最弱の怪物   作:肩たたき

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第十三話『告白』-4

 

「えー、亜冴が一生植物状態なんて僕言ったっけ?」

「それに近いこと言ってましたよね!」

「覚えてないなぁー」

「この……!」

 

 明るい疑問は亜冴の存ぜぬ事だ。ひり付く真っ赤になった頬で、亜冴は全く老けていない五条を見た。三年前からだけれど、いまいち人への説明が足りないことが多い。五条に伏黒が睨みを効かせて噛み付くので、亜冴はひとまず事態の把握に勤しむことにした。

 

「てゆーか、亜冴。またエグいほど成長したね」

「話を逸らさないでください!」

「恵ぃ、ここ病院で病人が目の前にいるんだよ? 声のトーン落とさないと」

「〜〜ッ!」

 

 頭を掻き毟る伏黒にはなんだか悪いことをしたな。亜冴はそう思いつつ、五条と共に見舞いに来た虎杖と釘崎に肩に手を置かれて慰められる伏黒ごと三人を見る。同級生だった彼らは、今や十九才だ。三年で見た目はそれなりに変わっているが、封印の類からして亜冴に見た目の変化はないのだろう。髪も伸びることなく、触った感触からして短いザンバラのままだ。

 

「いえ、病人じゃないです。もう完治していますし、封印は老いも無効の筈です。起きる度に運動していましたから、基礎体力はあまり落ちてないかと。今すぐ退院できます」

「だとしても、アンタ三年間も封印されていたんだし、もう少しゆっくりすればいいじゃない」

「だけど、カウンセリングを受けて精神面がおかしいと言われても、元々の素質だと思うし……。私、精神病棟行きにならない?」

「自分で言うことかよ」

「みなさん、ご存知では?」

 

 誰の否定もないことに、五条は亜冴の頭をワシワシと撫でる、というより揉む。亜冴はグワングワン頭を揺らしながらも、まぁいいかと触られることを許した。この人は人の甘やかし方を知らないのだろう。

 

「まさか領域展開だけじゃなく、反転術式も覚えて帰ってくるなんてね」

「ウッソ?」

「マジ?」

 

 同じ顔色をする虎杖と釘崎に、亜冴は首元が見えないほど萎んで外方を向く。自慢しようとは思っていたけれど、この流れで言うのは気が引ける。でも正直に話さないとそれはそれで角が立つ。

 

「……領域展開については、足集利慈にできることなのに、私ができないのはおかしいと考えただけです」

「うわぁ、それ最高の煽りだね」

 

 口を窄める亜冴に対して、五条は楽しげに笑う。だって、おかしな話だろう。私が慈以上だと認められているのならば、慈にできることができないのはおかしい。その考えの下、術式の解釈を広げて実現方法を辿れば簡単な事だった。先駆者がいるのだから解釈に新たな発想は必要ない。知っている答えを出す為、公式を辿ればいい。

 

「反転術式はどうやって?」

「草野球で私が球を投げて、それを私が打ち返したらできました」

「クククっ、意味わかんねぇー」

 

 出血による白昼夢か、痛み止め代わりの脳内物質が分泌されていたのだろう。瀕死の状態で脳が助かる為に見た現実味帯びた幻覚は、おそらく亜冴の集中力を高め、反転術式会得の手助けをした。そんな草野球の幻の話をしたところで、誰もが真似できるものではないことは流石に分かっている。ひたすら楽しそうな五条から、何か滲み出ている気がするがなんだろう。親近感に近いものだろうか。

 

「さて。そろそろ言うことあるんじゃないの?」

「……いうこと?」

「ブン殴るぞ、テメェ……」

 

 ステイステイ、と止める虎杖と、行け、と促す釘崎に挟まれた伏黒は、見たことない以上に怒気を孕んでいる。本気のそれに、亜冴は殴られる、と思いながらも唾を飲んで身構えた。いや、言うことって何かしら。別れ際を必死に思い返してみるも、基本的に血を流していたからか、サラサラっと記憶が流れてしまう。攻撃を受けながら敵の目を掻い潜り、慈による攻撃の盾になって、五条悟の下に向かおうとして──。はた、と思い出した亜冴は、「ぁー……」と苦笑いで細い声を漏らした。確かに私は、伏黒の心配や配慮を拭いにして撒いた。呪力の温存の為、流れた血痕は去り際では消すのをやめたし。伏黒は心配を怒りに変えがちだ。

