若葉がいよいよ大きくなって新緑が映える季節になってきました。
太陽がまもなくてっぺんに登ろうとしている時間に私はプロジェクトルームのドアノブに手を掛けてまわします。
おはようございますと声をかけながら入室します。
室内に見える人影は1つだけ。ちひろさんも席を外しているみたいです。もうすっかり見慣れたその背中が私のほうへ振り向きました。
「美波。おはよう」
挨拶を返してくれたこの少しくたびれたこの人が私の、いえ、私たちのプロデューサーを勤めている天津さんです。
私の名前は新田美波、19歳で現在大学生です。そして、346プロダクションに所属する新人アイドルでもあります。まだデビューはしていないんですけどね。
「まだ予定の時間より早いな。緊張して眠れなかったか?」
「いえ、そういうわけじゃなくて。初めてのお仕事の前にプロデューサーさんとお話したいなって思って早めに来ちゃいました」
「私と?」
ぽかんとするプロデューサーさん。
最初は表情の乏しい印象だったけれど、こうして何度も話してみると結構コロコロ変わるんだなと最近気付きました。
「面白い話なんてできないんだけどな。ま、朝から仕事しっぱなしだし、休憩がてらいいか」
「ありがとうございます。あ、コーヒーはいつものでいいですか?」
「ああ」
荷物をソファに置いて給湯室へ。ポッドでお湯を沸かす間に、棚からインスタントコーヒーの瓶、カップとソーサーのセットを2つ取り出します。
適量をカップに入れて、沸いたらお湯を注ぎます。私はブラックで、プロデューサーさんはミルクのみが鉄板です。
トレーに載せて持っていくと、プロデューサーさんはすでにソファに座っていました。
「ありがとう。いい香りだ」
カップをソーサーごと受け取って、香りを楽しんでいるようです。
「インスタントですけどね」
自分の分を持って彼の対面に腰を下ろします。
「インスタントコーヒーのほうが飲み慣れてる分、おいしく感じる」
「あ、わかります! 高級なコーヒーは特別感があっていいんですけど、やっぱり馴染みがあるほうがほっと安心できておいしく感じますよね」
「わかってくれて嬉しい」
プロデューサーさんがコーヒーを啜るのにつられて私も一口。うん、濃すぎず薄すぎず分量はちょうどいい。
「それで、いったい何が聞きたいんだ」
ローテーブルにコーヒーを置いて、プロデューサーさんが切り出します。実はそこまで深く考えていなかったり。
「明確にこれっていうものはないですね。雑談や世間話といえばいいのでしょうか」
「なるほどねぇ。ま、何かあれば聞いてくれ」
「そうですね……。うーん……。あ、そういえば美嘉ちゃんと莉嘉ちゃんがユニットを組むんですよね?」
「よく知ってるな」
「莉嘉ちゃんが嬉しそうに話してましたよ」
莉嘉ちゃんというのは同じく所属するアイドルで、姉の美嘉ちゃんと一緒にアイドル活動をしています。
他に、凛ちゃん、未央ちゃん、卯月ちゃん、加蓮ちゃん、奈緒ちゃん、みくちゃん、杏ちゃんというメンバーがいて、私を含めて計10人なんです。
「莉嘉にせっつかれてな。もともと城ヶ崎姉妹をユニットにする構想はあったが、それを前倒ししたんだ。デビューはニュージェネと同じミニライブのときになる」
「すごいですね。ステージに立つなんて」
もし自分なら、と考えるといろいろな意味でドキドキしてきます。
「美波にもいずれ立ってもらうから、安心して待っててくれ」
「ふふ、お願いしますねプロデューサーさん」
私が街角でスカウトされたときはちょうど1月くらい前に遡ります。あのときは、まさかアイドルになるなんて想像もつきませんでした。
* * *
私はその日もいつも通り何も変わらずに過ごしていました。
午前中は自宅で資格取得のための勉強をし、午後からはラクロスの練習が予定に入っていたので大学の練習場に向かっていました。
もう何度も往復して目をつぶってでも歩けそうな慣れた道を歩いていたとき、不意に声をかけられました。
「もし、そこのお嬢さん」
そこにはアヤしいスーツ姿の男性が立っていました。
最初は私に語りかけているのかどうかわからなくて無視していましたが、私の目を見て話しかけてくるので、ああ私に呼び掛けているんだなと理解しました。
「はい? なんでしょうか? もしいかがわしい勧誘でしたらお断りします」
実はちょくちょく声をかけられることがあって、そういうのってだいたいいかがわしい内容なんですよね。だからこのときも同じように対応しました。
「では私は用事がありますので」
「いえいえ、私はいかがわしい者ではありません。私はこういう者です」
その人が名刺を差し出してきたのでひとまず受けとる。というか受け取らざるを得なくなったというか。
『346プロダクション、アイドル部門プロデューサー、天津』
名刺にはそう印刷されていた。
その社名は聞いたことがある。確かCMや広告に起用される有名な俳優や女優が多く所属している事務所だったような気がする。でも、私になんの用なんだろう。
「アイドル部門のプロデューサーさん……ですか。芸能関係の方なんですね」
「はい。アイドルに興味はありませんか」
「えっ……!?」
こ、これってスカウトってこと!?
