セクハラから始まる仮想生活   作:練菓子

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前回のあらすじ

ノア君は第一層ボス戦に参加しません。
パーティー解散で落ち込むミトたまんねーぜうっひょーーーー!!!!!


ノア君がボス戦に参加できなかった理由と、ノア君のソロプレイ初日の話。


番外編 ノック・ザ・マジック/書き損じの鎮魂歌(レクイエム)

 

 コン、コココン。

 

 宿屋のドアの一つを、フードで顔を隠した男は奇妙なリズムで叩く。

 

 この世界(SAO)では、扉の隔たりというのは見た目以上に大きい。どれだけ大きい酒場の喧騒もドア一つを挟むだけで聞こえなくなるし、ドアの近くで大声で歌おうが、ドアそのものにガラス瓶を叩きつけようが、耐久値さえ維持していれば内から外に、外から内に音が漏れることはない。

 

 しかし、このノックだけはその例外だ。どれだけ音を鳴らさないように叩いたとて、スピーカーで拡大したかのように部屋全体にノックの音は響き。代わりに、数秒間だけ内側からの声が聞こえるようになる。まるで魔法のような仕様に、わざわざそんなところにこだわらなくても、という思考と自らの手から発される摩訶不思議現象に熱くなる心が入り混じってしまう。

 

「入っていいゼ」

 

 どこか少年のようにも聞こえる中性的な声が中から響き、ほとんど同時に扉が開く。さほど躊躇うこともなく男……プレイヤー《Noir》は部屋の中に足を踏み入れた。

 

 部屋の主は、まぁ座りナ、とベットに腰掛けながら、部屋の端に備えられた椅子を顎で示す。

 

 特に逆らうこともなく、《Noir》は椅子に腰をかけ────被っていたフードを、隠す意味が無いとでもいうように躊躇いなく脱いだ。

 

「言いつけ通り、ボス戦の参加は断った。武器も見ての通りだ」

 

 現れたのは、日本人離れした美しい顔立ちだった。愛らしさとあどけなさと、それでいて端正と思わせるまさに神がかった容姿。それらを誇るでもなく、少年は顔にそぐわない、子供らしからぬ口調で前置きを口にする。

 

「───義理は果たしたぞ、《情報屋》」

 

 その先にいるのは、少年同様にフードで顔を隠した小さなプレイヤー。《情報屋》と呼ばれた彼女…………プレイヤー名《Argo(アルゴ)》は、少年の言葉に不適な笑みを浮かべ───ることなく。

 

 小首を傾げ、若干可哀想なものを見る目をして。

 

「…………いや、別に参加しても良かったんだゾ? ボス戦」

「えっ!? …………えぇっ!?」

 

 空気は、果てしなく。果てしなく、間抜けだった。

 

「いや、確かにオイラ、その武器やる条件に『フロアボスに挑まないこと』って言ったケド、そもそもそりゃ()()()の特攻防止のためダ。死ぬ気ないなら、オイラ止めねーヨ?」

「そ、そんな……」

「言葉を借りるみたいで悪いケド……本質を捉える力はまだまだだナ! ニャハハハ!」

 

 真面目な空気はその笑い声と共に一気に霧散。まさにげんなり、とするノアを前に、アルゴは持ち前の鼠ヒゲ(ペイント)を撫で、ケラケラと軽快に笑ってみせる。

 

 アルゴと少年が関係を持ったのは、凡そ半月前にまで遡る。《はじまりの街》のある場所で出会ったアルゴは、紆余曲折あって彼に武器を渡すこととなった。

 

 武器であれば何でもいい、と宣った彼に、わざわざアルゴはレアドロップである《ライト・シャムシール》をプレゼントした。もちろん餞別の意味もあるが、一番の理由は武器の耐久値が低く、継続して戦うためには何度も街へ戻る必要があるからだ。

 

 適当な武器でも渡せば最後、耐久値ギリギリになるまで深入りし、いつか自分の限界を見誤って力尽きるのが目に見えていた。その抑止力を兼ねているのが、彼の武器を渡した時の約束。『この武器を使()()()()()()』『(安易に死ぬことができる)フロアボスモンスターに挑まない』の二つだったのだ。

 

 まさかこんな理由で彼の足枷になるとは、あの時のアルゴは夢にも思わなかったのだが。

 

