最弱の怪物   作:肩たたき

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第九話『懺悔』-8

 

 瞼が重い。

 何度か浮上した意識をそうして沈めていれば、鼻腔を突く嗅ぎ慣れないものに、興味が湧いて再び手を引かれた。白い天井は離れの天井より近くて、寮部屋のそれよりは遠い。動かない全身だが、顔面の筋肉だけは自由が効くらしく、ツゥ、と横に目をやった。ガラスの底の深い大きな器に水と植物が入れられている。脇には果物と菓子類が置かれていた。ピクリとも動かない右腕の代わりに左手で上半身を支えれば、痛む腹と劈くような頭の痛みに、身体が跳ねる。筋肉痛よりかは動かせるが、激痛が比ではない。

 朦朧としていた意識がクリアになっていき、亜冴は意識を失う前のことを思い出した。そうだ、呪霊と戦ってそれで。

 

「っ……い、つぅ……」

 

 足腰は自由が効くらしく、ガラガラの喉に唾をかき集めても、口内のどこにも水分は無かった。代わりに植物が刺された器を手に取ろうとしたが、存外重くて持ち上げることが叶わない。落としては元も子もない。幸い、足腰に痛みは少なかったので、誰かを探しに行こうと、ベッドから抜け出ようとした。

 

「しつれいしまーあぁあああッ!」

「っなによ! うるっさいわねぇえぇええ?!」

 

 叫んで抱き合う部屋の出入り口の虎杖と釘崎に、亜冴は曖昧に微笑んで左手を振った。次の瞬間、人を呼びに二人が姿を消したのは言うまでもない。

 

「お、俺、伏黒呼んでくる!」

「私は硝子さん呼んでくるわね! 足集利! そこ動くんじゃないわよ!」

 

 ついて行こうとしていた足集利はビクリと肩を跳ねて頷き、勢いに任せて走り去っていく二人に嫌な予感を覚えた。

 

──飲み物、取ってきてくれるといいけど。

 

 生死を彷徨ったというのに、呑気にそんなことを考えて、寝たきりだった患者は二人以上になる見舞客を待った。

 一分以内に集まった一同に、亜冴は揉まれに揉まれた。仮にも怪我人に対するそれではない。亜冴は五条の撫くり攻撃から抜け出ようと頑張るが、身体が痛むので悉く失敗に終わる。というかとても痛い。あの時、自分が死んだら、この病室分の彼らが葬式に並んだのか。惜しいことをした気分になりつつ、亜冴は渡された水を口に付けた。言われた通り、少しずつ飲んでいけば、喉の痛みが緩和される。

 

「二日も眠りっぱなしなんて酷いよ。僕との約束忘れちゃったの?」

「出鱈目言ってんじゃないわよ。足集利と買い物の約束をしたのは私よ」

「どうせ荷物持ちだろーが」

「荷物なら俺が持つから、病人は労わろうぜ!」

「労る気があるなら叫ぶんじゃないわよ! 傷に響くでしょうがッ!」

 

 別に誰についていくとも言っていないのだけれど、勝手に完治後の話が広がっていき、亜冴はまたコップに口を付けてその場をやり過ごした。生きていた喜びは確かにあるし、自分でも祓えたことは嬉しい。亜冴の術式は大きな変貌を遂げたと同時に、この場の全員を虚像で眩ませることもできるものとなっている。恐れて当たり前の存在だ。それをしない彼らに喜びが滲んでくる。アイツらとは大違いだ。

 

「また明日なー」

 

 手を振る一同に振り返した亜冴は、無言を貫いた。以前気怠さと痛みのある体を押して横たわる前に、揉め出した部屋前の騒がしさに小首を傾げる。虎杖たちに背中を押され、部屋に戻された伏黒はすぐに立ち去ろうと踵を返したが、ピシャンと扉を閉められてしまった。

 

「おい、ふざけんなっ」

「アンタはちゃんと足集利と話しなさい」

「そうそう、全然話そうとしねぇし、心配したーとかちゃんと伝えた方がいいから」

「余計なお世話だ!」

 

