セクハラから始まる仮想生活 作:練菓子
別に、生きたかったわけではない。
ただ、死ぬのだけはどうしても嫌だった。
強くなれ。
強くなれ、強くなれ。
強くなれ。強くならなければ。
立ち止まるな。常に次の一歩を踏み出し続けろ。
そうしなければ、お前は死んでしまう。
弱く生きるなど、生きていないのと同じこと。
『どうして生まれてきたの?』
『あの人の分まで生きなさい』
『どの面下げてそんな……』
『ねぇ、どうして?』
『意味もなく死ぬなんて……』
お前には誰も救えない。
『お前の事情はわかった。だが、私には関係のないことだ。あまり手間をかけさせるな』
『生き急ぐんじゃねーゾ、シロ坊』
誰もお前を求めない。
誰かに気を配る余裕があるなら強くなれ。
お前は、最強でなくてはならない。最強として生きろ。何もかもを捩じ伏せて、彗星のように輝いて、砕け散って消えろ。
そうやって、一人ぼっちで生きていけ、《Noir》。
目が、覚める。
「はっ……! は…………はぁ…………」
最初に感じたのは、窒息感。空気を拒絶していた体が、乾きを満たすために喘いだ。
(……落ち着け。この世界に酸素なんてない。息切れはただの錯覚。汗も涙も、みっともないから止めろ。幻覚に惑わされるな)
理性が覚醒するにつれ、暗示じみた思考が体に平静を取り戻していく。この世界では、汗ですら意志一つで止めることができる。それが偽物であるからなのだと、ノアは強く理解していた。
忌々しいこの電子の世界では、常に視界右下に時間と月日が表示されている。表示時間は0:04。半刻ほども眠ってしまったらしい。
「っ……最近は、見なくなっていたのに……!」
あの女のせいだ。ベータテスター、とかいう。紫の大鎌使い、ミト。
「……っ……! 認めない……! あんなの、認めない!」
首を振り、纏わり付く感情を振り払う。熱を出している時のように回る視界でふらふらと、未だ定かでない足取りで立ち上がる。
ようやく慣れてきた手つきで、指を二本立て、振る。鈴のような音と共に現れたウィンドウからストレージを開き、アイテムを物品化。アイテム名は……《手鏡》。
始まりの日。その時のことを忘れないように、刻みつけるように。大半のプレイヤーが消去、破壊したこの鏡を、ノアは戒めとして保管している。
「…………お前は強い、Noir。誰よりも、何よりも」
黒のフードを被り直して鏡を見る。そうすれば、映るのはもう自分ではない。自分ではないのだ。
ここにいるのは黒フードの曲刀使い。Noirという名前の、最強の剣士。
「お前は、敵を恐れずに死んでみせろ」
その言葉は、呪いのように昏く重かった。
本名、
すべての始まりは、気まぐれで申し込んだネット懸賞で、限定一万本というプレミアソフトを当ててしまったこと。
それさえなければ、生まれてこの
それでも、後戻りはできたはずなのだ。翌日までにはやることがあって、ゲームは到着してから暫く存在を忘れていたくらいで、プレイ前に評判くらい調べようか、と何度か思って。そのどれかを優先していれば、この世界に来ることなどなかったのに。
けれど、そんな女々しい後悔も、仮定も、結局この世界では全く無意味なのだ。何より確かなことは、この世界では人が本当に死に、その中にはきっと、自分も含まれるであろうということ。
初めは《はじまりの街》の宿屋に閉じ籠り、ただ助けを待った。
《料理》に手を出したのは単純にお腹が空いたから。スキルさえ取ればボタン一つで料理が現れると考えていたのだが、SAOの料理には調理の過程が必要だった。それが気晴らしになったのは怪我の功名とでも言うべきか。
そうして待つ。一日、二日。三日。一週間、二週間。
人が死んだと聞いた。自殺だったらしい。死ねば脱出できると考えたのだとか。人が死んだと聞いた。モンスターに殺されたらしい。実際に現れたモンスター相手にパニックに陥ったのだとか。人が死んだと聞いた。人が死んだと聞いた。
そうして料理するだけのお金も尽きかけた時には、完全に外からの救援という可能性を諦めていた。
眠らずに考えた。どうしてこの世界に来てしまったのか……ではなく。何故、自分は助けを諦めておいて、こんなところで燻っているのか。こうやって待つことが、本当に正しいのか。
どうして閉じこもっているのか。
命が惜しいからだ。
どうして命が惜しいのか。
この命には、価値があるからだ。
どうして命には価値があるのか。
…………それは。
どうして、生きていたいのか。
