セクハラから始まる仮想生活   作:練菓子

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 SAO開始年最後の日なので。

 ミトは多分ムッツリスケベ(偏見)



兎は大体発情期


 

 

 

 変わり映えしないビルの群れが、ああ、帰ってきたのだな、と。その残酷さに似つかわない感慨と郷愁を伝えてくる。

 

 電車の窓からの、ただ雑多に流れていく都市風景。見飽きるしかないだろうと思っていたそれに、今は妙な感動すら覚えてしまう。

 

 立ち並ぶ都市も、そこに住まう人々も、或いは、電車そのものも。どれもが新鮮で、逆に自分が別世界に迷い込んでしまったのではないかと錯覚するほどだ。

 

 懐かしく、そして憎たらしいほど無機質な世界を眺めながら兎沢深澄(とざわみすみ)は思い出す。『ミト』とあちらの世界では呼ばれていた、そう、名乗っていた。

 

 ──僕の名前は……ろ。……、……ろ、です。

 

 名前。深澄に与えられた情報はそれだけ。そのたった数文字を糧に、好きだったゲームすら放り投げ、深澄は血が滲むほどに努力を重ねた。

 

『名前だけ?』

 

 ──名前だけ。これ以上言うと、未練がなくなる。

 

 ミトの問いかけに無愛想にそう返した彼が、今となっては恨めしい。

 

 ずっとそうだった。こちらの苦労なんて知らずに勝手に頼ってきて、勝手に信頼してきて。

 

 でも、そんなお人好しだからなんだかんだとこちらも応えてしまう。

 

 長かった。何度も挫けそうになるほど。実際に心が折れてしまうほど長かった。

 

 そも、まともに動き回るためのリハビリを一月──医者曰く信じられない速度らしい──で済ませ、そこから旧SAOサーバーの情報を握る政府の役人とコネクションを繋いで。そこまでやってもまだ届かず消沈し、紆余曲折あり、ようやく相手の住所を特定……合わせて、一体どれほど時間がかかっただろうか。

 

 人生で、きっと一番長い時間だった。

 

 たった一人、親からのしがらみ、未来への不安、未だ収束を見せない世論。様々なものに邪魔されながら、深澄はようやく、その場所を掴んだ。

 

 ──例え僕が死んでも、会いにきて。

 

 これから深澄は、人生で初めて、インターネットで知り合った相手と会う。

 

 電子の世界で出会って、偽りの浮遊城で旅をして。互いの背中と、命を預け合って。

 

 ──約束だ、ミト。

 

 恋人とすら呼んだ相手と。この世界で初めて。

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 2022年11月末日。少女が、草原を駆る。己が武器である大鎌を背に、戦うことなく。

 

 兎沢深澄は、私立エテルナ女子学院の中等部三年生だ。正確には、だった。

 

 学年では成績トップを常に維持し、けれど特定の誰か以外と親しくすることはしない。周囲からの評判は『王子様』でありながら、裏では戦闘ゲームで他人を淘汰することに熱を上げるゲーマー。

 

 ざっくりとしたプロフィールはそんなところか。

 

 だった、というのは、今後その称号が失われるであろうという確信に基づく推測であり、また今この場所でその身分が何の意味も、価値も有さないことに対する皮肉交じりだ。

 

 SAO。正式名称を《ソードアート・オンライン》。それがプレイヤーネーム『Mito(ミト)』が今存在している、囚われている世界の名だ。

 

 2022年5月。ある研究者によって、五感、運動機能の全てを電気信号へと変換し、人間に完全な電脳(仮想)世界を体感させる技術と、それを一般家庭でも可能にする機械が開発された。

 

 《ナーヴギア》と名付けられたそのマシンは、今までのゲーム機を過去のものにする臨場感と新規性を以て業界を震撼させた。

 

 そしてゲーム機に相当する《ナーヴギア》から少し遅れ、10月末。遂に《ナーヴギア》対応の大規模ネットワーク(MMO)RPGソフト《ソードアート・オンライン》が発売された。

 

 百にも及ぶ階層を持つ広大な浮遊城《アインクラッド》を舞台に、人々は第一層から武器一本を頼りに上層への通路を見出し、強力な守護モンスターを倒して頂上を目指す。

 

 RPGにありがちな《魔法》のシステムはなく、代わりに動きを自動でアシストしてくれる《剣技(ソードスキル)》によって、戦闘の臨場感を十二分に堪能できるのだという。

 