 怒鳴る伏黒を久しぶりに見た気がする。ドンと扉を叩くがびくともしない。亜冴はしばらく続いた攻防を見守った後、気不味そうにこちらを振り返った伏黒に小首を傾げて、椅子を手のひらで指し示した。渋々といった雰囲気で椅子に座った伏黒は、顔を逸らしているので、初対面時の自分自身を思い出してしまう。あの頃の亜冴は伏黒に負い目があって、目を合わせないようにしていた。なんだか懐かしく、クスクスと笑い出した亜冴に、伏黒の空気が軟化していく。

 

「お前ってほんと、とんでもねぇことやるよな」

 

 見舞いのお菓子の山から、飴に手を伸ばした亜冴に、伏黒は苺味を開封してから手に乗せた。それを袋から押し出して口に含んだ亜冴は、少ししてからマシになった喉を震わせる。皆が見舞いに来てくれた時にこれをしなかったのは、あまり話す気がなかったからだ。話しすぎて悪化すれば、また叱られそうだし。

 

「みんなほどじゃ、ない」

「それは……そうだな」

 

 納得してしまった伏黒に瞬きをして、亜冴は笑みを深めた。どこまでも優しくて、気の抜ける人。一番心許せる相手への礼儀を示すにはどうすればいいのだろう。亜冴がまだ学んでいない事柄である。ここは自分なりの伝え方が良いだろうか。そう悩んでいれば、先手を伏黒が打って会話の流れが変えられてしまった。

 

「お前を死にかけさせた、すまん」

「……そんなことない」

「いや、俺のミスだ」

 

 頭を下げる彼を上げさせるには、どうすればいいのか。乳母と重なる姿に、亜冴は今更後悔が滲み、考えるより先に口が動いた。衝動的なそれは軽率だと、いつも自身を嗜めてきたのに、今になって曖昧な理性だ。

 

「わたし、一人だけなら死んでた。ふしぐろさんがくると思わなかったら、死ぬことをえらんだ」

「……は? なん、で……?」

 

 御三家嫌い、というよりは術式に拘る家を嫌う傾向にある伏黒である。亜冴は走馬灯で見た記憶と、伏黒への初対面時の失礼を働いた大きなきっかけを天秤に乗せ、今後の未来をもう片方に乗せて比べた。でもまぁ、もういいか。疲れた。

 この人になら、過去も未来も委ねてもいい。どう転ぼうが、きっと私は楽しめる。

 嫌われるのは怖いけれど、この人には誠実でありたい。

 

「……わたし、あなたが望むような善人ではないよ」

 

 何処かに吹っ飛ばした理性を遠くにやったまま、亜冴は己の過去について白状していった。

 軟禁生活のこと、第二子であったこと、父と母を奪われたこと、自分に奪える最大を奪ったこと。

 忌まわしき過去から亜冴は逃げることはせず、立ち向かって足掻いた。その結果ではないが、転がり込んだ先は天国とも地獄とも言える場所だ。あの見合いの席がなければ、伏黒と出会わなければ、亜冴はここにはいない。きっと死んでいた。

 精神的であれ肉体的であれ、亜冴は十六歳になる前に足集利家で一族全員、使用人を巻き込んだ無理心中を仕掛けただろう。両親との縛りは破られたために死ぬことはないが、誰かに身体を許し暴かれる。亜冴の半生が詰まった離れは、子を産む道具を置いておく場所に成り下がるのだ。

 

「こんなに世界が楽しいだなんて、知らなかった。なにひとつ、わたし知らなかったの……。ぜんぶ、ふしぐろさんのおかげ。出会ってくれて、ありがとう」

「っなら、なんで死ぬとかになんだよ。おかしいだろ、もっと生きて先を知りたいとかになんねぇのか!」

 

 焦りと苛立ち、不安を汲み取った亜冴は、感情をぶつけてくる伏黒に申し訳ない気持ちへと変わった。生きて欲しいと願う彼に、亜冴は理解が及ばない。高専にいる理由なんて、詰まるところ葬式の参列者目当てなのに。あぁでも、確かに私は伏黒たちに生きてて欲しい。

 

