最弱の怪物   作:肩たたき

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第十話『恋しい人』-2

 

 病み上がりであるにも関わらず、緊急の任務が亜冴に入った。既に高専関係の呪術師の殆どが別の任務に駆り出されており、尚且つ上からのお達しで、亜冴が任命されたのだ。当然、周囲の人間は反対したが、だからと言って任務は待ってなどくれない。居合わせた中間管理職である補助監督すらも、上層部に噛み付いたほどだ。夜蛾が同行しようにも、先日の高専内への特級呪霊数体と呪詛師数名による襲撃から、学長である夜蛾が高専を離れる訳にはいかなかった。

 

『というワケで、恵も今やってる任務が終わり次第、亜冴と合流してあげて。悠仁たちにも話してある。時間稼ぎはしてくれてるけど、除伐任務じゃなくて調査するだけの任務だから、あんまり抗議するには弱い。調査任務なら、急を要さないって伊地知辺りが突いてくれてるだろうけど、中間管理職だからね。あんまり大きくは出れないだろう』

 

 突然来た五条からの電話に、伏黒ははっきりと返事をしてから切った。決して穏やかじゃない胸中に舌打ちを鳴らす。一番柔らかいところを突かれた気分だ。実際、亜冴は高専の中で最弱である。上手く嵌れば輝けるものの、そうでない場合ばかりだ。病み上がりの身体で、無理をさせたくはない。

 

「……チッ」

 

 険しい顔を浮かべた伏黒は、車を運転する補助監督に急ぐよう声を掛ける。あの怪我は伏黒の代わりに負ったようなものだ。やっと治りかけているというのに、振り出しに戻るどころか今度こそ。嫌な予感ばかりが駆け巡り、伏黒は亜冴の無事を強く祈った。

 

 

  *  *  *

 

 

──私、上層部に嫌われてるんだ。

 

 伊地知たち補助監督と窓が、和装の男たちに噛み付いている。任務を持ってきた彼らに、適任でないと抗議しているが、彼らは上からの命令だと一歩も引かなかった。並び立てられる論議の論点が互いにズレているのだから、話し合いになどなりっこない。亜冴は自身の実力と立場を鑑みて、黙することを選んでいたが、ついぞ痺れを切らしてしまった。

 

「虎杖さんの次は私ですか?」

「足集利さん……!」

「私には等級の適性は計りかねますが、多くの呪術師の任務に同行してきた補助監督並び、窓の方々がここまで反対しているのです。その任務が私の手に余ることなど、任務内容を見なくとも分かります」

「……だったらなんだ」

 

 伊地知を筆頭に亜冴を庇うよう、上層部の息がかかった者たちに歯向かう。それを亜冴は五条が想い描く構図を図らずも体現してしまったと、己を少し詰った。姿形だけでなく、本人の意思までも所有した気分だ。私の味方を増やして固めて、実力のない呪術師上層部になれと、五条は亜冴に指をさしている。自衛もできる実力のある者たちに囲まれて、これまでの思想を覆せという。

 それも良いかもしれないけれど、明らかな不安分子と見られても仕方ない。いち早く勘付く者は、他にも出てくるだろう。出てきた時、私はこういった攻撃を幾度となく受けるのだ。覚悟や意志の確認を、五条にされた覚えはない。

 

「──この程度の任務も出来ぬなら、死んでしまえ。というのが、上層部とあなた方の声なのですね」

 

 人から死を願われたことは、何年ぶりだろうか。両親以来だから、あまり遠い過去ではないか。怯んだ彼らの手から任務を摘み取った亜冴は、問題の任務に目を通していく。調査任務ではあるが、調査の発端に数名の死者が出ている。呪霊と鉢合わせれば、亜冴では対応できず、死が待ち受けているだろう。そもそも調査だけの任務など、他に見たことがない。

 

「失敗が見えていての配属なら、私が引き受けただけ時間と人員を消費するだけです。後回しにしてでも、適任に最初から任せた方がよろしいかと思います」

「なっ?! 上の言うことを聞けないのか!」

「聞いた結果の責任は誰がお取りになるのです?」

「呪術師として、任務で散るのは本望だろう!」

「なるほど。だから、お前はこの任務で死ねと」

「そ、そのようなことは……!」

「任務で死ぬことは名誉なのだから、任務で死なせてやる。……近くに身寄りのない呪術界関係者が眠る墓地があります。そこでも同じことが言えると胸を張れるのなら、この任務を引き受けましょう。……あぁいえ、この任務で死んできて差し上げましょう」