 タイトル発表時、熱狂のままに稼働試験参加者(ベータテストプレイヤー)の抽選に応募した日のことは、今でも思い出すことができる。

 

 幸か不幸か、深澄はたった1000人しかいなかったその抽選枠に見事当選し、《Mito(ミト)》の名を掲げ、この《ソードアート・オンライン》を先行体験することができたのだった。

 

 二ヵ月にも及ぶベータテスト期間が終了する頃には、元来ゲーマーだった深澄はVRで体験するゲームというものにどっぷりとハマりきっており、とある無念もあって、本サービスが開始した暁には真っ先にログインすることを決意したのだった。

 

 だが本サービス開始初日、ゲーマーにとって楽園かのように思えたこの世界は、ものの数分で地獄へと変貌した。

 

『ログアウトボタンがない』

 

 きっかけは、ミトが誘ったことでSAOにログインしていた同級生の発見。そんなまさか、と疑ったミトの手元のゲーム内のメインメニューからは、確かにログアウトのボタンが消失していた。

 

 そこから始まった一連の流れは、まさに悪夢と言って差し支えないものだった。

 

 突如初期リスポーン地点《はじまりの街》に転移させられたミト含むプレイヤー約10000人全員に告げられた《ナーヴギア》の、《ソードアート・オンライン》の製作者である茅場昌彦から告げられた真実。

 

《アインクラッド》の頂点。第百層を攻略しない限り、この世界からのログアウトは不可能。

 

 アバターが死亡した瞬間、《ナーヴギア》によって現実の肉体の脳が破壊され、現実でも死亡する。

 

 現実世界でナーヴギアが破壊、あるいは取り外された場合も同様。その全てが、茅場昌彦の目論見であること。

 

 そして最後に、()()()()()()()()()()()()()()()()()()という特大の爆弾を爆発させた後、茅場昌彦は姿を消した。

 

 ゲームの楽園は、たった数分でプレイヤーを閉じ込めるデスゲームへと変わり果てたのだ。

 

 広場に満ちたのは、阿鼻叫喚。出してくれと泣き叫ぶ者。絶望に崩れ落ちる者。現実を受け入れられず空笑いを繰り返す者。或いは、パニックに陥って暴れる者。

 

 喧騒に満ちた広場の中で、しかしミトはどれに当てはまることもなく、ログインしていた同級生──結城明日奈、プレイヤー名《Asuna(アスナ)》───を連れ、《はじまりの街》を抜け出した。

 

 それは広場に停滞することで現実を受け入れるのが怖かったからというのもあるが、何よりミトが、MMOというゲームジャンルが他のプレイヤーとの限りある資源の奪い合いになるという事実を知っていたからだ。

 

 生きるためには、強くなるためには、他のプレイヤーを出し抜かねばならない。

 

 そんな残酷な現実を。

 

 そしてミトには、それを可能にするだけの経験と、ベータテストを経たことによるSAOの知識があった。

 

 そして突然の宣告に戸惑い、泣き叫ぶ初心者のアスナを叱咤し、慰め、誓った。

 

『私が、絶対にアスナを死なせない』と。

 

 

 

(……どうして、こんなことを思い出してるんだろ)

 

 そして今。ミトは()()、草原を駆けていた。

 

 誓いは穢れ、関係は断ち切れた。……切ってしまったのだ。こんな回想は、今のミトにとって無意味だった。

 

 最初のうちは問題なかった。ミトの心配を他所に、アスナは初心者とは思えない速度でグイグイと成長していった。

 

 始めはモンスターを相手に竦んで動けなかったのに、半月もした頃には背中を任せられるほど強くなった。

 

 さながら流星のような速さで、正確に敵の急所を突くその姿に、ミトは言葉にせずとも頼もしさのようなものを感じていた。

 

 このまま、どこまででも行ける。二人でなら、きっと。

 

 ────数日前まで、ミトは本気でそう思っていた。

 

 《リトルネペント》と呼ばれるモンスターがいる。

 

 とある森に生息する植物系のモンスターで、高い効率で狩れる上に、他のモンスターに比べて脆く、倒しやすい。

 

 勿論いいことづくめというわけでもなく、腐食液で武器の耐久値を減少させたり、個体によってはちょっとしたトラップが仕掛けてあったりするのだが。

 

 それでも、ミトが決して早まったというわけでもなく、先に進むなら倒すべき相手でもあった。

 

 その時。ミトは別のモンスターのドロップするレア武器を目当てに、アスナから少し。少しだけ、離れてしまっていた。

 

