最弱の怪物   作:肩たたき

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第一話『起承転結。起』-6

 

「ショッピングモールってなんですか?」

 

 この第一声に、伏黒は頭を抱えた。

 昨晩、亜冴のなになに攻撃に耐えかねた五条が、伏黒に擦り付けて逃げたところから始まる。

 

「同い年だし、仲良くなる良いきっかけだよ! 明日、買い物に付き合ってあげて!」

「ざけんな! 教師だろ、テメェがやれ!」

「そんじゃ、おやすみー」

「待てコラ!」

 

 一瞬で姿を消した五条に叫んだものの声は届かず、届いても無視をされるのだが、伏黒は渋々この無知すぎる亜冴の相手をしていた。寝巻きがなかったためか、制服のままで眠ったらしい亜冴の格好は皺くちゃだ。せめて制服脱いで寝ろよ、とは言えず、目に映るもの全てを尋ねてくる彼女を押しやった。

 昨日までの大和撫子のような大人しさはどこへ行ったんだ。目が合うと顔ごと逸らされてしまうのに変わりないが、引き換えに五月蝿い、鬱陶しい。

 親交を深めるなぞ、とてもじゃないが難しい状況に伏黒は溜め息を吐きそうになる。

 

「歯ブラシとかから買ってくぞ」

「あ、それなら知っています」

「そりゃよかったな」

 

 遠方に住んでいたらしい亜冴を迎えに行った夜蛾は、向こうにそのまま泊まったためにまだ帰宅していなく、伏黒は第二の擦り付けに失敗した。

 子守をしている気分になりつつ、亜冴の生活のための道具を買い揃えていく。一日で買い切れる気はあまりしていない。もちろん資金は亜冴持ちだ。じゃないと絶対に御免だ。

 

「シャンプーとリンスー、ボディーソープ……石鹸と何が違うのですか?」

「……洗う場所。シャンプーは髪、リンスは髪の保護、ボディーソープは身体。石鹸は大抵顔面と手」

「へぇ!」

 

──へぇってなんだよ、へぇって。

 

 細かい性格もあって、教えるなら細かく教えてしまう伏黒は、いなす事もせずに尋ねられれば律儀に答えていく。説明ばかりでいつもより口数が多すぎて、伏黒は喉が枯れてきたことに眉間の皺を深めた。日用品を適当に買ってしまって、休憩でもしよう。そう決めた伏黒は、テキパキと商品を買い物カゴに入れていった。

 

「なんで並ぶんですか?」

「会計するためだ」

「カイケイ……?」

「…………」

 

──帰りてぇ……。

 

 思ったって仕方ない。放って行ったらどうなるか分からない相手なのだ。たとえ面倒でも休日が潰れても、何かあったらお前の所為だと五条に責められる。あの人、他人に非があると本当にウルサいんだよな。

 

「休憩すんぞ」

 

 連れ入った喫茶店で、伏黒は素直に付いてくる亜冴に危機感を覚えつつも、レジ前で自分の分の注文を済ませた。隣の亜冴は店内をキョロキョロと忙しなく見つめ、注文する気配はない。面倒になった伏黒は亜冴の分も適当に頼んでしまうと、自分の財布から支払った。その変化に隣で小首を傾げているが、完全に無視を決める。

 何もかも面倒で全て受け取り、亜冴には荷物を持たせた伏黒は、連れたってテーブル席へと向かう。席に落ち着いたところで、やっと息を吐けた。まだ一時間も経っていない買い物だというのに、二級呪霊を相手にした気分だ。そもそも異性との買い物だなんて、姉以来である。

 

「……ごめんなさい」

「は?」

「疲れた顔をしていたので、ご迷惑をかけているなと」

 

 唐突に謝ってくる亜冴に、伏黒の気が抜ける。

 悪人ではない、むしろ善人だ。第一印象こそ最悪であったが、無知で無邪気な性格は天真爛漫とも取れるものだ。子供のようなはしゃぎっぷりは、箱から抜け出た反動なのだろう。どういう育て方されたんだ、コイツ。

