最弱の怪物   作:肩たたき

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第十一話『逢瀬』-2

 

──簡単すぎる。

 

 任された初仕事で退屈を覚えた亜冴は、真顔で冷たく目の前に広がる光景を眺める。無機質で簡素なコンクリート張りの個室の中央に置かれた椅子。拘束も何もされていない男は、ガタガタと震えて身体に這う虫と臓物に嗚咽を漏らし、座った状態で暴れていた。首を傾げて角度を変えてみても、単なる幻覚に翻弄される男がいるだけだ。失禁してしまった男に、亜冴は「あら」とだけ溢し、開けられた扉の方へ視線をやった。

 

「もう口を破るだろう。ありがとう」

「えー、オレはもっと見てみたいんだけど」

 

 部屋の窓から様子を見ていた一人と一体は、異様であるだろう光景に怯むことはない。五条袈裟の男とツギハギの人型呪霊に、亜冴は会釈をした。真人は亜冴に近付いて、まじまじと顔を伺ってくるので、亜冴も見つめ返す。

 

「魂の形、全くブレてないね。サイコパスってやつかな? この前の一級呪術師と宿儺の器は、あんなに乱れてたのに。君は異質みたい」

「……ブレる要素がありましたか?」

「ブフッ! 夏油ー、この子は本物かも! 憧れとかじゃなく、本気で疑問に思ってるよ!」

 

 子供らしくはしゃぐ真人から夏油傑の方へ視線をやる。亜冴は疑惑の目ではなく、確信を持つ目で夏油傑の額に入るツギハギを眺めた。寄生虫を思い出しつつ、そこまで見破ることのできない真人は、夏油傑と信じ込んで話しかけ続けている。とっくに気付いているのかもしれないが、どちらにしろ哀れな人。いや、呪霊か。

 

「あんまり揶揄っちゃ可哀想だろう。今日はもういいよ」

「失礼いたします」

 

 特級呪霊を束ねる最悪の呪詛師、夏油傑。話では彼本人だと聞いていたが、違っていた。亜冴はどこまでも平常心で彼らの横を通り抜け、痙攣する男の幻覚を解いてやった。彼らに連れて来られた時点で、あの男の運命は決まっている。悲鳴を背に扉を閉じた亜冴は、意味を成さない絶叫を耳にした。

 

「亜冴」

 

 背後にかかる声に、亜冴は顔を上げて笑みを浮かべる。優しくて大好きな声に振り返った亜冴は、腕を広げる男の方へと駆け出した。

 

「こら、はしたない」

「少しくらいは許してくださいませ」

「仕方ないな……」

 

 抱き付いて胸元に顔を擦り付けた亜冴を、そっと抱き締め返してくれる。亜冴は夢にまで見た姿を見上げ、蕩けそうな瞳で微笑んだ。この世で一番大好きな人。

 

「父様……」

「……亜冴」

 

 頭を撫でてくれる父に、亜冴は本心からの幸福に浸った。

 

 

  *  *  *

 

 

 ここ数ヶ月に及ぶ眼精疲労に、足集利慈は険しい顔の眉間を揉んでいた。実子である亜冴が高専に入学したと聞いた際、久しぶりに行なった術式はそれが事実であると裏付けた。

 情報収集に大いに役立つこれは、便利であったが娘に対してまたも行なうとは思っていなかった。それまで慈は単独での行動をしていたにも関わらず、最悪の呪詛師として有名な夏油傑に近付いた。彼は死亡したと聞いていたが、けろりとしており、目的を変更した様子であったので、それ以来、慈は高専の情報収集役として協力している。

 

「天才ってのは、運も味方する……」

 

 今しがたまで慈は、自身と同じ血を共有することという縛りを設ける代わりに、過度な呪力消費を抑えて対象との距離を拡げ、また対象が眼球を通じて脳で処理した情報をそのままに一方的に汲み取っていたのだ。

 

