セクハラから始まる仮想生活   作:練菓子

6 / 9
 メモラブル・ソングの内容を盛り込むか半日以上迷いましたが、わかる方が少ないかな、と思いましたので描写を省いております。

 ダンジョンでノア君を待つ運命の出会いとは──(出オチ)




星なき夜のアリア編
そして、運命の出会い


 

《Noir》と名乗る彼と初めて出会った日のことを、アスナ/結城明日奈は、二年経った今でもハッキリと覚えている。

 

 と言っても。最初のコンタクトは一方的なもので、彼視点ではアスナと面識を持ったのはそれから約一月ほど先のはずだ。

 

 初対面はともかく、最初の頃の印象はハッキリ言ってあまり良い方ではなかった。

 

 彼はどこか、アスナに似ていて。けれど、ところどころでアスナよりも優れていた。自分の半上位互換のような存在を見せつけられて、何も思うなというのが無理な話だ。悔しさ、嫉妬。彼の姿は久しくアスナになかったそんな感情を思い出させた。

 

 けれど、ボス戦で顔を合わせて話すうち、様々な共通点から次第に仲良くなって。不愛想に見えて優しくて、不審者じみているのに恐ろしいほど強くて、けれど日常では欠点だらけで、どこか危うい。そんな彼だから放っておけず、アスナも色々と世話を焼いて……そのせいで色々と周囲から言われることもあったが……最後には、あの世界で最も信用できるプレイヤーの一人になった。

 

 互いに背中を預け合い、たった二人で難敵へ立ち向かったこともある。共闘した回数で言えば、きっと黒の剣士たるあの彼よりも多いだろう。

 

 

 ──まぁ、フードの下を見た時は流石に驚いたが。

 

 

 そして今。様々な試練を乗り越え現実へと戻ったアスナは、ある扉へと手をかけている。二年以上眠り続けた弊害も乗り越え、ようやっと松葉杖もなしに歩けるようになって。それでもこの手が震えているのは、きっと錆びついた身体のせいではなく、この先にある現実が怖いからだ。

 

 今からアスナは、インターネットで知り合った相手と会う。

 

 親友と恋仲だった相手と。あの世界で家族とすら思っていた相手と。

 

『アスナ。名前、呼んでくれて嬉しかった。ありがとう』

 

 電子の信頼を築いた相手と。この世界で、初めて。

 

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 2022年。アインクラッドは、初めての……というのは当然だが……なんにせよ、初めての12月に突入した。それはつまり、曲刀使いのノアと出会って、実に3日が経過したことを意味している。

 

 あまりにも早く過ぎ去っていった3日間を振り返る。本当に、色々なことがあった。最初こそ理解不能で慇懃無礼としか思っていなかったノアと、ミトは戦闘を通じて次第にわかり合い、楽しい日々を過ごして……

 

 

『ミト、この世界でありえると思うか? 酒を飲んで酔うこと』

『ないわよ。この世界でどれだけお酒を飲んでも、現実の体には1ミリもアルコールは届かないもの』

『そうだな。そう……そのはず……ヒック

『ウェイターさん! 水! 水ぅ!!』

 

 

『……………………お代わりを』

『………………』

『お代わりを…………』

『どうして……どうして私は……人の誘いを断れないんだろう……』

『……お代わりを……』

『いつになったら終わるというの……この地獄は……』

 

 

『ん、あれは……』

『モンスターの群れね。見たところ雑魚ばっかりだし、クエストイベントか何かでもなさそう……』

『そうだな。じゃあ、行くか』

『待てぃ。行くか、じゃない。まさか、モンスターの群れに突っ込もうとしてるわけじゃないでしょうね』

『でも、素材モンスターが多い。よし、行くぞ』

『よしじゃない行くぞじゃない。こら! 止まりなさ……引きずるな!!』

 

 

『ミト。このスライムの攻撃力は全モンスターは中最低レベル、なんだな』

『え? まぁ、少なくともベータじゃそうだったけど……』

『ふむ……………………』

『…………まさか、食べようとか思ってるんじゃないでしょうね』

『…………意外とイケそうじゃないか? ゼリーみたいで』

『いやいやいや。絶対変な味するわよ』

『そう……いや、本当にそうだろうか…………?』

『真剣に悩まないでよ! 食用じゃないに決まってるでしょ!!』

 

 

 ……なぜだろう。思い出せば思い出すほど、苦労した記憶か苦悩した記憶しかない。謎も全く解けていないし、なんならゲーム初心者としか思えない振る舞いに謎は一層深まったようにすら思える。

