セクハラから始まる仮想生活 作:練菓子
数時間後。日も暮れ、完全に夜になったところでレクチャーも兼ねた狩りは終了。想像以上にSAO内部のことに無知…………というよりも無頓着だった彼に、ミトは基礎の基礎を叩き込んだ。幸いにも彼は何も知らないだけで覚えが悪いというわけではなく、教えたことをしっかりと吸収してくれる教え甲斐のある生徒だった。
とはいえ、それと成果はまた別の話。教えるほどの暇がある……言い換えればモンスターのポップが少ない狩りで強化素材のノルマを達成できるわけもなく、ミトとノアの仮パーティーは日を跨いで継続となった。
また、ノアのストレージを見た際に空腹を刺激されたという背景もあり、宿についた後にパーティメンバーであるノアと夕食を共にする運びとなったのは、ごくごく自然な流れだった。流石に会って一日足らずのノアにご飯をたかるわけにも行かないので、宿に隣接した酒場のような場所で。
「………………」
「………………」
そして今。ミトは今更、どうして食事を別にしなかったのだろうかと深く、深く悔いていた。
別に、ノアのマナーが悪かったとかそういうことではない。逆にミトのマナーを鬼の首を取ったかのように指摘しにくるとか、食事が偏っていて思想が強かったとか、そんな難しいことでもない。
マナーに関してむしろ逆で、ノアの所作はそれはそれは美しい。テーブルマナーを少しかじったミトから見ても、よほど良い育ちなのだろうとわかる。或いは、それも彼のロールプレイの一環なのだろうか。だとしたら随分な手の込みようだ。
しかし。ああ、しかし。
「おい、あれ…………」
「ああ……ヤベェな……」
「何やったらああまで……?」
耳を澄ませば、例え耳を塞がれようと、周囲の注目が自分のテーブルに集まっていることが如実に感じられる。それはノアの動作ひとつひとつが美しかったから、とか、そんなファンタジーじみた理由でもなくて。
「───お代わりを、お持ちいたしました」
恭しく礼をして
(…………食べ過ぎでは?)
そう。確かに、マナー講座ならば百点を取れるだろう。口元へと匙を運ぶ動作一つとっても、一般人とは比べ物にならないほど様になっている。黒フードでなくスーツであったなら、酒場が高級レストランへと早変わりしたかのような錯覚を得られるに違いない。
「お代わりください」
「に、二桁……だと……!?」
「オイオイオイ、死ぬわあいつ」
「俺の今日の稼ぎがぁぁぁ!!」
「頼む、頼む!息をしてくれ質量保存の法則!!」
「っしゃぁぁ!! レアドロゲットォォ!!」
しかし、慎ましさとはかけ離れた速度で料理は平らげられていく。黙々と、しかしわんこそばでも食べるかのような早さで気が付けば皿から忽然と料理が消えているのだ。丸い鉢のような皿に盛られた成人男性すら一杯で満足させてしまいそうなシチュー九杯は、中肉中背のあの体のどこに消えてしまったというのか。
いや、仮想空間なのだから当然データに変換されているだけなのだが、それでも食べた分満腹感はしっかりと発生するはず。むしろ、意図的に電気信号が出力される分現実よりも満腹になりやすく、ダイエットにも応用されるほどで……だというのに、これは一体どういう理屈だ。
「……………………」
「えっと、その…………食事、お好きなんですか?」
「……どうした、改まって。食物は日々の糧だ。嫌いじゃない。あ、お代わりをください」
しっかりと口の中からものを無くして淡白にそう述べ、再びノアは丁寧に匙を口へと運び始める。ついでにNPCの店員へお代わりを注文。まだ食うか。
(───絶対好きだろ)
もしや、この男が《はじまりの街》を出たのは食費が凄まじいからではあるまいか、と疑う。周囲にちらほらと見える客も二杯目までこそよく食うなぁ、程度の目だったのが積みあがる食器を前に顔を引きつらせ、ドン引き、呆れ、果てにはあと何皿食べるか賭け始める輩すら出始めた。見世物になる、とはまさにこういうことを言うのだろう。
女性ゲーマーとして注目を浴びることには慣れっこなつもりでいたが、どうやら気のせいだったらしい。普通にいたたまれない。
「……それで。強化素材、結局どのぐらい集まったの?」
沈黙に耐えかねたミトが口を開く。当然ながらミトの皿はとうの昔に空になっていた。今のミトは水で店に居座っている厄介客であり、対面のプレイヤーもあって無言で過ごすには些か居心地が悪すぎた。