 初心者とは思えない強さを持つアスナならば、それで問題はない────ない、はずだった。

 

 不幸、としか言いようがない。事前に警戒していたというのに。あまりにもあっけなく、その時は訪れた。

 

『アスナ、《リトルネペント》だけど、たまにでてくる頭に実をつけた個体には気を付けて』

『実……? 気を付けるって?』

『倒す時に、絶対にその実に攻撃しちゃダメ。その実を割るとね──』

 

 《実つき》。低確率でポップするこのネペントは、頭にある実を攻撃された瞬間煙をばら撒き、大量の《リトルネペント》を呼び寄せるというトラップモンスターだった。

 

 モンスターのドロップを手にしたミトが見た光景。それは、発動したソードスキルが描く軌道のちょうど延長に突如として出現した《実つき》のネペント。

 

 

 そして、ソードスキルに付随する自動アシストによって、《実つき》への攻撃を停止出来なかったアスナの姿だった。

 

『アスナ、ダメっ!』

 

 叫んだ。けれど、それはあまりにも遅かった。

 

 アスナの武器である細剣(レイピア)は確実に、冷酷に、《実つきネペント》の実を貫いてしまった。パァン、という呆気ない破裂音。しかしその軽さに反して、集まったネペントの数は百にも及んだ。

 

『ミトっ……!』

『アスナ……今、そっちに……!』

 

 だが、そこに不幸が立て続けに襲い掛かる。壁のように群がるネペントによって物理的に分断されたミトの足元に、崖崩れの(トラップ)が仕掛けてあったのだ。

 

 落下ダメージで死ぬことこそなかったものの、それでアスナとの合流は絶望的となった。滑落したミトはなおも集まるネペントを殲滅したが、数が数だ。

 

 倒している間にも、パーティーを組んでいるアスナのHPバーがじりじりと削られていき、遂に危険域(レッドゾーン)に突入した。

 

 なおも、《リトルネペント》の数は尽きない。

 

 じり。じり。僅かに、けれど確かに、アスナのHPバーは削れていく。あと3ドット、2ドット…………1ドット───

 

 そのHPバーが全損する幻視が、アスナの死の瞬間を目撃してしまうことの恐怖が。ミトをあんな行動に走らせた。

 

『────ごめんアスナ。約束、守れない……!』

 

 ミトはアスナのいる崖上に背を向け、逃げ出してしまったのだ。パーティ登録を解除し、アスナのHPバーが見えなくなるようにして。死なせないと誓った大切な友人を見捨てて。

 

 

 

 これが、数日前の出来事。それから今日までどう過ごしていたのかを、ミトはあまりよく覚えていない。

 

 アスナの生死を確認するのは容易い。アスナに対し、空のフレンドメッセージを送信するだけだ。

 

 この機能は、ログアウトしている相手には使えない。ログアウト不可のこの世界でメッセージの送信失敗はそれ即ち、相手が死んでいることを意味する。

 

 震える指先が、送信ボタンの前で揺れている。あと数センチ押し込み、送信できれば。返信がなくとも、それがアスナの生きていることの証左となる。

 

 だが。逆に送信ができなければ、それは──

 

「……っ!」

 

 たまらずキャンセルボタンを押し、息を吐く。この試みも、これで一体何度目かわからない。

 

 自嘲し、目を伏せる。ミトには、もう何もない。何もできない。

 

 親友を見捨てておめおめと生きていくことも。親友を見捨ててまで助かったこの命を投げ出すことも。

 

 駆けて、歩いて、遂には草原のど真ん中で立ち止まる。誰もミトを慰めない。攻めもしない。ただ、苛むように虚しく風が吹き抜けるだけだった。

 

 そうして、集中していたからだろうか。

 

「……音?」

 

 ────ふと。ミトの耳が、遠くの音を拾い上げた。

 

 キィィンと、甲高い音。聞き違えるはずもない。ソードスキルの発動音だ。同時に、沢山の獣の唸り声。

 

 ハッとして顔を上げると、少し遠くで獣たち──狼型モンスター《ダイアウルフ》───の群れが、何者かと戦闘を繰り広げている。

 

 数は8程度だろうか。本来は単独で現れるモンスターのはずで、あんな風に群れているのは見たことが無かった。

 

 よほど長くこのフィールドに留まっているのか、何者かに擦り付け(トレイン)されたのか。

 

 しかし、《ダイアウルフ》自体はさほど驚異なモンスターではない。たとえ群がったところで、二人以上ならよほどのことが無ければやられることはないだろう……と。当のプレイヤーに目を向けたところで、ミトは思わず声を漏らした。