 

 波乱万丈、トラブルまみれの三日間。ベータテスターであるミトの知識とノアの並外れた戦闘センスで死を恐れるような事態こそなかったものの、あまりにも自由人過ぎる振る舞いにさしものミトもブチギレまくった。ストレスのあまり蹴り飛ばしたオブジェクトは数知れず。宿屋の扉など、破壊不能オブジェクトでなければ7枚は叩き割っていただろう。

 

 そして現在。場所は────アインクラッド第一層。迷宮区。第二層への道を阻む守護(ボス)モンスターの存在するダンジョンの中にミトはいた。理由というのは実に単純明快で、ノアが武器強化するための素材をドロップする(落とす)モンスターが、迷宮区にしか生息していなかったのだ。

 

 ミトのレベルは12、ノアのレベルは11。……同じペースで狩りをしているのに、二週間以上ハンデがあるはずのノアに追いつかれかけているのが不思議でならないが……ともかく、1層の迷宮区であれば余程のことがない限り死ぬことはないだろう、という目算の元。決して深追いなどしないよう注意し、計20階建てにもなる迷宮へと二人は足を運んだ。運んで……

 

「あんの天才バカ…………方向音痴にもほどがあるでしょ……」

 

 運んで(はぐ)れた。

 

 いや。何も、理由もなくこんな事態になったわけではない。

 

 発端は、ダンジョンに潜って数十分ほど経った頃。運よく、早いうちに強化用の素材が一回分ほど集まり、もののついでにミトの武器の強化素材を落とすモンスターも狙おうか、とでもしたときのこと。

 

『……プレイヤーか』

『みたいね。トラップを踏んだみたい』

 

 ミトとノアが見たのは、ノアの時とは比べ物にならないほど大量のモンスターに囲まれた、4人のプレイヤー。

 

 その足元にはその数を呼び寄せた原因と思われる空っぽの宝箱が転がっていた。恐らく彼らはトラップの可能性を考えず、アラート付きの宝箱を開けてしまったのだろう。

 

『踏ん……? 落とし穴かなにかか?』

『ああ。そうじゃなくて、かかると似たようなニュアンス。スラングみたいなものかな。ゲームじゃ結構メジャーな表現よ』

『なるほど。トラップの語源が踏む場所だからか。いや、ドジを踏むから来ているのか……?』

『……脚本の人そこまで考えてないと思うよ』

『脚本?』

 

 無知なくせに変なところでやけに博識なノアはともかくとして。

 

 鳴り止んだのか解除したのかは定かではないが、現在アラートは鳴っていない。新手の心配はないが……それでも50体近いモンスターが集まっている。当然、囲まれるプレイヤーたちにも余裕は見られない。全員HPバーはグリーンを割り、半分を切ったことを示すイエローへと突入している。

 

 善戦している方だが、量が量だ。放置すればいずれ戦線が崩壊するのは明らかだった。

 

(助ける? あの量のモンスターを相手に?)

 

 葛藤した。

 

 というのも。ミトは以前、似たような境遇に陥ったプレイヤーを一度見捨てていた。当時、まだ初心者だったアスナと一緒にいたこともあったし、アラートが鳴り止んでおらず、敵の数を把握できないことも理由だった。

 

 では。アラートもなく、敵の数も把握できる状況で。だからと言って、ミトは自らの、ノアの危険を顧みず、見ず知らずの彼らを助けるべきなのか──

 

『じゃあ、僕がモンスターを引き付けるから。ミトはあの人達の避難を頼む』

『え?』

『ん? 助けるだろう?』

 

 ……そんなミトの葛藤は、黒フードの男が当然のように剣を抜いたことでぶち壊しになった。

 

『言い出しっぺは僕だ。危険は引き受ける。それに、ここのマップはミトの方が知っているからな』

 

 極めて合理的な理由の、不合理な判断。見捨てるだけで済む問題に、わざわざ彼は頭を突っ込んだのだ。

 

『時間もなさそうだ。やるぞ』

『…………わかった。行こう』

 

 全くリスクがない、とは言えないだろう。あの量のモンスターを相手にすれば、いくらノアと言えども殺される可能性は充分にある。

 

 けれど。いや、だからこそ。他人を助けるために何の躊躇もなく身を投げ出せる彼の姿は、ミトにとっては眩しかった。

 

 そしてノアは、モンスターの群れを背後から攻撃。

 