 

「……死にかけて、ごめんなさい?」

「…………」

「………………あれ?」

「行け、伏黒」

「ちょっ、えっ? なんっ、いひゃいいひゃいいひゃい!」

 

 またしてもギリギリと万力の餌食になった亜冴は、涙目で痛みを訴える。流石に三回目は痛みが辛い。亜冴はしばらくして解放された頬を摩った。本当に腫れて真っ赤になっているだろうし、もはや怪我の部類だろう。しかし反転術式で治すことはせず、亜冴は反省の色は見せなければとまた頭を回した。

 

──違うな。どちらにしろ、私は同じことをした。

 

 死んだら勝つ、と、死んでも勝つ、は全然違うことを理解している。それに亜冴は死ぬ気はさらさら無く、むしろ内通者として動いただけだ。やはり自分が謝る理由なんて無いのでは。

 

「……取り消す。謝らないよ」

「はぁ?!」

「ほっぺた引き千切られたいようだな……」

「伏黒、落ち着けって!」

「私は戦いに勝つ為に父様を殺した。死んでも勝たなきゃ、殺した意味が無くなる」

 

 痛いところだったのか、伏黒は動きを止めてピクリと反応すると、険しい顔で歯噛みしてしまう。本当に優しい人だ。散々思っていることだが、その優しさで壊れないよう気を付けてほしい。顔も知らなく、話したこともない兄も同じ優しさで死んだのだから。可哀想だなんて同情しなければ、私の代わりに生きていたかもしれない。そんなことはないと分かっていながら、亜冴は愚かで薄い可能性だな、と過去の理想を打ち切った。

 

「伏黒さん、勘違いしないでね。私は伏黒さんを庇っただけじゃなく、縛りを利用して殺す為に足集利慈に刺された」

 

 最初から亜冴は父を裏切ることを決心していた。慈が父ではなく、足集利慈でしかない上、妻子の殺害、そして自身の存在がきっかけであったと知り、父を足集利慈として制御不能と判断した亜冴は殺害に踏み切った。罪悪感などはなく、あの時渦巻いていた混乱も悲しみもない。誰かが殺さなければならなかったのを、私が首を掻っ攫っただけのこと。そこまで慈を追い込んだのは、他の誰でもなく私だ。虚しさとも、自責の念とも違う。どうしようもなかったことで、受け入れるしかない事実だ。どうしてそんなものを、優しい人たちに背負わせようか。これこそ、化け物が担ぐのに相応しい。償いでもなんでもなく、私だけが一生背負うべき事実だ。

 

「遅かれ早かれ、私たち親子はどちらかが死ぬまで殺し合ってた」

 

 亜冴は膝上で指同士を絡ませて組んだ手を眺める。両親の復讐はとっくに終わっている。復讐という言葉に当て嵌めるなら、足集利慈殺害は母と兄の復讐だろうか。いや、復讐に関係なく、大前提として殺し合いは存在している。

 理知的な言い方や感情論をどんなに捏ねくり回そうと、親子で水面下の騙し合いと殺し合いをしていたことに変わりはない。そうした面では、私たち親子は獣でしかないのだ。考えれば、彼の縄張りを荒らしたのも私であった。

 

──生まれ落ちただけで、なんと罪深い。

 

「足集利慈がいてもいなくても、内通者として動けたらああしたから、私はどっちにしろ死にかけてた。というか、足集利慈からヒントを得られなかったら死んでたし、情報も碌に渡せなかった。むしろあの人が離反してて良かったと思う。すんなり敵に潜り込めた訳だし。その成果として、五条先生封印も敵の野望も防げ、呪術界の人員という多大な損失も免れた。しかも、封印解除はもっと先だったかもしれないから、みんなとあんまり歳離れてなくて嬉しい! ほらね、めでたしめでたし!」

 

 パッと笑顔を見せる亜冴に対して、全員が真顔で返す。笑えなかっただろうか。自分としては励ましの言葉だったのだが、失敗したらしい。人を元気にさせるのはまだ不得意なのだ。どうしようかと悩む亜冴に対し、伏黒は言いにくそうに口を開いた。薄い唇から紡がれるのは、口の形通りの言葉だ。パーツはよく覚えているのに、まだ全体を見れないんだよな。小さな庭園で全体を見た時の衝撃と高揚感は、まだそっくりそのまま胸の奥に残っている。