「……ん。ダイアウルフの牙が18。あとはフォレストワスプの針が25だ。あとそれぞれ50個ほどだな。このフィールドでは、だが」
「そうだった、思い出したわ……《
その果ての無さに、思わず目を伏せる。
強化の回数上限というものは、基本的に武器ごとに決まっている。強化すればするほど武器が強くなるため、五層までの武器はほぼすべて一桁に設定されているのだが。目の前の男の武器……正式名称《ライト・シャムシール》は、初期パラメータが他武器より低い代わりに強化試行の上限が10とかなり高い、所謂《手間こそかかるが、使い続ければ続けるほど強くなる武器》なのだ。
勿論、その分の手間を考えれば他武器を使って途中の階層で武器を替える方が効率的にはいいし、《曲刀》カテゴリの武器はそもそもが耐久値があまり高い方ではなく、下手に使い続けると
一日二日なら……と考えていたが、とんでもない。かかる時間は下手をすれば週単位だ。最前線でもそこそこのプレイヤーがいる現状ではモンスターの占領もできまい。そんな状態での素材集めなど、一体何日かかることやら。
少なくとも、その間二度と彼と食事を共にすることはないだろう、とここに宣言しておく。
「……なるほどね。あなたが私を脅してまで武器強化に付き合わせたのはこれが理由か。ちゃっかりしてるわ」
「………………」
「いい加減食べるのをやめんか!!」
結局、そこから追加で四皿のシチューと五つのパンを平らげたノア。会計がパーティメンバー別で済むように設定してくれたプログラマーに感謝を捧げながら店を出た際、発された店員NPCの「ありがとうございました」が些か震え声に聞こえたのは気のせいに違いない。
そして店の扉を閉めた途端、二人が席を立ってからシンと静まり返っていた店内が、一気に喧騒を取り戻す。
その音の迫力たるや、ミトですら一瞬すわモンスターの出現かとつんのめり、通行していたプレイヤーがなんだなんだと一気に酒場を向くほどのものだった。
「……? 随分騒がしいな。何かあったのか?」
「……伝説が生まれたのよ、きっと」
「伝説……? 新しいクエストか何かか……」
まぁ、難易度だけで言えば似たようなものなのかもしれない。
とはいえ、いい加減注目に耐えられなくなったミトは、逃げるようにして隣接する宿屋へととび込んだ。もはや公害とすら感じていた音も宿屋のドアを閉めればいい加減遠のき、漸く一息つく。
(……なんか、ドッと疲れた)
「どうしたんだ、急に走って」
「誰のせいだと……」
伝説の人がついてきた。
「じゃあ、僕はここで。明日は一階で……9時集合くらいがいいか?」
「……いや。その時間だと、他プレイヤーとリソースの取り合いになる。6時集合にしましょう」
「なるほど。道理だ」
ミトの部屋……と言っても当然宿屋の、だが……を前に、一日の最後は締め括られようとしていた。ミトの言葉に納得したらしく、天才で伝説で黒フードで曲刀使いなノアさんが頷く。
正直、こと三大欲求に関してまともな印象がなかったので「いや、それだと僕が起きられない。9時にしよう」とか言われやしないかと内心ヒヤヒヤしていたのだが、睡眠に関しては人並みらしい。本心からありがとうを送りたい。
「おやすみ。また明日な、ミト」
「ええ…………」
そうして。部屋の扉を開けて解散しかけたところで。
「……ねぇ、ずっと気になってたこと訊いてもいい?」
「応えるかどうかは保証しないが、それでもよければ」
溜めに溜めた疑問が、どうしても気になって。そのタイミングを卑怯にも別れる寸前にして尋ねた。
彼についての疑問は尽きない。あれやこれや、言いたいこと、訊きたいこと、詰問したいことなど山ほどある。
けれど、いの一番に口を割って出たのは───
「その格好はどういうこと?」
「どういう、とは?」
「その頭をすっぽり覆ってるフードのことよ。素顔ぐらい……」
どうして、そんな格好をしているのか。どうして、顔を見せないのか。素顔くらい、見せてくれてもいいではないか、と。
そう、問いかけて。そう口にしかけて。
「どうする?」
ふと、目の前の男の雰囲気が変わっていることに気が付く。喜怒哀楽を感じさせない普段の様子からは違い、珍しくその様子からは明らかな感情を感じる。