「ンデ、結局参加するのカ?」

「…………パーティーメンバーとあんな別れ方しておいて、どんな顔で戻れと……?」

「ナハハ! フード取っちまえばいいじゃねーカ! まさか孤高の剣士ノア様の正体がこんな美少年だなんて誰も思わねーヨ! パーティー別ならバレないゼ、多分!」

「な……! その呼び方、一体どこから……」

「食べ過ぎ、酒場。いやー、シロ坊の情報、実に集めやすかったナー」

「ぐっ……! くぬぬ…………もう、意地悪ですよぅ……」

「オイオイ、そんなに拗ねンなっテ! 悪かった悪かっタ!」

 

 機嫌を取るように、アルゴはわしゃわしゃと彼の黒い髪を撫でる。普段の少年から考えれば振り払ってもおかしくない場面。

 

 しかし、少年は抵抗することなく、子ども扱いを不満げにしながらもそれを受け入れている。そんな風にされるがままになる彼の態度は、以前の彼を知るアルゴにとっても少し意外なことだった。

 

「変わったナ、シロ坊」

「そう……ですか?」

「イヤイヤ。いい顔になったじゃねーカ。いや、顔は元からいいのカ。……まぁ、姉貴分としちゃ喜ばしいヨ。特にシロ坊は、オイラのお得意様だからナ」

 

 実際、攻略の情報から美味しい飲み物の在り処まで片端から買ってくれる少年は、未だ名の知れていない《情報屋》アルゴにとって上客と言って差し支えない。……それ以上に、彼の事情を知る者として心配が大きいのは否定できないが。

 

そのスタンスが《情報屋》としては失格と知っていても、この痛ましい少年に入れ込まないだなんてことは、アルゴにはどうもできなかった。

 

「まァでも、改めて考えると参加させるわけにはいかねーかナ。第一層は特に。何が起こるかわかんねーシ」

「それは……」

 

 アルゴの言葉に込められた心配の念を読み取ったのだろう。少年は言葉に詰まったように目を彷徨わせて……徐に、フードを被り直し、毅然とした口調で返す。

 

「でも、僕は負けない。どんな想定外が起ころうが、絶対に」

「……それ、いちいち被らなきゃいけないのカ……?」

「自信をつけるためにはこれが一番だ」

「あー、切り替えのスイッチも兼ねてんのナ」

 

 アルゴの推測を、少年は首を縦に振って肯定した。てっきり、顔を隠すためか、早めの中二病か何かに目覚めたものかと思っていたが。

 

 改めて考えると無礼千万過ぎたその妄想を振り払うように、コホン、と咳払いを前置きにアルゴは続ける。

 

「単にシロ坊の心配ってワケでもなくてダ。……もしも、今回の攻略隊が全滅……ないし、半壊なんて事態になったらサ。最悪の事態を避けるためにも、シロ坊には参加してもらっちゃ困るんだヨ」

「……なるほど。もう二度と、ボス戦に挑もうなんて考える人間が現れないかもしれない、か。リスクの分散は、確かに大切だ」

 

 そう。それだけは。このデスゲームがクリア不能になる事態だけは、避けなければならない。第一軍が全滅してクリアできませんでした、ではダメなのだ。第二、第三の手は、備えるに越したことはない。……勿論、使う場面などないのが一番なのだが。

 

 そういう意味では、彼のフロアボス戦参加を止めていた過去のアルゴの行動はファインプレーと呼べるのかもしれない。当時の彼をここまで大きな戦力として見ていたわけではないので、本当にただの運ではあるが。

 

「悪いとは思ってるヨ。みんなしてボスに挑もうってときに、一人だけ安全圏で待機して結果だけ待てなんてナ。下手すりゃ、ボス戦に参加した方がマシなくらいダ」

 

 アルゴの言葉に、少年は数秒考えるように黙り込み……フードを脱ぎ、哀しげな表情を露わにした。

 

「……ありがとうございます。僕よりも辛いはずなのに。僕よりも不安なはずなのに、気遣ってくれて」

 

 ────その聡さは、あたたかな喜びと。そして仄かな罪悪感を、アルゴの心へと届ける。

 

 そんな言葉を受け取る資格など。本当は、アルゴにはないのに。

 

「……それじゃあ、僕はこれで。少し、名残惜しいですけど」

 

 アルゴの後悔を読み取ったわけではないだろうが。少年はゆっくりと立ち上がり、部屋を跡にしようとする。

 

「ん。そーかい。もし二階層に行くつもりなら、《はじまりの街》まで戻ると良いゾ。明々後日のボス攻略が上手くいって第二層の転移門が有効化(アクティベート)されんなら、迷宮区抜けるよりはそっちの門使った方が早いだろうシ」