 

「後悔……してねぇのか」

 

 空気が固まるのが分かる。亜冴は笑顔を消すと、真顔で伏黒を眺めた。足集利慈は自分が殺すべきだったと思っているらしい。実の子が実の親を殺すことの罪深さを、彼は信じているようだ。命が等しく平等なら、誰が誰を殺そうと罪は等しい筈だろうが、信条はそうはいかないのだろう。彼の場合、心情かもしれない。

 

「──してない。足集利慈であろうと無かろうと、女子供でも。私は必要があるなら殺めるし、後悔はしない」

「……」

「……あのさ。自分を殺した奴が死を悔やんできたら、心底ムカつくだけだよ。私なら生き返ってでも、ブン殴る」

 

 拳を構えて空を殴った亜冴は、ぼすん、と腕を掛け布団に沈める。口の悪さに少し驚いているようで、四人は口出ししてこない。何せ、あなたたち譲りですから。

 

「だからさ、怒んないでよ。やっとみなさんと同じ土俵に立てたのに。こっちはみなさんが毎回ちゃんと帰ってくるかずっとヒヤヒヤしてたんだよ? 私の戦い方と戦場は、基本的に敵地にあるの。だって私は将来勇猛な諜報員なんだから!」

 

 亜冴はドン、と胸を叩いて踏ん反り返る。きっともう、滅多にこういう胸の内を話すことはないだろう。今後、私の足場を揺るがすことになる。まだ幼くて未熟な内にしか、本音を露見させることは許されない。上のものってそういうことでしょう。葬式では悲しんでくれる人に囲まれたいけれど、いずれ死を悲しまれないような生き方をしなければならない。諜報というのも、そういうことでしょう。

 顔を上げた亜冴は三人の顔色を見て、眉間に皺を寄せた。

 

「……なんで、みなさんが悲しそうな顔してるの」

 

 苦い顔三人に、亜冴は肩を落として苦笑いを浮かべる。年上になった三人は苦しそうにして、己を責めて亜冴に同情するばかりだ。反論を探しているのか、受け入れようともがいているのか、亜冴はそこまでは追わずに伏黒の顔をきちんと見る前に視線を逃した。まだある人間らしい一面も、いつかは消さなくちゃいけないのだろうか。

 

「……これまで亜冴は守られる側だったから、付いていけてないんだよ」

 

 五条の言葉に亜冴はそちらを見た。目隠しをしたままでいる彼の声は優しく、本質はどこか父に似ている。父の本質に関しては、慈と呼ぶべきか。

 先程よりも優しく亜冴の頭を撫で始めた彼を眺め、亜冴は目を瞑ってはいけないと五条を見つめ続けた。馬鹿な私は、父の姿を探している。この人の中に見出して何になる。

 

「みんな、仲間は守り合うって意識がある。けど、亜冴は仲間でありながら守られる立場だった。それが急に飛び立って、一人で戦いに出ちゃった。しかも、並び立つんでも背後でもなく、敵地に立ってる。助けようと手を伸ばしても届かない場所だ」

 

 諜報を行なうことでの弊害に、亜冴は僅かに頭を下げた。正直、盲点だった内容だ。慈はいつも敵地で独りだったのか。もしかしたら、唯一並び立てる仲間になれたかもしれない。馬鹿、理想はやめろ。殺しておいて、都合が良すぎる。

 まだ撫でてくる五条に目を戻し、守られにくい場所で一人戦う覚悟を目に灯した。感情が読めなくても伝わるように、相手に合わせよう。

 

「そのまま瀕死の状態で封印されて、こっちは死んだものとして扱ってきた。でも、実は生きてて長いこと眠って、やっと目が覚めたと思ったら、また死にかけても戦いたーいってさ」

「それで……」

「うん。恵たちは怒るよね」

 

 漸く納得した亜冴は、なるほどと頷いた。そんな亜冴と目がバッチリ合い、伏黒は不貞腐れたように外方を向いてしまう。ご機嫌取り、私にできるかしら。目を逸らして悩む亜冴を他所に、五条はポケットからお菓子を取り出すと、亜冴の膝元にバラバラと撒いていく。相変わらず、人にお菓子を降らすのが好きな人だ。死んだ人を想うと、その人のところに花が落ちる話があるが、五条の場合はお菓子だろうか。足集利慈のところに花が届いたら、受け取ってくれるだろうか。嫌がりそうだなぁ。

