下で会ったな」

「虎杖と一緒にいないんですか?」

「ガキじゃあるまいし、いつも一緒な訳ないだろ。ま、亜冴はガキみてぇなもんだけど」

 

 亜冴は事態を全て把握しているのだろうか。いや、その前に亜冴のことだから、虎杖たちに付いて行っていると思ったのだが。あの好奇心と知識欲の塊が、すんなり機会を逃すなんて腑に落ちない。しかし、虎杖の死亡報告にかなり心を痛めていたことから、今回も思い詰めているのかもしれない。それなら塞ぎ込んで、高専に引き篭もるのは不思議ではないな。高専自体が広いので、引き篭もっていると定義するのは、少し無理がありそうなことは置いておく。

 

「足集利はどっちに行きました?」

「結構前だからなぁ……。教室の方に行ったけど」

「ありがとうございます。……アイツ、紙飛行機持ってました?」

「紙飛行機? 折り紙なら持ってたぞ」

「……そうですか」

 

 ということは、真希の後に家入と遭遇したのか。伏黒は先に着替えることにして、男子寮へと向かった。

 

「亜冴? 俺と棘は見てないぞ」

「しゃけ!」

「そうですか……」

 

 パンダと狗巻の回答に、着替えを済ました伏黒は若干肩を落として、どうしたものかと悩んだ。すぐに見つかると思っていたが、亜冴の目撃情報はパッタリと途絶えた。女子寮にでもいるのだろうか。連絡を取るほどではないので、伏黒はまだ最終手段の携帯には手を伸ばしていない。

 

「あ、でも朝に悟が亜冴のこと探してたな」

「昨日の任務の件ですか?」

「おかか、ツナマヨ」

「ああ。任務は悠仁たちから聞いてたし、別の話じゃねぇかな」

「足集利に……?」

 

 何にも知らなそうな相手に、五条は何の用があったのだろう。怪訝な顔をした伏黒に、パンダと狗巻はひっそりと小声で話し出す。耳打ちで行われたので、その内容は拾えず、伏黒は更に怪訝さを増した。

 

「お前さぁ、ちったぁ亜冴のこと認めてやれよ」

「しゃけしゃけ! 高菜、こんぶ!」

「棘の言う通り、恵は亜冴を見縊(みくび)り過ぎてるぞ。そんなんじゃ、足元掬われるからな」

「いや実際、足集利は……」

「おかか!」

 

 伏黒は反論を言い掛けて、叱り付けてくる狗巻に口を閉ざす。彼らは右も左も知らない亜冴を見ていないから言えるのだ。今は学んで来ているとはいえ、ほんの半年前までの亜冴は危なっかしい奴だった。信号すらまともに渡れなかった姿を見せてやりたい。赤信号で平然と渡ろうとする手首を掴んだ時の、ヒヤリとした焦燥感を味わわせてやりたいものだ。

 

「もうちょっと仲良くしろよー」

 

 不可解な助言を貰った伏黒は、納得がいかないながらも先輩に当たるので一応は頷いた。虎杖や釘崎よりも早くに知り合って、成り行きだが何度か休みも共に過ごした仲だ。仲良いだろう、充分。ただ幼児を相手にしている気分なだけだ。

 それにしても、見つからない。伏黒はとうとう携帯を取り出して耳に当てた。なかなか出ない亜冴に八回目のコール音で切り、どうしたものかと考える。紙飛行機で遊んでいて、遠くへ飛ばそうとして廊下を選んだのなら、次に選ぶのは高いところだろうか。ピンときた伏黒は、元来た道を戻って、階段の踊り場で手摺りに手を置いた。

 

「…………」

 

 疎らな雲が泳ぐ澄んだ空の下、両扉を開けた先の屋上で黒い影が向こうを向いている。穏やかな風に長い髪を撫ぜられる亜冴は、こちらに気付いた様子はなく、白い紙飛行機を片手に校舎を眺めていた。伏黒はやっと見つけた無事な姿に、安堵の息を漏らしてしまう。遊びに夢中なのか、振り向きもしない亜冴に伏黒は近付いていった。

 

「足集利、」

 

 声を掛けた瞬間、亜冴は紙飛行機を遠くへ投げる。風に乗って飛んでいく姿に魅入られている彼女は、追い掛けんとばかりに柵に手を置いて、滑空していく様を眺め出した。聞こえなかったかと伏黒がもう一度声を掛けたところ、やっと亜冴はこちらを見る。

 

「……伏黒さん」

「なにしてんだ」

「五条先生に、折り紙を貰って……」

「遊んでたってワケか」

「……はい」

 

