東京メトロ渋谷駅B5副都心線ホームにて、五条悟は挑発に乗ったまま、呪霊を祓いながら移動し、人気のないホームで特級呪霊三体を相手していた。瞬時に祓われた一体により、残りは二体を相手にしている。五条は戦闘の中、懐に仕舞っていたものを片手でばら撒きつつ、半信半疑でとある指示に従っていた。空虚となっているそれは、五条でなければ見えない代物である。同じ代物を他に所持しており、特に五条と伏黒には多く振り分けられた。
──足集利慈の姿がない。
五条は吉と出るか凶と出るかの作戦指示に、眉間の皺を濃くしていく。本当に信用していいものか、五条はそれでも未だ決めかねていた。
* * *
東京メトロ渋谷駅13番出口から明治神宮前へ、七海とその後輩である呪術師と移動していた伏黒は、ふと違和感に足を止めた。ハッと周囲を見渡した頃には遅く、駅構内のだだっ広い白一色の通路にて、彼は一人佇んでいた。
「……足集利か?」
覚えのある幻覚に、伏黒は背後を振り返りながら呟いた。響く声に応える者はいなく、姿を消しているのかと目を凝らしていると、前方から声が掛かる。
「足集利は足集利でも、娘の方ではない」
勢いよく前を向いた伏黒に飛び込んできたのは、数十メートル先にいる慈の姿だった。彼は亜冴に向ける目付きを無くし、只管に冷たい視線を伏黒に向けている。亜冴が明確な敵に見せるそれと同じものだ。
「夏油には五条悟を封印してからと言われたんだが……娘と話していて、気が変わった」
慈は本来ならば、亜冴に向けていた殺意を伏黒越しに募らせていく。薄い恨みも年数を重ねれば、厚くなる。あの目さえ無ければ、私は妻子を殺すことはなかった。自分の限界を知ることはなかった。
「貴様を殺せば、娘は動揺するだろう。そちらの方が殺しやすくなる」
「……何言ってんだ、テメェ」
「娘は私以上の存在だ。だからこそ、殺さなければならない」
「イカれ野郎、アイツは本気でお前のことを慕ってんだぞ……!」
「それは娘の都合だ。私には関係がない」
「テメェ、それでも父親か?!」
「あの娘は血が繋がってるだけの、愛する一人娘だ。血も繋がっていない何処ぞの馬の骨がしゃしゃるな」
腑が煮えくり立った伏黒は、手を合わせて攻撃を構える。亜冴は自身の両親に対して、尊敬の念を持っていた。だからこそ、一般良識を知りたがり、それに従おうとしてきた。外の世界を知る両親に少しでも近付く為に、亜冴は離反スレスレの行為までした。一年に及ぶ復讐を終え、伏黒の前に現れた亜冴は、やつれ切った姿だった。骨張った身体に栄養を与え、日常生活を送る上で支障のない筋肉を付けた健康な身体に、やっとなれたのだ。これからだった筈だろう。もっと楽しいことはこれから沢山あった。
そんな亜冴自身を見もせず、自分より優れているからという理由で、全てを奪おうとする男が伏黒は許せなかった。何より腹立たしいのは、分かっていながら、亜冴はそれらを受け入れていることだ。
「……悪い、足集利。お前の父親、殺すぞ」
「私も足集利だと言っただろう。二度も言わせるな、餓鬼」
玉犬を召喚した伏黒は、どこか亜冴に似た男を睨み付ける。冷淡な目が揺れることはなかった。
* * *
亜冴は初めて訪れた駅構内を彷徨っていた。どこもかしこも至る所に特級呪霊が蠢き、一級相当の呪詛師が待機している。亜冴は物陰にしゃがむと、鼻から垂れてくる血を乱雑に拭って様子を伺う。そして、自身の身体をムカデに変化させて先を急いだ。疲労が重しのように纏わりつき、行く手を唯一明確に阻んでくる。抗うしかない亜冴は、ひっそりと粘着く鉄の生唾を飲み込んで、喧騒の多い広場から遠去かった。
「……は、」
咳き込んでも昆虫の悲鳴にしかならない。死にかけの虫ケラを相手にせず、踏み潰そうとしてくるので、汚れた手を床に付けて、そこに死骸を置いてやる。踏み付けを避け、再び立ち上がった亜冴は、重たい身体を抱える。想像以上に厳しい。けれど、許容範囲だ。
──父様……。
「おい……なんだ、この血?」
背後の声に亜冴は口元を拭って駆け出した。