オスカー・ドロホフと宿命の杖   作:ピューリタン

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一年目 オスカー・ドロホフと宿命の杖
第一章 白い石


 スコットランド、ハイランド地方。

 山と丘、川と湖ばかりで風光明媚ではあるがヨーロッパで人が最も少ないと言われる場所。

 そのハイランドの森の中に小さい村があった。村はアクリノという名前でスコットランドやイングランドどころか、あまり英語の響きでは無い名前を持っていた。

 

 村には昔から魔法使いが住んでいると言われていたし、村の年寄りたちは未だに魔法使いが村に住んでいて、自分達の領主をしていると信じている。

 だからこの村の人々の迷信深さは近くの町や村の人はみんな知っている。年寄りたちは子供に昔話をするときや、お酒の場所ではどこでもそう言うからだ。彼も彼女もこの村は昔から魔法使いの魔法で守ってもらった話をする。

 やれ土地清掃の時は村どころか山ごと隠してもらったから出て行かずにすんだ。戦争の時も村には誰も入れなかったから攻められることも徴兵されることも無かった。そんな話をするのだ。けれど、いつの頃からか魔法使いは姿を見せなくなってしまったと言う。

 

 村の若い者はそんなこと信じていない。だけれど、未だに村民の家以外の大きな資産、牧場だとか森だとか、公民館や学校まで、こういう物が姿を見たことが無い大地主のものだという事は確かなのだ。

 そして、村の北にある年寄りが入ってはいけないと言う森、この森の奥に魔法使いの領主の屋敷があると言うのだが、若者が度胸試しに入っても屋敷の痕跡すら見つけることが出来ない。いつの間にか村に戻ってしまったり、もっと北にある山の麓についていたりするのだ。

 度胸試しの若者から屋敷など無いと言われても、年寄りたちはこう言って笑う。屋敷も魔法で隠したのだと。昔は村ごと隠したのだから屋敷を隠すなど簡単だと言うのだ。みんなこの経験をして村の若者は大人になっていく。

 

 しかし、もちろん屋敷はあった。年寄りの言う、魔法使いの領主様は村が出来た時からこの屋敷に住んでいるのだ。一族で。だから年寄りのいう事は本当だった。村人の前に魔法使いが姿を見せなくなったのは単純な話なのだ。魔法使いはある時、自分達の法律で魔法使い以外の前に姿を現したり、魔法を使う事を禁じたのだ。だから村の人間は魔法使いに会えなくなった。

 そしてこの家の住所は簡単だ。スコットランド・ハイランド・アクリノ村・ドロホフ邸。これだけで手紙は届くのだから。

 

「オスカーお坊ちゃま。朝でございます」

「ペンス。もうちょっと寝たいよ」

「本日は晴れでございます。お坊ちゃまは晴れの日には……」

「分かったよ起きるよ」

 

 子供の部屋であるのにロンドン近郊にあるだろう普通の家の一階分くらいの広さがあった。床は黒い大理石、壁には豪奢なタペストリー、机はチーク材で出来ている。寝ている彼には分からないだろうが魔法使いでもそうでなくともこの家で生活しているという事は俗に言うお金持ちだと分かったはずだ。

 簡単な話、妖精に起こされたオスカー・ドロホフはお金持ちだった。そもそもこの妖精、彼を起こしている屋敷しもべ妖精が家にいると言うことはお金持ちであるという事を示している。それは魔法使いたちの社会では常識だった。

 

「七時…… 父さんと母さんは?」

「ご主人様は戻られておりません。奥様はまだ御就寝中かと」

「朝ごはん食べるよ。今日のは何?」

 

 眠そうにオスカーは替えの服を受け取った。妖精はちょうどコウモリの耳を三分の一くらいにした耳と、人間の目を二倍くらいにした目、それにちょっと人間では高いくらいの鼻、あとは人間にしては細くて長い指、そんな感じの見た目をしている。

 オスカーと妖精の身長はあまり変わらなかった。妖精のペンスはオスカーに靴下を履かせようとしたがオスカーは嫌がった。

 

