セクハラから始まる仮想生活 作:練菓子
こく、こく。粘度のある時間が、ゆっくり、ゆっくりと過ぎ去っていく。話す内容を測るように相手を見て、何も言わない相手に、気まずくなって顔を逸らす。
酒場のテーブルで、ミトとノア二人はもう半刻はそうやって黙り込んでいた。
「………………」
「……………………」
二人とも食事中はさほど話す方でもないが、それでも、示し合わせたかのように何も話さない。何も言えない、という方が正しいのかもしれない。
ミトはともかく、ノアが言葉を発さないのは意外だった。この男は無愛想だが寡黙というわけではない。ついでに言うと一言多いタイプだ。そんな彼が黙り込む姿を、ミトは初めて見たかもしれない。だからと言って、ミトが口を開くこともなかった。
予感がある。何かを口にすれば、それで何か。大切な何かが終わるような、そんな予感。
どうして、こんなことになったのだろうか。ミトは、数時間前のダンジョンでの出来事を思い出していた。
SAOでは、他のRPGゲームなどでよく見られる《
けれど逆に言えば、名乗る分には、騎士でも戦士でも魔術師でも個人の自由、と言うもの。
シールドと直剣を背負い、ところどころに金属製の胸当てやらを装備している彼の姿は、言われてみればなるほど、ナイトと言えなくもないだろう。
そんな彼の冗談じみた言葉に、ミトはクスリと笑いをこぼした。
「
「あなたね……」
ノアは豪速球ストレートを投げた。あんまりすぎるマジレスに、さしものミトもドン引きする。もしこの場にディアベルがいなければ、「あなただって似たようなものでしょ」と口にしていたかもしれない。自覚がないのだろうか。
「はは、悪い悪い。ゲーマーなりのジョークみたいなものでね」
そんなノアの堅物っぷりに動じず、ディアベルは笑顔でそう返してみせる。爽やかイケメンフェイスが目に眩しい。学生時代は学校カーストのトップに君臨していたに違いない。顔も性格もいい、というのはアスナという実例を見てよくよく理解していたつもりだったが、改めて眼前にするとなかなかに罪だ。どこかの誰かにも見習ってほしいものだ。
「じー…………」
「な、なんだ? 突然見つめてきて」
「いーえ、なんでもございません」
いまだに素顔すら見せないド失礼極まりない彼に期待するのは、まぁお門違いというか、高望みというものかもしれないが。
「ところで……あなた、ソロ?」
「いや。パーティーメンバーがいるんだが、今はちょっと事情があって離れていてね。目的は視察と、勧誘だよ」
「視察?」
「勧誘?」
「質問が二つ……か」
ノアとミトの問いかけに、どちらから答えたものか、とディアベルは一瞬目を閉じ……そして、まずは、と前置きを置いて話し始める。
「噂になっていたよ。ダンジョンやダンジョン前の街に、鎌使いの女の子がいるって。凄まじい実力だと聞いて、やってきたんだ。コンビを組んでいて、もう一人は…………」
そこでディアベルは一旦止め、ちらり、とノアの方を見やった。ミトのことやコンビを組んでいることも知っているのなら、ノアの情報は当然聞き及んでいるだろう。二人のどちらが特徴的ですか、と訊かれれば、10人中10人がノアと答えるに違いない。
そしてミトは、ディアベルがなぜ言葉を止めたかを察し、先んじて一手を打とうとする。
「当ててあげましょうか。大食漢の黒フード、って噂されてたんでしょう?」
「……残念だけど、外れだ。柔和で礼儀正しいけど口下手、と聞いているよ。同時に、初心者とは思えないほど強い、ともね」
「な、ななななな……!!」
「…………どこ情報よ、それ」
予想外すぎる答えにノアがわなわなと震え、ミトは情報の適当さに呆れ返る。後者はともかく。前者は完璧に的外れだ。口下手、はいいとしても、失礼の化身たるノアに礼儀正しいなんて言葉は猫に小判が過ぎる。柔和? モンスターの首を狩りまくるプレイヤーのどこが柔らかな和かミトに教えてほしいくらいだ。
所詮、噂は噂、ということだろう。ミトもベータテスターである身として、一般のプレイヤーよりは卓越したスキルを持っているとは思う。けれど、ミトは弱い。パーティーメンバーの一人も助けられず、見殺しにしてしまうほどに。
「……まぁ、情報元は察しが付くから、いい。視察……いや、勧誘の意味は分かったが。視察というのは?」
「ああ、そうか。どちらの意味とも取れたか。これは悪いことをした。今のは勧誘の方でね」
感傷に浸るミトを他所に尋ねたノアに、ディアベルは少し気まずそうにそう答える。しきりに何か考えている様子で、ミトには、彼が動揺しているようにも見えた。
「そして視察の方だが」
一区切りつけ、ディアベルは改まって話し出す。
「実は今日、俺たちのパーティーが、ボスモンスターの部屋を発見した」
「もう? 随分早いのね」
「まさか、遅すぎるくらいだよ。……たった100分の1で、一ヶ月も時間を食ってしまった。これでは、プレイヤーの不安は募るばかりだ」
拳を握りしめ、悔しそうにディアベルはそう呟く。顔の良さもあり、ドラマのワンシーンのような感動すら覚えさせる……が。
(────何か、隠してる?)
