──何も知らぬ、愚かな化け物。
人に心を割かず、我関せずのもぬけの殻と化した亜冴に、乳母はどうやら心を痛めたらしい。一人、床に頭を擦り付けて赦しをこう女は、確かに泣いていた。人払いをした部屋で彼女が何を語り出すかと見ていれば、それは外の話であった。葬式で眠っていた二人は無事なのかと、頭はそればかりに埋まった。自分の愚かしさに気が付いてからは、あまりよく覚えていない。
「足集利家当主様に、御両親は縛りを破らなければ、お二人の長子である、亜冴様の実兄を殺すと脅されたので御座います……ッ。亜冴様は足集利家の大事なお方、十六にお亡くなりになられることも嫁がれることも恐れたのでしょう……!」
なにそれ、知らない。
亜冴は虚な目で、なおも回る頭を呪った。
「………………ふ、ははっ」
乳母が全身を震わせ、床に額を擦り付けている。そこへ亜冴は更に大人たちを呪っていった。
私には兄がいるらしい。外で今もなお存命で、それを守るため、両親は目の前で死んでいった。私よりも先に生まれた男児、
──父様と母様は、私を殺そうとしたのね。
本館の者たちは一生ここに縛り付けようとし、両親は殺すことで解放しようとしたが、結局は第一子可愛さに私を見捨てたのだ。どうせなら、責任を持って私を殺してよ。どうせ殺そうとした子供だろう。嗚呼、愛って何かしら。
「あはははははははははっ!」
もう、認めよう。
この家は狂っている。私も狂いたいの。
利己主義というのだったかしら。皆が皆、自分たちの利益を善と信じて止まない。それを私に告げて、自分だけ罪悪感から逃れようとするこの女も同じだ。救えやしない癖に、要らぬ知識を与えて満足か。反吐が出る。
「……この家から消えなさい。私の前から失せろ」
「そんな……!」
「懺悔しかできない者はいらない」
「……っ」
「二って嫌いなの。二度も言わせないで頂戴」
いま逃げるなら見逃してやる。そう言外に伝えた亜冴に従い、乳母は身体を起こすと慌ただしく部屋から出て行った。一生、上辺だけの心配を募らせ、苦しんで生きていけばいい。それが貴様の幸福なのだろう。そして、終わりまで勝手に泣き暮らせ、何も理解できぬ愚か者が。
伝わったのかは不明だが、怒りは感じ取った筈だ。これであの女は今日中に荷物を纏めて出て行く。亜冴は一人になった部屋でその場に座り込んだ後、小さな拳で畳を思い切り殴り付けた。