 

単独(ソロ)プレイヤー…………」

 

 黒のフードを被っていて、顔は見えない。身長から察するに、男プレイヤーだろうか。いずれにせよ、自らに群がる獣へと立ち向かう彼の周囲に、仲間の姿は見えない。

 

 このデスゲームで一人行動する奇特な人間であるか、或いは仲間をすでに失っているのか。

 

 

 どちらにせよ、単独でモンスターに取り囲まれるという状況が危機的であることに違いはない。

 

 そしてミトの足は、理性が働く前に動き出していた。

 

 駆ける。瞬時にオオカミたちの背面を取り、大鎌下段斬りソードスキル《フェーラー》を発動。

 

 ほとんど無意識の行動ながら、けれど身体に刻み込んだ動作は澱みなく感知され、紫の光がミトの得物たる大鎌を包む。

 

「キャウン!!」

「グルゥァァ!!」

 

 クリーンヒット音。背後からの不意打ちだったこともあり、急所狙いの一撃で《ダイヤウルフ》二体が消滅する。

 

「君は……」

「話は後。協力する!」

 

 曲刀使いの言葉を遮り、ミトは標的を自らへと変更したモンスターと対峙する。

 

 体数は、残りの半分の3匹。数の不利こそあれど、《ダイアウルフ》の動き(行動パターン)はベータテスト中に覚えている。レベル差もあるミトの敵ではなかった。

 

 恐れ一つ抱くことなく、ミトは手の大鎌を振りかぶった。

 

「ふっ!!」

 

 …………殲滅にかかった時間は、三十秒ほどだろうか。三匹目の狼を縦斬りで片付け、一息。

 

 そうして戦闘後の休息を最低限で済ませ。残りの敵影を確認しようとする。

 

 そして。

 

 

 ミトは、目を奪われた。

 

 

 残り一体となった《ダイアウルフ》を仕留めようとする曲刀使い。

 

 そのソードスキルの光に……ではない。或いは、速度でもない。

 

 そこだけで言えば恐らくミトよりずっと遅い。ソードスキル任せの、この世界の初心者に見られがちな遅さ。

 

 だというのに。

 

 そのプレイヤーは向かってくる牙を必要最小限の動きで躱し、握られた手元の武器は吸い込まれるようにモンスターの首筋へと運ばれる。さながら、モンスターが自分の意思で首を差し出したかのように。

 

 素振りでもするかのような軽い一閃が、さも当然かのようにモンスターの首を刎ね飛ばす。

 

 処刑人でもあるかのような、その威厳。

 

「…………終了」

 

 声と同時に、《ダイアウルフ》の体が虹色の破片へと四散する。錯覚を覚えるほど、滑らかで、あっけの無い終わり。

 

 必要最低限のステップ、必要最低限の労力でモンスターを仕留めてみせたそのプレイング……立ち居振る舞いと、言い表した方が正確か。

 

 舞踏のように完成された、無駄のない一挙一挙に、ただミトは見惚れた。

 

 そして黒フードのプレイヤーは、手に握った曲刀(シャムシール)を腰の鞘へ仕舞いこみ、改めてミトへと向き直った。

 

「すまない。助かった」

「…………大したことじゃないわ。それに、余計なお世話だったらしいし。良い腕だわ」

「そんなことはない。来てくれて嬉しかった。礼を言わせてくれ」

 

 相手の実力故に若干警戒して距離を置こうとするミトに対し、目の前のプレイヤーは友好的だった。

 

 最初の印象は「随分と芝居がかった口調だな」ということ。

 

 全く歯に衣着せぬ言い方をすれば「ロールプレイキツイなぁ」だった。

 

 ロールプレイとは、オンライン形式のゲームなどにおける楽しみ方の一つで、本来の自分ではなく何かしらのキャラクターを演じる、所謂「なりきり」のことだ。

 

 アイドルを演じるプレイヤーもいれば、ヒーロー、忍者、或いはシリアルキラーと、プレイヤーによってその幅は広い。

 

 それは例えば口調だったり、或いは恰好だったり、アバターの容姿だったりに表れ、実際とは違う自分になる錯覚を得ることができる、存外に楽しいものなのだが。

 

(こんな状況でわざわざそんなこと……)

 

 それはあくまで、通常のゲームでの話。実際の体、顔がかの茅場昌彦によって再現されているこのSAOにおいて、ロールプレイが何かの役割を果たすとは思えない。

 