何か。ミトには、なにか、そこに裏があるように思えてならなかった。プレイヤーが不安がる現状を由々しく思っている。それは本心ではあるのだと思う。けれど、きっと今彼が述べたのが、彼の心の全てではないような気がした。それ以外に大切な何かを、目の前の彼はミトとノアに隠している。
……もしかして。
もしかすれば、このディアベルという男は。ミトと同じベータの……
「そこで、だ」
その可能性は言葉にならず、他でもないディアベルによって遮られた。意識してか、はたまた偶然か。二人を凛とした眼差しで見据え、騎士を名乗った男は。
「よければ、君たち二人もボス戦に参加してくれないだろうか」
天才と孤独な弱虫を、そうやって誘ったのだ。
大前提として。VRに限らず、MMOのソロプレイには必ず限界がある。
例えば、状態異常。三分以上の行動不能を課せられる
だが、ソロプレイではこれらのバッドステータス……いわゆるデバフは、そのまま死に直結する。たった一つのミスが、下手を打てば死の危機にすらなり得る。これがソロプレイの危険性だ。これが普通のゲームであれば、それもある種の縛りプレイとして楽しむこともできた。
だが、このSAOはデスゲームだ。一度死ねば終わりのこの世界で、ソロプレイなど正気の沙汰ではない。一時をソロとして過ごしたミトとて、ベータの知識が無ければたった数日で何度死んでいたかわからない。そしてベータテストの知識は、第十層まで。そこから先は、かの茅場昌彦以外は知り得ない完全未知の世界なのだ。これをソロで攻略して第百層まで生き残れたのだとすれば、それはもう奇跡としか言い表しようがない。それほどまでに、MMOにおけるソロプレイは難度が高いのだ。
ミトとてわかっている。この世界を生き抜くためには、いずれ必ず人の支えが必要になるだろう、と。
だからこそ、自分たちのパーティーに入って欲しいというディアベルの誘いを断る理由は、元来ミトにはないはずだった。
……けれど。
『そ、れは……』
『…………』
ミトのディアベルへの返答は、全く釈然としないものであった。そしてなぜか、ノアもまたディアベルの誘いに対しては黙り込み、その場には沈黙が降りていた。
『…………何も、今すぐ返事をくれと言ってるわけじゃない。明後日の夕方、《トールバーナ》で攻略会議をする予定だ。もし協力してくれるなら、そっちに参加してくれ。勿論、俺に直接声をかけてくれてもいい。宿屋の場所を教えておこう。なるべく早いと助かる』
ディアベルは気のいい男だった。自分の誘いに対して望んでいたであろう答えを返さなかったミトたちに対しても、そんな言葉をかけてくれたほどだ。
『それじゃあ、また会おう。色のいい返事を期待しているよ』
けれど、ミトの心の闇は晴れず、ノアもまた、何か複雑な様子で動かなかった。
そこから酒場まで。全くと言っていいほど話すことはなく、なんとなくの意思疎通だけで街まで帰ってきた。
二人の間の沈黙は、今この時までそうやって保たれ続けていた。
(私は…………)
ミトには、忘れることのできない罪がある。
────アスナ、ごめん。
二度と、パーティーを組むべきではない。そう強迫観念を抱くほどの、拭い去れない罪が。
あの時。パーティーメンバーであるアスナを見捨てたのは、他でもないミトだ。そんな自分に、他の誰かとパーティーを組む資格など、あるはずがない。今の暫定パーティーとて、あんな形でなければ結成されることはなかっただろう。本来なら、事情を洗いざらい話してでも、このパーティーを解散しなければならないのだ。
「…………」
ミトが黙り込んでいるのは、今更そんな罪を思い出したからではない。
『うーん、今日の素材は渋いな……いっそ、思い切って狩場を変えてみるか?』
『そっちはモンスターこそいるけど、沼だから足を取られて危ないわよ。機動力も落ちるし……』
『問題ない。陸と同じように動いてみせる』
『そんなアホな……』
『まぁ見ておけ…………ほら、問題ないだろう』
『……足に水かきでもついてるの?』
『なんだ、このドロップアイテム…………《リキッド・オブ・ウインドワスプ》…………?』
『え? 何それ、知らない。説明とかないの?』
『何もないな……ちょっと
『あ、ちょっと! 動物とか昆虫の部位系のドロップは……』
『あっ…………』
『…………』
『破裂…………したな。…………粘液塗れだ……』