 気になるが、家に復讐をしたと語った顔付きだけは大人びて見えた伏黒は、まだ飲まれていない飲み物に目を落とした。手本のようにストローを咥えれば、真似てくる彼女は本当に何も知らないのか。二、三口吸ってから、口を外した伏黒は亜冴を真正面から見つめた。やはり目を逸らされてしまったが、敵意は最初からずっと感じやしない。

 

「知らないままでやらかされた方が迷惑だ。だから、気にしないでいい」

「…………精進します」

「なんでそうなる」

 

 伏黒は頭を下げる亜冴に即行でツッコミを入れる。既視感があると思えば、飼い主の顔を伺う犬のそれだ。ますます気が抜けた伏黒には、もう買い物というよりは散歩という気分に塗り替えられてしまっていた。コイツに気を遣ってもあまり意味なさそうだな。ええいままよ、と伏黒は軽く口を開ける。

 

「今までどんな生活してたんだ?」

「どんな……って?」

「色々あんだろ。育った場所とか、面倒見てくれた人とか」

「……たぶん、異常な生活」

「なんだよ、異常って」

 

 下手に言葉を濁す亜冴は、明らかに表情を硬くして飲み物を注視した。話したくないと全身で訴える姿に伏黒は目を横に流してから、彼女の地雷を頭のメモに書き足す。唯一の同級生と仲違いはやめたい。たとえ、気不味かろうが。

 

「話したくねぇなら──」

「何が普通で異常かも知らないのに、異常だと感じる環境。そういうところ」

 

 伏黒の気遣いを塞ぐように白状した亜冴は、苦々しく笑みを作って、細めた目をこちらに向けてきていた。それに驚いているのも束の間、また目を下げた彼女は、飲み物を持つ手に力を込める。その飲み物が細首を連想させてしまった伏黒は言葉を失い、話の内容にやっと頭が追い付いた。碌でもない場所だと、少なくともこの無知は感じたんだ。何もかもを知らないように育て上げた理由を考えれば考えるほど、伏黒の胸の居心地は悪くなっていく。

 

──一人では生きていけないように……?

 

「でも、今は幸せ」

「……は?」

「だって、外に出て、沢山の初めてに触れて、たくさん歩いて、知らないものばかりで、退屈じゃない。すっごい楽しい……!」

 

 十五歳になって、初めて尽くしにはしゃぐ彼女は、頬を染めて無邪気に笑う。警戒しておけという五条の忠告など、毒気と共に完全に抜かれていくのを伏黒は感じた。

 

──警戒するだけ損だな。

 

 たった半日後の今で、ここまで興奮するほど幸福を感じる相手が、どうにかしてこちらを毒牙にかけようとする訳がない。伏黒は風変わりすぎるこの同級生を鼻で笑い、咥えるだけで吸われないストローの使い方を伝授した。

 そうこうした後、思い付く限り必要なものを購入した伏黒は、帰宅した高専の女子寮にて、抱えていた大荷物を亜冴の部屋に置く。同時にどデカい溜め息も漏れ出た。もう既に夕方で傾いた西陽が射す大量の買い物袋が不釣り合いに見えた。

 

「クソ疲れた……」

「ありがとうございました……」

 

 亜冴も同じように抱えていた荷物を置いていく。不足しすぎている体力を考慮して、軽いものしか持たせていなかったが、軽い息切れを起こす彼女は細腕を摩って、足を震わしている。耐え切れなかったのか、断りを入れてからベッドに腰を付けた彼女は再度謝礼を述べた。あの札束キャリーバッグの軽さにも驚いたが、本当に体力が無い亜冴はのほほんと隣に座るよう促してくる。流石に女子のベッドということもあって伏黒は断ると、積まれた荷物のあるブランドの紙袋二つに嫌な記憶を思い起こした。あれは遡ること、数時間前──。

 

「店の前で待ってるから、店員にサイズ聞いてそれ買ってこい」

 