「ペンス。靴下は自分で履くよ」

「申し訳ございません。オスカーお坊ちゃま。このペンス……」

「自分を罰することを禁じる。ペンス。それで朝ごはんは何だっけ?」

 

 突然自分で頭を近くにあった机にぶつけようとしたペンスをオスカーは口で止めた。完全に慣れている様子だった。そう、この妖精は主人の言葉に逆らったりすると勝手に自分を痛めつけるのだ。オスカーはそれが好きでは無かった。ペンスはオスカーが喋ることのできるたった三人のうちの一人なのだ。

 

「は。ソバのカーシャとラムチョップでございます」

「イチゴのジャムはあったっけ?」

「はい。ございます。ご用意しておりますとも」

 

 やっと着替え終わってオスカーは朝ごはんを食べに向かった。どうせ今日も父親はいないだろう。オスカーは生まれてからずっと家にいると言うのに一年で父親に会う日など一週間もあればいい方だった。

 広間に着くともうテーブルの上にはさっき聞いたとおりの朝食が並んでいる。それにサモワールという大きくてゴテゴテしているポットが湯気を出している。オスカーが一人で寝るようになってから変わらないいつもの光景だ。

 

 母親はあんまり起きるのが早くないのでオスカーはいつも先にご飯を食べるのだ。広間は無駄に広くてオスカーがフォークを皿にぶつけるだけでも響くくらいだった。壁は石造りで大きなタペストリーが張ってあるし、床には緑と銀の刺繍のカーペットが引いてあり、天井にはキラキラしたシャンデリアがぶら下がっていた。でもどれもオスカーには生まれた時からあるものだったし、彼にはそれが他の家と比べてどうなのかも分からなかった。

 

「眠いわねぇ…… あらオスカー。今日は起きれたのね」

「母さんと違ってもう着替えてるよ」

「おー。お上手。今日はペンスに靴下は替えてもらった?」

「替えて貰ってないよ。朝ごはん食べたら庭に行くよ」

 

 オスカーの母親はクルクルの髪の毛をしていて、髪の色だけはオスカーと一緒で赤っぽい茶髪だった。肌の色もちょっとオスカーとは違っていたし、オスカーが魔法使いの歴史の本で読んだ、アラブとかペルシャとか地中海の東や南側の人と似ている姿だった。

 それに比べるとオスカーの肌は白かったし、髪の色は似ていても真っすぐ生えていたし、何より目はオスカーでも分かるくらい父親に似ていた。とび色で明るくて、母親いわく、目つきが生まれた時から悪かったらしい。

 

「また秘密基地を作ってるの?」

「秘密だよ」

「あら? ペンスにも秘密なの?」

「秘密だよ。秘密基地だから」

 

 そう。家から出してもらえないオスカーのマイブームは秘密基地作りだ。家の中は階段裏にある秘密の部屋から地下牢、父親の書斎の隠し扉まで何でも知っているからいても面白く無いのだ。

 だから最近のオスカーは自分で自分の知らないモノを作ったり、そこで家では出来ないことをすることに時間を費やしていた。

 

「敷地から出ないように。午後は魔法史でも読みましょうか?」

「呪文学の五年生のやつか、六年生の変身術がいい。透明になるやつを杖を持ったら使えるようになりたいよ」

「まだ無理に決まってるでしょう。四年生の呪文学の本を確かめてからね」

「じゃあそれでいい。ペンス、昼ご飯はラム以外がいいな」

「かしこまりました」

 

 オスカーはそのまま家から出ようとしたがバチッという音がして、文字通り何もない場所から現れたペンスに止められた。オスカーの手にはコップと歯ブラシがいつの間にかあったし、コートも気づくと着させられていて、さらにそのポケットには園芸用の手袋が入っている。

 

「分かったよ。歯磨きしてからいくよ」

「オスカーお坊ちゃま。完璧でございます。何か足りないものが……」

「秘密基地だからダメだよ。足りないものは僕が集めるんだ」

 

