『あのバンド、ステージの彼女』   作:モーター戦車

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プロローグ

 私、狐崎そらは、小学校の頃に、クラスの演劇で主役を演ったことがある。

 

 私が望んだわけではなく、セリフが多い役を嫌がった連中が、ろくに話もしない転校生に面倒を押し付けた結果だった。

 

 それでも、舞台の下から見上げてくるたくさんの顔を、舞台の上から見下ろしながら、存在しない国の存在しない王女役を演じるのは、妙に気分が良かったのを覚えている。 

 

 ただの錯覚だ。

 

 本当は私を見ている人なんて、一人も客席にはいない。

 

 転勤族の父親は、仕事が忙しいから来れないと前日に謝られていたし、体育館にひしめく人々も、家族が学芸会に出るから見ているだけで、自分を見ているひとなんて、きっと誰一人居なかった。

 

 それでも、体育館にひしめいた、沢山の顔と沢山の目が、演じる自分を見ているのだという錯覚は、それなりに私に幸せをもたらした。

 

 父が居ない休日、一人で観るいろいろな映画の主人公に、自分がなったような心地がしたのだ。それは錯覚に過ぎないにしても、私にとっては縋るに足りる真実だった。

 

 転勤につぐ転勤、引っ越しにつぐ引っ越しで、同じ土地にほとんど居つくことができず、幼なじみもいなければ友人もろくに作れなかった私にとって、それは数少ない、幸せな思い出だったのだ。

 

 高校受験の直前、父親が出世とは言えとうとうアメリカに飛ばされることになり、ついてくるかどうかを問われたとき、私は日本に残ることを選択した。

 

 母親は私がものごころ付く前に死んでいて、人生もろくに知らない小娘が一人暮らしなんて早すぎる気もしたけれど、川の流れのままに転がり続け、一つ所にとどまれない暮らしにも、いい加減うんざりしていたところだった。

 

 金銭以外の形で私の生活の面倒を見ることを父は放棄していたし、稀にひとつ屋根の下で食事を取ることがあっても、お互いに学校や仕事の話をすることもなかったし、二人だけの家族は、そういう意味ではとっくの昔に崩壊していた。

 

 1年暮らした家族向け賃貸マンションを引き払い、父はアメリカへ去り、私は春から迎える新しい高校生活のため、自分で探して自分で決めた、日進町の片隅にある3階建てのアパートに腰を据えた。

 

 少なくとも、高校を卒業するまでの3年間は引っ越しの心配もせず、同じ土地にいられるのだと思うだけで、奇妙なほどの安らぎを覚えたし、新しい生活を思うと、それだけで浮かれてしまいもしていた。

 

 実際、現実は私の期待を裏切らなかった。

 

 秀華高校での学校生活は、過去に体験した田舎のそれと違って、よそ者に対する地元の子達の冷たい視線はなかった。

 

 出身地が雑多に入り混じっていて、それほど人生の過去を問われない、都会ならではの風土が要因かもしれないけれど、なにより私の入ったクラスには、面倒見のいい、ムードメーカー的存在が一人いた。

 

 誰とでも朗らかに、笑顔で付き合える、陰湿という言葉からは程遠い、いわゆる陽キャというやつだ。

 

 喜多幾代。

 

 彼女は私にも遠慮なく話しかけてきたし、なんだかんだで放課後の買い食いや買い物にも私や他のクラスの子をごく自然と、遠慮なしに引っ張り回してきた。

 

 結果として私は今までのようにクラスにとっての異邦人ではなく、ありふれた、ちょっと映画が好きな女子高生として、クラスに溶け込む事ができた。

 

 動画サイトで配信されているドラマや映画、横浜や渋谷の美味しいスイーツの店について休み時間に益体もなく話し合ったり、休日にショッピングモールにでかけて、映画を見たり、アパレルショップを冷やかして、あれが似合う、これは似合わない、このアクセがいいと賑やかに言い合ったり。

 

 それはたぶんとてもありふれた、思い出にするにも足りない、きっと多くの人にとって、明確な記憶としては残らない、きっとつまらない体験なんだろう。

 