 派手なピンク一色の店前で伏黒は、亜冴用の財布を渡して腕を組む拒否のポーズを取った。この突き放した態度には深い理由がある。

二人は散々買い物を済ませ、さぁ帰ろうとした時、ある重大な買い物に気が付いた伏黒は、冷や汗をドッと掻いた。ゆっくりと亜冴を見る目は、睨むように細くなっていく。

 

「…………下着とかは……」

「えと、肌着のことですよね? 服と同じで今着ているものだけです」

「…………」

 

 絶句したって仕方ない。本当にどんな家に育ったんだろうか。ここに来るまでに洋服の着方も教えた伏黒は、既に限界を迎えようとしていたところで、異性の下着購入問題がやってきた。

 もう無理だ、俺には手に負えない。しかし、だからと言って五条にも夜蛾にも連絡は出来ない。亜冴は女子で、俺たちは男であるため。

 高専の保険医でもある家入(いえいり)には普段から世話になっているし、彼女の多忙さを知っている。数少ない女の知り合いに伏黒は眉間を揉みながら、スマホを取り出して電話をかけようとしたところで、やっと踏み止まった。画面に表示される禪院(ぜんいん)真希(まき)という女の先輩の名前を見つめ、固まること三秒。

 

──いや、どう説明すんだ。

 

「同級生の女子が下着持ってないみたいで、買い物に付き合ってやってくれませんか」

 

 ブン殴られる、確実に。もしくはその女に騙されていると諭されるだろう。俺だってそうであって欲しい。だがこの女は規格外の無知だ。実物を見せないと説明できない。

 逆に、同じく実物を見た五条なら、下着店に入って購入なんて簡単だろう。なんなら、これ可愛いなどと言って選びそうだ。しかしこれにも問題がある。

 

──教師が教え子の下着買ったら駄目だろ……。

 

 余裕で通報案件どころか、実際に店側が通報するかもしれない。目隠しの不審者スタイルも相まって尚更危険だ。亜冴も亜冴で、「五条先生に選んでいただいたのを着ています、今日は白色!」とか言いそうだ。最悪だ、嫌すぎる。心の平穏のためにも、五条だけは呼んではいけない。

 伏黒はチラリと遠くに見える女性下着店を見た。その物々しさと派手なピンク色が目に刺さる。あそこは男子高校生にとって、この上なく危険地帯であり羞恥の場所だ。絶対に入れなければ直視することもできない、避けて然るべき存在である。時たまに女性と連れ立って入る、五条並みのメンタルを持つ男がいるが、あれはイカれてるか勇者だ。

 伏黒は普通の男子高校生のメンタルであるため、あの場には足を踏み入れられない。男子高校生にとって、女子トイレに入れという罰ゲームの最上級版が、女性下着店なのだ。そもそも暗黙の了解として、ソレ系の罰ゲームに女性下着店は外される。それくらい、恥ずかしくて居た堪れなくなる場所だ。絶対に入りたくない。

 

「店の前で待ってるから、店員にサイズ聞いてそれ買ってこい」

 

 よって、伏黒の口からこの台詞が出てきた。

 店前ですら恥ずかしい中、伏黒は顰めっ面で仔犬を突き放した。伏黒なりの譲歩と心配で配慮したのだが、やはり恥ずかしいものは恥ずかしい。亜冴は押しつけられるように渡された財布と伏黒を見比べて、所在なさげな顔を浮かべたが、こればっかりは譲れないと顔を背けた。

 

「……分かりました!」

 

 元気よく返事をした亜冴が店内に入って行くのを見届けることもままならず、伏黒は背中を向けて吹き抜けになっている階層を眺める。戻ってくるまで絶対に振り向くものかと、決意を固めた伏黒は、散々見てきた亜冴の無知さに心配が募っていく。果たして、レジや会計を知らない奴がきちんと買えるのだろうか。サイズとかもあるだろうし、間違えて買ったら二度手間だ。いやしかし、伏黒には確認のしようがない。

