最弱の怪物   作:肩たたき

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第十二話『罪と罰』-5

 

 突発的な出来事に則しての幻覚は、生温い代物となる。慈は襲い来る渾の大きく開かれた口を蹴り上げて、口を閉ざさせた。無理に閉ざしたことで、口の端から血が溢れたので、それを手で掬い上げ、二撃目がくる前に身代わりを置いて後退る。手のひらの血を舐めながら、身代わりは華麗に避け、慈は消した身体の息を整えた。和服を好き好んで身に付けているのは体格を隠す為だったが、こうなってくると邪魔でしかない。腰の帯を緩めて、いつでも脱げるようにした慈は、古めかしい改造されたスタンガン付きの警棒を取り出すと、式神使いである伏黒へと駆け出す。

 

「脱兎!」

 

 慈の分身による守りの姿勢に違和感を覚えたらしく、伏黒は何体もの兎型の呪霊を喚び、自身の周囲に配置して守りを固めた。慈はそれにものともせず、伏黒が立つ壁近くを蹴って、背後へと一瞬で回り込む。空中でそのまま頭へと狙って振り翳すも、目の前に躍り出てきた脱兎に攻撃が当たった。

 

「チッ!」

 

 それでも慈は着地すると同時に伏黒の背中を蹴り、姿勢を崩したところで再び距離を取る。振り払った脱兎は痙攣し、動けなくなっていったのが影へと溶けて還っていった。またも飛び付いてきた渾を、慈は首元へ警棒を押し当てると、それもまた感電させて怯ませ、関電しないようスタンガンの電源を切って膝で蹴り上げる。

 

「肉体派かよ……!」

 

 今度は蝦蟇を召喚した伏黒は、舌を警棒に巻き付かせて奪おうとするが、慈はあっさり手放すと、懐から手榴弾を取り出し、ピンを外して上に放った。空中のそれを蝦蟇で弾くが、手榴弾が壁に打つかると、閃光が辺りを埋め尽くす。これで閃光弾のイメージを伏黒恵に刷り込ませることができた。幻覚は実際に見たものの方が効きやすい。

 慈は閃光を明滅させ続ける中、式神たちと共に怯んでいる伏黒へと踏み込んだ。

 

──ガァァアア!

 

 玉犬の声に一旦距離を取った慈は、掠った頬の血をそのままにして、分身を複数体放つ。一瞬の混乱が訪れる玉犬が分身の一体に噛み付いた。空虚のそれを小さな蠍たちに変化させると、その口内と全身を覆わせる。暴れる瞳を覆い尽くし、触れた箇所全てに針を刺していく。実際に蠍に刺された感覚を知っている慈は、鮮明に思い出しながら、玉犬の優先順位を虫を払うことへと向けさせた。当の伏黒の目が潰れた状態ながらも、脱兎を無数に喚び出して慈の居場所を探ろうとしている。

 

──肉盾での防御と探知狙いか。

 

 盾である無数の脱兎を攻撃するしか、伏黒への攻撃は届くまい。慈は明滅する閃光を止め、真正面からもう一本の警棒を手に突進した。眼球めがけての攻撃を防ぐ為、伏黒は慈の手首を掴んで抵抗する。如何にもな電流をチラつかせる慈は、ググ、と力を込めた。急所を狙われた伏黒は、慈に脱兎を纏わりつかせて渾を食らいつかせる。肩口から噛まれて血を流す慈は力を緩めず、伏黒を狙う。差し違える気の覚悟を感じる上、一向に緩まない攻撃に耐久するしかない。拮抗する力比べに、伏黒はハッと手を放して背後を見るも、そこに無傷の慈が勢いよく電流を帯びた警棒を振りかざしていた。

 

「ぐッ……ぁ!」

 

 電撃に呻く伏黒を、慈は横に避けて腹を蹴り上げる。囮の分身で誘った慈の姿はどこにもなく、代わりに有刺鉄線が式神たちを深く突き刺して捕らえていた。敵の位置を知ろうと、反射的に目を開いてしまう伏黒へ、慈は再び閃光の中へと誘う。伏黒は今の一瞬で位置に目星を付けたらしく、蝦蟇たちの舌が伸ばしてくるが、他の分身に当たるだけだ。熱を持つ炭で舌を焼き焦がせ、その中心で慈は殴ろうとする伏黒の拳を捕まえる。膝を壊す気で蹴り付けるが、存外丈夫なようで痛みに呻くだけの伏黒に、慈はつまらなそうに溜め息を吐いた。

