「おいで、亜冴」
慈の声に従い、亜冴は手を引かれてその先を眺めた。相変わらず亜冴に作戦を伝えられてはいない。完全な信用というよりも過保護か図りかねる。亜冴は回る頭を打ちやめ、無知のフリをして小首を傾げて尻尾を振った。
「父様。どちらへ?」
「縁切りをしに。ついでにお前の立場をはっきりさせよう」
「……つまり?」
「分かっているだろう亜冴。仕事だ」
「私に熟せられる仕事が存在するのですか?」
「……可哀想に。お前は無能などではない。そう扱われてきたかもしれないが、お前は私の娘だ」
「父様のこと、誰も教えてくれませんでしたから……」
通路を歩く際、六月から活発化した呪霊の話も聞きつつ、父の戦歴を耳にした。輝かしいものばかりのそれと、自由を謳歌していた様子を語る慈は
「──亜冴、どうかしたか?」
「……いいえ。私も父様のようになれるでしょうか?」
「もちろん。おまえならなれるさ」
頭を撫でてくる慈の手を許し、亜冴は擦り寄って甘えた。私はあなたに愛だけを贈るわ。あなたが愛だと思い込んでいるものを受け取ってあげる。合理的な愛に亜冴は身を委ね、父娘仲良く目的地に向かった。
「宿儺の指を回収する」
「……私には指を取り込んだ特級呪霊を祓うことができません」
「私が祓おう。ただ、邪魔者がやって来るから、それを引き付けてくれ」
「邪魔者とは?」
「来た者の道を阻めばいい。できそうなら、始末しなさい」
渡された呪具の重さに、亜冴はじっと刃物を眺める。包丁に似ているが、私に使い熟せるのだろうか。顔を上げた亜冴の頭を撫で、慈は父の顔をして笑った。亜冴はその心地よさに目を細める。渡された衣服の着心地の良さも、少し大きな袖も、なんだかんだ好きよ。私の成長を見誤った証も。
「ここで待ちなさい。すぐに済むから」
「……父様」
「どうした?」
「どうかご無事で」
「……もちろん」
嬉しそうに微笑んだ父は、亜冴を一人森林に置いて先を行く。開けた場所に立たされた亜冴は、近場の木に寄り掛かると、拠点を出た時は夕暮れだった夜空を見上げた。青黒い空にいくつか星が輝き、月明かりは眩しいほどだ。離れの裏手にある高い塀を見上げた時に見たものと似ている。さわり、と吹いた軽い風に、亜冴は首後ろの寒さに目を細めて肩を落とした。秋と呼ばれる季節と一日の終わりの早さは、たまの実感しか出来ていない。やって来た視界に、目を閉じて開けて消しておく。
「……足集利?」
声の方へ向き、抜けそうになる力を入れ直す。これは試験であり、仕事だ。亜冴は好ましい相手を見ず、その方向へと顔を見せた。
「伏黒さん、お久しぶりです」
動揺する伏黒は信じられないという顔を浮かべ、こちらへ数歩近付いてくる。亜冴は微笑まずに真顔で返し、その分後ろへ下がった。足を止めた伏黒は言葉が詰まるのか、開けた唇を震わせて閉じる。力む其れに血が出やしないかと、亜冴は眺め続けた。
「お前……! 今までどこに……!」
「色々です。伏黒さんは何をしにここへ?」
「俺は任務で、呪霊を祓いに……。虎杖たちも来てる。とりあえず、お前連れて帰るぞ」
「……ヤダ」
「あぁ? お前、人に散々心配かけやがって、ヤダってなんだよ!」
怒れる伏黒は怒鳴り声を上げる。ビリビリと伝わってくる怒気に、亜冴は好奇心が募ったが今はそれどころではない。確か本を運んだ際も、彼は本気で怒っていた。今も本気で心配なんだ。
「……五条先生。やっぱり私を信じておりませんでした」
「今はそんなの関係な……!」
「父様は生きているし、私を愛している」
「はっ……?」
横に目を逸らした亜冴は、父について語った数々の内容を思い返した。どの父も私を愛していた。理由は不明だ。
「なぜ五条先生は父様が生きていることを隠していたのでしょうか」
「俺が知るワケ……、つか、本当にソイツはお前の父親なのかよ」
「正真正銘、父でした。……足集利慈でしか、彼はなかった」
「……足集利、お前……」
手を伸ばしてまた近付く伏黒にまた一歩引く。
「父様が生きているなら、教えてほしかった」
知っていれば理由を知ろうとした。もっと早く真実に辿り着いただろう。父の名前は葬式で見た。読み方は忍び込んだ本館で。死の概念は火葬されてから。ドイツもコイツも、私に与えるのが遅すぎる。私を無能にしたがる。
「──私を信用していない相手に、なぜ