 騎士のような格式ばった台詞も、職人じみた堅苦しい振る舞いも、アイドルまがいの媚びた仕草も、結局見た目が伴わなければただただイタいやつだ。

 

 すまない、とか。礼を言わせてくれ、とか。普段耳にしない単語の羅列は、どうしようもない違和感をミトに与えた。

 

 正直ドン引きである。

 

 先程の腕前を見ていなければ、或いはここがVR空間内でなければ逃げ出していただろうと断言するほどに。

 

 逆に言えば、腕前についてはその不信さを拭って余りあるほどにミトは興味を惹かれているのだが。

 

「……あなた、ベータテスター?」

「ベー……?」

「ううん、なんでもないの。変な質問してごめんなさい」

 

 訊く必要もなかった質問を取り下げる。こんな変わった口調で、その上ここまで強いプレイヤーがベータにいたのなら、名前を知らずとも間違いなく印象に残っているはずだ。

 

 ミトがベータテスト時、僅かに、けれど確かに敗北を喫したあの黒い剣士のように。

 

 しかし、ベータテストプレイヤーでないならば、それはそれで違和感もある。危険なソロプレイをしていることもそうだし、どうして見た目を隠しているのか、あの強さ、一連の美しさが一体どこから来ているのかも。別のVRゲームをプレイしていたのだとしても、VRMMOでは勝手がいくつも違う。あそこまで体を動かせるのは尋常なことではない。

 

 改めて、目の前のプレイヤーを見つめる。知覚で見れば、背丈はミトより少し高いくらい。

 

 体格に特徴も無く、男にも女にも見える。声も中性的。話し方から察するに男性だろうか。

 

 フード付きの黒いケープコートを身を纏っている。

 

 SAOではフードを被ると影のエフェクトが発生し、物理的に顔を覗くのならばよほど近づくか灯りか何かで照らすかをする必要があるので、顔もわからない。

 

 謎めいたキャラクターのロールプレイということならばなるほど。これ以上の見た目はないだろう。

 

 ───知りたい。どうしてそんな強さを持っているのか。一人のプレイヤーとして。この世界で生きるミトという戦士として。

 

「私はミト。あなたは?」

 

 何もかも謎めいた存在。現実ならば警戒するだろうその肩書きは、しかしゲーマーであるミトの好奇心をさらに搔き立てる。

 

(絶対にその正体を明かしてやる)

 

 先程まで抱いていた重い気持ちを誤魔化すように、下心と共に手を差し出す。対照的に、ミトの複雑な心境を知らず、彼(仮)は無警戒に手を出す。

 

 

「僕はノ…………」

 

 その自己紹介を全て聞き終わる前。ミトの視界は()()()()を捉えた。

 

「伏せて!」

「は? ……なっ!?」

「静かに!!」

 

 最後まで紡がれなかった叫びを、ミトは手で口を塞ぐ形で無理矢理制した。同時にとびかかるようにして曲刀使いへ飛び込み、持ち前のパラメータ任せに草原へと押し倒し、変化する状況に目を白黒させるプレイヤーに覆い被さる。

 

 ちょうど、マントが二人を隠すような形にして。

 

「しっ!! すぐに終わるから黙ってて……!!」

「はぐっ……!!」

 

 曲刀使いの口へと手を当て、懇願。それからほとんど時間を空けずに、つい先ほどまでミトと曲刀使いがいた場所を、数えきれないほどのカラーカーソルが土煙をあげて通り過ぎていく。

 

 ──モンスターの大群移動(スタンピード)だ。身体にずしんと響く地鳴りが、その数の膨大さを伝えてくる。

 

 何者かが呼び寄せたか、ベータから新しくシステム内のイベントとして設定されたのかはわからないが、なんにせよ凄まじい数だ。

 

 先の《ダイアウルフ》の群れなど問題にならない。音から察するに凡そ60体は超えるであろう。中には大型の中ボス級モンスターも含まれている。

 

 あんな数に一度に目をつけられれば、いくらミトだろうとただでは済まない。今無事でいるのは、ミトが咄嗟に《隠蔽(ハイディング)》スキルを発動して隠れたからだ。

 

 近場に少し背の高い草場が無ければ、或いはミトがあと数秒スタンピードに気が付くのが遅れていれば、あのまま二人して共倒れもあり得た。

 

(お願い、通り過ぎて……!)

