最弱の怪物   作:肩たたき

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第二話『朱に交わる』-2

 

 入学してから数日後、亜冴は高専内の庭園にて、静かに池の中を眺めていた。ゆらりと泳ぐ鯉達と離れた場所のところ。黒い玉から尾っぽと小さな足を生やして、水中を泳ぎ回っている。その大量さと、歪な形に心奪われたのだ。

 

「……なにこれ」

 

 早速、誰かに聞きに行かなくては。

 

「──あれってなんです? 生き物?」

「……オタマジャクシだね」

 

 曲がり廊下で鉢合わせた五条に早速尋ねれば、彼は静かに答えてくれた。後ろに控えていたらしい伏黒の目線が痛いというか、生暖かいものは敢えて反応しないでいよう。

 伏黒の心境というのは、五条を引かせることのできる亜冴に驚いているものだったが、誰も拾うものはいない。

 

「……ねぇ、これマジ?」

「マジです」

 

 亜冴を指差して伏黒に尋ねた五条は、今度は可哀想なものを見る反応へと変わる。自分以上に生粋の箱入りを見たことがなかったからだ。いや、もはや箱入りの限度を超えている。虐待レベルだ。

 

「知育教育が必要かも……」

「幼稚園でもはしゃぎますよきっと」

 

 なかなかに辛辣なことを言われているのだが、当の本人は知育教育と幼稚園なぞ知る由もない。首を傾げるだけで、失礼な彼らの言葉を受け流す。それがもう彼女の知識量を物語っていた。

 なんて勘違いをしていたのだろう、と五条が後悔するほど、亜冴は人畜無害な無知だった。五条は派手なリアクションと知識欲全開な亜冴の頭を撫で、オタマジャクシの説明を始めた。あんな態度を取っていたのにも関わらず、亜冴に嫌われていないことだけが救いだ。警戒心が無さすぎるというのもあるのだが。

 

「オタマジャクシはカエルの子供なんだよ」

「カエル……」

「ゲコゲコって鳴き声聞いたことない?」

「あぁ、それなら」

「お前知ってることあるのか」

「何の音って聞いたら、母が教えてくれました」

 

 姿は見ていない、と語った亜冴は懐かしむように話した。他には鈴虫、鶯、雷。部屋まで聞こえる音は教えてくれた。

 

「実は呪霊もまだ見たことないんです。部屋はお札だらけだったし、外にも連れてって貰えなかったので」

 

 大事に大事に、腐っていくよう育てられた。

 亜冴の声色に邪気はなく、五条はある懸念と教育方針を改めた。まずは呪霊に慣れさせるところから始めよう。

 

「じゃあ、外に出たのってここ最近からか?」

「はい。足集利家の人たちはなんでも屋敷でやりたがったので、お見合いで外に出たのは伏黒さんの時が初めてです。といっても、料亭の中しか知りません」

「なんつーか……よかったな」

「はい、ここに来られて幸せです」

 

──井の中の蛙大海を知らず。

 

 知ろうとする蛙というより、生まれたてのオタマジャクシである亜冴は、恥ずかしげもなく感情を語る。五条が聞いていた足集利家の姫君とは、真逆をいっていた。

 

──物静かで無愛想って聞いてたんだけどな。

 

 五条は二重の意味で拍子抜けしつつ、知識欲を貪欲に満たそうと、伏黒に質問を重ねる彼女を見守った。

 

「見せてやったら? 蝦蟇(がま)

「ガマ?」

「……」

 

 面倒くさそうな顔をする伏黒だったが、亜冴の期待を込めた目に負けて手を構えた。闇から出てきた巨大な蛙。それに亜冴はパチクリと目を瞬かせて一歩引いた。人によっては嫌う姿は、特に女子にはウケが悪い。ショックだったかと見ていれば、亜冴は次の瞬間に叫んだ。

 