 三人のプレイヤーたちに群がっていたモンスターの大半を相手に……するのは流石に面倒だと考えたのだろう。引き連れて足早に駆け出した。撒けばそれでよし。でなくとも、狭い通路に逃げ込めば必然戦う相手は少数で済む。ノアらしい、合理的で理性的な戦術。

 

 そしてその隙に、ミトは残ったモンスターを手早く処理し、惚けるプレイヤー達を叱咤しつつも、同じエリアの安全地帯へと案内したのだった。

 

 HPバーを赤くしていた彼らは死すら覚悟していたらしく、しきりにお礼を言われて若干気まずい思いをしたのだが。

 

 と。それだけならちょっとした日常の変化程度で済んだのだろう。ここまでは良かった。ここまでは。

 

 安全地帯についてすぐに、ミトはノアを助けるため階を探し回った。どこにいるのか、とフロア中を探し回り…………小さな小部屋から通路をくまなく、1階分のマッピングデータが完成するほどに探して、探し……

 

「どこ行ったあのバカ……!」

 

 そして、冒頭に戻る。ノアは迷子になった。

 

 どうも、事故か何かなのか別のフロアに移動してしまったらしい。フレンドリストに彼を登録していれば、現在地をマップで見ることも可能なのだが。生憎と、ミトのフレンドリストは0人の空っぽ。そもそも真っ当な出会いを果たしていない二人が登録などしているわけがない。

 

 いや。そういえば、ここはダンジョン。街中でHPを保護してくれる《安全コード》の圏外だ。フレンドのマップが機能していたとてその機能はあくまで圏内までであり、今この現在なんの役にも立たないのだ。ますます合流が絶望的になってきた。

 

 ……これで彼のHPが削れようものなら必死さも増すのだろうが。パーティーメンバーとしてミトの視界左上に表示されているHPバーは可愛げもなくフル状態を維持し、何秒経とうと微動だにしない。あのモンスター群との戦闘も、大方終わっているのだろう。

 

 いつぞやとは大違いの状況で、そのおかげと言うべきか。ミトも冷静さを保って行動することができている。大方、転移トラップか落とし穴にでもハマってフロアを移動させられたのだろう。

 

 ───アスナ。

 

 ……そんな中で、思い出すな、というのが無理な話だ。ノアとの忙しい日々のおかげで、思い出さずに奥底に閉まっていられたもの。赦されざる罪が浮かんでくる。

 

 心配などするべくもない。今でこそ、彼との才能の違いは知識と経験の差で誤魔化せているが、ノアは確実にミトよりも強くなる。そして、その時はきっとそう遠くない。

 

 今でさえ、ミトが何かの気まぐれでパーティーを解散したとて、平然と街へ戻るだけの実力はあるだろう。

 

 けれど。だからこそ。何か。何かの拍子に、あっけなく彼が死んでしまうような。

 

 ミトは、そんな気がしてならないのだ。

 

「──死なないでしょうね、アイツ……」

 

 不安は、誰に届くこともなく壁へ虚しく響いた。

 

 

 

 一方。その二階ほど上。

 

「ふ、迷子になるなんてミトは仕方がないやつだな……」

 

 当の本人はミトに聞かせれば8、9、10枚目の扉が破壊されるであろうコトをほざいていた。

 

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 美しい、剣だった。

 

 無骨な鋼から生み出されるとは思えない、鋭利さすら感じさせる軌跡。空中に描かれるそれは、当然のように軌道上にあるモンスターを両断する。滑らかに、淑やかに。撫でるようにその身が削がれて、消える。

 

 一瞬の、瞬きのような閃き。その道に三十、四十年と年月を捧げた人間が、血すら滲む努力の末に漸く至れるであろう境地。

 

 剣戟、と呼ぶことすら侮辱に等しい。それは剣舞。見る者を魅せ、斬られる者にも恍惚を憶えさせる、尊くすらある美の一撃。《ソードスキル》などという要素が、洗練されたこの技を前にすれば余計なギミックとすら思えるほどに。

 

 天才。

 

 何百、何千、万に至るまでこの世界での剣を見た少女の言葉は決して誇張などではない。ただ得物を振るうだけなら、この男は世界において最高水準を誇る。

 

「終了」

 

《ライト・シャムシール+6》を仕舞い込み、息を吐く。ポリゴン片と化して爆散したモンスター《ルイン・コボルト・トルーパー》に目もくれず、見据えるのは鬱屈と続く迷宮の先。

 