「ああ、それなら大丈夫です。はじめから行き先はそこなので」

「ン? 《はじまりの街》に、なんか用事でもあったのカ?」

「はい。とりあえず、やることが出来まして」

「やるコト?」

「ふふ、内緒です。買いますか?」

「買わねーヨ。ったく、情報屋に個人情報を売りつけるなんて、悪いことばっかり覚えやがっテ」

 

 アルゴの言葉に悪ノリするかのように、少年は悪戯っ子のような顔をして笑ってみせる。

 

 それを最後に、フードを被りなおそうとした彼に、一言。

 

「…………気をつけてナ」

「それはこっちのセリフです。……ボス戦、直接挑まないとは言え、どうかお気をつけて」

 

 その言葉が、ベータテスターとしてのアルゴの立場や、覚悟。それらをどこまで汲んだものかはわからない。それでも、彼なりの精一杯であろう慮りが込められた言葉に、思わず胸にこみあげるものがあった。

 

 そうして、後姿だけになった彼を見ながら、アルゴは呟いた。

 

「…………変わりすぎダロ」

 

 現実逃避をするように、たった半月前のことを思い出す。

 

『…………の情報を、買ってください』

 

 死んだ目をして黒鉄宮でひたすら死人の数を数えていた少年があんな姿になるなど、過去のアルゴに教えたとて信じまい。

 

 次に会う時……会うことすらないのではないかと危惧したほど。

 

 一体、あれから彼に何があったのか。

 

 きっとアルゴには、一生知ることは叶わない。知ることが出来ても、聞きたくないし、訊くつもりもない。

 

 あの日。死ぬかもしれないとわかっていながら、《はじまりの街》と共に彼を置き去りにしたときから。

 

 

 

 

━━━━━━書き損じの鎮魂歌(レクイエム)━━━━━━

 

 

 世界は無い。逃げ場は無い。

 

 少年に、居場所などなかった。

 

 

 剣を持って走ると言う感覚は実に不思議なものだと、少年は思う。

 

 手に伝わるグリップの質感。鋼の重さ。風を切る疾走感に、獣の唸り声と数えきれないほどの敵意。平和な世界で生きていた少年…………《Noir》には大半が一生体験することが無かったものだ。

 

《情報屋》との交渉は約3時間にも及び、暮れかけていた日はもはや地の底。今となっては朝を迎えた方がまだ早いだろうという時間になっていた。そんな暗闇を、少年は戦利品ともいえる《ライト・シャムシール》を手に走り抜ける。

 

 ほとんど泣きそうになりながら、動きにくい体に鞭を打って走る。《はじまりの街》を出てすぐのフィールドは果てもなく広大で、夜闇の中では文字通り右も左もわからない。そんな状態でどれだけ走ろうとしても偽の体は思った通りに動かなくて。走っても走っても速度の出ない焦燥は、時折見る悪夢によく似ていた。

 

「グルウゥゥア!!」

「…………ッ、しつこい、ですね!」

 

 そうしてままならない走りを続ければ。当然、追いつかれる。荒く忙しない獣の息遣い。草原を駆ける上で、人間よりもずっと優れた体躯。

 

 モンスター《ダイアウルフ》との戦いは、もう一時間近くにもなっていた。

 

「や、ああぁぁ!!」

 

 勇気を奮い立たせ、なんとか剣を向ける……がしかし。ソードスキルのモーションすら検知されず、闇雲に振るった曲刀はモンスターを捉えるどころか、あらぬ方向を撫でた。その隙に、《ダイアウルフ》は容赦一つなく少年の肉体へと牙を突き立てる。

 

「グルウウッ!!」

「このっ……!」

「キャウッン!」

 

 二撃、三撃。でたらめに振るった刃が、運よく《ダイアウルフ》の腹近くを捉えた。当たり所もあってか、或いは武器の性能が良かったのか、攻撃を受けた《ダイアウルフ》が煌めき、爆散する。しかし、その攻撃は確実に少年のHPを減少させていた。

 

 残り、200のうちたった90ぽっち。そんな数字が、《Noir》に残された命の残量。

 

 一匹倒すだけで20も減った。そしてモンスターの数は、残り10。回復薬はとっくに尽きた。

 

「……構いません。一体でも多く、道連れにして差し上げます」

 

 様にならない構えで。それでも折れることはしまいと気丈に少年は構える。

 

 あまりにも、彼の人生は絶望的だった。

 

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 どうしてこんなことに、とか。そんなことは、言い出せばキリはないことは知っている。一度してしまえば最後、今まで自分が生きてきた道のり全てに後悔がついてくる。あの時ああしておけば、とか。ああしていれば今頃、とか。そんな意味もないことに時間を費やすことになる。