『……動物とかの部位ドロはグロいの多いから、次から気をつけてね……』
『…………はい』
『それにしても、オブジェクト化したら周囲に粘液をまき散らすアイテムね……《調合》スキルっていうのがあったし、それで使うのかしら……』
『そんなスキルがあるのか? スキルスロットにはないが』
『ええ、ポーションとかを作ることが出来て…………確か後半の方で……』
『うわっ! なにこれ、おいし!』
『ふふん、そうだろう、そうだろう。この『逆襲の雌牛』のクエスト報酬は期待できると聞いていたんだ……まさかこんな美味しいクリームが手に入るとは……』
『革命、革命だわ、これ。もう一個……いや、一日一個食べたい』
『ミト……
『な、何故それを……』
『なぁ、ミト』
『ミト!』
『ミト』
他人に振り回されて、事あるごとに驚かされて、自らの知見を伝えて、時には新しい発見に満ちた旅は。染みついて取れなかったミトの罪を……それよりずっと前に刺さった過去の楔を忘れさせるほどに。ただただ、楽しかった。
だから、ミトは恐れている。
(────私は、怖い)
ノアに嫌われるのが。たまらなく、怖い。
浅ましい、と自分でも思う。親友とすら呼んだ相手を見捨てておいて、今になっていい顔をしようだなんて、あまりにも都合が良すぎる。……そうわかっている。
それでも。ノアと過ごした日々を。結んだ絆を自ら捨てることなど、ミトにはできなかった。
ボス戦には参加したい。けれど、新しくパーティーを組むことはしたくない。その理由を説明することも、できない。けれど、参加したくないと言ってしまえば、ノアは一人で行ってしまうかもしれない。どちらに行ってもどん詰まりで。だから、ミトは黙るしかなかった。
どうしてノアが黙っているのかは、ミトにはわからない。ノアのことを、あまりにもミトは知らなさすぎる。素性も、素顔も、顔を隠す訳も。何も知らない。
いっそ、このままずっと黙っていればいいのではないか────
「はい、五分経過ぁ! 本日の結果、確定しました!!」
「うおおおおおおぉぉぉぉぉ!!!」
唐突に、そんな大声が酒場中に響き渡った。
最初の声をきっかけに、酒場にいたプレイヤーたちが堰を切ったかのように一斉に騒ぎ始める。声の主はだれであろう……毎夜毎夜、ノアが何皿食事を平らげるのかで賭け事をしていたプレイヤーたちだ。
「あの伝説の男が、シチューを三皿で止めた……だと!?」
「ぐぉぉ! 俺のレアドロップぅっ!!」
「お前いつもレアドロップ賭けてるよな」
「ふふふふ……死!!!!」
「っしゃぁ!! 一人勝ちごっつぁんです!!!」
「……ふふっ……」
「……ふっ……」
「ふふ、ふふふ……」
「はは、ははは……」
先程までの気まずさが嘘のような、あんまりにもあんまりな空気に、二人は思わず噴き出した。
「────ぶっ殺そう、ノア」
「承知した。今宵の剣は血に飢えているような気がする」
本気になった二人により、酒場は阿鼻叫喚に包まれた。
「あ、かかかか……」
「ぢ、ぢょうしにのりました……ずみませんでじだ……」
安全コード圏内故に、血の一滴……ならぬ、HPバーの1ドットも削れることはなかったが、発生する衝撃波により、酒場で賭けをしたプレイヤーは全員泣くまで甚振られた。最初こそ袋叩きじみた様相を呈していたが、ベータでフロントライナーを張っていたミトと、VR戦闘の基礎を叩き込まれた才能モンスターノアによって戦線はあっという間に崩壊。最後には拷問紛いの死体蹴りをするほどに一方的な蹂躙となった。
そうして文字通り泣く泣く会計を済ませ、プレイヤーたちは酒場を去った。賭け事をしていなかったプレイヤーは乱闘騒ぎが起こった瞬間帰っていたので、今この場にいるのはミトとノアの二人だけだ。
……冷静になってみて思えば、とんでもないことをしている。この店がNPC経営でなければ、今頃二人は出禁を喰らっていただろう。
と、そんな前置きはさておいて。
「…………私、ディアベルの誘いを受けようと思ってる」
話しだしたのは、ミトが先だった。
「単純に、ボス戦に参加することに意義を感じてるっていうのもあるけど……それ以上に、私はベータテスターだから。その責任を誰よりも果たさなきゃいけない。だから私は、ボスと戦う」
それは、紛れもなく本心からの言葉だった。嘘偽りのない、ミトの本音。