 けれど、私にとって、そのありふれた体験こそは、父の転勤につぐ転勤の結果、特定の友人というものを持つことがなかった私にとって、人生で初めて味わうものだったわけで、顔に出しこそしなかったけれど、それは本当に幸せな日々だった。

 

 そんな日々を与えてくれたのは喜多さんで、口に出しこそしないけれど、私にとって、喜多さんという人は、特別な存在だったわけだ。

 

 たとえ彼女にとって、狐崎そらという存在が、両手両足を使っても数えられないほどたくさんいる、ありふれた友達の一人に過ぎなかったのだとしても。

 

 

 

『あのバンド、ステージの彼女』

 

 

 

 教室のスピーカーから、午前中の授業の終わりを知らせる電子音のチャイムが鳴った。

 

 起立、礼、着席。

 

 中年と言うには老けた数学の教師が教室のドアから出ていくと、授業中の沈黙が嘘であるかのように、生徒たちの賑やかな声が教室一杯に溢れ出す。

 

 今日は購買でどのパンを買うかとか、授業だるいとか、そういうありふれた無数の声のさざなみの中を押しのけて、一つの会話が私の耳に流れ込んだ。

 

「喜多ちゃーん、来週だけど、またバスケの試合助っ人いい~?」

 

「ごめんね、バイト始めたから、ちょっと難しそう。別の日だったらいいんだけど……」

 

「えー、喜多ちゃんいないと、うち得点力激減だよー」

 

 声の方向に、私は机に頬杖をついたまま、なんとはなしに視線を投げる。

 

 申し訳なさそうに両手を合わせて頭を下げるウェーブヘアの少女──喜多さんと、残念そうにしているバスケ部の二人の少女がいた。

 

「喜多、最近付き合い悪くなったよな。

 あれこれ忙しいやつだから、しょうがないんだろうけどさ」

 

 背中の方から別の声。振り返ると、この数ヶ月で見慣れたミディアムショートの女子生徒がそこに居た。

 

 片手に白のランチバッグを下げている。

 

「佐々木さん」

 

「忙しそうなやつはほっといて、飯にしようぜ、狐崎」

 

「うん」

 

 彼女の言葉に応えながら、私は自分の通学バッグから、赤い弁当包みにくるまれた私の弁当を取りだす。

 

 誰かと一緒に食事をするのにも、ここ数ヶ月ですっかり慣れた。

 

 彼女は佐々木次子さん。同じクラスの生徒で、遊び友達の一人だ。

 

 喜多さんとは中学校以来の腐れ縁で、こうして話すようになったのも、例によって喜多さんが縁だったりする。

 

 佐々木さんは、まだ立ち話を続けている喜多さんの方を一瞥すると、昼食にでかけて主が空席になった前の席の椅子を回して腰掛け、おもむろに弁当を広げ始めた。

 

 中身はご飯と、唐揚げに、エリンギのソテー、切り干し大根の煮物と卵焼き。全体的に茶色寄りのおかずだけれど、ミニトマトの赤とブロッコリーの緑が添えてあり、色味豊かな盛り付けになっていた。

 

 喜多さんがここに居たら周りをぐるぐる回りながらスマホで撮影を始めそう、となんとはなしに思ったりする。きっと佐々木さんの親が、気を使って盛り付けたのだろう。ないものねだりとは言え、少しだけ羨ましくなった。

 

 私の方はと言うと、冷凍食品のエビフライに冷凍食品のきんぴらごぼう、コンビニのゆで卵、冷凍食品のほうれん草のおひたし。主食は別口で買ってきたカレーパン。

 

 自分一人のためだけに、気張って料理しても疲れるだけなので、お弁当は冷凍食品とコンビニのお惣菜の組み合わせぐらいで済ませてしまうことが多い。

 

 けれど、そんな私のお弁当を、佐々木さんはしげしげと見つめていた。

 

「美味そう。エビフライ、もらっていい?」

 

 なるほど、肉より魚介の気分だったわけだ。私は小さくうなずく。

 