 

 ……意味のない、というのは、少し言い過ぎだっただろうか。そうやって物事を顧みて、新たに選択肢が生まれたとき、よりよい選択ができるようになれば。後悔するだけの時間にも、何か意味はあるのかもしれない。

 

 けれど、自分にとっては。

 

(何が正しいのかとか。そもそもわかりませんし)

 

 いや。強いて言うのなら、最初から間違っていた。はじまりがそもそも間違いなのだから、そのあとの自分の人生は全部間違いであって。一番下のボタンを掛け違えたまま着るシャツとか、マイナスを掛けられる足し算のような、テストの答案なら見られるまでもなく0点をつけられるような、そんな宛先の無い空欄が、少年の心にはずっと空いてしまっていた。

 

 結局。どれだけ足掻いたところで、こうして巻き込まれたVRの世界で今になって死にかけているということは、過ちから生まれた自らの選択は何もかも間違いだったのだろう、と自嘲気味に思う。だから、どうしてこんなことに、に対する正答は「なにもかもお前が悪い」だったのだ。これを反省として生かすには、どうもあとひとつくらい人生が必要らしい。

 

「……ホント、笑えます」

 

 笑えない。

 

 死に損ないで剣を振りながら、そんな世迷言。走馬灯というのはこんなにも惨めなものだったか、と不思議に感じながら、必死こいて生きようとする自分を心のどこかで冷たく笑った。

 

(どうせこうやって生きたところで、なんにもならないんですけど)

 

 死にかけなシニカルな思考。そんな中がむしゃらに振った剣が、またも運よく最後二体のモンスターの片割れを仕留めた。

 

「ふぅ……ふ、ぅ……! あと、一体……!」

 

 意外にも、大雑把であれば動けるもので、回避にさえ専念すれば、モンスターによる攻撃を受けることはさほどなかった。それ以上に剣を振るという行為に慣れず、ソードスキルをポカしてはカウンターを喰らってしまったのが痛いが。それでも残りHPは、ギリギリ二割ほどを維持していた。

 

 もしかすれば、一日くらいは生きられるのだろうか。

 

(……おかしな、話です。ホントに)

 

 どうかしている。死ぬことを恐れながら、死の危険のあるフィールドに出て。どうせ死ぬと覚悟しておきながら、いざ死を目の前にしてこうして醜く足掻いている。

 

 自分の心にすら疑問を持ちながら、一縷の希望を剣に宿して。

 

「────グルルルゥゥゥ」

「キャゥ!!」

「なっ……!?」

 

 ───────その希望が、獣の唸り声と、《ダイアウルフ》の悲鳴によって断ち切られるのを聞いた。

 

《ダイアウルフ》を捻り潰しながら現れたそれは、見たこともない…………その丈4mはあろうかというほどの、巨大な生物だった。ゴリラを思わせる隆々と盛り上がる筋肉の肉体。そんなスリムさの欠片もない図体に、取って付けたかのような似合わない狼の頭が不自然についている。

 

 現実ではあり得ないほどのサイズに、もっとあり得ないのは二足歩行し、手に無骨な斧をぶら下げていることだ。月光の中、巨大なモンスターは牙の元から獰猛な怒りを表す。

 

「ゴルグルァァァ!!」

 

 咆哮するその名は《Giant Anthrowolf》……巨大な狼化……或いは狼人間。狼擬き、という意味なのだろうと解釈して。

 

 その巨躯を見て絶望するのに、さほど時間は要らなかった。

 

「はっ……はっ!! ……はぁ、はぁ……!!」

「ルグァ!!」

 

 勝てない。自分の三倍の図体はあるだろう獣を前に、本能がそう悟ってしまっていた。

 

 振りかぶられる、腕。横殴りの構え。来ると分かっていても、満足な防御すら叶わなかった。

 

「あ……う……!」

 

 手から剣が落ち、体ごと弾き飛ばされる。獣の絶叫。荒くなっていく息。HPが減少し、赤く染まっていく視界。恐怖で体が固まり、動けない。

 

 死ぬ。死ぬ? 本当に? 