「オタマジャクシ、あれからこんなに大きくなるの?! 池から溢れちゃいますよ!」

「このサイズにはなんねぇよ」

「亜冴、素直すぎない?」

「純粋無知なんです」

「あーいいねそれ、ウケる」

 

 くつくつと笑う五条を前に、亜冴は混乱したまま違うのかと慄いている。このサイズなら池の鯉を食べてしまうと心配しているが、逆に食われる立場なので安心してもらいたい。慣れてきたらしい彼女は、蝦蟇の目の前でしゃがみ込んでマジマジとその姿形を目に焼き付けんばかりに観察しているが、触ろうとは決してしない。口からダラリと出た舌と、長方形の瞳孔の形が気になるようだ。

 

「こんな生き物っているんだ……」

「逆に何なら知ってんだ」

「……人間?」

「そういうことじゃねぇ」

「触っていいですか?」

「やめろ」

 

 呪霊への反応に近いそれに、五条は一刻も早く本物の呪霊を見せてやることを決めた。規格外の無知さは、人の懐に入れても身を滅ぼす。立ち上がった亜冴は伏黒に礼を言って満たした知識に満足げに微笑んだ。逆にコレが見合いに来なくて良かったかもしれない。五条はそんなことを思いつつ、伏黒の救うべき善人に入る彼女に声をかけた。

 

「亜冴、これから任務に行くから付いておいで」

「待ってください。呪霊は二級相手ですよ。コイツは足手纏いになると思います」

「にきゅうあいて……?」

「ほら」

「まぁまぁ。見学だから」

 

 呪術界について知らない部分のある亜冴は、小首を傾げつつも五条の指示に頷いて、伏黒は不満気に眉間に皺を寄せた。

 改めて伊地知との自己紹介を済ませ、亜冴は降り立った現場で自由気ままに身体を伸ばす。呪霊に関する説明を興味津々で聞く姿は、どこか楽しげで不謹慎だ。まぁコレくらいの感覚でいてもらった方が今後楽かもしれない。ブスくれる伏黒は、そんな亜冴に注意をしつつ側を離れないので、彼なりの心配の表れに五条は可愛い、と感想が漏れる。

 

「亜冴は僕の側から離れないように」

「分かりましたっ」

 

 興奮気味な亜冴は初めての見学に夢中である。

 勉強熱心と受け止める五条と、真意を知っている伏黒は更に不安を募らせた。コイツは生き死にが関わっていると分かっていない。

 廃ビルが建ち並ぶ、独特の匂いと陽の当たらない寒さ、薄暗さにハイテンションで能天気な亜冴は一段階口を噤んだ。としても興味があるのに変わりなく、そこら中を見回していたのだが、他二人の緊張感を肌で感じ取ってはいる。

人が建てて人が去った場所。

 亜冴には離れを思い出すには充分な寂しさと不気味さを持つ、廃墟はどこか居心地が悪かった。けれど、この静寂と孤独感は心地よさとも知っていた。

 前方の小さな物音は、ペンキが入っていたブリキ缶を転がし、中央へとやってくる。コンクリート上にあるそれは空っぽなのか、軽い音を鳴らさなくなるまで動いた。そのまま右から左へと通過していこうとした缶は、弾けるようにこちらへと飛んできた。姿を目で追った亜冴は、反射的に術式を展開して体を屈ませた。

 

「うわぁっ」

「足集利! どこ行った?!」

 

 姿を消してしゃがみ込んだ亜冴は、頭上直前で止まる缶に驚きが隠せず、伏黒の名前を呼ぶ声は聞こえていなかった。五条は手探りで亜冴の頭を触ると、あぁいたいた、と声を出す。どうやら五条が缶を止めたようだ。カラン、と頭上から落ちる缶はもう攻撃を加えようとはしない。

 

「姿は隠さないでね」

「ご、ごめんなさい……」

「僕でもちょっと見えにくいから」

「はい……」

 