 

「僕としては死にかけられるのは困るけど、判断は正しかったし、きちんと成果も残した。今後は諜報として荒削りを磨く必要があるね」

 

『でかした、亜冴』

 

 あの言葉にも今の言葉にも嘘偽りはないだろう。五条からの信用を勝ち取った自覚が湧いてきた亜冴は、これまでの従順な行いが生存本能に従っていただけではないことに気が付き、自身の拘りに腑に落ちた。

 

──父様に似た五条悟に、認めてもらいたかったんだ。

 

「……は、」

 

 柔く空気を漏らして一秒だけ笑ってしまう。なんだ、まだ私は人間らしい。

 

「……ごめんなさい。確実に勝つために、五条先生の代わりに封印されるしかなかった。足集利慈を殺したのは、寄り道で私の我儘。死ぬ気で勝ちに行っていたから、死ぬ前に殺さなきゃいけないって思ってた。諸刃の剣だけれど、彼の弱点が私だったから」

 

 嘘偽りない本心を今日は語りすぎている。でも、必要なことだと彼らは感じているならいくらでも話そう。人間だと思ってくれて、友人だと認めてくれている人には応えたい。これくらいにしか、私が彼らに教えられることなどない。

 

「…………伏黒さんが刺されそうになったのを見て、頭が真っ白になって、気が付いたら刺されてたのも……ちょっとはある」

 

 なんだか胸を中心に落ち着かなく、掻き毟りたくなるのを堪える。亜冴は四人の顔色がどんどん見られなくなって、白いシーツに顔を斜めに落とした。

 敵地で様々な予想はしていたし、パターン別で算段も立てていた。何度も脳内でシミュレーションをして計画を強固なものにしようと努力した。

 慈と伏黒の元に駆け付けようとした時、亜冴は満身創痍でもどうにかタイミングを伺うため、確実な時を待った。血も汗も止まらなく、息は荒く漏れ出て、指先は勝手に震えていた。慈からの攻撃を浅い傷で済むようにしなければ、五条悟の元に死んで辿り着くことになるだろう。だから万全を期すために、息が整ってからにしようと決めていたのに。やっと見えた慈が持つ鈍色の切っ先が伏黒に向かったのを見た瞬間、亜冴の視界は真っ白に染まり上がった。

 

──馬鹿だなぁ、私。

 

 自覚したのは自身の身体に深く鈍色が吸い込まれた時だった。計画が誤破産した時のツケはどうしようかと考え、すぐに浮かんだのは死んでも勝つ、というものだ。そうだ、殺すんだから、殺しただけの成果を上げないと。左腕を掠ったように見せ、深く刺さった傷口から動きにくくするだけの刃物を抜き取る。そこからまた多くの血が流れたが、亜冴が駆け出した時にはもう無傷で汚れ一つしていない見せかけを被っていた。咄嗟に動く馬鹿の考えなしでありながら、予見していた行動とパターンに、事前に考えていた最善に従っていた。つくづく、自分という性根の狡猾さが嫌になる。

 

「私情で死にかけた。その尻拭いも自分でやって、追い討ちを負った。……冷静に動けなくて、自分で立てた計画をぶち壊すところだった。もし、計画が失敗していたら、みなさんを失ってたかもしれない。……申し訳ありませんでした」

 

 高専側に着いた一番の理由ってなんだろう。沢山ありすぎて、まだ整理が付かない。

 それでも亜冴は深々と頭を下げ、目を伏した。成功にばかり注目して、反省点を見ようとしていなかったなんて。足集利慈の殺害に拘らず、五条悟の封印阻止を優先すべきだった。明らかな判断ミスである。同級生三人が死ぬかもしれないと考えた時、心底イヤだと感じたのは他でもない私だろう。だというのに、その三人を含めた大勢を危険に晒した。今更ながら罪悪感と責任感がのしかかってきた亜冴は、不甲斐なさに頭を上げられない。掛け布団を握り締めていれば、頭上から声がかかった。

 