「いいけど、唐揚げとトレード」

 

「オッケ」

 

 お互いの箸が交錯し、それぞれのおかずをつまみとり、自分の弁当へ引っ張り込む。

 

 思えばお互いの弁当の中身を交換して食べ合う、なんていうのも、過去の人生にはなかったことで、そういうことが当たり前にできる人生というのも、入学までは想像もしていなかったことだった。

 

「いただきます」

 

「食いますか」

 

 そんな挨拶なのか会話なのかよくわからない言葉の投げ合いを皮切りに、私たちは昼の食事を摂り始めた。

 

「エビフライうま」

 

 佐々木さんはエビフライに舌鼓を打っていた。

 

 どこにでも売っている冷凍食品のエビフライだけれど、最近の冷凍食品は味がいいし、親の手作りの食事を食べる事が多い佐々木さんには、むしろそういう味が新鮮に感じられるのかもしれない。

 

「唐揚げ美味しい」

 

 私は私で唐揚げを頂いている。

 

 佐々木さんの親が手ずから上げたであろう唐揚げは、皮はカラリと揚がっていて、肉はしっとりとしていて、かつ生姜の爽やかな下味が染み込んでいる。冷めていても美味しい。

 

 こういう味つけは冷凍食品の唐揚げラインナップにはほぼないので、少しだけ佐々木さんが羨ましくなる。

 

 とはいえお互いあまり話す方でもないので、会話があれこれと弾むわけでもなく、黙々と食事が進んでいく。

 

 かと言って沈黙が不快というわけでもない。

 

 周囲の賑々しい会話をBGM代わりに、気を許せる友人とご飯を食べるというのは、それはそれで楽しい経験だ。小学生から家でも学校でもぼっち飯が当たり前だったので、余計そう感じてしまう。

 

「それにしても」

 

 お互いの食事が一段落し、口をハンカチで拭ったところで、私はおもむろに口を開いた。

 

「喜多さん、最近なにか始めたの? 放課後はともかく、お昼時まで居なくなることって、今まであまりなかった気がするけど」

 

 言いながら教室を見回す。教室に喜多さんの姿はない。

 

 バスケットボール部の子たちと話を終えた後、いつの間にかどこかへ姿をくらましてしまっていた。

 

「練習だろ? ほらあいつ、バンドやってるつってたじゃん」

 

「でも、たしか辞めたってこの間」

 

「元サヤだって。中学の頃に入れ込んでたインディーズバンドだったかな、そこの推しのベースと仲直り? できたみたい。バイトも始めたみたいだし、そりゃ 忙しくなるよね。

 あいつのことだから、続けてたらそのうちイソスタなりロインのネタにすんだろ。そういうの我慢できないやつだし」

 

「あー……」

 

 納得する。思わず苦笑してしまった。

 

 流行り物に敏感すぎるほど敏感なところがある喜多さんは、SNSに乗せられそうなものなら、それこそなんでもかんでも撮影して記事にしてしまう癖がある。

 

 でも、それならそれで疑問が出てくる。

 

「それなら、喜多さん、もうネットに上げてそうなのに。ほら、ギター自撮り写真とか」

 

 私の言葉に、そういえばそうだ、と言わんばかりの顔をしながら、一瞬佐々木さんが考え込んだ。

 

「色々映えないんだろ多分。知らねーけどさ」

 

 その上で、わりとどうでも良さげに、天井を見上げながら言葉を返してくる。

 

 確かに、喜多さんは、地味で地道な練習風景とか、そういうキラキラしない写真をネットに上げたりするタイプではない。

 

 とはいえ、それでも脳裏に疑問符が浮かぶ。

 

 勉強もスポーツも、特に苦労しなくとも簡単にこなしてしまう才色兼備なところがあるのが喜多さんだ。友達付き合いを大事にする、陽キャの典型みたいな人が、たとえわずかでもそういう事柄を犠牲にするだろうか。

 

 結局この日は、昼休みが終わるぎりぎりの時間まで、喜多さんは教室に戻ってこなかった。

 

 

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