 今度こそ部屋からオスカーは飛び出して洗面所で歯磨きして顔を洗った。せずに出ていく事は不可能なのだ。ペンスは家のどこにいてもオスカーがしていることを分かっているのだ。逃げようとしてもどこからともなくさっきの姿現しという魔法で現れる。オスカーは誰よりそれを知っていた。

 

 表玄関から外に出ると石造りの道が広がっているのだが、途中までしかなく突然森になってしまう。昔はこの道が近くの村まで続いていたのだと言う。でも魔法使いが隠れると決められた時に道を壊して森に変えてしまったのだ。

 オスカーは不思議だった。どうして魔法使いたちは隠れているのだろう? もちろん、法律で止められているという事は知っていた。母親の話と歴史の本の中で。でもどうしてそうなのかは知らなかった。

ㅤそしてオスカーは魔法使いじゃなくてもいいから喋って見たかった。だって生まれてこのかた、オスカーは家族以外と喋ったことが無かったのだ。

 家族というのは、父親、母親、ペンス、それにふくろうのローガンのことだ。

 

「ローガン」

 

 そう呼ぶと音もなく黒いふくろうが現れて近くの木にとまった。ひなから育てたローガンはオスカーによくなついてくれていた。そしてオスカーはこのローガンが羨ましかった。ローガンは家の外に行けるのだ。この森を越えて。

 ローガンを撫でてやると満足げにホーと鳴いた。そしてそのまま暗い森の中に消えて行った。もう眠いのだろう。ふくろうとは夜に目覚める生き物なのだ。

 

 この目の前にある暗い森の向こうには何があるのだろうか? 家には昔の屋敷や村の写真や絵がいくつかあるのだが、学校や図書館、牧場に教会なんかがあると描いてあった。でもそれは昔の話だ。オスカーは一度だってその村を見たことが無かった。

 マグル…… つまり、魔法を使えない人だが、村に住んでいるマグルはどんな顔をしているのだろうか? 何を喋るのだろう? 母親や自分と同じように喋るのだろうか? オスカーはいつも秘密基地まで行く途中、それを考える。そして考えると村まで行ってみたくて仕方なくなるのだ。でも母親やペンスを心配させるわけにいかなかった。

 

「ベンチは出来たし、屋根も出来たし、あと何だろう…… カエルとか兎を捕まえる檻とか…… スケッチするための机とか……」

 

 秘密基地は大きな木の裏にあって、倒木を削って作ったベンチがまずあり、屋根は大きな木の枝の間に骨組みになる木を蔓で結んで、その上に大きな葉っぱと小さい枝と藁を沢山のせて作っている。オスカーは最終的には扉を付け、家から黙って杖を持ちだして透明になる呪文をかけてやろうと思っていた。そうすればいくらペンスや母親でもこの中でオスカーが何をしているか分からなくなるのではないだろうか?

 

「先に柱がいる? うーん。先に壁の材料? 小さい枝と藁みたいなのかな。柱になる大きい枝は運ぶのしんどいから近くのを折るしかないし。でもレンガとかつくれないかな……」

 

 十分くらい一人でぶつぶつ考えたあげく、オスカーは壁を作ろうと決め、小さくて真っすぐな枝と草を干したような藁を探すことにした。そしてどうせならオスカーは魔法を使う練習がしたかったのだ。

 魔法の練習と言っても魔法が使える人、魔法族は杖が無いと大したことが出来ない。それはオスカーも知っていた。でも、オスカーはちょっと集中すれば動物や物を浮かすことや呼び寄せることくらい杖が無くても出来たし、これを練習すればできる事が増えると知っていたのだ。

 

 だから秘密基地の屋根を作る時と同じように練習した。木の上の方にある折ってもよさそうな枝を折って自分の方へ集めるのだ。これはなかなか難しく、自分から遠くなるほど、つまり高い木の枝ほど難しいし、そもそも折る時の力のかけ方は単純に引っ張るよりずっと難しいのだ。むしろ大きな枝の方が簡単だ。だから高い位置の小さくて細い枝の一部分に魔法をかけるのはオスカーからすればいい練習だった。

 