どうして、生きなければならないのか。
息を吸うだけが、生きているということなのか。
生きているということは、死んでいないことだと言えるのか。
全てが偽物のこの世界で、ただ一つの本物すら嘘にしてしまうのか。
──街を出たのは、それからそう遠くない日のことだ。あるプレイヤーとの出会いを契機に、
死に方を選べるほど器用ではない。それでも、生き方くらいは選びたかった。
あのまま《はじまりの街》で生き永らえることは、死ぬのと同じくらい無価値で、怖かった。
決意。今のノアを動かしているのは、ただそれだけ。
止まらないこと。死以外の全てが偽物のこの世界で、立ち止まらず、本当の意味で生き続けること。それこそがフードで自分を隠した曲刀使い《Noir》が持つ意味の全て。どこまでも、どこまでも止まらず走り続ける。この世界で死ぬ、その瞬間まで。
「…………終了」
2:30。剣を振る。強化を終えた《ライト・シャムシール+2》は、風のようなその速さでノアを驚かせた。今までまともな手入れすらしてこなかった剣は、昨日までの不自由さが嘘のようにノアの手に馴染んだ。
借り物の、偽物の体でフィールドを駆け、モンスターを狩る。一昨日までと変わらないいつものこと。眠ったから、調子はむしろいい方だ。
あの大鎌使いの言う通り。モンスターは、夜の方が出現率が良かった。がむしゃらに倒していただけでは気がつかなかった。効率を重視する彼女の教えはノアにとって都合の良いもので、いつもより早いペースでモンスターを屠ることができている。
SAOの夜は、街灯ひとつもないせいで視界を確保しづらい。暗黒から突如として迫るモンスターを《索敵》スキルによる気休め程度の《暗視》ボーナスと、ソードスキルの光で一瞬にして見極め、急所に一撃。夜の狩りでは、そんな針の穴を通すようなその芸当を淡々と繰り返すだけだ。
「ギュビィィ!!」
芋虫型モンスター《ジャグズ・ワーム》が昆虫とは思えないほどの奇声を上げて消滅する。確認する間もなく次の獲物へ。
繰り返す。繰り返す。剣を振るうごとに脳が削がれるような痛みと、平衡感覚を失いそうなほどの耐え難い眩暈が襲う。
「……っ……終了……!」
そして、それら全てが偽りであると、モンスターごと斬り捨てた。
計、80体。ようやく
流石に無傷、というわけにはいかない。それでも、
武器の耐久値は街で全回復させたし、レベルも1上がった。待ち合わせの6時まであと3時間と少し。それだけあれば、もっと、もっとモンスターを狩れる。
もっと強くなって、もっと早くなって。
ノアは、生きることができる───
「…………終わり」
気がついた時には。剣を鞘に収め、ノアはその場を離れていた。
理由はわからない。6時間の狩りなんて珍しくもないし、倍以上の時間ぶっ通しでフィールドに居続けたこともある。先も言った通り、武器やPoTの量も問題ない。
帰ったところで、料理もできない簡易的な宿屋ではやれることもなくて。
(…………なのに、どうして)
自分の行動と心が矛盾だらけなのを自覚する。自覚しながら、帰ろうとする足は止められず、このままフィールドに居続ける気にもなれない。
わからない。おかしい。そんなことだらけだ。昨日、彼女と出会ってからずっと。
『伏せて!』
あんな恥辱を受けて、思うところがなかったわけではない。ただ、人は誰しも間違いやミスを犯す。ならば、いつか死ぬだけの自分が辱められる程度は些細なことで。この世界では現実の法も機能しないから。咎めることもできない。
そのはず、だったのに。
『武器の強化素材を集め終わるまで、パーティを組んで協力してくれ』
生きるだけ。生きて、死ぬだけのこの体に、あってはならないはずのものがある。全てが偽物のこの世界で、確かに得てしまったものがある。
その正体を、ノアは知っている。けれど言葉にすることは、どうやったってできない。
「おはよう。遅かったな、ミト」
「遅いって……遅刻はしてないから、文句を言われる筋合いはないわよ」
「……? そう、だな。うん、そうか。すまない。確かに、6時だ」
「せっかちね……なら、早くいきましょ。今日中にその剣、+7まで持っていってやる」
「期待しておこう」
──この世界での冒険が、楽しいだなんて。
そんな事実を、認めるわけにはいかなかった。
これが本作主人公、アスナさん以上の決意ガンギマリモンスターです。
いい加減お話進めます。
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