「俺は怒ってねーよ」

「……虎杖さん」

「足集利は父ちゃんのことで悩んでたんだろ? 俺も爺ちゃんが極悪人だったら、絶対止めたい。仲間も危険から守りたい。どっちもできた足集利はすげーよ」

 

 暖かい声色で奏でられる言葉の数々に、亜冴はまた腑に落ちていく。そっか。父の悪行を止めたかったのか私は。優柔不断を肯定されるにしては、天秤が大きすぎるが、確かに大好きな父が手を汚すのも、仲間が傷付けられるのも我慢がならなかった。私にはいつからこんな温もりがあったんだろう。

 虎杖に続き、釘崎が溜め息を吐いて口を開く。今度こそ説教かと覚悟したが、彼女も意外な言葉を発した。

 

「ま、しょーがなかったんじゃない」

「……」

「なによ、その目は」

「おどろいて……」

「フン、まぁいいわ」

 

 腕を組んだ釘崎はジトリ、と亜冴を睨むが怒りというよりも、思考が勝っているようだ。どう伝えるか考えているらしい。若干緊張した亜冴は、釘崎の厳しい言葉を待った。

 

「アンタは人の感情に敏感な癖に、自分の感情に対しては鈍感なのよ。人の顔色伺って、アンタのは後回し。滅多にしたいこと言わないし、我儘も言わない。従順なペットって感じ」

 

 ほぼ罵倒の言葉に思うところがある亜冴は、曖昧に頷いて続きを待つ。確かに私は人に合わせるのを当たり前としてきていた。対等という言葉からは外れている。

 

「だから、我儘な方が丁度いいわよ」

 

 またも肯定の言葉だ。亜冴は自分を責める人はいないのかと、五条を見るが彼は聞くに徹していて、意図は理解しても助け船は出さない。許されていくのに、いや許されたいが、亜冴は自分が何を求めているのか分からず、面倒な心を汲み取ってはくれないかと、最後の砦である伏黒を見た。伏黒は亜冴と目が合い、珍しく反らされない瞳を見入る。亜冴の顔に戸惑いが滲むのを、伏黒は僅かに目を細めた。そんな伏黒から安堵と怒りの混じる感情を亜冴は拾い、どちらが飛び出るのか心臓が早まった。

 

「……俺は許さねえ」

「えぇえ?」

「ここは許す流れじゃん!」

「一生許さねえ」

「子供みたいなこと言ってんじゃないわよ!」

 

 やっと出た否定になんだか安心する。伏黒は踏ん反り返って遺憾だと周囲に伝えている。ちゃんと見なくても分かりやすい様子に、亜冴はヘラ、とつい笑ってしまった。選ばれて出てきた怒りが微笑ましく、嗜められる伏黒を眺める。また俯瞰してしまったのが気に入らなかったのか、笑っていたのが気に入らなかったのか、伏黒の中でメラっと怒りが立ち昇り、薄い唇が再び開かれた。

 

「一目惚れした相手を怒らせて、なに笑ってんだ」

 

 全く予期していなかった爆弾発言と悪意に、亜冴は驚きのあまり咽せた。咳を整えている間も、弱点と見た伏黒の追撃は止まらない。

 

「最後の報告の時、言い逃げしてったよな。俺と目を合わせられないのは、一目惚れしたからだって」

「マジ?!」

「そんなこと言ったの?!」

「俺に好かれてないって気付くのが嫌で嫌で仕方なかったんだよな」

「カヒュ……ケハッ、ゲッホ!」

「足集利、大丈夫?!」

 

 淡々と暴露する男と阿鼻叫喚の三名の病室に、入院患者の咳き込む声が響く。静かになった病室で差し出されたコップの水を飲んで落ち着いた亜冴は、そっとコップを隣の机に置いた。その音も響き、首を反対へと回す音も今なら聞こえそうだ。亜冴は四人から顔が見えないように反対へとゆっくり回すと、苦虫を噛み潰したような顔になってから乾いた唇を開いた。

 

「………………うそ」

「あ?」

「…………あれ、ウソ」

「……あぁ?」

「ッウソウソウソウソ! 全部ウソ!」

 

 掛け布団を引っ掴み、頭から勢いよく被った亜冴は、蹲った格好で叫び続ける。

 