 そうして覗き見た亜冴の視界は情報が多種多様だ。どこまでも見える目は、ピントが合い過ぎて頭痛を引き起こすだけでなく、呪力未満、気配以下のものまで捉えてしまう。だというのに、それを通して先まで見える。六眼を持つ五条悟はこれ以上だというのだから驚きだ。亜冴の目よりも下級に当たる慈は、ここまでは視ることはできない。

 感情を特に汲み取ってしまう亜冴は、他者の顔をしっかり見つめる度に、辞書をコマ送りでパラパラ漫画を流されるような、多くの感情の渦が叩き込まれていくソレだ。あまりの情報量の多さでも気が滅入るのに、そこから強く出されたものを亜冴は何のこともなく返している。あまりの自身との差。

 

「どうしたものか……」

 

 慈は溜め息混じりに伏黒恵を見ない亜冴に頭を悩ませた。要注意人物である彼からの情報は乏しい。とかく、亜冴を最も気にかけて同じ時間を共有していることに変わりはない。娘は相変わらず、懐いた相手には庇護欲を植え付ける。おかげで扱いやすかった。

 

 数日前、亜冴を迎えに行った慈は、女子寮の自室に戻ろうとする亜冴に幻術を仕掛け、部屋の扉代わりに校門を潜らせると、しばらく歩いたところで術式を解いてやった。人気も街灯もない場所で、怪訝な顔でハッとする亜冴に対し、慈は姿を表した。

 

「会いたかったよ。亜冴」

「……また夢」

「いいや、現実だ」

 

 亜冴の頬に触れてから頭を撫でた慈は、以前より歪な凹凸のある頭に目を細め、労わるように撫でていく。亜冴はやっと美しい瞳を見開き、しかと慈を見上げた。本人であると確信を持った亜冴は、一歩下がろうとしてやめる。

 

「待ち合わせにはあと数時間で別の場所だったが、早く来てしまったよ」

「…………」

「亜冴?」

「父様……っ」

 

 眉尻を下げて飛び付いてきた軽い身体を受け止める。慈は愛情表現が大きくなっている亜冴に驚きつつも、抱き止めて狭い背中を撫でた。ぐりぐりと頭を埋める亜冴からは幸福しか読み取れず、変わらない盲目さに慈は瞬きをする。促されて離れた亜冴を引き連れた慈は更に人気がなく、遠い方へと自分達の姿を隠して歩いた。

 

「お会いしたかったです」

「ああ、私もだ」

 

 娘から溢れ出る感情は幸ばかりだ。空気を喰むように笑みを浮かべる亜冴は、慈とは違う瞳が蕩けそうなほど揺らして歪めている。暗闇でキラめく瞳に、慈は頬を撫でて親指でその目尻を撫でた。深爪の親指を下瞼まで這わせ、指先の宝石を見る。恐怖などは何処にもなく、かつて自身の父にされた行為に、慈は自身の娘に行なっても無意味なのだと悟った。不思議そうにする亜冴の頭をぽんぽんと軽く叩き、一歩二歩と先を歩く。隣が早歩きで追い付いたところで、慈は口を開いた。

 

「話した通り、私の仲間のところに向かう。準備はいいか?」

「はい。父様の仰せの通りに」

「父娘なのだから、その言葉は適切ではない」

「では、なんと?」

「畏まりました、くらいでいい」

 

 慈の言葉に頷いた亜冴は、手ぶらで連れ出されたことが心細いのか、自分の手同士を軽く握らせて手弄りをし出す。約束の時間前に部屋へ戻ろうとしていたので、何か持ってくるつもりだったのかもしれない。着替えや金銭から、生活には道具が必要だ。それに、指示は今日の何時に高専を出ろとだけで、あまり話してやっていない。

 

「亜冴、知りたいことは何かあるか?」

「幾つか。よろしいですか?」

「構わない」

 