 

 本当に。

 

「ひ……!」

 

 死んで。死んでしまう。

 

 口からか細い息が漏れる。恐怖のあまり涙すら流しながら、震える体で狼を見据える。

 

 死ぬ。死ぬ。死にそうで、ほとんど死んだような状態で、見る。

 

 目に映る、最期の景色。

 

 見渡す限りの広い草原。自分の身の丈の倍はありそうな巨体の獣。動かない体。無骨な剣。自らの命を奪うであろう斧。世にも美しい、月光。

 

 ああ、リアリティが欠如している。

 

 そう思った。

 

(…………偽物なんだ)

 

 このモンスターも。この剣も。この体も。何もかも、偽物。

 

 そう認識した途端、濁った水の中に飛び込んだように、視界と思考にもやがかかっていく。現実が遠くなって、音が曇って。何もかもから、現実が喪われていく。

 

「……はは」

 

 そう。嘘だ。偽物なのだ。この世界の全てが偽物なのだから。だから、こうして負けてもそれは全て偽物でしかない。生きることですら偽物なのだから、執着する必要はない。

 

 全て…………すべて。

 

 だから、早く。この、偽物で価値のない命を終わらせてくれ。

 

 価値の、ない……

 

「ぜんぶ、うそ?」

 

 本当に? 

 

 否。否。

 

「…………んで、…………るか」

 

 転がった剣を握りしめる。冷たい体に、溶岩のような熱が戻って来る。

 

 それは。それだけは、違う。

 

「死んで、たまるかっ!!」

「ギャルルゥ!?」

 

 不意打ち同然に突き刺した曲刀が、無防備な狼男の顔面にヒットする。まさか、死を覚悟していた獲物に抵抗されるとは思ってもみなかったのだろう。数瞬怯んだ狼の隙を逃さず、跳ねるように距離を取る。

 

 死は。

 

 死だけは。

 

 それだけは、この世界では現実だ。何もかもが偽物であっても。この命は。目前に迫るこの死だけは現実なのだ。どうしようもないほど、途方もないほどに。

 

 どれだけ生き汚くても、死ぬことなんてできない。

 

「まだ……まだ……!」

 

 まだ。まだ、何かができる。

 

────生き急ぐなヨ。シロ坊

 

 なんの価値の無いゴミクズでごめんなさい。中途半端な出来損ないで、生まれた意義すら果たせない卑しい子供で、生きていてすみません。

 

 でも。でも。例え、自分自身がゴミクズだったのだとしても。

 

()()()()()、まだ残せるものがあるはずだ。この命には、そのぐらいの価値はあるはずだ。

 

(こんなところで潰えるなら、一体僕は……)

 

『どうして、お前が生きているんだ……!』

 

 僕は。何のために。

 

 

 

 

 ────すべてを見ろ。

 

 敵の攻撃を避けなければならない。ならば、見る必要がある。

 

 ……いいや。見てからでは遅い。動くのなら、きっと()()()だ。

 

 必要なのは、妄執じみた執念だ。硬直、弛緩。震え一つですら見逃すな。何もかもを、瞬きすらせず見続けろ。

 

()()()()()()……! 死ぬ気でだ!

 

 何をためらっていたのだろう。死ぬよりも怖いことなんてこの世界にないと確信して、《はじまりの街》を出たというのに。

 

 勝つとか負けるとか、偽物だとか本物だとか。そんなことはどうでもいい。

 

 生きろ。生きろ。生きるために向き合い続けろ。目を逸らすな。生きるんだ、生きなければ。生きて、いきて。きて、生きる。死ぬな。死んではならない。死ぬことは許されない。終わってはならない。勝手に終わらせることなんてできない。絶対、絶対、絶対に。

 

 死ぬことは、お前の権利じゃない。

 

 ただ、狂ったように観察する。死なないために。死ぬことはできないから。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()

 

 見て、察知して、窺って、推し測って。

 

 目の前の光景を瞳に焼き付けるように、見て、見続けて。

 

 

(上段の、大振り……)

 

 捉えたのは、ほんのワンフレームの手の震え。そして、頭に迫る殺意。

 

 認識とほぼ同時に、確信に限りなく近い予感に身を任せ、伏せる。

 

(足蹴り……そのあと乱暴にぶん回す)

 

 器用に躱す自信はなく、大げさに右へと身を投げる。躱したかどうかなどHPを確認するまでもない。思考が続くということは死んでいないということだ。転がりつつも、目は常に敵へ。

 

「次……」

 

 見る。見る。見る。見れば、死ぬ気で見れば、わかる。狼がどう動こうとしているのか、どうすれば避けられるのか。軌道も、予備動作も、攻撃範囲も。何もかもが。

 

 斧の横薙ぎ。引いて躱す。雑な掴みかかり。横に逃げる。袈裟切り。屈めば当たらない。

 

 避けて、逃れて、免れて。搔い潜る。

 

 当たらない、当たらない、当たらない。

 

 感じ入る、心地よい全能感。どんな攻撃だろうと、視界に入っている限りは《Noir》を捉えることはない。

 