 一度何かをし始めるとオスカーは無心になってしまう所があった。本を読み始めると母親やペンスが来ても反応が鈍くなってしまうし、ローガンや庭にある植物、虫、動物なんかのスケッチを取る時もそうだった。

 だから今日もどうせ練習だからと思って頭の上ばかり見て、首が痛くなりそうなくらい集中して魔法を使い、枝を集めていた。

 そして気づくと暗い森では無く、目の前がちょっと明るくなっていた。森の外れ、つまり庭の外れまで来てしまっていたのだ。森はそこでいったん途切れ、森と森の間を走る道があった。

 

「あ……」

 

 外から見れば間抜けに見えたに違いない。オスカーはぽかんと口を開けて集めていた枝を取り落とした。

 女の子だった。シルバーブロンドで母親より長い髪をした女の子が、一人で平らな白い石に座って何かしている。

 よく見ると顔をしかめて傍にあるツツジの花を触れずに開いたり閉じたりさせている。

 オスカーは見たものが信じられなかった。マグルの女の子だろうか? でも何をやっているのか? あれはオスカーと同じように触れずに何かを動かそうとしているのではないか?

 女の子が両手をかざしているツツジの花はゆっくりと開いたり閉じたりを繰り返している。どう見たってその手は花に触れていない。

 

「あっ…… ダメかぁ……」

 

 声がした。母親どころかペンスより声が高い。オスカーよりずっとだ。力加減を間違えたのかツツジの花は突然千切れて落ちてしまった。花びらが道にバラバラになって広がった。

 女の子は溜め息をつくと立ち上がって革のカバンを持って行ってしまった。身長はオスカーよりちょっと低いだろうか? なんだか何度も洗濯したようなくたびれた白いブラウスと黒のスカートを着ていた。眼は青かった。

 

 女の子がいなくなるとオスカーは母親やペンスから何度も出るなと言われていることも忘れてその石のところまで行った。

 手をかざしてバラバラになったツツジの花を浮かせる。自分の方へ寄せながら、元あった形になるようにバラバラになった花びらとがくをくっつけて一つの花にした。

 浮いているその花を、白いその花をオスカーはしばらく見ていた。それで、ゆっくり、さっきまで持っていた枝と違って壊さないように、白いツツジの花を手に取った。

 

 

 それからオスカーはずっとその事で頭が一杯だった。どう見てもあの子は魔法を使っていた。オスカーは毎日、毎日、あの石のところまで行ってみた。すると何日かに一回、あの女の子はあそこに来て、色んな事をしていた。それこそ、オスカーが今より魔法を操れなかった時にしていたようなことだ。

 

 小道の石や枝を浮かせたり、小さいアリを操って見たり、彼女はかなり集中した顔でそれを一時間から二時間くらいしてはまた戻って行く。その間、オスカーはずっとそれを見ていた。

 だと言うのに、女の子はオスカーには気づかなかった。何故ならオスカーの家は魔法で守られている。内側から見えても、外からは見えないのだ。家の存在を知らない限りは。

 

「最近本当に戻ってこないわね。そんなに秘密基地が楽しいの?」

「秘密だよ。秘密基地だから」

「隠し事があるの? 大人になったのねえ」

 

 この顔だ。オスカーは大人がこういう顔をすると知っていた。つまり、お前のやっていることはお見通し。そういう顔だ。でもだからと言って何なのだろう? だってあの子は魔法族なのだ。魔法を使っていたのだから。

 

「母さん。書庫の本にマグルとスクイブの話があったんだけど」

「何ていう本?」

「魔法族の血量と魔法力の関係って本」

「アクシオ 魔法族の血量と魔法力の関係」

 

 アクシオ、呼び寄せ呪文を母親が使うと書庫からその本が飛んでくる。部屋六つ分くらいの距離がここからはあるのでかなりの距離を飛んできたはずだ。オスカーは杖なしでも何かを呼び寄せるくらいできるが、こんな距離はもちろん無理だ。

 

「ペンス こういうのはあの人の書斎にしまっておいて」

「かしこまりました。奥様」

 

