──退屈な映像。
モニターに映る唇を触れさせ合う男女を、亜冴は頬杖を付いて欠伸を漏らす。この仕草に魅力なぞは一ミリもなければ、自分とは無縁だ。流れるエンドロールに閉じた目元を擦りながら揉んで、疲れた瞳を癒やした。眼球の奥から脳への神経がズキズキと痛む。何回も同じ映画を観ては、口元の動きだけで台詞を紐解くのには慣れたが、その精度を上げる為の特訓は退屈で苦痛だ。無音の映像に首を後ろに伸ばした亜冴は、天井に顔を向けたまま帰ってこれない。映画を鑑賞する為だけの部屋だって、通い慣れてしまった。しかも一人で台詞を覚えないよう、長らく期間を空けては既に観たものを選ばなければならない。
「疲れたぁ……」
戯れに生やした獣の耳を垂れさせて、ションボリする亜冴はノックの音に犬耳をピンと立たせた。
「……なにしてんだ?」
伏黒の登場に亜冴は首を戻して背凭れから背中を離す。大きな犬耳はそのままでしていると、怪訝な顔で伏黒は扉を開けっぱなしにして近付いてきた。
「映画を観てたよ。訓練の一つだって」
「どんな修行だよ」
「口の動きで何喋ってるか分かるようにする特訓」
「スパイかよ」
「諜報ってスパイ?」
「そうだな……」
エンドロールを切って試聴を止めた亜冴は、リモコンを操作してホーム画面に戻ってから、ディスクを取り出した。なんとなくの習慣で行なっている細かな動作を、伏黒はソファー越しから眺めている。亜冴はそれを暗いモニター越しに盗み見しながら、暇そうな伏黒に口を開いた。
「伏黒さん、唇同士を合わせるのって、どういったものなの?」
「はぁ?」
振り返った亜冴は片手ずつ指だけで狐を作って、口先同士をツンツン、と重ね合わせる。
「よく親密な関係の他者同士でやっているけど、名称とか、どういった意味があるのかなって」
「そりゃお前……好きだからだろ」
「好き? 好意だけで?」
「……言っとくけど、好き嫌いとかの話じゃねえからな。恋愛的な意味合いだぞ」
「恋愛……。どういう時に分かるものなの?」
「それは……」
黙り込む伏黒は深く考え始めてしまったようで、これは暫く帰ってこないだろう。
亜冴はソファーに座り直すと、積み重ねていたディスクのケースを手に取って、裏面の文字列を眺める。泣いたり笑ったり、忙しい男女だったが最後は幸せそうだった。演技であることは分かりきっているが、家族愛とは違う、私の知らないものだ。大人になれば一概に経験するものらしい。
「…………キスしたいとか、触れたいって思った時だろ……」
「……それって、性欲と違うの?」
「ばっ……! お前なぁ!」
背けていた顔を赤くして険しくさせる伏黒に、亜冴は首を傾げた。だって分からないんだもん。
「性欲なら他者である意味は? 既に親密な相手とすればいいのに」
「既に親密な相手って、誰だよ」
「家族とか。手近だよ」
「近親相姦じゃねえか!」
「近親相姦って、子供ができなければいいって話じゃないの? 遺伝子的に障害児が生まれやすいという話なんでしょ?」
「家族をそんな目で見れるかよ!」
「うーん……家族は性的な目でも恋愛的な目でも見れないもので、他者ならできるものか……。性行為も恋愛も経験がないから、私にはわからないや。伏黒さんは?」
「言うワケねえだろッ!」
烈火の如く怒鳴る伏黒に、亜冴は反対側へと首を傾げるが、根本的な価値観の違いだろうと一先ず引くことにした。一般的にこういったことは隠す傾向にあるのだろう。そういえば映画や小説でも、公にはこういった類の話をしていなかった。常識というやつか。
「性と恋愛、あと家族愛は別なのかぁ……。みんな通る道なのに、隠すのは羞恥であるべきという価値観なら、許嫁や夫婦、妊娠などを尊ぶ傾向にあるのはなんで? そこに性欲は付き物だし、限定された他者に深く触れたいという欲求が恋愛なら、愛より前にあるのは性欲じゃない?」
「……またややこしいことを考えやがって……」
「興味あるんだもの。伏黒さんは理解しているんでしょ?」
頭を掻く伏黒に背凭れに雪崩れかかって、後ろ足をハタハタ動かす。犬好きと聞いていたので、犬耳ついでに尻尾を生やした亜冴は、ユラユラと尻尾を立たせてゆっくり振って見せた。理解したい相手が理解していることを知りたいだけなのだ。犬を愛するように私を見てくれないか。そこに性欲が無くとも、私を好きということにはなるのかしら。
「伏黒さんは……」
「……なんだよ?」
「…………もういいや」
「はぁ?」
──怒らせてばかりの私のことを好きではないだろう。
顔を見ずに決め付けた亜冴は、瞼を閉じて幻覚を全て消した。んー、と背筋を伸ばしてさっさと部屋から出るべく、伏黒の隣を通り過ぎる。ここに鏡がなくてよかった。
「早くどっか遊びに行こ」
納得いかないながらも渋々付いてくる伏黒に振り向いた亜冴は、顔を見ることはせずに微笑んだ。