最弱の怪物   作:肩たたき

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第八話『雛と青空』-2

 

 十才の頃、食事を作る工程を料理と呼ばれることを知り、亜冴は興味をそのままに廊下で立ち話をしていた使用人たちへと近付いた。彼らはギョッとして、蜘蛛の子を散らすように逃げて行ってしまい、一人首を傾げる亜冴だけが取り残された。

 

「リョウリとは、どのような行いなのですか?」

 

 代わりにと母に尋ねた亜冴は、凍り付く場に周囲の顔色を伺った。先程立ち話をしていた使用人たちは特に顔色を悪くし、母は穏やかなものから無表情へと落ちる。やはり、いけないことのようだ。いけないことを行なって、私に差し出すのはどういう了見だろう。食べなければいけないというのは聞いていたが、そこまでする彼らの役に私は立ってなどいない。

 

「……食材を食べやすくすることよ。お箸で摘みやすいでしょう?」

「お豆は摘みにくいです。あとうずらの卵も」

「ふふ、亜冴に食べられたくないのでしょう」

「食べたらいけませんか?」

「いいえ、食べなさい。あなたの血と肉になって、生かしてくれるわ」

 

 食した物は自身の一部になると語る母から目を逸らした亜冴は、離れで生活をする自身に疑問を落とす。波紋となって反響していくそれに、亜冴は口を開いた。

 

「……父様や母様もお食事はするのですか?」

「するわよ。生きているもの」

「乳母や、小間使いたちも?」

「当たり前です」

「では、なぜ私だけが離れでの飲食を許されているのですか?」

 

 またしても空気が凍るのを感じる。亜冴は怯むことなく、母の顔が歪むのを見とめた。父と同じ憐れみと虚しさを秘めた瞳が揺れ動いて、瞼で隠されてしまう。なんで、どうして。まるで不幸なことのように扱うの。私は一体なんなの。

 

「…………なんでもありません」

 

 亜冴は答えが出る前に、自ら蓋をして反響する湖を隠した。たった今、生きているものは皆、食べて飲むのだと初めて知った。自分以外がそういった行動をするなど、目にしたことがない。てっきり術式による影響かと考えてすらいた。同じ術式を持つ父は、一人こっそり食べているものだとばかり。

 そこまで振り返り、亜冴ははたと気が付いた。

 

──みんな、外で似た生活をしているのかしら。

 

 同じ生き物で同じ人間だというのに、私だけが特別扱い。悪い気はしないが、術式だけの優遇だ。確かにある違和感を、安寧で押さえ付けて目を逸らす。何もしていない無力だからこそ、与えてくれる大人たちに(こうべ)を垂れよう。同じことの繰り返しで飽きが来ていても、きっと幸せに慣れてしまったからだ。自分に言い聞かせて、このことに関してこれ以上質問するのは取りやめた。

 

「あら」

 

 お茶の稽古の時間、亜冴は持っていた湯呑みのヒビに手を這わせた。ピリッとした瞬間、離した指先から赤い液体が滲み出ていく。あの使用人と同じ色の生暖かい液体に、亜冴は小首を傾げて玉のように浮かび広がるそれを、親指の腹で塗り広げた。

 ベッタリと指に纏わりつく赤を見て、乳母が声を上げる。ここも()のものと同じなのね。

 

「亜冴お嬢様っ、血が出て……?!」

「これが血なのね」

「とにかく、手当てをいたしますっ。誰か、亜冴お嬢様がお怪我を……」

 

──てあて、けが。

 

 怪我をしたら、手当てが必要であることを学んだ亜冴は、まだ流れ出る血とジンジンと響く指先を見つめ続けた。例の使用人のように取り乱す者はおらず、亜冴の怪我ではなく、彼女自身の怪我を恐れているようであった。いや、というよりも。

 

「消毒し軟膏を付け、絆創膏をお貼りしますね」

「随分と落ち着いているのね」

「滅相もございません……ですが、痕が残らない大きな怪我でなくて安心しました」

「……紙で作った怪我は痕が残るのかしら」

「……」

 

 あの使用人よりも血を垂れ流した亜冴の方が大きな怪我だろう。図らずも皮肉の効いた質問に、使用人たちは口を閉じてしまう。沈黙が答えを表しており、興味を無くした亜冴は回収された湯呑みの代わりに来た茶器を手にした。あの使用人は怪我をしたことにより、亜冴を遠去けようとした。確信を持った亜冴は、自身が唯一持つ取り柄である術式が関係するのだと白羽の矢を立てる。