 母親に嘘はほとんど通用しない。もちろん、オスカーはそんなことくらい知っている。だから話をするにしても、ちゃんと嘘じゃない話をしないといけないのだ。バレたくないことがあるのなら、嘘を話さなければいい。

 

「読んじゃ駄目だった?」

「そうでもないけど。もうちょっと大きくなってからね。オスカーは頭では書いてることはわかるけれど。心では分からないということ。それで? 何が分からないの?」

「マグルの中から魔法族が生まれるの?」

 

 これならあの本を読んで当然の質問のはずだった。あの女の子の事だとは分からないだろう。母親が褒めるくらいにはオスカーはそういう考えのつながりをつくるのが上手かった。

 

「生まれるわ。けれど、だいたいの魔法族はこう考えているの。つまり、突然、マグルから魔法族が生まれるんじゃ無くてね、その本にも書いてるみたいに先祖に魔法族がいて、突然、先祖返り、つまり、お爺さんやお婆さんの魔法の力がお父さんやお母さんの時は隠れていたり、凄く少なかったりしたけれど、その子供に出てきた。みたいに考えているの」

「じゃあマグル生まれの魔法族は魔法族のお爺さんやお婆さんがいる?」

「お爺さんやお婆さんのお爺さんやお婆さんかもしれないけどね」

 

 法律で会ってはいけないのは魔法族とマグルなのだから。魔法族と魔法族なら会ってもいいはずだ。オスカーの頭の中では完璧な理論が組みあがった。そうじゃないとおかしいという事だ。

 

「そうなんだ。でもマグルが親の、魔法族ならマグルと一緒でもいいって事?」

「そこは魔法省がなんとかしているということね。それに杖が無ければちゃんとした魔法は使えないのは知っているでしょう?」

「分かったよ。そういうことなんだ」

 

 ならオスカーがマグルと会ってもいいではないのか? そう思ったが口には出さなかった。そういう事を言ったとしても、母親の良く言う、ルールだとか常識だとかそう言うのでまるめ込まれてしまうだろうからだ。

 

「また庭に行くよ。午後の本はいいや。変身術の本は天文学の話が分からないと良く分からないし」

「はいはい。今日も秘密基地?」

「うん。ペンス。暑いからコートじゃなくて別のにしてよ。あと歯ブラシ」

「かしこまりました。オスカーお坊ちゃま」

 

 秘密基地の事を認めたオスカーにちょっと母親は驚いていたがオスカーはそんなことは知ったことでは無かった。出来るだけ普通に装ってとにかく早くあの石のところまでいきたかった。

 オスカーは歯磨きした後ダッシュで玄関まで行き、そこであの花の事を思い出してこれまた走って自分の部屋の窓に瓶で活けてあるツツジの花を取りに戻った。

 

 玄関を出て石畳を駆ける。オスカーはいつあの女の子が来るのか大体分かっていた。火曜日と木曜日の午後だ。ご飯を食べた後に行くとだいたいいる。今日もそのはずだ。

 何を喋ればいいだろうか? 母親はマグルに見つかると不味いから家から出るなと言っていたのだ。魔法族と魔法族が話すのがダメなんて話は無いだろう。

 

 石が見えるところまで来て、オスカーは目の前の小さな道にすらこれまで足を踏み入れなかった事に気づいた。こんなこと簡単なのに。簡単なのに親に言われたから出来なかったのだ。だってこの花を拾うために外に出たときだって何も起きなかった。こんな簡単なことなのに。

 じっとあの女の子が来るまでオスカーは待った。汗ばむほどの暑さではないのにオスカーが瓶を持つ手は汗で少し滑りそうなのだ。

 

 やっと向こうの方から女の子が歩いてくる。けれどいつもとはちょっと違う雰囲気だった。眼がちょっと赤いし、唇を噛んでいるみたいな顔をしている。でもオスカーにはそんなこと考える余裕はなかった。

 

 彼女が平たい石に座り、オスカーが出て行こうとした瞬間、ガンっ!! という音を立てて、女の子は思いっきりカバンを石に叩きつけた。

 

「え…… あ、あ…… ど、どうしよう。お、お父さんに買ってもらったやつなのに……」

 