 亜冴の術式を知らない伏黒は驚きつつも、姿を表す亜冴の無事を確認してから、前方へと目をやる。それに釣られた亜冴も、物陰から出てきた巨大な影に目を見開いた。蝦蟇よりも巨大な人間の手は、ちょうど乗ってきた車ほどの大きさで、長い指達を擦り合わせるように蠢いている。その全身は短い体毛に覆われ、皮膚は肌色なのか聞くことはできない。しかし、指の間接ごとに付いた瞳が、真っ青な色をしていることだけは分かった。悍ましい呪霊が目だけで笑って、ひび割れたコンクリートの床を人差し指でコツコツと叩いている。拍手でもするような様子に、伏黒は手を構えた。

 

「一般的な呪術師の戦い方、覚えておいて」

 

 それはもう凄まじかったに尽きる。

 亜冴は次々に展開される式神と、伏黒の身体能力、そして咄嗟の判断に食い入るように観戦していた。瓦礫に埋もれても、跳ね返して隙を作るなんて、亜冴には到底真似できない。すごい、すごいすごいすごいすごい。

 

「格好良い……!」

 

 初めて知る感覚に、溺れるほど亜冴は目を輝かせて、無惨にバラバラにされる呪霊ごとその存在を目に焼き付けた。身を乗り出す亜冴を抑えつつ、五条はその顔に一片も呪霊に対する恐怖がないことを拾い取る。

 

──良かった、イカれてる。

 

 除伐した際、駆け寄るかと思いきや拍手をしていた亜冴は、五条の「もう大丈夫だよ」というゴーサインに伏黒へと走り出した。

 驚く彼の荒れた無骨な手を掬い取り、華奢な手でギュッと握り締める。

 

「凄いっ! 呪術師ってあんなことも出来るんですね!」

「はぁ?」

「あっでもそうですよね! 倒すんだからそうですよね! でも凄いなぁ……っ」

「……離せ」

 

 握り締めていた手を振り解いた伏黒は、犬のように周りをちょこまかと歩いて見えない尻尾を振る亜冴に、怪訝な顔をしながら五条の元へと戻ってくる。もちろん付いてくる亜冴に視線を合わせないように、伏黒が斜め上を向いているのが五条のツボに入った。まるでいつかの伏黒姉弟だ。

 

「呪術師って凄いです!」

 

 両手を上げて賛美する亜冴に、五条と伏黒は残念な子を見る目になって、朝方の任務は終わったのだった。

 

「あ、そうそう。亜冴。呪霊が完全に消える前にやってほしいことがあるんだけど」

「なんですか?」

「ちょっと飲んできて」

 

 すぐに合点がいった亜冴は、頷いて半壊しかけている呪霊へと駆け寄った。蒼く燃えて消え掛かるドクドクと太い血管から滴り落ちるところへ、小さな手を差し出した。伏黒が五条へ抗議と質問をしているが、彼は答えてくれなかったらしく、亜冴を止めるべく走り寄ってくる。

 

「おい、んなもん飲むな!」

「大丈夫です」

「はぁ?!」

 

 真っ赤に染まった手の平を口へと持っていき、見えないよう控えめに舐めとる。あまりの不味さに吐きそうになったが、食器に付いた誰かの唾液よりかはマシで、吐き戻した余韻に似た味をなんとか飲み込んだ。

 

「おぇえ……マズぅ……」

「ほら見ろ! 吐き出せ!」

「やめて、背中摩らないで吐きます」

「吐けっつってんだろ!」

 

 折角飲み込んだものを吐かせようとする伏黒のそれは善意でしかなく、亜冴は跳ね除けることも出来ずに両手で口を押さえて抵抗した。口内の唾を総動員して味を流し込ませれば、次第に波は去っていく。涙混じりに耐えた亜冴は、飼い主を見る犬のようにこれでいいのかと五条を見る。満足そうに頷く五条は、次の指示を亜冴に与えた。

 

「んじゃあ、呪霊になれるかやってみて」

「さっきから何を……」

 