 

──この程度の応酬で口籠もるなんて。

 

 だから嫌いだと、亜冴は大人への絶望をまた重ねていく。たとえ今回の任務で死ななくとも、殺意を向けられたのは確かであるし、忘れてはいけないことだ。揉み消される前に五条にこれを渡すべきだろう。亜冴は陰鬱とした気持ちで、黙り込む大人たちへ口をまた開いた。自分で蒔いた敵意を宥めるのも、私の役目だと今の飼い主は言っている。

 

「……申し訳ありません。私が未熟なばっかりに、任務を請け負うことができず……」

「は……?」

「私が戦えないことは事実です。不要なものとして、捨てられても文句は言えません」

 

 本心からの言葉だ。けれど、言わされていると亜冴はどこかで思ってしまう。善人だと自ら表に出すことの辱めを、五条は理解していない。恥晒しという言葉が浮かぶ中、亜冴はそれでも口を止めなかった。これがいつか伏黒たちの役に立つなら。

 

「あなた方や上層部を恨みはしません。けれど、ここで私が頷けば、私に親身にして下さっている方々との間に軋轢を生むでしょう。ですから、私はこの任務に一人で当たることはできません。ごめんなさい」

 

 深々と頭を下げた亜冴は、虚な目を閉じて舌先を噛んだ。鳥籠から出た先でも、大人の顔色を伺って生きている。夢見る葬式で悔やむ人間たちは、本当の亜冴を悔やんでくれているのだろうか。望まれる私は私ではないかもしれない。窮屈で退屈だ。自由を当たり前に知る伏黒たちと遊びたい。

 

「すみません」

 

 亜冴単独での任務配属を諦めて去っていく男たちを見守る中、伊地知が声を掛けてきた。亜冴は何のことかと見ていれば、軽く頭を下げて申し訳なさそうにする。大人が私に頭を下げることなんてあるのか。

 

「本来なら、大人である私たちが対処すべきでした。足集利さんにさせてしまって、すみません」

「あなたは……」

 

──私というモノに絆されて、可哀想な人。

 

 狂った調子を出すわけにもいかず、亜冴はぐ、と瞳を細めた。大人に庇われたのも、理由が善意なのも調子が狂う。子供という理由だけなら良かったし、実際そうであっても彼らは庇ったのだろう。そこに相乗された理想の足集利亜冴が加味されてしまっている。私はそんなできた人間じゃない。そもそも人間をやめろと、今の飼い主は言っている。五条悟を飼い主と定めた亜冴は、懐く気もないと勘付かれているのに、主人はそれを良しとするのも気味が悪い。こんな内情を知れば、この大人は下げた頭を踏ん反り返させるだろう。そうじゃないと見えていても、信じられないのが本心だ。嫌いな相手への猜疑心で事実が霞んでしまう。

 

──これが伏黒さんなら、信じられるのに。

 

「……そんなことありません。庇って下さって、ありがとうございました」

 

 頭を下げた亜冴は、完治しているのに痛む胸部に手を置いて、その場を後にした。家入に診てもらう気も起きず、寮部屋へと引っ込む。ベッドに身体を放って暫く、枕に頭を埋めて呻き声を上げた。

 

「やだなぁ……」

 

 脳の裏側を撫でられるような感覚がずっとする。悪夢も相変わらず付いて回っている。亜冴は携帯を取り出すと、寝そべったまま着信履歴の一番上を押した。

 

「……もしもし」

『もしもーし、亜冴?』

「五条先生……。要請された任務は請け負わず、彼らには帰っていただきました」

『お、伊地知たちもなかなかやるじゃん。心配したよ』

 

──ウソ。

 

「……ごめんなさい。私が抵抗して歯向かいました」

『亜冴が? どんな風に?』

「…………バーカって」

『嘘付かないの』

 

 言いたくないけれど、下手な嘘をついて敵にも回したくない。相変わらず五条を信じられない亜冴は、憂鬱な気分で口を開いたがどうしても声が乗らなかった。だから別のことを切り出した。