 だってコイツら、術式にしか興味がないもの。怪我をした指先をバンソウコウ越しに爪でなぞった亜冴は、揺れる心を痛みで抑え込んでいく。

 

──早く、お外の話を聞けないかしら。

 

 それでもまだ。自分は幸せだと言い聞かせた。

 

 

 * * *

 

 

「あの子は幸せなのでしょうか…?」

 

 その数日後、使用人たちの目を掻い潜り、亜冴は珍しく一人で部屋前に立ち止まった。部屋の中では両親たちが亜冴との面会を待っている。父と母揃うのは滅多になく、急いて一人だけでもやってきたのだが、それが裏目に出たらしい。あの子、というのは亜冴のことだろう。

 

「使用人たちから話を聞きましたが、あの子は賢すぎます」

「ああ、そうだな。だが、外に出たところで幸せになるとは限らない」

「だとしても、何も教えないままでは二の舞に……」

「あの子には術式がある。案ずるな」

 

 何の話だろうか。二の舞という言葉に父から貰った国語辞典を開くことに決め、今はとにかく会話の内容を覚えることに専念しよう。賢いという自覚は無かったが、大人、ひいては母が言うのだから間違っていない筈だ。悪い気はしない。むしろ良い気分で立てていた聞き耳のバチが当たったのか、次の瞬間に亜冴の気分は落とされた。

 

「……たまに、あの子が恐ろしいのです」

 

 恐ろしい、恐ろしいって、あの恐ろしいか。

 国語辞典の最初の方に書かれた項目を頭の中で引き、その意味に心臓ごと思考が固まる。恐怖、畏怖などが書かれたものに、亜冴はあの使用人の顔と重ね合わせた。

 

──あぁ……あれは私が恐ろしかったのね。

 

「教えていないことをいつの間にか覚え、こちらが望む反応をする。まるで私たちが子供のようで……」

「おい、落ち着け」

「あの子はあんなに賢いのに、どうして()()()は……」

 

──上の子って、なに。

 

「辞めなさい」

 

 父の鋭い声に硬直が溶けた亜冴は、咄嗟に空気を飲み込んだ。姿を消したまま寝室へと戻り、誰もいない薄暗い部屋で呼吸を繰り返す。脈拍が鼓膜を打ち付け、頭に血が上っては思考を回していった。

 ハッとした亜冴は、国語辞典と共に渡された漢字辞典を開いた。畳の上に置かれた辞典のア行を巡り続け、一つの漢字を引き当てる。

 

──つ(次)ぐ。準ずる。第二番目。

 

 亜冴の亜はそんな意味が込められているらしい。

 上の子という言葉と、名前の意味を亜冴は視界できちんと捉えているのに、頭だけが真っ白に染まっていく。ドク、と胸が跳ね、畳に突いた手が擦れた。上と下。一つと二つ。

 

「……二人目の子供?」

 

 この離れには亜冴しか住んでいない。

 もう一人はどこへ行ったのだろう。

 どうして私だけがここにいるの。

 全て術式の所為だというの。

 

 震える手で辞典を閉じた亜冴は、布団に潜って縮まった。深呼吸を何度か繰り返して落ち着くよう努力をすれど、全くもって意味を成さない。賢くないから一番目は消えたのかもしれない。外は賢くないと生きられないのだろうか。意味が分からない。

 冷や汗で指先まで身体が冷めていく。寝巻きに着替えるべきだと頭の隅で思えど、とても布団から出る気にはなれなかった。外が危険でも賢いのであれば、危険は少ないのではないのか。周りの大人たちは私を外に出られない、賢いの反対に仕立て上げたいのか。

 

──私を()()にしたいんだ。

 

 察しがいいからこそ、亜冴は周囲の意図を汲んでしまった。何から何まで従ってきた亜冴に、逆らうという発想はなかったが、似た概念だけは持っていた。

 

「…………聞かなかったことに……」

 

 これまで通りの私で生きる。おそらく、これが正解だ。周囲が望むのはそれだ。

 亜冴は布団の中でまだ早い胸が落ち着くまで、布団に包まっていた。青褪めた顔も整えなくてはいけない。気付いたことに気付かれたら、離れから追い出されてしまうかもしれないから。

 

「……どうして私なの」

 

 それでもまだ、文句は言えない。

 

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