 自分でやったことなのに女の子は焦っていた。カバンの留め具の部分が石に当たってしまって歪んだのだ。

 ガチャガチャと必死に留め具の部分をいじったり、ちょっと近くの小さな石で叩いたりしていたが全く上手く行きそうにない。それが分かるとますます女の子は泣きそうな顔になる。

 

「なんで魔法を使わないんだ?」

「誰?」

 

 思わずオスカーは木立ちから出て彼女のカバンを掴んでいた。自分なら簡単に直せるのだ。そもそもどうして魔法で直そうとしないのか? でもオスカーにはそれすら考える余裕も無かった。

 

「ちょっと。これは私のカバンだよ。それにいったいどこから出てきたんだい?」

「いいから。直らないと不味いんじゃないのか?」

「それはそうなんだけれど……」

 

 しばらくオスカーと女の子はカバンを引っ張り合っていたが、不意にその力が緩んだのでオスカーはそのままひったくった。そして、白くて平べったい石の上にカバンを置き、息をちょっと吐いてから手をカバンの留め具にかざし、意識を集中した。

 歪んだ部分の元の形をはっきりと思い浮かべる。するとゆっくりと留め具の歪んだ場所が元の形に戻っていく。直った留め具はぴったりはまるようになり、カバンは閉じる事ができるようになった。

 

「ほら。これで……」

「これ…… これ…… これ…… いったいどうやったんだい!?」

 

 女の子は口を開け、眉をあげ、まさに驚いていた。何度も何度もカバンを閉じたり開けたり、指で留め具を触ったりした後にカバンを持ってオスカーの方に迫った。

 

「何って、えっと…… お前? 君? もやってたじゃないか。ここでずっと」

「ここでずっと……?? もしかして、私がここで、あの超能力を使うところを見ていたって事なのかい?」

「ちょうのうりょく? なんだそれ、あれは魔法だよ」

「魔法? 魔法って? サンドリヨンの馬車とかピーター・パンが飛ぶみたいな? それともガンダルフとかゲドが使うみたいなのかい?」

 

 さんどりよん? パン? それにガンダルフにゲド? オスカーにはさっぱり何を言っているのか分からなかった。人の名前だろうか? それともマグルが魔法を呼ぶ時の名前だろうか?

 

「何言ってるのか分からないけど。その、君? が使ってたじゃ無いか。アリとかダンゴムシとかそう言うのを操っていたし、木の葉を浮かしたりとか……」

「あれが、あれが魔法?」

 

 信じられないという顔で女の子は自分の両手を見た。そしてその後に、小さいオスカーに近づいて、両手で肩を持った。

 

「じゃ、じゃあ…… じゃああれはほんとにある力で、嘘じゃない? 私が嫌な髪型にされた時に勝手に髪が伸びてくるのも、迷子になって泣きそうなときにいつの間にか自分の部屋に戻っていたのも魔法? 私がおかしいわけじゃないのかい?」

「おかしいわけないだろ、まあマグルがどんな風に魔法を考えてるのなんか僕は知らないけど……」

 

 女の子はまるで目の前のオスカーなど見えていないように見えた。魔法の存在もオスカーの存在も信じられないという顔だった。

 

「えっと…… じゃあ…… 何か見せてよ。さっきの直したのでもいいけれど…… 何か魔法をもっと見せてくれないかい?」

「これ…… 僕が最初に…… 君を見た時に…… 魔法を失敗して、落として行ったんだ」

 

 オスカーはおずおずとローブのポケットから、ツツジの花の入った小瓶を取り出した。女の子は信じられないモノを見る目でそれを見ていた。

 

「それ、私が失敗して、バラバラにしちゃったやつだ……」

「魔法を見たいんだろ? 僕はまだ、父さんや母さんみたいに杖が無いから、爆発呪文とか、姿くらましとかは使えないけど…… これくらいならできる」

 

 手に持っていた小瓶を小さいオスカーは思いっきり、地面に叩きつけた。小瓶は地面に当たって、バラバラになり、白いツツジもまたバラバラになった。

 