 

「両手を使用する術式なのに、手を捕まえられたら、どうしようもないだろう。なあ?」

 

 もう一度、膝を踏み壊して片膝を付いた伏黒の頭を引っ掴み、膝蹴りを喰らわせる。膝のぬかるみからして綺麗な顔の鼻が折れたらしい。反撃をされる前に手を離して、頭を下げて玉犬の爪から逃れる。どうやら嗅覚で探し当てたようだ。下げた身体の勢いのまま、拳を握り締めた慈は、玉犬の腹を殴り上げた。持ち上げられるように突き上げられた玉犬の腹にある拳を開き、手のひらを当てて毛を掴んで伏黒の方へと蹴り捨てる。玉犬を押し付けられた伏黒はすぐに体勢を立て直すものの、その間に慈は手に入れた毛を口にやって無理やり呑み込んだ。

 閃光で明滅する視界が伏黒ほどではないが煩わしく、慈は打ち止めると正常な視界で伏黒を観察した。鼻血を拭う顔は憎悪に満ちており、ふと娘とは無縁の顔に興が乗った。

 

「分からないな。私を殺せば、娘がそちら側に着くと考える根拠はなんだ?」

「……アイツはテメェに拘ってるだけだ。俺たちといる時、アイツは本気で楽しんでいた」

「私を殺したら、復讐されるという可能性を考えないんだな。実際、私の為にあの娘は復讐をした。同じことを繰り返すとは考えないのか」

「どんなに恨まれようが、アイツの為になるなら構わない。ちゃんと話せば分かる奴だ」

「他人の為にそこまでする意味も分からないな」

「テメェの娘には教えてやるから、安心しろ」

「……あの娘には必要ない」

 

 慈は言いつつ濡れた膝を触って、付着している血に触れた。指の付け根から丁寧に舐め取り、鉄の味を喉奥へとやる。姿を取られた伏黒はもはや慈の敵ではない。自分たちの争いを見せることで、亜冴に伏黒恵を殺させたかったが仕方ないか。

 

「もう終わらせてやる」

 

 伏黒と喋らせていた和装の上着の分身を解き、背後に回っていた慈はいたくつまらなそうに呟いた。姿を現して隠し持っていた懐刀で、伏黒へと刃を向ける。脱ぎ捨てておいた上着の体臭を強くしていたことにより、玉犬の嗅覚を欺いた慈は油断している伏黒の胸元を目掛けて刃先を押し込んだ。

 

「──はっ?」

 

 鈍色の切っ先が宙で止まり、慈は力一杯刃を伸ばそうとしているというのに、そこから動かない。しかし、柄から伝わる感触は肉を刺したものと変わりなく、深く突き刺さっているものだ。目を凝らせどそこには何もなく、慈は空中で動かなくなった刀に困惑の色を滲ませた。

 

──ブチン

 

「…………ぁ……?」

 

 腹から迫り上がる吐き気と血の味、そして激痛と熱に、慈は口の端から血を垂らした一拍の後、ゴボリ、と血を吐き出していく。

 

「ガボッ……! ぐァ……ア、は? なぜ……?」

 

 刀から手を離し、下を向いて血を吐き続ける慈は、足元の黒い細かなそれに脂汗を掻いた顔を更に歪めた。血溜まりに押し流される黒く細いそれは、三ミリほど均等の長さを保つ。

 

──これは、髪の毛……?

 

 こちらを向く一回りも小さな靴先が目に入り、ゆるゆると顔を上げた慈の目の前にいたのは、信じられない人物であった。

 

「……亜、冴…?」

 

 左腕を抑える亜冴は、血の付いた懐刀を手に伏黒の前に立ちはだかっている。長かった髪はザンバラに短く切られ、綺麗に切り揃えられていた面影もない。床に広範囲に散らばる黒い細かいもの全てが、亜冴の髪の毛であると理解した慈は、亜冴の疑似的な領域内にいることを悟った。確かにこれならば呪力の消費は軽減できる上に、格上を騙せるほどの精神汚染ができる。

 

『足集利亜冴が十六歳になるまでに離れを出る代わりに──』

 

 そして慈は十六歳になる娘を前に、自身が何故血を吐いているのかも理解した。

 

『──足集利亜冴に手を上げないこと』

 

 

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