最弱の怪物   作:肩たたき

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第八話『雛と青空』-5

 

 数日後の晩、亜冴は決行に移した。

 ぬいぐるみの綿を飲んで布団に身代わりとして仕込み、自身は姿を消して離れから出る。母の語った、食したものが己の一部になるという話通り、足集利亜冴としてぬいぐるみは認識が塗り替えられた。縁側から抜け出た先にある本館へと向かった亜冴は、周囲の探索をまず初めに行った。出入り口と屋敷全体の把握、そして見張りの巡回場所を事細かく観察していく。使用人たちの顔と名前を覚え、夕食や入浴の時間を屋敷全員のものを把握してから、やっと亜冴は本館へと足を踏み入れた。時刻は夕食時。死を理解した日から早く就寝するようになった亜冴には好都合である。

 

──ここの右手は風呂焚き場、そこの突き当たりを曲がると便所。

 

 料理を行う場所は大型の目星が付いている。いつも小間使いたちが食事を運んで出てくる場所がある。本館の端に位置する場所に使用人と共に入り込んだ亜冴は、置かれている見たこともない食器たちに眉を寄せた。言葉でしか知らない洋食やら、白い皿、箸の代わりらしきものが流しに放られている。中には残り物がそのまま突っ込まれており、純粋に汚いという感想が溢れ出そうになった。料理を担当しているらしい者たちが声を上げながら忙しそうにそれらを洗って、手際良く片付けていく。亜冴は次々に運び込まれてくる食器の跡を追って、食事をする者たちを探り当てることにした。しばらくして、まだ食事が済んでいない子供がいる部屋を見つけた。

 

「やだぁ、これきらい」

「食べないと大きくなれませんよ」

「大きくならなくていいもん」

 

 困ったようにしているその子供の父と母らしき人物と、使用人たち。暖かな光景から背中を向けた亜冴は、諦められた残飯の乗った食器を追う形で退室した。私がとっているものと違う夕飯と食卓を囲む様子に、何か擦り切れるものを感じる。食事は家族が揃って取るものだったのか。

 初回の侵入ということもあって、早めに撤収した亜冴は布団に潜ると術式を解いてぬいぐるみを抱き締めた。温もりのない冷たい布団に、瞼を擦り付けて眠りに入っていく。こんなにも籠から抜け出るのが簡単だったなんて、全くもって知らなかった。これだけで封じ込めているつもりだなんて愚かしい。私も奴等も浅ましかったのね。

 

 ぬいぐるみや辞典で試した結果、対象を食すことが姿を保有する必要最低限の発動条件であることを始めとした、自身の術式への理解を深めていった。本館の資料室では累集(るいしゅう)坩堝(るつぼ)呪法と称される術式らしく、父の名前も知ることができた。その裏で亜冴は、時間を幾つかに分けて本館に侵入し、台所へと立ち寄った。料理番の彼らが少しの間だけ自分たちの夕食時に出払う。そこを狙った亜冴は、難なく台所の流しの前に立つと、その一つを手に取って口に含んだ。先が三又に分かれた冷たい道具は、箸の代わりになるもので、誰もが口に含んで使うものだ。少量の唾液を舐めとってから、上部の食べかけの残飯を少しだけ掬う。

 

「オェ……っ」

 

 嗚咽を飲み、無理に喉へ通す。嫌だ、こんなことしたくない。

 反発する意思と嫌悪感ごと飲み下し、次の三又の道具に手を伸ばした。

 

 毎晩、毎月、亜冴はそれを繰り返し、姿を掌握していく。親族親戚、使用人、本館に住む者たち、ほぼ全員の姿を盗んだ亜冴は、それでも足りない数人に苛立ちを抑えきれなかった。どうやらその彼らは外で食べるか、時間を大幅にズラしているらしく、どうにも掴めない。稽古場に入り浸る彼らに腹を立てつつも、亜冴は今日もその様子を眺めて機会を伺った。身体の一部を取れればそれでいい。飲み物はダメだ、持っていくには目立ちすぎる。体術で汗だくになっていく彼らに嫌悪感を示しながら、亜冴は苛立つ心を努めて冷静に観察を続けた。手拭いで汗を拭く姿はどこか気持ち良さそうで、全てが腹立たしい。その汗全てが血に変わればいい。節穴どもの姿を取れれば、今すぐ色だけでも変えられるのに。

 

「……ぁ」

 

 閃いたことで思わず呟いてしまった亜冴は、横に置かれた手拭いにギギ、と目を落とした。

 

「おい、俺の手拭い知らねぇか?」

「そこに置いてなかったか?」

「のはずなんだけどなぁ……っかしーな」

「なぁ、オレのもないぞ」

 

 ハァ、ハァ、ハァ。息を切らして走った亜冴は、握り込めた湿った手拭いを、本館の裏手にある洗濯場の桶に突っ込んだ。そこへ井戸水を入れて濯いで行く。汚れごと出てきた汗の姿は見えず、水と混ざったそれを、亜冴は両の手に乗せた。

 

──…………。

 

 嫌だ、飲みたくない。汚い。気持ち悪い。

 たぷん、と水面を波打つ水全てが気持ち悪い。風呂場の水の方がまだ飲める。こんなものを口にして、病気にならないだろうか。

 ギュッと瞑った瞼の裏に、縛りを破った父と母の姿が浮かぶ。微かな酸っぱい匂いが鼻腔を突いた。

 

「…っ……!」

 

ごくり。

 

「ぅエっ……う、オェェ……ッ」

 

 しゃくりあげながら飲んだ水に、亜冴は大粒の涙を落としていく。桶の脇で吐いたけれど、それを綺麗な井戸水をまた汲んできて、流していった。垂れ流れる涙を擦り、またしても亜冴は汚水に口を付ける。

 

「ゔ」

 

 私が何かしたのだろうか。

 

「ぉえ……っぁ」

 

 術式だけでこんなに苦しまされている。

 

「っは、ぐ……は、うェ……!」

 

 どうして父と母は死ななければならなかったの。

 

「ん、ふっ……ゔっァ」

 

 私をどうして殺そうとしたの。

 

「オぇ……! げほっ、んゔ……!」

 

 もう辛い、嫌だ、やめたい。

 

「は……は、……はっ、ふっ……ふ……」

 

 気持ち悪い、気持ち悪い。

 

「ゔんんんっ……ぅぅ……んぐ、っは、ひぐっ……」

 

 なんでこんな思いしなくちゃいけないの。

 

「──死にたい」

 

 漏れた本音を戻ってきた寝室で吐き出す。

 あと数回、同じことを繰り返さなければならない。この生活を続けて一年間、他人の食い刺しや食器を舐めてきた。今度は汗を飲むのか。

 

「ふ、ぐぅ……ず、ぐす……っ」

 

 布団の上で自分自身を抱き締めるように丸まった亜冴は、涙を枕と綿に染みさせた。しばらく泣き続けてから、ぐ、と涙を拭って自身の唾を飲み込む。唯一、許せる物体だ。

 

「もうすこし、あとすこしだけ……」

 

 頑張ろうと心に決め、疲れ切った身体をぬいぐるみの存在に癒されながら眠りへと落ちていく。この一ヶ月後、亜冴はついに最終目的を果たすことに成功した。

 

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