 悶々と考えている間に時間は過ぎ、三十分ほどして肩を叩かれた。やっと終わったのかと振り向いた伏黒は、思ったよりも近くにいる亜冴に驚く。ウキウキと輝く笑顔で小さな袋を引っ提げる亜冴は、中身を取り出そうとするので即座にその手を引っ掴んでやめさせた。不思議そうにしつつも、簡単に納得するのでそこは扱いやすい。

 

「買えましたっ!」

「……そうか」

「シチャク? というの、初めてしました」

「やめろ言うなやめろ」

 

 早くズラかろうと、荷物を持ち直していく伏黒はふと亜冴の持つ小さな袋に疑問を抱いた。そして、サァっと血の気が引けていく。四、五着にしては袋が小さすぎる。

 

「……何着買った?」

「一つだけ!」

 

 伏黒はついに頭を抱えた。口走りそうになった暴言を飲み込み、ギギギ、と首を動かして店へと視線をやる。そこには女性店員が心配だったのか、こちらを見守っており、伏黒と合った顔をニコリと笑顔に変えた。カップルだと思っているようで微笑ましいものにその笑顔が変わっていく。

 次の瞬間、伏黒は荷物をかき集めて亜冴の手首を引っ張り、別の女性下着店に向かったのは言うまでもない。そこに亜冴を突っ込み、四着買うよう指示も出して、同じく店前で待機した。

 

「四着、買えました!」

「…………」

「えぇっと、桃色と若草色と……」

「マジでやめろ」

 

 二店舗目でも店先で女性店員が生暖かい目で見守ってきていたのが、未だに伏黒の心に重く来ている。説明ができないので、違うと否定もできない。何が違うとも分からない。ようやっと乗り込めた伊地知が運転する車内で、伏黒は泥のように眠る亜冴の隣で、とても大きな溜め息を吐いた。

 亜冴の部屋に荷物を置いた今も、思い起こすだけで溜め息が出てくる。洗濯の方法やその他諸々の家事について説明しなければと、ふと気が付いたが、今日はもう嫌だ。部屋に戻って休もうそうしよう。実物も帰ってきたことだし、真希に丸投げしたっていい。

 とにかく伏黒は踵を返して、部屋に戻ろうとしたのだが、やはり亜冴が声を掛けてきた。

 

「伏黒さんっ、今日は本当にありがとうございましたっ……! それで……これを」

 

 剣呑な顔で振り返ったところに、ススっ、と出されたものに伏黒は目を瞬かせた。簡素なラッピングをされたそれは、全く見覚えがないものだ。こんなものをいつの間に買っていたのだろう。恐る恐る受け取った伏黒は、その軽さに首を傾げながら顔を上げる。やはり亜冴の視線は下を向いていて、交わることはない。

 

「肌着を購入したお店で、男性への贈り物に適したものを尋ねた際、店員さんがこれをと選んでくれたんです」

 

 頭に小さな星が当たって落下していくような、そんな驚きを覚えた伏黒は、もう一度プレゼントに目を下ろした。自信なさげの亜冴と、即席で用意してくれたものに、伏黒の口元は緩んでいく。世話をした相手の成長は、素直に嬉しいものだ。

 

「……開けてもいいか?」

「はい、どうぞ」

 

 ビリ、とシールを剥がし、袋を開けて中を取り出してみる。綺麗に纏められている、無難なデザインの靴下は、布の質感から履き心地の良さを感じさせた。三秒間、手の中のものを見つめた伏黒は、片手で目元を覆って天を仰ぐ。

 

「ど、どうでしょう、お気に召しましたか?!」

 

 ワクワクを抑えられない声色で伺ってくる亜冴だが、伏黒は今それどころではない。手のひらにある靴下を握り締め、彼は心が折れた音を耳にしていた。

 

──靴下買うの、忘れてた──。

 

 悲しき発覚に包まれた伏黒は、しばらく天を仰いで固ってしまう。こうして、次の買い物日まで、亜冴は伏黒から白く華奢な足には大きすぎる靴下を借りて過ごすこととなったのだった。

 

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