「アイドルなんて……」
「他に何か興味があるものが?」
「いえ、そういうことでは……むしろ、いろいろ体験してみています。大学では様々な教科を選択していますし、サークルに部活動、ゼミもいくつか」
去年は友達に押しきられる形でミスコンにも出て優勝しました。最初は恥ずかしかったけど、途中からノリノリだった気がします。
「随分とたくさんやられていますね」
「はいっ! 私、いろいろ興味が湧いちゃうんです! それに学生のうちにいろいろ体験しておきたくて。自分にはどんな可能性があるのかなって思うとドキドキしてきませんか?」
「……そうですね。自分にできることが見つかるのは嬉しいものです」
ほんのちょっとした瞬間、彼の表情が同情を含んだような気がしました。でも、すぐに戻ったので勘違いかもしれません。
「ですよね! ……あ、すみません。勝手に熱くなっちゃって」
「いえいえ、お気になさらず」
つい熱くなっちゃいました。やっぱり芸能関係の方は話を聞くのがお上手なんでしょうか。
「私はあなたにアイドルの可能性を見ました。どうでしょうか、話だけでも聞いていただけないでしょうか?」
まっすぐ私の目を見て彼は言うんです。ちょっとくたびれてるけど悪い人ではないのかな。
もし私がアイドルになったらどうなるんだろう。ステージに立つ感覚はミスコンのときと似ているのかな。いや、歌や踊りもするからもっと激しくて、でもお客さんのサイリウムや合いの手もあるから楽しそう、かな。
「わかりました。お話、聞かせてくれませんか」
想像の中でステージに立つ自分はなんだか輝いてみえてドキドキしました。それでお話を聞くことにしたんです。
日付は変わって、私は346プロダクションにいました。事務所を見学させてもらうためです。
スカウトされたあの日、彼はアイドルというお仕事について、饒舌に話していました。
デビューはもちろんのこと、ライブやグラビア撮影、テレビやネット配信を含めた番組出演、CM、イメージキャラクターなどなど。
あらかた説明を終えた彼が見学もできるというので、是非にとお願いしました。
「あの、もしかして新しいアイドルの方ですか?」
彼がお仕事の電話に対応するために席を外しているとき、ピンクのジャージのアイドルに話しかけられました。
「いえ、まだアイドルになったわけでは」
「あ、そうなんですか」
なんだか、がっかりさせてしまったようです。
「えっと、確か島村卯月さん、ですよね」
「はい! 島村卯月です! えへへ、覚えてもらえて嬉しいです!」
笑顔の可愛い人です。
「しまむーに続けー!」
「……」
「ほら、しぶりん行かないと」
「え、私? お、おー」
後ろの2人はなにやら寸劇中?