「こういうのは…… 結構、頑張らないとできないんだ。杖があれば簡単なんだろうけど……」

 

 難しい顔でオスカーが手を小瓶を叩きつけた場所に向けると、まずバラバラのガラスの欠片になった小瓶が小道の色んな場所から浮かび上がって元の形を取り直した。

 バラバラになった白いツツジの花も、最初に円を描くように花びらだけが空中で回っていた。その後、がくの部分が下からやってきて、そこに回っていた花びらが順番にくっついていった。

 女の子は目を丸くして、その花が形を取り戻していくのを見ていた。最後に元の形になった花が女の子の手の上に落ちた。

 

「凄い!! 凄い!! ほんとだった。手品じゃない!! 私はおかしくなかった!! 先生やお父さんやクラスのみんなの方がおかしかったんだ!! ねえ、ねえ、君はなんて名前なんだい?」

「お、オスカー…… オスカー・ドロホフだけど……」

「じゃあ、オスカーでいいんだよね? 私はシラ・グヴィン!! ねえ、いったいどこからでてきたんだい? それになんで私を見てたのに何も言ってくれなかったんだい? それに、それに、それに…… とにかく、一杯聞きたいことがあるんだ!!」

 

 それから女の子が落ち着くまで結構時間がかかった。オスカーも落ち着いてはいなかったかもしれない。だってオスカーは初めて家族以外の人と喋ったし、シラは初めて自分以外の魔法族と喋ったのだ。

 お互いにいくら話しても話が尽きなかった。それは当然だった。オスカーとシラの家は歩いても十分くらいしかかからないのに二人は別の世界で生まれて、別の世界に生きていたのだ。今日のこの日まで。

 

「ホグワーツ…… それが魔法族の人が通う学校の名前なのかい?」

「そうだよ。他にもフランスにはボーバトンが北ヨーロッパにはダームストラング…… あとはアメリカのイルヴァモーニー、日本のマホウトコロとかがあるって本には書いてあったけど」

「オスカーもその学校に通うのかい?」

「多分そうだけど。父さんも母さんもそうだし、君もそうだよ」

 

 そう言うと女の子は悲しそうな顔をした。オスカーにはどうしてそんな顔をするのか分からなかった。何か不味い事を言ったのだろうか? ホグワーツ、魔法族の学校、あそこには魔法族しかいないのだ。家以外の場所で過ごせるし、家族以外の人と話す事が出来る。何より父親や母親のように魔法を学ぶ事が出来るのだ。なのになぜこんな顔をするのだろう?

 

「私は通えないよ。だってどこにあるのかも知らないし、それに…… その。オスカーは着ている服もそうだし、お金持ちみたいだから行けるだろうと思うけれど。私の家には公立の学校以外に行けるお金は無いにきまっているよ。お父さんに言ったら出して貰えるのかもしれないけれど、お母さんは嫌がるだろうし……」

「関係無いと思うけど。母さんはホグワーツは魔法省がお金を出してるから魔法族は誰でも入れるんだって言ってたよ。あと、たしか…… よく本の最後に書いてある、書いてる人の話で奨学金? って言うのでホグワーツでいるモノは買ったって書いてあったよ。僕には良く分からないけれど。それで行けるんじゃないか?」

 

 ちょっと女の子の顔は明るくなった。オスカーはもうちょっと明るくなって欲しかったし、せっかく喋れるようになった人がホグワーツに行けないなんてそんな事あり得ないと思うのだ。

 

「でも、私もお母さんもその魔法省って言うのは知らないし、ホグワーツも知らないから、入学の手続きとかが出来ないよ。私、見たことがあるけれど、学校に入るのって一杯書類を書かないといけないんだ。その書類が無いのって私がフランスから引っ越してきたからかな? だからさっき君が言っていた、ボーバトン? から前の私の家に手紙が来ているのかもしれない」

「フランスから? でも住んでる場所の学校に行くはずだよ。魔法族の子供の家にはふくろうが手紙を運んでくるんだ。ホグワーツから。それが来たら入学できるんだって」

「ふくろうが手紙を運ぶのかい? 電報とか郵便じゃ無くて?」

 