最後に、ノアと二人で戦うことが出来れば、と付け加えればほとんど完全になるのだが。そんな告白じみた言葉は、ミトの喉の奥に引っ込んで出てこなかった。
そしてミトはただ、待った。ミトの言葉を受けた、ノアの判断を。
「すまない。…………ボス戦には、参加できそうにない」
「────っ!」
その言葉は、ミトの想像していた十倍、百倍もの痛みを伴ってミトを穿った。胸の芯を握りしめられて、揺さぶられたかのような衝撃。思わず泣きそうになった。堪えて、深呼吸。ゆっくりと息を整え、声が震えないように意識して問いかける。
「……どうして? あなたの実力なら、足手まといなんてことはないと思う。パーティーなら、死ぬ確率はない……とは言えないけど、限りなく低いし……」
「そういうことではないんだ。命が惜しいから参加しないんじゃない」
悔しさ。やるせなさ。困惑。怒り。悲しみ。ミトが読み切れないほど複雑な感情が入り混じった声音で、ノアはそう言い切った。
「どう、言ったものか……長い話になってしまうんだが……これは、個人的な問題で……」
言葉を選んでいるのだろう。あれやこれやと煮え切らない様子で、ノアはもごもごと口を動かす。その姿が、少し新鮮で。ああ、別にミトが嫌いだかとか、そういう理由ではないのだろうな、と確信して。ほんの少しだけ、安堵した。
「いいわ。もともと、無理を強いるものでもないもの」
「え……?」
「ボス戦に参加するかどうかなんて、個人の自由。あなたの好きにすればいい。この世界じゃ、自分のことは全部自分で決められるの。それがこの世界で生きる人たちの権利だと、私はそう思ってる」
「……すまない。ミト」
ミトの言葉に、ノアは酷く驚いた様子だった。……そして心なしか悔しそうにしながら、ミトに軽く頭を下げる。「別にいいわよ」、と口にしかけて。ふと、思いついた。
それなら。もし、申しわけなく思ってくれるなら。
「じゃ、代わりに一層のボス攻略が終わったら、あなたの作ったご飯でもご馳走してよ。熟練度200越えの《料理》スキルの腕前、じっくり堪能させてもらうから」
「ミト……」
せめて、全てが終わった後に。そんな繋がりの希望を残すことくらい、許してくれるだろうか。
「────それは死ぬ人間が言うやつだと思う」
「……私も言いながら思った」
意図せず死亡フラグを建ててしまった。なんだか締まらない。
「わかった。料理だな。用意して待っておく」
「……ありがとう」
「礼を言うなら僕の方だ。気遣ってくれてありがとう。その……嬉しかった」
照れくさそうに、ノアは小声でそう呟いた。
「あなた……そんなことも言うのね」
「ミトは僕のことをなんだと思っているんだ?」
黒マントの天才失礼不審者。とは言えない。
さて。とノアが立ち上がる。
──ミトとノアの道は、ここで一旦別れた。進む道が違う以上、二人が一緒にいる合理的な理由はない。
ミトは対ボス戦の戦闘勘を取り戻さなければならないし、レイドでの連携も取る必要がある。そちらに手をかけさせられる以上、ノアと行動を共にするのは非効率だ。ここで別れるのが、お互いにとって一番良い。
わかってはいる。そう、お互いにわかっていた。わかっていなくても、ミトが教えた。だから、話せずにいた。
「死ぬなよ、ミト」
「死なないわよ。あなたを鍛えたの、誰だかわかってるの?」
「……ミトが師匠か。超えるのは苦労しそうだ」
「言ってろ、天才バカ」
最後に視線を……と言っても、フード越しだが……交わし合い、ノアは酒場を後にした。残されたのは、ミト。
ミト、ただひとり。
そこから少し時間を置いて。『《Noir》がパーティーを脱退しました』の一文が無機質に映る。下にあるのは、頷くことしか許されない
たった四日間共に過ごしただけの連れ合いの関係は、こうして終わりを告げた。
「────アスナも、こんな気持ちだったのかな」
これは、辛いな。
承認を押すことはできず。ミトは、その場で俯き続けていた。
ここだけ湿度高くない?
え? 自分がどうするか言う前に相手がどうするか確認取ればいいって?
それが出来ないからコミュ障なんだよ。
次回はちょっとした番外です。ノア君がボス戦に参加できなかった理由とかキャラステータスとかもろもろ。
なんかすごく見てもらえてる!やったー!高評価とか感想とか書いてくれると引くくらい喜ぶよ。知らんけど