 一人で歩いて、およそ十分。煉瓦造りの変わり映えしない迷宮区の壁は、確実にノアの方向感覚を削り取っていた。

 

 まぁ別にそんなものがなくても元々ノアの方向感覚は並以下ではあるのだが。

 

 幸いにも、多少迷ったところで戦闘力に問題はない。最近徹夜での狩りをしていなかったのがここに来て活きていた。数十分は眠ることができたので、剣のキレはいつもよりも上。しきりに襲う頭痛や眩暈もかなりマシで、50近いモンスター相手でも遅れをとることはなかった。

 

 そうして、襲ってくるモンスターを葬り、進み続けて数分。相も変わらずノーダメージで迷宮区を練り歩き、そろそろレベルの一つでも上がるかと言った時。変わり映えしなかった迷宮区の道に一筋の光が差した。

 

「む……安全地帯か」

 

 安全地帯(セーフティエリア)。迷宮の各エリアに設置されたモンスターが出現、侵入しない一つの大部屋。石畳に暗い松明が四隅にあるだけの、お世辞にも快適とは言えない空間。

 

 だが、それでも安全というものの価値は大きく、主にはパーティーが休息をとるのに用いられる。かくいうノアも、ミトと何度か一旦のストレージ整理などで頻繁にこの場所を用いていた。

 

「ミト、いるか?」

 

 いない。逆方向どころかそもそも別の階である。

 

 そう。ミトの見立て通り、ノアはトレインされたモンスターを処理しきったところで設置された転移罠を踏み抜き、今現在の階層へと転移させられていた。させられていた────が。

 

「全く、どこをほっつき歩いているんだ? ミトは……」

 

 全くどこをほっつき歩いてるんだお前は。

 

 この男、転移罠を踏んだことどころか、自分が何処に居るのかすらも把握していなかった。マップを開けば気がつきそうなものだが、方向音痴が地図を頑なに開こうとしないのと同じように、そもそもノアにはマップを開くという発想自体が無い。ここにいないミトが聞けば11枚目の扉が臨終していた。方向音痴に関しても天才なのかもしれない。

 

「……待つか。そのうちミトも来るだろう」

 

待つな。別階層つってんだろ。

 

 そんなツッコミが聞こえてきそうだったが、ノアには届かなかった。ちょうどいい機会だ、と入り口から少し離れた壁に背を預け、最近になって慣れてきた手順でストレージを漁り始める。始めてしまう。12枚目が消えた。

 

 武器強化用の素材も十分にドロップしており、少しほくほくしながらモンスターのドロップした怪しげなアイテムを検分。

 

 中でもノアの目を引いたのは《テイルオブ・グローミーバット》。直訳すると《グローミーバット(鬱陶しい蝙蝠)の尻尾》だ。尻尾をドロップするモンスターはネズミ型モンスターが多いのだが、まさか蝙蝠が羽ならともかく、尻尾をドロップするとは思わなかった。そもそも蝙蝠に尻尾はあるのか、と首を傾げたくなるほどだ。

 

 どんな見た目なのか、と物品化(オブジェクト化)したい欲求に駆られるも、『動物の部位系ドロップはグロいの多いからやめておいた方がいいわよ』という彼女の忠告を思い出し、自重。アイテムの備考欄にも何も書いていないが、わざわざドロップするということは何かしらの意味があるに違いない。何もないのだとしても、料理すればもしかすればおいしいのかも……

 

 と。そんな具合に仮想の蝙蝠の尻尾の調理方法に思案し、数分が経った頃。ふとノアは思考を止め、自分が入ってきた方向……ノアは知る由もないが、迷宮の下の階へと繋がる入口……を見据えた。

 

(──プレイヤ―か?)

 

 現れた気配に、自然と手が腰に構えた剣へと動く。耳が捉える音……足音、息遣い。どれもがその正体が人であるとノアに訴えてかけてくる。まさか、とは思うが。最低限の警戒を怠らず、ノアはそれが迫りくるのを待ち受けていた。

 

 目が捉えたのは、赤いフーデットケープ。ノアが被る黒のオーバーコートとどこか似ている。得物は恐らく、腰に備えられた街売りの細剣(レイピア)だ。見えるHPバーはグリーンながらも、どこか疲れ切っているように見える。弱々しさのあまり、思わず腰だめにしていた手を降ろしてしまうほどに。

 

 そして。

 

「……はぁ……ぁ…………」

 

 運命は、あまりにも危うい足取りで現れた。

 

