最弱の怪物   作:肩たたき

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第十話『恋しい人』-3

 

──なるほど。これが狙いか。

 

 亜冴は合点がいってしまう思考とは別に、本能的に呆気に取られながらも恐怖から距離を取った呪詛師を見た。

 事が起こったのは等級も任務内容に何も疑惑もない、複数人の一級呪術師との合同任務であった。同級から亜冴だけを配属したのは、輸送する呪物が秘匿すべき内容で累集坩堝呪法が適していたからだ。任務に関する書類上は何も問題はなかった。問題だったのは、高専側ではない呪術師のみの配属だ。護衛の穴を突いた呪詛師に捕まりかけた刹那、亜冴は自身に可能な最善を選び抜き、躊躇することなく目の前の肌色に吸い付いた。そしてその結果、呪詛師は距離を取っている。

 

「ハッ……?」

 

 口内の血が滲み込んだ塊に、鋭い牙を何度も立てては同じところに歯を当てる。

 嫌悪と不快感に勝る嗚咽感の全てを抑え込み、ただ無心で食んで柔くさせて。少女の凶行に場がシンと静まり返り、化け物を見る目で男はこちらを見ていた。筋張ったものをどうにか細かくして、何もかも全部押し殺して、口の周りに広がる血が邪魔で。足集利亜冴はぐい、と口の端から顎へと垂れようとした生き血だったものを拭った。

 

「食い、やがったのか。このイカれ女……」

「……私は正気」

 

 誰も彼も絶句して答えられない。何か言ってくれないか。口が裂けても言えない。

 

「正気だから、人を食べないことにしている」

 

 怒りはやはりない。喜怒哀楽の怒りは、今もなお留守にしている。それか腑の中で燃え尽きた。幾ら飲もうが血だけでは補えない、繋がりを深める肉を食した亜冴は、口内に広がる肉らをゴクリ、と喉奥に流し込み、食道へと通した。内側を伝って落ちていく感触と、深まる繋がりという縁に自己への嫌悪感が募る。もはや言い逃れができない外道だ。

 

「…………わたしは正気です」

 

 言い聞かせるように呟いた亜冴は、目の前の食された男の五感全てを閉じていく。

 目に入るものや触れるもの、何もかもを塗り替えて、前後不覚になった脅威を取り除く。その場で暴れても、奴の感覚は塗り替えられ、ただ無意味に誰もいない方へと攻撃を加えるだけだ。それすらも彼に感覚はなく、喉が枯れるほど叫んだところで男は転んでしまった。這いずることもできず、床で蠢く男は頭を抱えて蹲った。今までの人生の感覚を頼りに無様な格好を晒した男は、肉が抉れた部位から血を垂れ流したまま、動くことはなくなった。亜冴の目からは恐怖が転がっているように見えた。周囲も同じ目をしている。この場にいる彼らが、私の葬儀に並ぶことは二度と──。

 

「……吐く前に、縛り上げて」

 

 口早に指示を出す亜冴にやっと場は動き始め、捕縛されて安全を確認したところで、口元を強く抑えていた亜冴はトイレへと駆け出した。

 第一目標が呪物の護送ならば、第二目標は足集利亜冴への精神攻撃だったのだ。

 五条悟はこの事実にいつ気が付くのだろう。どうして止めなかったのだろう。彼の目も恐怖を知る時が来るのだろうか。

 聞けない疑問が頭の中に渦巻きながら、亜冴は洋式便器の蓋を勢いよく開けた。

 

 

  *  *  *

 

 

 またあの悪夢だ。

 うんざりしながらも思考と反して焦る心臓に爪を立てたくなる。亜冴は擦り切れてきた精神を奮って、校門向こうにいる存在に目を細めた。あなたは何色の目をしているの。

 

「……父様、あなたはどんな人だったのですか?」

 

 いつもより落ち着いた亜冴に驚いた顔を浮かべた男は、門に手を這わせて太い柵の一つに顔色を隠した。これが私がなるべき怪物の姿だ。皆から恐れられ、子にまで影響を及ぼし、最強と言わしめる男を警戒させる人物だ。本当に私の父なのかすら、わたしにはわからない。

 

「お前を愛さないといけない男だ」

「どう、いう……」

 

 予想から外れる夢の人物は、笑顔を浮かべて煙のように立ち消えていく。つい亜冴は門に手を掛けて、その手首を掴もうとした。初めて手を伸ばした相手の手首は太く、寧ろ小さな手を取られてしまう。門越しに指同士を絡めていく無骨な手に、ビクリと亜冴は肩を揺らして後退りをする。腹の底から滲んでいく恐怖に、クツクツと笑う男は指を絡めているのにもう片方の手で手首を離さず、捻じ切らんばかりに力を加えていく。亜冴はどうにか手を離そうともがくが、男は突然父親の顔を見せた。

 

「亜冴……。こんなところに閉じ込められて、可哀想に……」

「え……」

「そんなに怪我をして、つらくないか?」

「…………とうさ……」

 

 甘ったるくて優しい落ち着いた声色に、亜冴は肩の力が抜けていく。またしても一歩近付いた亜冴は、頭に伸びてくる手に瞬きをした。脳裏に浮かぶ畳の上の親子の団欒に、ツンと鼻奥が痛くなる。悪夢と定義していたものが揺らいだ瞬間、門が立ち消え、鼻腔がい草とお日様の匂いを拾う。

 

──愛してるって、言わなきゃ。

 

「父さま、」

 

 抱き締められるのを手で軽く押して、見上げた先の顔に亜冴は口を閉ざした。自分とは違う薄い茶色い瞳に描かれるものに、これは悪夢だと思い直す。

 

「亜冴、父様の言うことをよく聞くんだよ」

「……なんでしょうか?」

 

 話される内容に残っていた期待までも砕かれていく。重要ながらも話半分になる亜冴は、一方で回る頭を憎んだ。

 

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