「ほら! あそこでは嘘付けたから、気紛れに言っただけ! 一目惚れとか、そんな都合いいものになるわけないよ! 嘘! あーもう! みなさんったら、簡単に騙されちゃうんだから!」

 

 こんもりと出来上がった叫ぶ雪山に、誰も声を掛けない。理論は通っているのに、動揺から声色が付いてきていない。亜冴は今度こそ胸を掻き毟る代わりに小さく呻いた。予測していなかったし、これからどう対応すればいいんだ。あの発言だって、遺言になるかもとかそういう意味合いで言ってみたのだ。伏黒に限って、弱みとして利用してくるとは考えてもみなかった。

 

「……いま一番の弱点。そのうち消すから……それまでは触れないで」

 

 暗闇から白状した亜冴は、ギュ、と一人身体を縮こまらせる。こんなことなら、甘い感情など黙って殺しておくんだった。そうしたら、やっと慣れたと言って伏黒と目を合わせればいい。早くこんな想いなど殺してしまおう。

 この強い情は邪魔になると判断した亜冴は、被った布団上部から落とされた響きに息を潜めた。今度はどんな攻撃を仕掛けてくるつもりなの。

 

「それは困る」

 

 言葉の意味を追うよりも、布団を剥がしにかかるのを抵抗して腕の力を強める。身体に縫い付けるように掛け布団を握り締め、亜冴は背中を更に丸めた。折角の弱点を逃すまいとしているのか、この男は。ここは優しさを捨てないで欲しかった。

 

「おい、足集利。出てこい」

「イヤだ」

「拗ねんな」

「ちがう」

「じゃあなんだよ」

 

 ここで屈したら相手の思う壺だ。力勝負では簡単に勝てるだろうに、加減している伏黒が今は腹立たしい。立場も力量差も上をいく伏黒に、亜冴は言葉でしか勝れない。その言葉も今や何も浮かばないでいる。好意を伝えたら、対等ではいられないのか。友人が対等なら、もはや。

 

「……絶交」

「ハァ?」

「絶交。伏黒さんとは絶交します」

「……別に構わねえけど」

 

 一瞬で返り討ちにされた亜冴は、悲しくなって枕に顔を全部埋めた。別に伏黒は私と友人でなくても良いのか。言い出した手前、引っ込めるのも情けない。鼻を一度啜って、二度はしないよう心持ちを固める。泣かれたなんて思われたらお終いだ。亜冴は布団をポンポンと軽く叩く手に、肩を怒らせていった。

 

「……ここで言ったのは、俺が悪かった」

 

 しばらくして掛けられた声に、亜冴は肩の力を抜いてモゾモゾ、と声が聞き取りやすいように少しばかり光を暗闇に入れた。隙間から溢れて聞こえてくる声は、昔と変わらない。

 

「…………お前にも、恥ずかしいとか、あんだな」

 

 途切れ途切れのセリフは、言葉を探しているようだ。答えないでいれば、頭を掻き毟る音が聞こえてくる。亜冴は布団の中で集まってきた温もりに抱かれながら、小さく答えた。やっぱり、顔を見ない方が素直になれる。

 

「…………あるよ。表に出さないだけで、喜怒哀楽以上のものが沢山ある」

「……なんで出さねえんだよ」

「……伏黒さんといると、喜びと楽しいがいつも勝っていたから。奥に隠れて、出てこなかったの」

 

 目元が熱くなって潤んでいく。亜冴は枕に顔を押し付けて、顔を見られないことをいいことに告白を続けた。恥ずかしいのか、怖いのか、分からないや。震える呼気が言葉を紡いでいく。

 

「でも、伏黒さんに好かれてなかったら、いつも悲しくなってしまうから、怖くて見れなかった」

 

 稚拙でなんて人間臭い。亜冴は自己嫌悪しながら、それでも動いた口を恨んだ。このまま白煙になって、布団に抱かれて消え去りたい。性欲は伴わないこの好意は幼稚なものなんだろう。それでもやっぱり彼の優しさは怖い。優しすぎて、わたしには受け止めきれない。その優しさを当たり前としてしまうと、失くしてしまった時に私は泣いてしまう。好きという感情は相手への期待となり、恐怖は簡単に拒絶を呼び込む。

 

「ちゃんと、ちゃんと弱点を消すから……。それまで愛想尽かさないで……?」

 