「こんにちは、えっと、渋谷凛です。アイドルやってます」
「本田未央です! ニュージェネレーションズのリーダーやってます!」
「ニュージェネレーションズ?」
聞いたことのない単語です。
「はい! しまむー……卯月ちゃんと凛ちゃんと私の3人でユニットを組んでいます! もうすぐミニライブでデビューするんです」
「へぇ、すごいですね。やっぱりアイドルは楽しいですか?」
彼女たちのレッスンを見学していて、やっぱり一番聞いてみたかった項目です。
実際にアイドルとして活動している彼女たちの感想は大切ですよね。
「はい! とっても楽しいです!」
「ほほぉー、ではしまむー、ニュージェネを代表して一言!」
未央ちゃんがマイクを向ける仕草をして、卯月ちゃんにコメントを求めます。
「は、はい! ごほん! レッスンは辛いこともありますけど、前より音程が合ったりダンスが踊れるようになったりすると嬉しくて、もっと頑張ろうって。デビューこそまだですが、そこに至る過程も楽しいんです。それに、ステージに立ったらお客さんもいて、もっともっと楽しくなる気がします。アイドルの魅力はそこなんじゃないかって思います」
「……しまむーがいいこと言ってる」
「えぇ!? 私のことなんだと思ってるんですか!?」
「天然」
「アホの子」
「んもー! 未央ちゃんも凛ちゃんもひどいですっ!」
目をくの字にしてぽかぽか2人を叩いている卯月ちゃん。
「あはは、ごめーん」
3人の仲の良さが伝わってきます。とても微笑ましく、同時に少し羨ましくもありました。
ニュージェネレーションズのレッスンを見学したあと、応接室に通されました。他の方々は午後からのレッスンだそうです。
「どうでしたか?」
「3人ともすごく楽しそうでした。特に卯月ちゃんは、意気込みがすごくて」
「卯月は養成所に通っていましたから。アイドルに対する思い入れが強いんです。同期生が辞めて最後の1人になっても努力を重ねていました」
養成所というのは、アイドルの養成所のことかな? 俳優とか声優のは聞いたことあったけど、アイドルにもあるんですね。
やりたいという想いが強いからこそ養成所にも通っていたし、夢半ばで折れることなく辿り着けた。
何度も心が折れかけたはずで、挫けそうになったことでしょう。いえ、これは邪推ですね。
「強いんですね、卯月ちゃんは」
「新田さん?」
「実は私、やりたいことがわからないんです」
私は切り出します。
「先日、お話した可能性にドキドキするというのは本当の気持ちです。でも、やってみるとそのドキドキが嘘のようになくなってしまうことがあるんです。なんとなく違うなって気がして」
彼は黙って相づちを打っています。
「毎日の生活は充実しています。辛いときも楽しいときもあります。ただ、それとは違う何かが欠けているような気がしていて。私がいろいろな体験をしているのは『やりたいこと』を見つけるためでもあります」
高校では副会長もやったし、大学では誘われてラクロス部にも入部しました。決してつまらなかったとか結果が出せていないとかじゃないんですが。
「迷っている感覚ですか」
「そう、ですね。あれもこれもと手を出しているようなものですから」
彼は伏し目がちになるほどと答える。
「正直に言いますと、アイドルになったからといってその感覚に明確な答えが出るとは限りません。むしろ、かえって迷い込むことだってあります。最後に決めなければならないのはあなたです」
「そうですよね。すみません。いきなり関係ないこと話してしまって」
「いえ、あなたのことをよく知れたので満足です。それに」
私は彼の続きを待ちます。
「もしアイドルがやりたいことだったのなら私がお手伝いできます。というよりは、私にできるのはそれだけですから」
「あはは。そう言ってもらえると嬉しいです」
「1つだけよろしいですか?」
「はい。なんでしょう?」
「なぜ私にその話を?」
確かにそうでした。なぜ私は心の靄を話したのでしょう。路上でスカウトされたときを思い返して考えます。
「うーん……反応が違ったから、でしょうか。だいたいの人は私を『完璧な人』みたいに接してくるんです。文武両道、なんでもできるすごい人、チャレンジャー、みたいにです。周囲からはそう見られても仕方ないんですけど」
美波はすごいね。私には真似できないよ。
そう言われることが何度もありました。笑顔でありがとうと伝えるも、心のどこかで苦しさを感じていたのも事実です。
「でも、本当の私はそうじゃない。今もたくさん迷っているし、立ち止まることのほうが多いんだよって誰でもいいから知ってもらいたかったんだと思います」
本音を言ってしまいたかったけれど、それは相手の期待を裏切ってしまうんじゃないかと思ってしまって、胸の内に留めておくようになりました。いつからかはわかりません。
「私への周囲の評価と私自身の本音との温度差、とでも言いましょうか。やっぱり身近な人には話しづらいですから」
「……赤の他人だからこそ、話せることもありますから」
