最弱の怪物   作:肩たたき

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第十三話『告白』-3

 

──二千十八年十月三十一日。

 

 亜冴は獄門疆にてハッと目を見開き、寝転んだ状態で周囲を見渡した。

 赤黒い空間に変化はなく、味方らしき姿は何もない。いるのは明らかな敵のみで、それらは土壇場の結界にキッチリ阻まれている。どうやら気絶していたらしいが、時間がどれほど経過したか不明だ。

 ふと、亜冴は乾いた血に目を瞬かせて腹から手を退けた。手のひらが赤黒く染まってはいるものの、茶色に近いそれにパチクリと驚いた。

 

「イッ……タァ」

 

 しかし痛みは変わらずあり、起き上がることはできない。まさか今の一瞬、出来たのか。亜冴は感覚が消えぬうちに、同じようにバットを持って球を投げて打ち返すイメージを浮かべた。少し楽になった傷を見れば、徐々に塞がっていっている。

 

「ふ、ふふ、まじでぇ?」

 

 呪具の幻覚かと思ったが、それならもうとっくに死んでいる筈だ。横たわったまま、「ひゅーってやってひょいっ」、と口ずさむ。非常にゆっくりだが、止血されていくのが分かり、更に声を上げて笑ってしまった。感覚、掴んじゃった。できるもんだなぁ。周囲への警戒を捨てて、反転術式に集中したおかげだろうか。

 

「いたたたたた……ふふふっ、いたぁい……」

 

 驚くだろうなぁ、みんな。私が一番に反転術式を使うことができて。亜冴は楽しげに笑いつつ、治療に専念した。やがて起き上がれるまで回復した亜冴は、見た目だけでも、とできる限り乾いた血を擦り落とし、寝返りを打って横たわっていた箇所を確認する。そこは血に塗れており、失血死スレスレのように見えた。ぼんやりと働いてくれない頭は、立ち上がることも許さないほどの貧血のようだ。万全には程遠い体調不良かな。

 

「……お迎え、来るかな」

 

 夏油一派でないなら、仲間か地獄かどちらでも構わない。

 早速退屈を覚えた亜冴は、青のカケラもない天を見て目を再び閉じた。人の気配は周囲にはいない。あるのは敵だらけ。亜冴は結界を敷いてから溜まっていた疲労に従い、そのまま眠りに落ちていった。

 

 

  *  *  *

 

 

 いつものように亜冴は一ヶ月間の長い眠りから目を覚ました。

 眠る直前による一回きりの縛りは、もう数え切れないほど行なっている。一ヶ月弱の眠りにつく代わりに、膨大な呪力を回復する。獄門疆による封印の期間が分からない上、外敵への対抗策がない亜冴なりの防衛手段兼退屈凌ぎだ。眠っている間は何の対策もできないが身の安全は保証される。結界が破られれば、目を覚ます。どちらにしろ呪力を温存しなければならないのだし、結界は必要なのだ。ならば縛り付きでより強固で身体を休めるものが好ましい。尚且つ、退屈を凌げれば、文句はなし。

 

「……はぁ。またこれね」

 

 目覚めを出迎えるのは、いつもの幻だ。

 封印は解除され、仲間に迎えられてめでたしめでたし。お生憎様、合理主義の五条によって現実主義を徹底的に叩き付けられている亜冴は、起き上がった身体で頭を掻いた。帳が消える前に降ろしなおしてから、盛大に肩を落とす。

 いつもよりも高度な幻に怪訝な顔をして、悪夢の方がマシだと毒付く。

 獄門疆は封印対象へ安直な精神攻撃を得意とするらしい。しかしながら、亜冴の目には筒抜けだ。目を凝らすことも馬鹿らしく、今では適当に話をして終わらせている。会話内容もつまらなければ、相手の中身がない。対象の記憶に則しての幻覚らしく、特に足集利慈は亜冴の想像と理想から全くもって外に一歩も踏み出さなかった。幻覚の相手は記憶から作られたモノであって、会話は会話であって会話ではない。自問自答でも空想でもない、眠って見る夢みたいなものだ。それでも常人ならば、心が揺さぶられているのだろう。軟禁生活が長い亜冴にとって、これらは何のこともない欠伸一つの些事である。

 

──感謝しなよ、五条悟。

 

 不遜にもそんなことを思いつつ、亜冴は見舞いを待つこともうんざりして、寝台横の花に手を伸ばす。

 喉が渇いた。よく分からないが、水であることに変わりはなさそうなので気休めに喉を潤そうか。思ったよりも質量を持つそれに内心驚きながら、亜冴は茎を濡らした花を挿し抜いて、木製の机の脇に置いた。両手でも重いそれに一息付いてから持ち上げようとした時、病室の扉が開く。今回は誰だろうと待てば、顔を覗かせたのは既視感のある顔だった。

 

「…………足集利……?」

 

 やっぱり、最も逢いたい人ばかりを見せてくる。亜冴は大人の姿になった相手に、精一杯に顔を顰めて呻くように呟いた。

 

「………………悪趣味」

 

 放心する相手を放って、手を空にする。興が削がれた。不必要な水分補給も無しだ。膝上にボードゲームを出現させた亜冴は、パチンと盤面の駒を進めた。ここ最近の起きている内の暇つぶしは、もっぱらこれに尽きる。自分しか更新されない世界なのだから、自分とやり取りするしか新鮮味がない。

 

「これで何回目? 成長した予想図を見せられたって、靡く訳がないでしょ」

 