 顔色を伺うように斜め下から見つめてくる亜冴に、慈は笑顔を心掛けながら頷いた。以前会った時もずっと長い黒髪をサラリと風に撫でられてから、亜冴は尋ねた。

 

「どのように父様は夢に出てきたのですか?」

「領域展開を使ったんだ。逢瀬(おうせ)夢想(むそう)。亜冴が眠っている間だけ夢の中で会える。領域展開だから私の呪力無視で思い通りだ。亜冴にはまだ難しいだろうな」

「では、どのように私が高専におり、就寝や一人のタイミングの時間を知り得たのですか?」

「亜冴には私の血が半分流れている。繋がりが深く、簡単に視覚を借りることはできる。食する必要もない」

「血を……」

「子供は親が作るもので、おまえは私の子だ」

 

 言い聞かせるような慈の言葉を、亜冴は疑うこともなく頷く。その反応に慈は亜冴の頭を撫でた。自分よりも小さな身体に付いた小さな頭。

 

「子供はその父親のものだ」

「……そうなのですね」

「違うと思うのか?」

「父様と違う意見を耳にしていたものですから」

「鶏と卵の話を知っているか? 鶏は卵から孵るが、卵は鶏から生まれる。しかし、おまえは私から生まれた。おまえから私が生まれることはない」

「はい」

 

 従順な様子に満足した慈は、更に亜冴の頭を撫でて微笑んだ。一番に所有するものとして、亜冴を幼い頃と同じように愛でてやる。心地良さそうに受け入れる亜冴は、緩ませた口元を開かせた。

 

「あの晩、母様と共にいた殿方はどなたですか?」

「私の息子、おまえの兄だ。私と姿がよく似ているが、非術師でな。だが、おまえと同じ血が流れていた。まさか見抜けなかったのか?」

「父様だと信じ切ってしまいました」

「……ふ。無理もない。私は特別一級呪術師だ。私に見えるよう、灰になるまで視せていたのだから」

「やはり、父様には敵いません」

 

 ここで当然の疑問が湧いてくる筈なのに、亜冴は口を閉ざして尋ねることをやめた。思い至らないのか興味が失せたのか、慈は自ら話題に触れることにした。

 

「おまえの兄は優しい子でな。おまえの母と共に、常におまえの身を案じていた」

 

 ここまで言えば答えは出るだろうと、慈は話すのをやめる。亜冴は俯いていた顔を上げて、眉尻を下げた顔を見せる。疑念や悲しみを滲ませるも、口には出さない奥ゆかしさは、一種の加護欲がそそられるものなのだろう。慈はどこか冷めた己を自覚しながら、父親顔をして亜冴を労わるよう、また小ぶりな頭を撫でた。大事な子だ。

 

──大事な、高専の隠しカメラだったのに。

 

 亜冴を連れてきた今、東京校の様子は少々掴みにくくなった。内通者はいるものの、リアルタイムで直接視るのとでは、速さと情報量が違う。唇から言葉を読める慈にとって、音声のなしは重要ではなければ、情報過多による眼精疲労など、情報戦で勝つ為には些細なことだ。逢瀬夢想にて、動揺する亜冴に、あれは足集利慈の身代わりに兄がなったと話せば、亜冴は納得した様子で言葉を無くした。意図的に情報をそちらで集めるよう話そうとしたところ、動揺からすぐさま立ち直った亜冴は、慈に一歩近付くと美しい瞳を潤ませた。

 

「──私も連れて行ってくださいませ」

 

 足集利亜冴は今にも泣き出しそうな顔で続けた。

 

「父様のお側にいたいのです」

 

 慈はその言葉に、父親として頷く他なかった。

 不本意ながらも了承せざるを得なく、またこちらの目的もあった為に、数日後に予告した時間よりも早く連れ出した。近くで見れば見るほど、募る心情をこの娘は知らない。慈は険しい顔で痛む目を揉む。あの娘の目からでも、この意思は治めておかなければ。煮える懐を摩り、慈は剣呑な顔を打ち消すのに努めた。

 

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