 すでに泣きそうな顔で懇願した亜冴は、返事のないことに伏黒の葛藤を察した。顔を見て確認したい。けれど、顔を出したらぐちゃぐちゃの感情を見られてしまうだろう。今なら分かる、今の私は節穴の目でも感情の荒波に揉まれている。どうか、こんな未熟なわたしを嫌わないでほしい。敵を騙くらかした私は、どこかへ行ってしまったようだ。

 

「……足集利」

「…………なんですか……」

「愛想尽かす前に、顔が見たい」

 

 ビクリ、と震えた亜冴は、布団を撫でる手に従ってもう少し隙間を開けた。溢れてくる光が鈍くなり、影がチラチラと蠢いて手が差し入れられてくる。亜冴は迫り来る節貼った長い指を布団で覆わせると、布団カバー越しに手を縫い付けた。触られる気分でなくて防いだのだが、薄く白いシーツ越しに手を掴まれて、籠もった熱が伝わってくる。

 

「わ、わ……っ」

 

 小声で驚いた声を洩らして後ずさるように手を引くが、存外握る手が強くて離れてくれない。状況的に伏黒の手だ。記憶の中の伏黒よりも一回り大きな手は、人に握られるのを慣れていない。初めての握手に亜冴はどうしようかと困り果てた。溜まっていく熱で汗を掻きやしないか。それでまた嫌われないか。どうして汚い私なんかと手を握ったの。

 

「足集利」

 

 呼び声と共にキュッと握られた手にすっぽりと埋まった自身の手は、比べるのが烏滸がましいほど小さく柔らかくて、反対を行くそれに思考が乗っ取られる。別の生き物みたいだ。今更、男女の違いが身体に沁みてきた亜冴は、噴き出しそうになる汗を堪え、手を取り戻すべく自らの方へと小指から逃して引き寄せた。

 それを武骨な手は追ってきて、指の間に同じ名称の指を挿し入れてくる。部位が同じなだけであって、やはり骨からもう別の生き物だ。

 

──こんなの、しらない。

 

 目を白黒させている内に、シーツを手のひらに縫い付けられた亜冴は、グ、と感触と存在を確かめるように握られた。そうして得体の知れない手がそのまま押しやり、布団を内側から引き剥がしに掛かってきた。動揺が突然の事態に追い付けない。増した加減に太刀打ちできずに、亜冴は呆気なく布団を剥がされるだけでなく、共にグルリとひっくり返された。眩しい光を強調する白に、くっきりと浮かぶ黒い癖毛と長い睫毛に縁取られた、光が浮かぶ黒目。感情の手前で反射している自身の顔は、やはり見れたものではなく、節穴であろうが感情が筒抜けだ。

 

──知りたくない。

 

 相手の感情を拾う前にギュッと目を瞑った亜冴は、全身を硬らせて身構えた。どうせ否定されるなら、直で見たくなどない。言葉で伝えてちょうだいな。口にする余裕などなく、亜冴は口を硬く閉ざして拒絶だけを示した。

 あゝ、嵐でもなんでもやって来て、この場の全員の記憶ごと吹き飛ばしてくれやしないか。

 

「足集利」

「いじめないでください」

「虐めてない」

「加害者はそう言うんです。私の顔見たんですから、もういいでしょう」

「俺の顔、見といた方がいいぞ」

 

 眉間の皺を寄せて外方を向いたとて、瞼だけは力ませて開かせない。亜冴は近い気配とベッドの軋む音がヤケに耳に入って、脈が手首や首元で測るもので良かったと安堵した。手のひらからなら、きっととっくに気付かれてただろう。何度も名前を呼ぶ伏黒は往生際が悪く、自由の効く手を亜冴の顔横に置いて圧を掛けてくる。ギ、と傾く寝台は一人用なのに、伏黒は構わず体重を亜冴の頭付近へと凭れさせた。瞼に影が乗せられているのが分かるが、とても目を開けられる情景ではないのは確かだ。

 

「……お前が望んでるもの、今なら見えるぞ」

 

 すぐさま目を開けることは躊躇ったが、発言の意図を理解した瞬間、亜冴は驚きのあまり目を見開いた。そこにあった双眼の奥の心情に思わず絡め合っていた指に応え、近付いてきた顔に抵抗もできず、そちらにも応えることとなっていた。

 

 





次回、エピローグ。ラストです。
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