 そうして躱され続けたことに憤ったのか、狼男がこちらに突進しようとするのを悟った。全身の硬直が見える。躱すことは、さほど難しくないように思えたが。

 

 それ以上に鮮烈な()()()使()()()を、少年は直感的にひらめいた。

 

(あ。そこ、やわらかそう、ですね……)

 

 前傾姿勢を取り、今にも動き出しそうなモンスター。筋肉の固まる胴体はともかく、上半身は、逆にひどく防御が薄そうに見えた。

 

 今なら、斬れる。

 

 

 そうして、上段に構えた曲刀を前へ。

 

「───う……!」

 

 喉元を狙った刃は、虚しくも腕をかすめただけ。半端な攻撃は却って狼男を逆上させ、雑に振り回された手を命からがらになりながらも躱す。ひゅっ、という浮遊感。熱くなっていた頭が一瞬にして冷え、自らが死の淵に立っているという事実に背中が冷える。

 

 ────今の一撃を避けることができたのは、完全に運がよかっただけだ。

 

 もしも、あと一歩、一センチ体が前に出ていれば。横にずれていれば。きっと自分は死んでいた。熱を持った心が、憤りによって弾けてしまうのではないかと思うまでに熱くなる。

 

(偽物だから仕方ないこととはいえ、腹が立つ……!)

 

 原因は自分自身にもわかっていた。体が思った通りに動いてくれないのだ。

 

 イメージ通りどころか、ロクに言うことすら聞いてくれない自らのアバター。いくら未来を見ようとも、体が追いつかないなら意味はない。

 

 そもそも。一撃入れるだけならともかく、それで倒しきるような膂力は少年にはない。振るだけでは一息に断ち切るには至らないだろう。耐えられれば、カウンターで自分は死ぬ。

 

 なら。次に必要なのは速度と、急所を確実に捉える正確さだ。

 

 必要なのは、脱力。脳から発される危険信号すら無視していい。反射を殺せ。震えも、発汗も、呼吸も、動悸も、『そうあるのなら』必要ない。要領は、体育の体操と変わらない。無駄を殺して、必要な動きを必要最低限に出力するだけ。

 

 自分の全てを制御下に。この世界の全てが偽物であるのなら、偽物くらい支配してみせろ。操り人形のように、ただ、イメージを再現するためだけに動け。

 

 そのためなら、この体が壊れてもいい。人間でなくなってもいい。

 

「───僕は」

 

 人形にすらなれないと言うのなら。自らを人形に作り変えるまで。

 

 背にしたフードを深く。深く。まるで、遮光カーテンを降ろすかのように。

 

 死なないためなら、()N()o()i()r()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

僕は、強い

 

 

 自分が死なないのなら、《 N()o()i()r()()()()()()()()

 

 

「ヴォルグラァァァ!!」

「そう泣くな。すぐ楽にしてやる」

 

 発狂じみた咆哮を放つ狼に対して気持ちが動かないのは、最早負けることが無いと悟ったからか。或いは、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「僕は《Noir》。たった今生まれた最強の剣士です。それでは────」

 

 冷たい(はがね)の名は《ライト・シャムシール》。光の白と繋がる、黒。

 

───殺戮を始めます

 

 弾かれるように、はじまり、はじまり。文字通りの初陣。残りたった7つばかりのHPを手に、少年は駆けた。

 

 そうして向き合うと、そのスケールにただ圧倒される。単に図体だけの話だが。

 

「……チッ。背、高すぎ。首を刎ねられないだろう」

 

 控え目な挑発が届いたわけではないだろうが。ボスの取った行動は、垂れ下げていた斧を一気に振り上げるという、なかなかに手の込んだものだった。今までにない攻撃パターン。場合によっては視界の外から放たれる、まさに初見殺しの一撃。

 

 ────そして、目論見通りに狼男の腕は、何の妨害も受けることなく振りきられる。渾身の一撃のもと、全く微動だにしなかった少年が空を舞う……

 

 ことは、無かった。

 

「置いておけ。獣には過ぎたものだ」

「グ、グゴォォ!!」

 

 狼の掌から先が、まるでそこで最初から終わっていたかのように斬り落とされていた。見る人が見れば恍惚すら覚えてしまいそうな。金属の側面のような、鋭利で、滑らかな切り口。もはや指としての役割すら果たさなくなった獣の指は、跡形もなく霧散。握るという機能を失った手からは、当然斧も零れ落ちる。

 

《Noir》の芸当は極めて単純。狼の手を振り上げる動きを完璧に見切り、その動きに合わせて剣を振り下ろした。子供の理論じみた、ただそれだけの技だ。

 