 いやまぁ、ほとんど知ってはいたが、何をしているんだ。到底、同い年とは思えない彼女の横に立った伏黒は、遠くで飛ぶ紙飛行機を眺める。ほとんど見えない姿を、亜冴も同じように眺めた。目がいいコイツには、まだ見えているのだろうか。

 

「怪我は?」

「ありません」

「そうか」

「伏黒さん、もう動いて平気なんですか?」

「ああ。報告書も書かないといけねぇし」

「……伏黒さん」

「なんだよ」

 

 隣を見れば、遠くを見たままでいる。どこか元気のない姿は、やはり犬が耳と尻尾を垂れ下がったようにも見える。伏黒は別に、亜冴を侮ってはいないつもりだ。でも伏黒にはどうしても、目の前のこの人物が自分の保護下にいるような気がしてしまうのだ。単なる同級生や友人に抱くようなそれとは違う。特に似ているのは、拾った仔犬の世話を焼かなければならないという使命感だ。

 

「空の色って、なんだと思います?」

 

『空って、水色だよねぇ……』

 

 息が詰まった伏黒は、質問の答えを考えた。空の色に固執するのは、慕っていた両親が空は青いと教えていたからだろう。語られたことが真実である確証がほしいのだ。嘘であったと疑いながらも、いつまでもコイツは探している。

 単なる同情を嫌う亜冴の為、伏黒は個人としての答えを口にした。

 

「……空はそん時に見た色でしかないだろ」

「青色の時って、ありますかね」

「お前はどう思うんだよ」

「…………見たことがないので……」

 

 そもそも、どうして落ち込んでいるのか聞くつもりだった伏黒だったが、顔を背ける亜冴にその気は失せてしまった。疑問ついでに話を変える意図も兼ねて、伏黒は口を大きく開く。

 

「足集利。お前、なんで俺には敬語なんだよ」

「え?」

「虎杖と釘崎にはタメ口だろ。五条先生や先輩たちだけじゃなく、俺にまで敬語なのはなんでだ?」

「それは……」

 

 話を変えた途端、亜冴にいつもの調子が戻ってくる。お前は能天気な方がよく似合う。軟禁生活を強いられて来たなら、自由に活発にのびのびと過ごして欲しい。その権利が善人にはある筈だ。

 

「……タメグチ? は、覚えたての言葉遣いだから、合ってるのかなって思いながら、使用していました……」

「……は?」

「間違えてたら失礼なので、完璧に覚えるまで使わないようにしていたんですけど。虎杖さんたちに敬語はやめてって言われたから、五条先生や虎杖さんたちの口調を真似して……」

「待て。お前、敬語しか知らなかったのか?」

「外向けではそうですけど……? あ、でも伏黒さんにはあまり畏まった言い方をしないようにしています。真希先輩に注意されたので。伏黒さんや先輩たちが使うような敬語も覚えてきましたし」

 

 フォローのつもりの言葉にすら、伏黒は衝撃を受けた。歪みの中で育てられた人物の屈託のない様子が、伏黒の胸を掻き毟っていく。対等な言葉遣いをする相手もいない環境下で、コイツはどうしてその歪みに気が付いて、今こうして笑っていられるのだろう。学習と適応が早すぎる亜冴は、これまでどう生きてきたんだ。成長し続けて、原型が見えない。知れば知るほど、知りたくて仕方がない。

 

「足集利……お前、友達がなんなのか聞いたよな」

「…………はい」

「俺は、対等な他人だと思ってる」

「対等な、他人」

「虎杖たちと俺たち。お前と俺みたいな」

「…………」

 

 黙り込んだ亜冴は、伏黒をジッと見つめる。理解できないと言いたげでもあったし、値踏みされてもいるような感覚に、伏黒は真っ直ぐ見つめ返して説明の追撃をした。改めて言うことではないし、なんだか恥ずかしいが、コイツには必要なことだ。

 

「俺とお前は、友達だ」

 

 目を見開いた亜冴が珍しく、伏黒は少し笑ってしまう。なんだか本当に犬みたいだ。猫ならフレーメン現象か。しばらくして動き出した亜冴は、同じように笑い出すと、目を下に逸らしてクスクスと口元に手を置いた。

 

「よく、概念自体を知らないって分かりましたね」

「誰がお前の世話焼いてると思ってんだ」

「ふふふっ、いつもありがとうございます」

「だから、俺にも敬語やめろ」

「……わかった」

 

 ころころと笑った亜冴は、またもや前方を見て「ぁ、」と声を漏らした。何事かと見た景色には何もなく、代わり映えもしない。伏黒が首を傾げた横で、亜冴は小さく呟いた。

 

「折り紙、池に落ちちゃった」

 

 目を何度凝らしても、伏黒の視野には池なんてどこにもなかった。

 

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