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 ──結城明日奈(ゆうきあすな)……プレイヤー名《Asuna(アスナ)》の意識は、途切れる寸前でなお思考を紡ぎ続けていた。

 

 この世界で死ねば、本当に現実世界で死ぬのだろうか、と。

 

 現実逃避に近い、無駄で無意味な思考。けれど、こうして極限状態になればなるほどに、本当にそんなことがあり得るのかと考えこんでしまう。

 

 そもそも、この世界に来てから、現実感など感じたことは一度もなかった。親友と思っていた友人……兎沢深澄(とざわみすみ)に誘われたことをきっかけに、兄のナーヴギアを使って『リンク・スタート』の一言を唱えたその瞬間から。このゲームの製作者なのだという茅場昌彦によって行われたチュートリアル(警告)の後も。自らのミスで《リトルネペント》に囲まれて、HPバーが赤く染まっても。この迷宮で意識を失いかけている今ですら、アスナの脳からはそんな思考が離れなかった。

 

 覚悟は、このダンジョンに入る前の宿屋で済ませた。この世界は現実。アスナが踏みしめるこの偽物だらけの世界こそが、自分自身が生きる現実なのだ、と。

 

 ……そう心に決めても、どこかではまだ現実を信じ切れずにいる。もしかすれば、死などというのは悪質なドッキリ……ブラックジョークか何かで、死んだその直後にはアスナの意識は何でもないように現実世界に戻り、ログインする際に座りこんでいたメッシュチェアから立ち上がることができるのではないか、と。

 

 もし。もしもそうだったなら、どれだけいいだろう。

 

(そうだったら、そうだったら……)

 

『私が、絶対にアスナを死なせない』

 

 もしもそうだったのなら。

 

 この心の霧は、簡単に消えてくれただろうに。

 

 歩く。歩く。決意だけを支えに、先すら見えない死の道を。死へと繋がる、冷たい迷宮の道を。

 

 それはただ、自分が満足する終わりを迎えるためだけに。

 

 

 ほんの数日前。アスナは、この世界で一人ぼっちになった。共にいた親友──プレイヤー名《Mito(ミト)》に見捨てられたことで。

 

 無機質に表示された『《Mito》がパーティーを離脱しました』のメッセージが表示されたときのことは、今でも覚えている。《リトルネペント》との戦闘中、レアなアイテムをドロップするのだというモンスターを追い、ミトは一瞬アスナから離れた。はじまりは些細な、たったそれだけのこと。

 

『アスナ、ダメッ!』

 

 発動したソードスキル《シューティングスター》の軌道上に《実つき》が出現したと気が付いたのは、アスナと合流しようと一方後ろで俯瞰していたミトが先だった。動作(モーション)アシストによって剣技を止めることが出来なかったアスナは、結果として大量の《リトルネペント》を呼び寄せてしまった。

 

 どうにかして二人は合流しようとしたが、ミトは崖崩れによって落下してしまい、アスナは単独で《リトルネペント》の大群を殲滅しなければならなかった。

 

 それでも、辛うじて問題はなかったのだ。《リトルネペント》一体一体はさほど驚異というわけではない。回復薬を使い切ってHPを危険域に突入させながらも、アスナは無事に最後の一体になるまで《リトルネペント》を殲滅したのだ。

 

『グルゴルギャアァァ!!!!』

 

 けれど。最後の一体を踏みつぶすようにして現れた巨大なモンスター……後にフィールドボスと知った《Giant Anthrosaur》によって、アスナは再び窮地へと陥った。何とか立ち向かうも、無傷とはいかない。消耗し、回復手段を失ってじりじりと削れていくHP。

 

 けれど、時間さえあれば。そう。耐えることさえできれば、きっとミトが助けに来てくれる────

 

 

『《Mito》がパーティーを離脱しました』

 

 

『……えっ?』

 

 そのメッセージは、最後通牒でもあるかのように、あっけなくアスナを貫いた。

 

 剣を弾き飛ばされ、訳も分からぬまま巨大なモンスターに組み敷かれる。甚振ることに愉しみでも覚えているかのように、モンスターは顎を大きく広げ、アスナをかみ砕かんとじわじわと口を閉じていく。目前に迫った死を前に、恐怖以上に、アスナの頭を困惑が埋め尽くした。

 

『ミト……どうして……?』

 

 ────結局、とあるプレイヤーに助けられたアスナは、命からがらその場から街へと帰還することができた。けれど、胸の疑念は晴れず……否。時間を置けば置くほどに、アスナの心に消えない靄を生み出し続けていた。

