「足集利慈。正真正銘、おまえの父親だ」
亜冴は本物の父の姿に、相手の領域である逢瀬夢想の中で、混乱と同時に脳が無視できない可能性を弾き出していた。十五年ほどの思い出を廻らせ、何度も思い返しながら頭は別で働かせていく。混乱している内にしか、感情を激しく起伏させられない。最も誤魔化せられるのは今だけだ。急がなければ。
真人ら含む特級呪霊数体は、特級相当の呪詛師と手を組んでいることが発覚している。それだけでなく、高専に内通者が数人いることを亜冴は懸念していた。高専に来てから度々起こる感覚の違和感と、相手の視覚を借りた経験。これらがイコールで繋がり、視覚を取られていたとなれば、自身が自覚なき内通者であることが浮上する。
可能性の割合を三回叩き出し、亜冴は確信を持った。
──私はもう、高専にいてはいけない。
少なくとも、目の前の人物が無力化するまで。
しかし、五条悟はどう考えるか。最善は立ち去ることに違いないが、それは離反を意味する。表面の事実通りに受け取り、足集利亜冴を早々に切り捨てるだろう。潜り込んだ先で、何ができるかが鍵になる。不意打ちでも力量差と心の揺れから、攻撃はどうあがいても察知されるだろう。下手をすれば裏切りは簡単に露見してしまう。従順に行動しないことが、生き残る最善だ。だが、味方だとどう証明する。証明するには針の穴めいた抜け道を見つけなければならない。
呪詛師としての父の仕事は、情報収集で亜冴の視覚のように他でも様々なことを行なっていると考えられる。その他に戦闘と撹乱や偵察、諜報などが挙げられるだろう。亜冴がいずれ行う為に学んできたもの全て、父の背中を追いかけている。
──どこまで解釈を拡げ、縛りを設けた?
父が今し方展開している領域である逢瀬夢想は、おそらく起床したままでの発動だ。そして伏黒との夢の共有を、亜冴は睡眠時に無意識の術式展開を行うことで、不完全な領域に繋がりの深い伏黒を引き摺り込んでいたと仮定しよう。何度も同じ時間帯での悪夢は、全てを揃えれば似たものが見出されていた。今晩の悪夢と、今までのものは類似している。父が繋げた逢瀬夢想を亜冴は伏黒に見せていたのだろう。
領域内から領域を精度の劣る領域展開をできたのは、私の領域展開は他者の脳内を介した為だろうか。足集利亜冴は今現在、父の脳内に招かれているとなれば、術式を保有する肉体は領域外にあるので可能だ。
つまり何が言いたいかというと、父と娘の領域の解釈は根本から大きく異なるということだ。
呪詛師側では亜冴の術式は父の術式が尺度であろう為、探られる可能性は低い。抜け穴はここしかない。
──逢瀬夢想を会得すれば、情報を渡せる。
辿り着いた最善は大きな賭けでしかない。会得できなければ、離反者として仲間全てを失うだろう。内通者と知られれば、間違いなく殺される。
よく考えろ、高専にいてはいけない根本は、父の背中を追い続ける為だ。父が目の前にいる今、彼に隷属してもいいのではないか。父を見つめた瞳が揺れに揺れ、亜冴は騙されてくれない視界を怨んだ。彼は足集利慈としてしか今や立っていない。足集利慈として生き、ここに来た。置いていったのを謝り、亜冴が十六歳を過ぎてから目の前に現れた。片親は生存している、縛りは守られ続け、娘もまた縛りを守った。破らずにいたから、この男は目の前に現れたのだ。
──殺したいのね、私を。
父が語った人の道理に、人殺しは悪とされていた。人を騙して自身の利益になることを行なうことも、恥ずべき行為だと教わってきた。世の為、人の為に身を粉にしている呪術師は、素晴らしい人々だとも教わった。今はその全てが薄っぺらく感じてしまう。亜冴が模範的な善人であろうとしたのは、両親がそうであることを望んだからだ。
実際の呪術師は全くもって違った。殺意を当たり前に持つ呪霊たちと、血生臭い血で血を洗う戦いを昼夜強いられる日々を彼らは過ごし、薄らいだ倫理観をどうにか保つ為に気を違えることを当たり前としている。重いとされる命は軽く、圧倒的な力の前では思想など塵芥のようだ。唯一、尊く失いたく思ったのは、お節介とも言える仲間意識だけだ。集団心理に屈した覚えはないが、確かに私はあそこで人としての権利を初めて与えられ、故に人であることを辞めた。
唯一の絶望である救いは、父の語った善悪全てが、彼らと同じものであったことだけだ。
──……ツラいなぁ。
慕っていた父はもういない。目の前にいるのは私が生まれた要因の男だ。嘘でも楽しそうに青空を語った父様に付いて行きたかった。
「──私も連れて行ってくださいませ」
一年前なら私はあなたに騙されてあげられたのに。夢から解放されて目覚めた亜冴は、すっきりした頭でしばらく一人涙を流し続けていた。