 

「……先生」

『なに?』

「私は時折、自分がどうしようもない碌でなしで、それをあなたは、どうしようもない外道に成長させようと、画策しているように感じるのです」

 

 無知で無能だからこそ、教えてくれないか。あなたの期待を応えた先に、どんな私が待ち受けているのか。

 五条はしばらく黙り込んで、思案し始めた。亜冴は目に見えないながらも、対面しているような気がして、静かに返答を待つ。誰しも善人を好く。外道な善人は、正義と真逆の正義を持つ者を指すのか。少なくとも復讐を果たした私に、正義という言葉は無かった。

 

──外道な善人とは、排他的な正義を指すのかもな。

 

『もしそうだとしたら、亜冴はどうする?』

 

 反射的に口内を噛んで、心情を抑え込む。これがこれから先も続くというなら、私は耐えられるだろうか。いや、耐えられると応えなければ、五条は私を見限るだろう。今だけはと顔を歪めた亜冴は、震える唇を引き締めて、聞こえないように息を吐いた。誰か頭を撫でてはくれないか。

 

「仲間のためになるなら、呑み込みましょう」

 

 沈黙の後に電話は切られてしまった。亜冴は携帯を耳から外して、ぼんやりと眺めてから立ち上がる。何を危惧しているのかは分からないが、五条は相変わらず私を警戒している。その決め手になったのか。

 

 重たい身体を起こし、机に放った任務資料を手にした亜冴は感じ取ってしまう軽率な殺意に溜め息を吐いた。それを飲んで姿を消す。亜冴は部屋から出て、手ぶらでシャワー室へと向かった。高専に大人しかいない今、誰とも対面したくない。

 

──誰だか知らないけど、みないでよ。

 

 寮部屋の女風呂に衣服を脱ぎ散らかしながら、袖を落として肌色の身体を鏡に映した。脳髄の裏側の、ざらついた面を撫で上げられるような感覚は、肌着に手を掛ければ消え去り、ようやく亜冴は一人きりになれた。隈が浮かぶ目の下を曲げた指同士で摘み、縫った後の残る薄い腹を撫でる。初めてここでこの姿になった時、傷ひとつなかった皮膚は何処にもなく、今や筋肉が薄らと浮かび上がる傷痕だらけの健康体だ。陶器のような肌には腕の境目の日焼けもなかった。

 

「……父様、何をしてきたんですか?」

 

 私が疑われ恐れられる存在の面を持つのは、同じ術式を持つ、僅かばかり育てた彼が片棒を担いでいると理解している。亜冴は手入れが疎かになった為に、痛み始めている腰以上ある長髪を撫でて、見つけた枝毛を引き抜いた。プツン、と途中で切れてしまったものを街中で見た指輪のように、左手の薬指に括り付けてみる。髪の毛一本の姿を貴金属にしてみて、両親の手にはなかった指輪にし、最後は花にして枯れさせた。自身の肉体の一部を変化させた方が、細かな操作的にも呪力消費にも遥かに楽だ。

 その指の黒髪を口元に持っていき、ブツ、と噛みちぎった亜冴は、流しに吐き出して、脱衣所から風呂場に足を踏み入れた。

 

「……くすんだ黄緑」

 

 父の目の色が思い出せない。確か明るい茶色だったのかな。いや、知らなかったのは自分の目の色か。自分自身の姿形なんてどうでもよかった。出しっぱなしのシャワーの冷水がお湯に変わり、亜冴は垂れる黒い艶やかな髪を鷲掴んで、打たれながらも三つ編みに一房編んでいく。私が異常なのは別に構わない。父も異常だと知らしめられていくことが、わたしには。

 

──道徳の本は父様を裏付けている。

 

 父の説いた善悪に間違いはないのに、外界は父を否定してばかりだ。父の行動理念は別にあったということか。ならば、なぜ私には教えてくれなかった。監視が厳しかったというのが理由なら、縛りだって知られると分かっていた筈だ。そもそもあんな弱みになりそうな縛りをしなければ、両親は今も健全で、私は死んでいた。両親の目的はもっと簡単に済んだだろう。あそこまで恐れられる父が、気付かない筈がない。だって私も父様のこと、逆らえないと感じていたもの。