 

 ……大切な友人と思っていた。最初の出会いこそ、ゲームセンターで筐体の格闘ゲームに勤しむ彼女を目撃し、口止めをされるという奇妙なもので。

 

 それでも、放課後に息抜きのゲームをしたり、髪を結ってもらったあの時間は、アスナにとってかけがえのないものだった。成績は常にトップ。運動神経も抜群で、誰とも深く関わらないクールな学園の王子様。そんな彼女と密やかに交友を持っていることを、誇らしく思っていたことだってある。

 

 それらすべてが、アスナの一方的な思い込みだったのだろうか。

 

 そうは。そうは、思いたくない。けれど、確かめる勇気もない。直接彼女の口から否定されてしまえば、今度こそアスナの中にある大切な何かが壊れてしまうような気がしたから。もう、本当は壊れてしまっていたのだとしても。それに目を向けられるほど、今のアスナの心は強くない。

 

 それでも、考える。考えて、考えた。そうやって考えることこそが、アスナの……結城明日奈の生きている証だったから。

 

 そうして、考えつくした果てに。

 

(きっと、私は死ぬ)

 

 それこそが、アスナの出した結論だった。一月近くが経って二千人近い経験者たちが死んだこのゲーム。二週間前まで初心者同然だったアスナが生きてこられたのは、間違いなくミトの助けがあったからだ。それを失った以上、アスナの前に生存の道はない。

 

 そうとさえわかれば、あとに考えるべきは『どう死ぬか』だけだった。

 

 ────ここが、現実。私が生きる、現実。

 

 こんなことになって、もう生き方なんて選べない。

 

(……それでも、死に方くらいは選べる)

 

 モンスターに立ち向かって死ぬのならば。例えアスナの命が喪われようと、誇りだけは穢れない。

 

 決意を固めたアスナは店買いのレイピアとポーションをありったけ仕入れ、今この世界で最も強いモンスターと戦える場所…………ダンジョンへと足を運んだ。被弾を最小限にしてポーションの使用を最低限に抑え、剣はメンテすることもなく使い捨てた。耐久力が減って消滅したなら、二本目、三本目を使うまで。休憩はモンスターのいない安全エリアで取れば済む。注目を集めるこの顔も、フードで隠してしまえば迷宮でわざわざ改められることはない。そんな常人離れしたプレイスタイルのおかげで、アスナは街に戻ることなく延々とダンジョンに篭り続けることができた。

 

 そして、およそ三度目……時間にして18時間ぶりの休憩を取ることのできる安全地帯に、アスナはおぼつかない足取りで辿り着いた。

 

 日に日に……時間感覚などもうなくなってしまったが……死が自分に近付いてきているのがわかる。意識は薄くなり、視界は霞み、足は鉛のように重い。最初の頃は数えていたモンスターの討伐数も、今となっては倒した記憶すら曖昧だ。

 

 それでも、恐怖はない。不快感も、思ったほどでもない。

 

(────ああ、終われる)

 

 命の終わりが近づく中、アスナの思考は抗いがたい退廃に埋まっていく。意識が遠のき思考せずに済むことが、今のアスナにはどうしようもなく嬉しかった。

 

「……はぁ……ぁ…………」

 

 ボロボロの心と体で、ほとんど倒れ込むような形で安全エリアの壁へ寄りかかった。荒くなる息切れの錯覚に抗うこともなく、偽りの酸素を吸いこんで残り僅かの生を舌先で味わう。どこか甘く感じる唾液が、肺と共にアスナの体に熱を満たしていく。

 

 あと数回。ほんの数回この過程を繰り返せば。きっと、その瞬間は訪れる。死だけが現実のこの世界で、せめて後悔することなく、自ら望んだ終わりが訪れるのだ。

 

 天を仰ぎ、暗い無機質な空に星を幻視した。孤独な夜をもう過ごさなくてもいいのだと考えるだけで、アスナの心は微かな喜びに揺れてしまう。どうしようもなく未練がましい気持ちを忘れたくて。アスナは急かされるように安全地帯を立ち去ろうとした。

 

 

 

 

 

 

「あの…………大丈夫、()()()?」

 

 運命は、そんなアスナの心を覗き込んでいた。

 

 

 

 

 





お察しかもしれませんが、ノア君はシリアス時以外はだいぶ思考回路がおもろいです。頭のいい天才天然バカです。

メンヘラアスナさんを書けたので大満足

沢山評価いただけて嬉しいです。励みになります。
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