 一ミリのズレもなく最も切断しやすい点に、最も速いタイミングで、最も威力が増す角度で、斬る。

 

 未来視が如き観察眼と、正確無比な肉体動作が織り成す、たったそれだけの、種も仕掛けもない尊くすらある技術の集合。

 

 いくらAI(人工知能)で動いている狼男といえど。手を切り落とされるような異常事態ともなればその思考は問題を理解、或いは適応しようと、数秒停止する。数秒。あまりにも、少年の前では悠長な時間。

 

「動揺もプログラムされているのか? やりやすくて助かる」

 

 斬り刻まれていく。文字通りに。耐久に難のある曲刀は、その分切れ味は超一級品だ。その上プレイヤーによってこれ以上ないほどに研ぎ澄まされた一撃は、ソードスキルもなしに《部位欠損》という特殊状態をいとも容易く発生させる。

 

「アオォォォン……!」

 

 振り下ろされる右肘から先。動いて関節の開いた左肩から先。狼男の肉体を、少年は一切の躊躇いなく。まるで不細工な石像であるかのように()()させていく。鞭のようにのたくり自らの体を削り取る剣に、モンスターは先程までの勇ましい声でない、動物じみた悲鳴を上げる。

 

「腕は落とした。次は脚だ」

 

 返答を聞くまでもなく、縫うような動きで、脚の腱を切り刻む。

 

「狼に、立つ脚は要らないだろう」

 

 酷く、傲慢な言葉。見下ろす少年を止めるものは、けれどもうない。反撃することすら許されず、奇怪な狼擬きは滑稽な三つ足となって地を舐めていた。

 

 二足歩行モンスター特有のバットステータス、《転倒(タンプル)》。本来、跳躍するモンスターや上下で体のバランスが悪いモンスターにしか発生しない現象。それを意図的に、存在すら知らぬままノアは発生させた。

 

「ああ。これでやっと()()

 

 大きく、けれど最大限効率化された動きで、借り物の剣は上段に構えられる。モーションを検知し、赤に光る曲刀。その技の名を《ターミネート》。

 

 

()()

 

 

 一息に、首が落ちる。遠雷のようなクリティカルヒット音。一瞬、世界が硬直する。

 

 収縮。そして───爆発。

 

 ガッッシャアァァン! という甲高い騒音。

 

 ステンドグラスじみた美しい破片を辺り一面にまき散らし、フィールドボス《Giant Anthrowolf》は消滅した。

 

 ほとんど同時に、ファンファーレを思わせる重なり合ったレベルアップ音と共に、リザルト画面が表示。しばらく食べるのには困らないほどの(コル)と、当然ながら見たこともないアイテムの数々が羅列する。

 

 気持ちが世界に戻っていく。呼吸が、瞬きが、生命活動に必要なすべてが戻って来る。

 

 瞬間。

 

「────ッヅぁ……! あ、ぐ、がぁ…………!」

 

 とてつもない頭痛と、立っていられないほどの眩暈が、戦闘の集中分を取り立てるように少年を襲った。ロクに睡眠を取れていない体で、慣れない戦闘、常人の脳ならオーバーヒートして当然の集中を行った代償。倒れ込む……どころか、惨めにのたうち回って、何も考えられず呻き散らす。生まれて初めて味わう壮絶な痛みに、意識すら危うくする。

 

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 真っ白になった頭で、少し。昔のことを思い出していた。

 

 思い出したくもないほど。涙が出るほど昔のこと。

 

『お父さん……おとぉさん……!!』

『見なよ。泣いているよ、彼』

『情けないな。それ以外に何か言えないのかよ、レモン猿』

 

 現実のビルの立ち並ぶ世界ではなく。根深い伝統と執拗なまでの気品が残る家々が立ち並ぶ世界。この世界の街の方がずっと似ている、あの世界で生きていたときのこと。

 

『ごめ……ごめん……ごめん、なさい…………!! ごめんなさい……ごめ、なさぃ……!!』

 

 ──あの人は、とても美しかった。

 

 生まれてしまったことを、後悔するほどに。

 

 自分さえいなければ。自分さえ、死んでいれば。

 

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 ……そうして、たっぷり十数秒はそうして転がって。まだ痛む頭を何とか動かして、ゆっくり、ゆっくりと、少年は立ち上がる。

 

「そうだ。《Noir》。お前は強い。誰よりも、何よりも」

 

 あの日死ねなかった代わりの死に場所が、この世界だというのなら。

 