 オスカーは指を口に入れて指笛を吹いた。高いピーっと言う音が鳴り、音もなくオスカーとシラの座っている石までローガンが飛んできた。オスカーの家がある森は全部ローガンの縄張りなのだ。だからこの近くで呼べばいつでも来てくれる。

 

「わっ…… ふくろう? 動物園以外でこんなに近くで見たの初めてだよ」

「ローガンって言うんだ。昔、父さんと庭を歩いていたらローガンも庭を歩いてたんだ。巣から落ちたんだろうって。それから僕の家にいるんだよ」

「じゃあオスカーの家の子なんだ。触ってもいいのかい? 引っかかないのかい?」

「そんなことしないよ。ローガンは賢いんだ」

 

 シラは恐る恐るローガンの黒い毛並みを撫でた。ローガンは特に緊張している風でもなく、ホーっと少しだけ鳴いた。恐らくまだ眠いのだろう。ローガンが大人しかったからなのかシラの顔はぱぁっと明るくなった。

 

「ローガンみたいなふくろうを魔法族はみんな飼っているんだ。アジアとか新大陸は違うのかもしれないけれど。イギリスやヨーロッパはみんなそうだって」

「じゃあ私の家にもホグワーツからの手紙がくるのかい?」

「来るよ。たしか十歳か十一歳の年らしいけど」

 

 話しても話しても話が尽きないとオスカーは思うのだ。オスカーが話すことも、シラが話すこともお互いに知らないことばかりだった。こんなに簡単に話せる人が出来るのならもっと早くここに来ていれば良かった。

 

「あ、もう日が暮れるじゃ無いか。オスカー、えっとここに来たら会えるのかい? 君に?」

「え? ほんとだ。母さんとペンスになんて言おう…… えっとうん。またここに来るよ。君の小学校? が終わる時間に来るけど。あと……」

「あと?」

「今晩、君の部屋の窓を空けといてくれたらローガンを送るよ。ホグワーツ今昔って本があるからそれを持たせる。あれを読めばホグワーツがどんな場所か分かるよ。僕もその本と母さんの話でしか知らないから」

 

 ローガンの名前を出すとローガンはまたホーと鳴いてオスカーの方を見た。エサか仕事をくれると思っているのだろう。シラは青い目をキラキラさせてオスカーとローガンの方を見ている。

 

「ありがとう。私、まだ信じられないんだけれど。起きたら、全部嘘だったり、忘れてたりしないか怖いくらいだよ」

「忘却術を使うわけじゃ無いからそんなこと起こらないと思うけど。そうだ…… ローガンは夜から朝に動くんだ。だから夜明けくらいにローガンに君の部屋に行くように言うよ。その時に明日会える時間を紙に書いてローガンで渡してくれればいいよ」

「え? いいのかい?」

「うん。えっとじゃあ……」

 

 今日はもう会えない人になんて言えばいいのだろうか? オスカーには分からなかった。さようなら? バイバイ? それとも……

 

「また明日。オスカー。今日はありがとう。あのカバンお父さんから貰ったやつなんだ。だからもし壊したら泣いちゃってたんじゃないかな。お母さんはあんまりこのカバンを直すのに街に行くのは嫌だったと思うし……」

「えっと。また明日」

「じゃあね。バイバイ」

 

 お互いに手を振ってシラは小道の奥に、オスカーは木立ちの中に消えた。オスカーはその日、母親やペンスに日が暮れるまで戻らなかった事をなんて説明したのか覚えていなかった。

 とにかく書庫からホグワーツ今昔と改訂ホグワーツ今昔を取り出してローガンに渡した。ローガンには家族にバレないように自分の部屋の窓に他から見えないところからくるように言い聞かせた。

 

 明日は何を喋るのだろうか? ホグワーツの話? 彼女の学校の話? 魔法の話? マグルの勉強の話? 初めて自分の足で出た、家の外の広さ以上にオスカーは考える事の広さが自分の世界が広がった気がした。そして明日の事を考えている間にオスカーはいつの間にか眠っていた。

 

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