 

 とはいえ、見つかってしまえば結果は同じ。目を強く瞑って、驚異が無事に過ぎ去ることを祈る。

 

 地鳴りと鳴き声が聴覚を奪い、仮想世界の情報をミトから取り上げていく。世界にしがみつくように掌をしっかりと握りしめ、深くマントを被って。そして、そして───。

 

「…………行った?」

 

 十数秒の沈黙。土煙と喧騒を感じなくなって漸く、ミトは顔を上げた。VR故に痕跡は残っておらず、まるで何事もなかったかのように草原は先ほどまでの平和な姿を取り戻していた。

 

 目まぐるしく起こった出来事の変動ぶりに、思わずぼうっと呆けてしまう。

 

「ん! んー! んむーっ……!!」

 

 それを引き戻したのは、体の下で弱弱しくもがく何かが発生させる違和感だった。

 

「あ、ごめん! つい!!」

「ぶはっ!! けほっ……はぁ、はぁ……」

 

 音を殺すために口を塞いだままだったミトの手が、漸く彼から離れる。

 

 SAOの窒息感というものはなかなかにリアルなもので、曲刀使いはせき込んだ後、短い呼吸を何度も繰り返した。

 

 いくら緊急時だったとはいえ、必死に息を整えようとするその姿を見れば流石に申し訳なさが溢れてくる。

 

 だが、謝罪を口にしようとしたミトを遮ったのは先と同じ「助かった」でも、或いは口を塞いだことに対する恨みごとでもなかった。

 

「い、いい加減左手を離してほしい。その……触ってる、から……」

「触ってる……? なにを……」

 

 言われた通りに左手を見やる。曲刀使いの首から円を描くように視線を下って、腕、胸元、お腹、そして足に……

 

 ちょうど。脚の根元。両足の中間。腹よりも下で、ジャストなその位置。

 

 錯覚でしょうか。鼠蹊部から伝う、寸分違わないその場所に、ミトの左手が。左手に……謎の不思議な感触が……

 

「ひ、ひゃああああ!?」

 

 現実を認識して悲鳴を上げ、伏せていた姿勢から比喩抜きに跳び上がる。なんなら跳躍し、一瞬で()()プレイヤーから距離を取った。

 

(や、やってしまった……触ってしまった……!)

 

 思わず自分の手を見つめ直す。…………意外と柔らかいんだな、とか。そんなことを思ったわけではない。

 

 いくら事故とはいえ、これではまるでセクハラ、痴女か何かのようではないか。

 

(ん?セクハラ………?セク……ハラ………)

 

 その思考に至った途端、ミトは真っ青になった。いや、まさか。そんな。と、ミトが可能性を否定しようと思案する間に、目の前の男が恐れていた事実が現実となったことを宣告する。

 

「ん? なんだ、このウィンドウ…………」

 

 ゆったりと起き上がった彼が、ミトと表示されているらしいウィンドウを交互に眺める。

 

 その指先が、目線が、ミトには見えない判決文をなぞる。ああ、絞首台に立つ死刑囚ってこんな気持ちなのかな、とミトは遠くを見つめる。

 

ハラスメント防止コードによる監獄(ジェイル)への強制転移の実行…………? 

 

 ハラスメント防止コード。NPC、PLを問わず、()()()における同意のない接触、セクハラを抑止するためのシステム。

 

 これを破ると、罪人として《黒鉄宮》の牢獄エリアへと強制的に転移させられてしまう。

 

 例外は同性同士の場合。つまり、男から女のハラスメントのみならず、女から男のハラスメントも規制される、ということで。

 

 女性から男性に対するハラスメント違反条件も、逆ほど厳しくはないものの確かに設定されている。

 

 ──────さて。

 

「…………送ったほうがいい?」

 

 SAOには、さまざまな感動、未知が詰め込まれている。フルダイブ型RPGというのが初ジャンルであると言うこともあり、他のゲームではできないことが盛り沢山。

 

「み……」

「……み?」

 

 五感をフルに用いて街々の雰囲気を味わうこと。

 

 美味しいものを食べること。

 

 今でこそ完全に楽しむこともできないが、臨場感のある戦闘を行うこと。

 

 仲間たちと冒険を繰り広げ、協力してモンスターを倒すこと。

 

 SAOというゲームの醍醐味は、探せば探すほどに見つかったものだ。

 

 だが。ミトは今この時思うのだ。

 

「見逃してください」

 

 この世界で初めての土下座をしながら。

 

 ──多分、土下座はこの世界の醍醐味ではない。と。

 

 

 





 そうはならんやろ

 ラッキースケベだからね、VRだからね。多少変なことも起こるよ。しょうがないね。
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