「何も必要とするな。喜びも、憎悪も、恐怖も、何もかも、お前には要らない」

 

 悲しむことも、恐れることもしなくていい。

 

 何も。何も。お前に得る権利はない。

 

「お前は、敵を恐れずに死んでみせろ」

 

 あの人は、きっと何も恐れず勇敢に死んだのだから。

 

 呪詛同然の決意を宿し、そうして《Noir》は動き出す。この世界で、決して死なないために。

 

 彼が運命の出会いを果たす、ほんの十三日ほど前の話。

 

 

 





《Giant Anthrowolf》

 フィールドボス。ゴリラの体に狼の頭ついたバケモン。ノアくん覚醒の尊い犠牲として散った。

 カヤバーンによるアンチベータテスターモンスター。当然ベータ時には存在しておらず、《はじまりの街》からの道中で既存知識に甘えて油断したベータテスターをさんざ食い散らかした。
 複数人でパーティーを組んでいればそもそもターゲティングされることがなく、同行人数が少ないプレイヤーを執拗に襲うように設定されている。レベル5程度のプレイヤーが3人ほどいれば倒すことはさほど難しくないが、少なくともリスポーン地点からすぐの平原に出てきていいモンスターではない。

 Noir/小宮深白(こみやみしろ)

 主人公。天才インテリドジっ子被害者面肉体ボロボロ覚悟完了美ショタ。盛れるだけ盛った。

 とある理由があり黒いフードで顔を隠している。現在その正体を知るプレイヤーは二人。理由を知るプレイヤーも二人だけ。主武装は《曲刀》カテゴリに分類される《ライト・シャムシール+8》(6S2H)*1

 呪詛とすら言える強靭な決意を根源とする、超人的な集中力を持つ。また、天性のバランス感覚によって動作を自らのイメージに極めて忠実に出力することができ、これらを併用することで相手の動きを利用して急所を断つ闘い方を得意とする。未来予知ができる正確無比な殺戮マシーン。剣の世界に一番いちゃダメなタイプ。

 SAOをプレイしてからは極度の不眠症を患っており、戦いで脳を酷使する度に頭痛と眩暈に悩まされている。現在はミトと出会ったことにより多少緩和された。

 現実世界でも何かしらの問題を抱えていたらしいが──? 

 無愛想で慇懃無礼な態度を取っているが、素は礼儀正しい方。前者はあくまで「自分は最強である」という自負を持つための演技(ロールプレイ)であり、不遜な態度を取ることには申し訳なさを感じている。ミトのことは何の捻りもなくセクハラ星人と認識している。近所のセクハラ親父と認識は一緒

 はらぺこあおむしくらいよく食べる。育ちがいいのでがっつきはしない。でも食べる。めっちゃ量食べる。すんごい食費かかる。

 自称クール。結構ポンコツ。そんな感じ。

 ミト
 好感度:22/100(嫌いではない)
 異性好感度:3/100(そもそも恋愛感情を深く理解していない)

 アルゴ
 好感度:65/100(好き。この世界で数少ない信頼できる相手)
 異性好感度:8/100(なんでヒロインより高いんだ)

 特に意識してなかったけど三大欲求全部バグってる(めちゃくちゃよく食べる、全然寝ない、異性との距離感おかしい)


 Mito/兎沢深澄 

 ヒロイン。初手セクハラ師匠面メンヘラ。

 ノアが下手にアスナとの冒険と同じくらい楽しい日々を送らせてしまったせいで元より湿度が高い。

 はぁ〜♡捨てられるのにビビるムッツリ重い女たまんね〜♡突然捨てて絶望する表情がみてぇ〜♡

 そんな感じ。ろくな目に遭わない(予言)

 ノア
 好感度:51/100(友人として好き。そもそもの友人が少ないため、若干依存気味)
 異性好感度:20/100(局部を触ったこともあり、異性として意識はしている)

 Argo/帆坂朋

《情報屋》。現状ノアのフレンドリストに登録されている唯一のプレイヤーであり、ノアの姉貴分を自称している。

《はじまりの街》で燻っていたノアを奮起させた張本人であり、《ライト・シャムシール》を渡したプレイヤーでもある。リアルでのノアやフードを被る理由、素顔まで知っており、なにかと気をかけるようにしている。

 ノアを見捨てた過去があるらしいが……? 

 ノア
 好感度:68/100(弟のような存在。とある事情もあり、親近感を覚えている)
 異性好感度:4/100(異性としては意識していない)

*1
強化値の略。この場合は《鋭さ(Sharpness)》+6、《重さ(Heaviness)》+2。強化方向としては変態寄り

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