 しっしっ、と本性を晒した亜冴は目もくれず数個上であろう伏黒像を手で追い払った。目覚めに嫌なものを見せられた亜冴は、外ならば晒さなかった感情を剥き出しで不機嫌そうに口をへの字にして駒片手に溜め息を吐く。危害は精神攻撃のみの幻覚だ。しかも、相手に感情はない。あるのは亜冴が見てきた記憶のみ。全くもって、封印されたのが私でなければ発狂していただろう。いや、当初封印される予定であった五条のような人格破綻者なら同じく平気そうだ。ともかく。今はかなり機嫌が悪かったし、元来の亜冴は敵に対して容赦はなかった。

 

「確かに男児は十八からが婚姻可能だけど、だからって未来予想図は望んでないってば。安直すぎ。大体、私はあの人の眼中にもないから」

 

 亜冴は瞼を閉じて駒を置きながら文句を垂れる。心なしかスッキリした身体を動かし、進化した敵の幻術の精度に感心しつつも、自分が生み出したボードゲームにだけ視線を落とした。嘘を見てやるほど、今の私は寛大ではないのだ。

 

「目が合ったというのも、私の単なる錯覚だし」

 

 伏黒恵との見合いの日、蝶が舞う中庭に立つ亜冴を見たのは五条だ。伏黒はその視線を追っただけに過ぎない。ただ彼の瞳の奥にある在り様を、亜冴は機敏にも拾い上げてしまった。初めて目にした同い年の殿方の、心にある善良な部分と、美しい中庭を見た時の率直な感想が、鳥籠の中で暮らし続けた亜冴には強すぎた。目に毒というのはこのことかと、離れに帰ってからというもの、何度だってあの光景を思い返した。

 あの時ばかりは、見舞いをすっぽかしたことを少し後悔した。強すぎる目を、互いに初対面の時に交わしたいと思ってしまった。強欲で傲慢な化け物には過ぎた欲だ。

 

「というより彼は今も。いや、あれからもーっと引く手数多だろうし、適当な女性を連れ立たせて、私をこっ酷く罵倒した方が精神攻撃には打ってつけなのでは?」

 

 あろうことか提案までする亜冴に、大人の伏黒恵像は動かない。花束片手に茫然とする彼を見向きもせず、亜冴はやっと相手側の駒を進めた。自分の飄々としたところが、正に五条に似てきているようで嫌になる。人に嫌われず誰からも好かれるよう事使っているものの、亜冴の本性はこんなものだ。

 刺々しい言葉を咎めるものがいないことの虚しさよ。そして虚しさを感じても、狂えない頑強で狂った心持ちよ。同じものを嗅ぎ分けた五条悟の目敏さよ。あぁ、ヤダヤダ。嫌んなっちゃう。何も大人の伏黒さんが来なくてもいいじゃない。まるで理想が具現化しているようではないか。夢想家は私だけの術式でしょう。専売特許、奪わないでほしいわ。

 

──あーもう。あっかんべぇー、だ。こなくそ。

 

 目をギュッと瞑って伏黒へ舌を見せ付けた亜冴は、口を閉ざすと反対の方へと顔を背ける。腕を組んで大いに臍を曲げてます、のポーズをとっていれば、やっと足音が近付いてきた。口説き文句でも言い出したら、ボードゲームで殴ってやる。どうせ私の鉄壁な帳で当たらないけれど。

 寝起きで徹底抗戦の構えを見せた亜冴に対し、伏黒像は花束を机に置くと、身体を屈めてきた。サラリと頬を撫でられ、亜冴の心に不快感が募る。触れていないが、触れていると錯覚させるようにまでなったか。亜冴ほどの幻覚を見せてくる呪霊に、触る許可をやった覚えはないし、彼は私の頬に触ったことはない。喧嘩を売っているな、この偽物。

 

「……足集利」

 

 優しい声色も聞きたくなく、耳栓でもしようかと考えたところで、両頬を包まれた亜冴はやっと至近距離の顔を睨み上げた。途端、違和感を拾う。というより、違和感がないのが違和感だった。

 次の瞬間、走ったのは衝撃でもなんでもない──激痛だった。

 

「〜〜この、馬鹿がァ!」

「うぇっ……? ほ、ぁ、いひゃいいひゃいいひゃいっ!」

 

 全力で頬を掴まれて外側へと引っ張られた亜冴は、目を白黒させて伏黒の手を離させる為に掴んだ。しかし、非力なものでは到底敵わず、頬肉は万力によってギリギリと引き伸ばされていく。暴れる亜冴を抑え込めるほど指に力を加える伏黒は、暴力でもある行いをしながら、大声で容赦なく怒鳴った。

 

「ほ、ほひぃふほふぁあん?!」

「あーそうだよ、伏黒さんだっつのッ!」

「ほぉふふぇ?!」

「チッ! クソが!」

 

 悪態を吐きながら手を離した伏黒に、亜冴はむしろ追いかけて顔を引っ掴む。太陽の明るい日差しで橄欖(かんらん)色の目は黄色がかっており、それを見開いて至近距離でマジマジと端正な顔を摩って揉んだ。息もかかるほどの距離で、黒い癖毛とキリリとした黒目、長いまつ毛もスッと通る鼻筋も、奥にある心根も見覚えのあるもの。大人びた雰囲気どころか体格も変わってはいるが、それが逆説的に本物であることを知らせた。

 

「ほっ、本物ぉ?!」

「まだ疑ってんのか! この馬鹿!」

「っいひゃいいひゃいいひゃいいひゃい!」

 

 また頬を引っ掴まれて喚く亜冴に伏黒は容赦しない。ぱっと見、お互いの顔を包み合っているが、片や揉んで片や引っ張っている。頃合いかと見舞いにやって来た五条は、そんな教え子二人に携帯を向けると、よく通る声をかけた。

 

「はい、チーズ!」

「あぁ?!」

「ほふぁ?!」

 

 勢いよくこちらを見たところを激写した五条に、可愛い教え子たちは間抜け面を写真に収められたのだった。

 

 

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