 浮かぶ見合い写真で見た仏頂面の百面相に、亜冴は溜め息を吐いた。

 

「コワがられたくないなぁ…」

 

 彼は私が愚か者でも、馬鹿と言いながらも世話を焼き続けてくれるのかしら。らしくない可能性ばかり考えては、浮かぶ顔たちに申し訳なくなる。今更吐いたって、私は彼らの血を飲み干してしまった。三つ編みを麻縄に変え、首に纏わせど、正面の鏡に目を凝らさなくとも重なって見える真実に、中身だけでなく瞳の異質さが嫌になる。いっそ六眼ほどのものなら、割り切って生きられるのか。いや、もっと異常に頭を擡げて、大切なものを切り捨てれば往ける。あれはそういう人間だ。逆に人を尊べばどうだろうか。五条の信頼を得られ、伏黒たちはそういう人間を好く。今の私では、いずれ離れていくだろう。でも──。

 

「五条悟は、私が善人になることもイヤがってる……」

 

 電話の様子は顕著に出ていた。誰を重ねているのか。誰かの為に苦痛を我慢することを、何故恐れる。それが善人であり、力の使い道として明るみに出ているものではないのか。

 わたしには正解がわからない。生きて信用できる人に囲まれた悔やまれる死を迎える。好奇心がまだ先を知りたがっているから、周囲に気に入られないといけないのに。

 

「…………つかれた……」

 

 水圧で解いた髪の流れを観察して、また動き方を覚えていく。五条は想像力に直結する術式だと評していたが、術式か人格を恐れているのか、それで話が変わる。術式ならば人格でどうにかしよう。人格ならば打つ手がない。最強の男が軟弱な小娘に怯える経緯は、恐らく過去と関係するだろう。それを調べる手段はない。

 離れよりたくさん知れたのに、離れよりも自由を感じられないなんて。

 目を閉じて力を込めて願えば、見えた視界に亜冴は蛇口を捻ってお湯を止める。脱衣所に舞い戻り適当にタオルで身体を拭き、脱ぎ捨てたものを拾い上げながら袖を通していった。亜冴は着替えを終えると、廊下に出て校門へと向かった。女子寮から靴を履いて、見える視界と脳内で照らし合わせて進んでいく。校舎前で見えた人影二つに、亜冴は肩の力を抜いて走り出した。

 

「伏黒さん……っ」

 

 伊地知と話していた、険しい顔で眉間を揉む伏黒に、亜冴は繋がりを一旦切ると、スッキリした顔持ちで伏黒が両肩を掴んでくる。心配そうな顔色に濡れた髪を揺らして亜冴は微笑んだ。なんの警戒心も打算もないこの好意がずっと続いてほしい。切羽詰まった嫌そうな顔を、この瞳に歪めて収めておこう。

 

「足集利、嫌なことされてないか?」

「大丈夫だよ。任務要請は受け取ったけど、私一人では行かないことになったから」

「そうか……。伊地知さん、ありがとうございました」

「いえ、私ではなく、足集利さんが……」

「足集利が?」

「一人では行かないって、お話ししたら帰ってくれたよ」

 

 疑問は浮かべるが、追及はしてこない伏黒に胸を撫で下ろし、亜冴は苦笑いをする伊地知を盗み見た。告げ口をしかけたものの、本人にその気はないらしい。これ以上は口を開かないだろう。

 

「てかなんで髪濡れてんだよ」

「お風呂場でお湯浴びてた」

「……奇行すぎねえか?」

「一人になりたい時におススメなのに」

「部屋に行けばいいだろ」

 

 滴の垂れる髪に怪訝な顔をする伏黒は、ちゃんと髪を乾かせと注意をかける。亜冴は面倒だと思ったが、抗議する前に睨まれてしまったので肩をすくめて口を窄めた。大きな溜め息を吐いた伏黒は、鞄から任務で使わなかったらしい、綺麗に折り畳まれたタオルを広げると、亜冴の頭に被せてわしゃわしゃと拭き出した。水気を取っては、乱雑にタオル越しに振り回される。かなり長い髪を伏黒は、飽きることなく世話を焼いていった。

