最弱の怪物   作:肩たたき

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第十二話『罪と罰』-2

 

──父と母、役割。

 

 彼らの名前を私は知らない。使用人と似たものかと、役割を名乗った彼らに亜冴は大人しく受け入れた。亜冴というのも役割の一つで、わたしが行わなければならない。

 数日前まで浮き立つ心は何かを待っていたが、正体は朧げで全く掴めなく、時間ばかりが消費されていく。唯一、心待ちにしていたものだけが、ぽっかり抜け落ちたような。形容し難い、というよりは言葉が足らない。

 薄っぺらな紙切れが集まったもの、国語辞典とやらを捲って黒塗りを飛ばして読んでいく。覚えたての文字に亜冴は瞬きをした。

 

「あ、い、う、え、お」

 

 知る文字を探せど、見つからない。五十音順という、此れの読み方は合っているのか。『訓読み』と『音読み』は、くんよみ、おとよみ、で良いのか。不意に思い出した出来事をなぞり、亜冴は小さな手でさ行を開いた。さ、し、す、せ、とパラパラ捲り続け、せの後半まで開く。

 

「せん、千。せんさい、千歳。繊細……あめ、ない?」

 

──では、『()()()』はなんと読む。

 

 『千』の項目に戻り、亜冴は画数を確認すると漢字辞典を開いた。何度か探し直して見つけた『千』の訓読みから国語辞典を捲り、出てきた『千歳』に指を止める。そこのすぐ近くに『千歳飴』があった。あゝ、確かに此れのようだ。

 

「ちとせあめ……。千歳飴。つぎ…………父、母。男の親。女の親。…………親。両親、ね? ……こ。子、子供。息子、娘……。わたしは、娘。あの二人の、両親の娘」

 

 許された時間で亜冴は言葉を学んでいく。畳の上に分厚い二冊を広げ、黒塗りされた箇所は抜け落ちているものの、前後の言葉から大抵の言葉は推測できた。

 

「哀、藍……。あい? 画数は、この間。漢字の方もおんなじ。アイってなに?」

 

 それでも解らぬものは放っておき、隔絶された空間に渡された膨大な知識を、疾く貪ることを優先した。どうせこの頭を動かされることを、みなは嫌うのだ。時間も欠伸が出るほどある。ここで一生を過ごすと聞かされている。疑うという概念すら、今の亜冴にはない。知ったのは辞書に記されていたからだ。

 

「じ、いつくしむ……。いたわり育てる。父母が子を……する心。何が書かれていたのかしら」

 

 墨か何かで塗り潰された動詞に、亜冴は不思議そうな顔をする。目をどんなに凝らしても、特殊な加工をされているのか読むことはできない。両親二人が私に対してどのような心を持っているのか。気になって、亜冴は『()しむ』という言葉を追った。

 

「じけい、慈恵。……大切に。……『可愛』。可愛(かわい)い……可愛がって、『恵み』を与えること。めぐみ。恵。一つでも恵。恵まれ、恵み……。めぐむこと、いつくしみ。いつくしむ、『慈』と同じ意味?」

 

──すごい、不思議ばかり。

 

 そればかりか、ここまで言葉が事細かく分類されているとは考えたこともなかった。概念も言葉も少なく、いや乏しい。私は語彙が乏しく、引き出しが寂しい言葉選びをしていたようだ。単なる紙に目を凝らし、亜冴は無かった知識欲を満たしていく。紙を彼方此方へ捲り続け、同じ言葉を追っては、新しい意味を掴んでゆく。

 

──不思議。いえ、知らないことばかり。

 

 人に聞くよりも、言葉の収集はこちらの方が捗る。人々に無いのなら、ここに無い言葉もあるのだろう。だって、此れらの言葉は人の間だけのものだもの。情報を通達する為、紋様に背負わせる意味を共通させるなんて、なんて斬新なのかしら。嗚呼、確かにこれならば、声が届かなくとも会話ができる。時間が違くとも、情報を伝えることができる。幾つか意味を当てることで、省略して伝えやすくもなっているではないか。

 

 只管に時間を食い潰し、亜冴は言葉を貪欲に得ていく。初めての知りたいとまでの興味を逃すまいと、あっという間に時間は過ぎる。言葉や知識だけでなく、時間はいつの間にか足りないと感じるものとなった。

 しかし、読み終わるのも永くはないと感じた。何故なら、二冊の紙束全ての知識を手にする為に読み漁っていたからだ。読み終わることで喰い尽くすのを望んだ。自分のものにする為には、余すことなく知る必要がある。私はこの二冊に記された知識が欲しい。その為には網羅して駆使すべく、言葉として発しなければ。

 畳に人差し指を置き、い草に指を走らせる。書き順と読み方を確かめながら、亜冴は畳に漢字を描いた。記した字は目には見えないが、記憶した順序と位置を辞典の正しいであろう情報と照らし合わせ、亜冴は次の文字の意味を。書き方を学んでいく。

 

(らく)……たのしい。うん、楽しい……私いま、きっと楽しいのね」

 

 何度もなぞって得る。娯楽という項目にも頷き、人生初であり唯一の楽しみが有限であることを悟りながら、足集利亜冴は貪ることを止めることはできなかった。それほど退屈だったとは、広い世界にしては狭すぎる離れから抜け出て、暫くしてから気が付いたのだった。

 

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