怒っている、とは少し違う。悲しんでいる、とも違って。どこか、どこかで見たような。
強いて言うなら……期待。
思い出した。ミトの…………兎沢深澄が、よくゲームセンターで見かけて、向けられたもの。「この人なら連勝してくれるのでは」とか。自分に都合のいい何かを、夢を願うような。
何かを。ミトは今、何かを願われている。
何か。
「え?」
「見て、どうする?」
合っていないはずの目が、わしづかみにされたかのように動けなくなる。フードの中に隠された感情、陰で何も見えないそこに、吸い寄せられるように。覗き込んでいるのに、覗き込まれている。何か。ミトの目の奥にある何かを、試すかのように。
「この顔の秘密を暴いて、ミトはどうする?」
「それは……」
それは。
それは。
「───ごめんなさい。デリカシー不足だったわ」
目を逸らし、謝罪の言葉を口にする。
……そうだ。様々な衝撃的事件の連発で忘れていたが、そもそもミトと彼は出会ってたった数時間程度しか経っていないのだ。それも、ミトが一方的に目の前の彼を凌辱するという最悪の形で。
いや正直それ以上の恥辱を受けた気がするし残酷すぎるくらい才能の壁を見せつけられたような気がしなくもないけども。それも彼にとっては関係のない話だ。
これ以上の詮索は、人としても
「うん。それでいい。エロいのは結構だが、僕もこれ以上ミトに責任を取ってもらう方法を思いつかないからな」
そしてそんな葛藤を経たミトへの返しはとびきり失礼だった。
「な、なにそれ! まるで人が好きでやってるみたいに……!」
「え? 違うのか?」
「違うに決まってんでしょ!!」
ドギャ、と。そんな音がするほどに、人を挟んで殺すくらいの勢いで怒りのまま部屋の扉を閉めた。
宿屋では、扉さえ隔ててしまえばパーティーメンバーであろうとも中の声は聞こえない。扉にあたっても消える気配すら見せない怒りを息に変え、吸い込んで──
「死ね死ね死ね死ね!死に晒せばーか!!」
全力の誹謗中傷。誰にも聞こえないのをいいことに叫ばれた今日一日の鬱憤全てを込めた罵倒が、部屋に空しくこだました。なんなら扉をガシガシ脚で蹴り、身に余る憤怒を身体全体で発散する。扉が破壊不能オブジェクトでなければ扉はミトの叫びでガタガタと震え、蹴りによって跡形もなく破壊され尽くしていたに違いない。
もう顔すら見たくない。一方的に脅しておいてなんだあの態度は。そうだ。そもそも経緯的にはミトは彼を助けていて。セクハラだって意図したわけではなく事故であって、ミトは何も悪くないではないか。相手がミトでなければ愛想を尽かして無断でパーティーを抜けているところだ。
「はぁ……はぁ……」
肩で息をするほど罵倒と八つ当たりを繰り返すこと、三十秒。ぷるぷる震えながら肩で息をするようになって、ようやく深呼吸をするほどの精神的余裕を得る。ひとつ、ふたつ。息を吸う。そして、ため息もひとつ、ふたつ。
「…………何やってるんだか」
そう冷静になって、またため息。こんなに感情的になったことなど、いつぶりだろう。
…………そう言えば、と状況だけ見れば何も言わずに放置したことになったノアを確認。チラリと顔を出す程度に扉の外を覗く。が、当の本人の姿はどこにもなく、どうやら自分の部屋に行ってしまったらしかった。
どこまでも、どこまでも自分勝手な奴だ。
「……あー、もう! 馬鹿馬鹿しい! 寝る!!」
メインメニューを開き、武装解除ボタンをタップ。硬質なチェストプレートと腰装備の大鎌が消えてラフな布の服になるや否や、ミトはベッドへと飛び込んだ。いつもは嫌悪する硬くて狭い寝台が、今はなかなかどうして、悪くは無かった。
「…………ほんと、変な奴」
ベットに転がって、天井を眺めながらそう呟く。
つくづくそう思わされた。初心者のようで、妙なところで知識がある。無愛想なようで、笑ってしまいそうなほどの例えをして。天才のようで、食事となると子供のような早さで料理を平らげる。
謎だらけの男。結局、一日過ごしてわかったこと、解決した謎よりも増えた謎の方が多かった。
ただ、そうやって振り回されていた、頭を回していたおかげと言うべきか。今日は。今日に限っては、久しぶりに。
「…………眠い……」
疲れだけで頭を満たして、何も考えずに寝られそうだった。