亜冴の冷たい視線に伏黒は怯み、伸ばそうとしていた手は引っ込んで両手を重ねる。あぁそう。呪い合う気なのね。もう少し茶番劇をしましょうよ。
「……それが、裏切った理由かよ」
節目がちの目で伏黒を見た亜冴は、伏黒の震える声に肩を震わせる。まるでだめだ、なっていない。見てなさい、この私を。
「……足集利、まだ間に合う。高専に帰ろう」
「……ひっ。……ふふ、ふはっはぁ……あははっ!」
険しくも揺らす瞳に亜冴は声を漏らし、ついには耐えきれず笑い出してしまう。指の隙間から除くぐらいで口元を覆い、亜冴は同じように笑い泣きで瞳を揺らす。ビクリ、と身体を硬直させる伏黒に、目一杯の笑顔を見せてやる。両親の死の原因を知った時と同じ怒りを燃やせ。硬直した頬で蕩けるような笑みを浮かべた亜冴は、優しく甘い声色を歪んだ弧を描く赤い唇から奏でた。
「裏切ったという話を繰り広げてる場所に? 誘拐の路線を追わず、私を諦めた場所に? 過保護の檻にまた? 私の為だと言って、嫌いな食べ物を押し付けてくる場所に? ……笑わせるな。それは身勝手で、私の為じゃない。あなたの正義の栄養の為に私が必要なだけ。代わりなんて山ほどいる癖に」
「……それがテメェの本心かよ。いつもヘラヘラして、裏ではそんなこと思ってたのか」
「どちらも本心から来ています。あの時は、本当に楽しかった。でも──」
伏黒に対して目を開けてきちんと見た亜冴は、すぐに閉じて半目で見つめた。視線を鼻っ柱だけに注ぎ、感情を必要以上に拾わないよう気を付ける。もういいだろう。十分に時間は稼いだ。あとはどうするかは、味方次第だ。
「愛してくれる人と一緒に過ごしたい」
亜冴の発言に伏黒は目を見開いて固まる。また悲しそうにする、本気の悲痛さに亜冴は目を瞑った。ゆったりと瞬きをして、背後を見る。やって来た姿に亜冴は凌いだことに安堵し、肩の力を緩めた。その肩に手を置いた父は怪我を少ししているものの、無事の範疇であった。
「こんばんは、初めまして。娘が世話になった」
「……」
「無愛想なお友達だな、亜冴。お別れは言えたか?」
「……」
「亜冴、答えなさい」
低くなる声色と肩に加わる力に、亜冴は静かに息を吐く。男尊女卑の根はここにもある。結局、存在したのだ。
「……別れを告げろとは言われませんでしたから、上手にできなかったかもしれません」
「何を話したんだ?」
「少し腹の中を見せただけです。裏切ったのはあちらが先だと」
「充分だ。さぁ、帰ろうか。亜冴」
「おい……! 待て!」
「……貴様の許可は必要ない」
底冷えする声を発する慈に、亜冴は手を添えた。下から見上げた父との距離は近く、離れの時よりもずっと見えやすい。こんな顔をしていたの、知らなかったな。
「亜冴、どうし──」
父の首に手を回した亜冴は、ぐ、と近付くと頬に唇を落として抱き締めた。「早く帰りたいです」と耳元で囁いてから、身体を離して目を合わせてニッコリ小首を傾げて微笑む。
慈は怒りが削がれた複雑な顔色を浮かべ、亜冴の手首をそっと掴んで離させると伏黒の方へと目をやった。玉犬の渾を出している伏黒は、衝撃だったのかジッと亜冴を見つめてくる。傷付いた様子の彼に、亜冴は理由の候補の多さに理解できず、つい眺めてしまった。私の中に確信はないけど、あなたの中には答えがあるのでしょう。
「……亜冴」
「なんでしょうか、父様」
「彼は友人で合っているか?」
「そう把握していましたが、それ以上の関係があるのですか?」
「……知らないならいいんだ」
纏う雰囲気をいつものものに戻した慈は、父として亜冴の背中に触り、立ち去るよう促した。亜冴は背後で走り出した渾に後ろ髪を引かれ、振り向いたところ、父の側に持っていた呪具を取られた。
「キャイィン!」
呪具が勢いよく投げられ、首元に刺さった刃に亜冴は振り向いて目を見開くも、父は冷たく咎める目を向けてくる。痛々しい声に亜冴の笑顔は消え去り、父の方へ寄り添った。
「父様、大丈夫ですか?」
「……平気だ」
亜冴の頭を撫でる手は利き手ではなく、先程刃物を投げた手は地面に向けて下げられている。渾を気遣う伏黒に侮蔑の視線を送ってから父は、再び亜冴の背中を押して立ち去ろうとした。
「っ足集利! 戻ってこい!」
伏黒の悲痛な訴えは胸には響かない。亜冴は慈の術式で消された姿に、厄介だなと胸に浮かべた。