 

「伏黒さんって、意外と面倒見いいよね」

「あ? テメェでやるか?」

「ヤダ」

「なら黙ってろ」

「……ふふふ」

 

 クスクスと、亜冴はほんの衝動に従い、伏黒の手に触れてみる。思ったよりも大きい細長い手がピタリと止まるので、包むように動きを遮らず、乱れた髪の隙間から様子を伺った。節張ってて硬いのに皮膚は柔らかい。この手で影を生み出して、式神を詠んでいるんだ。私のことも愛玩動物だと思ってるのかな。愛と愛でるの違いはあるのかな。

 

「ッ自分でやれ!」

 

 バッと手が離れていき、亜冴は引き継いで髪の水気を取り始める。伏黒は顔を見せないように、見られたくなさそうに背けているので、亜冴は深追いせず、微笑ましそうにする伊地知も視界から外した。今は誰の感情も汲み取りたくないのだ。

 

──この瞳でなければ、もっと見れるのかな。

 

 未だに伏黒と目を合わすことが難しい亜冴は、誰に打ち明ける気もない戯言を無視し、湯冷めさせようと吹く風に目を細める。砂が入り混じって汚れてしまうな。まあそれもいいか。どうせ私の血と肉は汚らわしい。

 

「あの任務はどうしますか? 私一人では担当しないと話してあるので、もう少し引き伸ばすことは可能だと思いますが」

「そうですね、八十八橋の一件もありますから、最低あと二人はほしいところです」

「虎杖と釘崎たちが丁度終わったそうなので、三人で行けるかと思います」

「わたしは?」

「お前はもっかい風呂でも入っとけ」

 

 連れない言葉ながらも敵意は篭っていない。亜冴は返事をせずに口を窄めていると、伊地知が否を唱えた。

 

「あくまで彼らが引いたのは、足集利さんが一人では行かないと主張したので、言葉の綾を突いて任務に同行しないとなると、今以上に目立ってしまうかもしれません」

「ですが、コイツはまだ病み上がりなんです。それに戦闘になったら、真っ先に……」

 

 言い淀む先を亜冴は理解している。役にも立たず真っ先に倒されるのは私だろう。本当に優しくて、死ぬことが怖くなっちゃうな。その分、楽しみなのにね。私の死に泣いてはくれないか。くれないよな。

 

「伏黒さん。避けては通れない道を、無理に避けて障害物が増えるくらいなら、今の段階で歩いた方が良いと思う。最終手段は最後まで取っておいているから最終なのでしょう? 何回通ることになったって、無事に済むようにしなきゃいけないことには変わりないんだから」

「……だとしても、」

 

 葛藤している伏黒に、亜冴はまた笑みを溢してしまう。目元に熱が溜まってしまう前に、この感情は切り捨てなければならないだろう。伏黒が飼い主なら良かったかもしれない。

 

「……今度は死に急ぐなよ」

「……うん」

 

──ふわふわ。くらくら、ぎらぎら。

 

 忙しない心情を言い換えることは簡単なのに、自分のものとなると途端に難しい。人として未熟なのだから仕方ないと割り切るには、私には時間が足りなさそうだ。伏黒恵は最たる不可思議で満ちている。私を翻弄するとも云えるのに、どうしてか見ていられないのに見ていたい。父と母に向けた温かなものよりも、歪で脆く不確かで暴れ回る熱のようだ。叶うならいつまでも傍に置いておきたい熱病だ。

 

──ほしいなぁ。

 

 決して口には出来ない願望に蓋をした亜冴は、尻尾を振るだけに留めておく。きっと五条はこの感情も嫌うだろうから。理解できないラブストーリーを頭に浮かべながら、亜冴はそれらを否定してスプラッター映画で惨劇を描く。私はそういうものにならないと、望まれているのはそういう怪物だ。

 

「みなさんが来るまで、渾と遊んでもいい?」

「転んだりすんなよ」

「うんっ」

 

 渋々と言いたげに召喚された渾を抱き締め、湿った髪を舐められるのを許す。おまえは伏黒さんのものでいいわね。内心だけで言って目を細めた亜冴は、薄灰色の空の下でタオル越しに頭を暖かな毛皮に擦り付けた。

 

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