「みんなのことが大好きだから。みんながわたしの死を悔やんでくれたら……もう充分」

 

 迷惑な死にたがりの言葉に伏黒は言葉を失うと、萎れるようになんだそれ、と呟いた。だってそうじゃないか。術式と関係なく私個人を認知して、生きることに価値を見出してくれることほど幸せなことなどない。それのどこがいけないのだ。今回死んでいたら、あなたはきっと人一倍に私を悔やんだでしょう。両親の死を悔やんだ私以上に、私を悔やむ人がほしいの。人間性とは程遠いのが私だ。

 

「──……水族館とか、遊園地って知らねぇだろ」

「え……?」

 

 確かに聞き覚えのない単語に返事が出来ない。無言の肯定しかできない亜冴に、好機を見た伏黒は話を続けた。

 

「最初はお前のこと、内弁慶だと思ってた。見合いドタキャンして、相手目の前にすると怖気付くヘタレだって」

「まぁ……そう思っても仕方ないよ……」

「でも、今はマジで何も知らねぇ馬鹿だと思ってる」

「……そっか……?」

 

──私の印象、最悪から最悪に移っただけで変わってなくない?

 

 伏黒視点の話なので否定せずに耳を傾けておく。

 けれども、亜冴の悪口に関して突然流暢になった声に、亜冴は微妙な顔を浮かべた。

 見えているのに気にせずに伏黒はぽつぽつと言葉を続けていく。普段無愛想なのは彼も変わりないとは口を挟まず、その手探りで見つけ出そうとする姿に亜冴の胸が締め付けられていく。彼は生きろと説得しているんだ。

 

「海外も行ったことねえし、飛行機や船にも乗ったことねえだろ。……まだ食べてねえ食べ物とかお菓子、たくさんあるぞ」

「…………」

「お前が大嫌いな奴らは知ってて、お前だけ知らないままなんて、それでいいのかよ」

「………………」

「お前が思ってるより、世の中もっと楽しいぞ」

 

 世界を私より知っている人に言われたら、私は否定ができない。酷いことをしてくれる、と亜冴は伏黒を見つめたが、彼は踏ん切れたのか、今度は不満気にこちらを見つめ返していた。ふんぞりかえる姿はどうにも偉そうだ。

 

「悟ったみたいな顔してっけど、全然知らねぇんだから、もっと知ってから死にたいとか言え」

「えぇ……これ以上幸せになったら罰があたるよ」

「今までが罰みたいなもんだ。これまで分の幸せ手を入れることに、悪いもクソもねぇ」

 

 もっと幸せになれと力説する伏黒に、亜冴は喉と胸が締め付けられた。良いのだろうか。復讐を後悔していないし、認められて暖かく迎えられることすら想定外の喜びだ。その上、もっと、と望む彼は亜冴を肯定して手を引いてくれる。

 

──まだ楽しんでいいんだ、私。

 

「……なんだか、気がぬけちゃった」

「は?」

 

 ベッドにボフンと背中から上半身を倒した亜冴は、響く痛みに呻きそうになったが、グッと堪えて息を大きく吐く。思えば、誰かに生きて欲しいと思われたことも初めてだ。伏黒恵は今世のラッキーアイテムなのかもしれない。当然の如く最下位に自分を位置付けた亜冴は、普段見せない剣呑な瞳で値踏みするよう伏黒を見とめる。伏黒の瞳を見ていると、自分を見失う気がしてならない。なのに、つい追いかけてしまうのは何故だろう。

 

「ふしぐろさんのような人、なんていうのか知ってるよ」

「んだよ」

「あまやかして人につけいる、プロのヒモって」

「あぁ? ……誰に教えられた?」

「ごじょーせんせぇたち」

 

 ピッ、と伏黒の背後に位置する扉の隙間を指差し、「やべっ」という声と三人分の気配に亜冴は睨みを効かせた。いつの間にか増えた登場人物は、どこから聞いていたのか知りたくもなかったが、どうせ最初からだろう。勢いよく立ち上がった伏黒が手を構えながら退室していくのを見届けた後、大音量の謝罪を子守唄にして、眠りについたのだった。

 

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