 言いかける伏黒は混乱の中におり、見せるしか納得させることが出来ないと、亜冴は悟った頭で術式を展開した。

 目を離した隙、いつの間にか、一瞬で、亜冴の身体は何倍もの巨大な手首へと変貌していき、今しがた除伐された呪霊そのものの姿でそこに現れた。

 

「おお! いいね!」

「なっ……?!」

『満足ですか?』

 

 声色の調整を忘れて話してしまった声は、雄叫びとなって響き渡り、伏黒を圧倒する。この感覚の切り替えは難しいのだ。声帯も騙くらかしてしまうので、別の生き物では話すのに調節がいるようだ。

 

「えぇと……これって何かの役に立ちますか?」

「立つよ、立つ立つ! ありがとう、もう戻っていいよ」

「おい、どういうことだ!」

「わぁ」

 

 元に戻った亜冴へ食ってかかる勢いの伏黒は、小さな肩をユサユサと揺らして問い詰める。術式の話をしていなかった亜冴は、罰が悪いのか外方を向いて軽く白状した。

 

「対象の一部を食べるのが条件の一つなんです」

 

 亜冴の手のひらの血は霧のように胡散していき、跡形もない。けれど、彼女の胃には残り続ける気がしたのか、伏黒は手を離した。五条曰く、呪霊は猛毒であると聞いていたがどうやら液体ならば、亜冴には耐性があるらしい。五条という人間が無闇に人を消費するようではなかったので従った亜冴は、ご機嫌な五条の顔色を窺い続けた。余程のものでない限り、食しても基本的に平気なようだ。

 

「そういうのは早く言え」

「……ごめんなさい」

「じゃ、帰ろうか」

 

 気にした素振りもないご機嫌な五条は二人の背を押して、現場を後にしていく。

 

「足集利、なんでもかんでもこの人の言うこと鵜呑みにすんな。碌なことにならねぇぞ」

「恵ひっどーい」

「いえ、聞きます」

「なんでだよ」

「だって、五条先生に信用されてないので」

 

 冷や水がまた頭から被らされる気分に陥った伏黒は、ピタリと足を止める。五条も驚いたようで亜冴の柔かな顔を覗き込んで、その真意を探った。二人の様子が理由を尋ねるそれだったので、亜冴も話を進める。

 

「信用を勝ち取る為には従わないと」

 

 本人の前で言ったら意味がないだろうと、突っ込みたくなるが、突然真意を突く亜冴に二人は戸惑った。固まる二人に不思議そうにしている亜冴はまたしても微笑むだけなので、五条はやっちまったと一人反省会を脳内で開く。挽回しようにも、確かに試したところはあるので、何も言えない。

 伏黒は亜冴から五条へと睨みを効かせ、信用していることを信用されていない教師の情けない姿を無言で咎めた。うちの妹に文句あるのかと言いたげである。五条はそんなことないと「亜冴のこと信じてるよ」と声を掛けたが、純粋な亜冴は首を横に振った。

 

「嘘じゃないってば。僕、亜冴のこと仲間だと思ってるし」

「私の話だけで信じるような人じゃないでしょう? 聞いてから裏付けするために調べたのではないですか?」

 

 実際そうだが、突かれるとは思わなかった。

 詰められた五条は顔を逸らし、気不味さと伏黒の冷たい視線に耐えきれず、パンっと手を叩く。場を制した音を上書きするように、二人の背中を再び押し始め、詫びにも満たない言葉を連ねた。

 

「お腹空いちゃったし、なんか買って帰ろうか! 夜蛾学長にお土産買おう!」

「お土産? って、あのつまらないものですがってヤツですか?」

「そうそう! 初めてでしょ?」

「はい!」

 

 あからさまな話題の逸らし方に伏黒の目は氷点下を迎え、思惑通りに興味が逸れた亜冴に五条は全力で話を合わせていく。天真爛漫な姿が一瞬真顔に落ちたのが、五条の脳裏から離れなかった。

 

 

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