「そう言ってもらえると助かります。肩の荷が少しは軽くなった気がします」
「それは良かった」
ほんのり微笑んだ彼を見て、決心が付きました。
私はソファに座ったまま背筋を伸ばし、彼のほうへ視線を向けます。一息吸って吐いて、整えてから口を開きます。
「アイドル、やってみようと思います! よろしくお願いします!」
こうして私はアイドルになったのです。
* * *
コーヒーを啜っていたプロデューサーさんが不意に切り出します。
「そういえば、アイドルやってみてどうだ? 迷いから抜け出せそうか?」
「覚えていたんですね」
「そりゃまあね」
当然だ、とプロデューサーさんの顔に書いてある。
「あのときは、プロデューサーさんになら話せそうだったので、つい。スカウトされたとき、私と話をしていたほんの一瞬だけ表情が変わったんですよ。気付いてましたか?」
「……美波は鋭いな。聞いてる内にな、少し寂しそうな表情をするんだなって思ったんだ。それが顔に出てたんだと思う」
「プロデューサーさんって結構相手のこと観察してますね」
「だってプロデューサーだもの。人間観察してなんぼさ」
ちょっとどや顔のプロデューサーさん。
「頼りにしてますね」
「もっと相談してくれていいんだからな。美波はそういうの胸の内にしまっておきがちだから、誰か1人くらい聞く人間がいなくちゃな」
「もし私があの時アイドルにならなくても、ですか?」
ちょっと意地悪な質問だったかな、と私は思います。
「もちろん。アイドルとプロデューサーという関係じゃなくても、1人の大人として聞くさ」
一切の間を置かずに答えてくれました。
「今、初めてプロデューサーさんのことカッコいいと思いましたよ」
「え、今までは?」
「普通、ですかね」
ちょっとショックを受けているプロデューサーさんのしょぼーんとした表情が可愛く見えました。
「あ、そういえばプロデューサーさん」
「なんだい」
「パパがよろしくだそうです」
私のパパは大学で海洋学者をしています。世界の海を研究しているとかなんとか。以前説明してもらいましたが、難しくて何がなんだか。とりあえず有名てはあるそうです。
私の名前にも『ときに厳しく、ときにやさしく、波のように』という意味を込めてパパが付けました。
そんなパパとプロデューサーさんは、私がアイドル活動をしたいと両親に話した翌日の夜に2人きりで飲みに行きました。
同行しようとしましたが、パパいわく『男と男の付き合い』だからと断られました。
さらに翌朝目覚めると居間で毛布を掛けられて爆睡しているパパを発見します。昨晩の深夜にベロンベロンになったところをプロデューサーさんが家まで連れてきてくれたとのこと。
その後、酔いが抜けたパパから正式に許可をもらい、アイドルとしてのスタートラインに立ったのです。
「美波のパパってさ、怖いよね」
「そうですか? 確かに大柄で強面だけど、優しいパパですよ?」
そして過保護でもあります。パパの名誉のためにここでは言わないけれど、私の写真アルバムを常日頃から持ち歩き、しかも周囲の人に見せびらかすのはやめてほしいと思います、本当に。あと最近知りましたが、永久保存版と鑑賞用があるらしいです。
「凄みがあるんだな、凄みが。『俺の娘に露出の高い服着せてみろ。許さねぇぞ』って真顔で言われた。本気じゃないよな?」
「あはは……」
笑って誤魔化すしかできないくらいパパなら言いそうです。
「今回の衣装、ちょっと露出高めなんだけど」
ボソボソっと独り言をつぶやくプロデューサーさん。でも、バッチリ聞こえましたよ。
「ええっ!?」
「あ、やば。ひひひゅ、ひゅー」
「口笛吹けてませんよ。それに大丈夫だと思いますよ、パパ、プロデューサーさんのことなんやかんや言いつつ気に入ってますから」
「そうか。ならば安心だ」
あまりにも露出度が高いと、その安心を保証できないかとしれませんが。
「あら、美波ちゃん、早いのね」
席を外していたちひろさんが書類を手にどこかから戻ってきました。
「はい。時間があったので早めに来ました」
「そうなの。プロデューサーさん、少し早いですけど、ちょうどいいから今から衣装合わせ始めちゃいましょうか」
「いよいよできたんですね。私の衣装」
「えぇ、昨日届いたんです。では、行きましょう」
「はい!」
私はドキドキしながらちひろさんと一緒に試着室に行きました。
プロデューサーさんもちひろさんもルキトレさんも「おお」と声をあげました。
あ、ルキトレさんっていうのは、発案者の未央ちゃんいわく『ルーキーのトレーナーだからルキトレ』だそうです。
「あ、あの……」
「どうした美波」
「これ、本当に私の衣装なんですよね?」
「そうだよ」
私の初めてのアイドル衣装は、空をそのまま塗ったような青に白とオレンジの3色が映えるセパレートタイプで、水着と言われても違和感がないほどに露出度が高い。
予算を節約するために市販の水着を流用しましたと言われたほうがまだ受け入れられそうなほどに。
「前に試着したときはもうちょっと布面積があったような……」
「なくてもいいかなって思ったからバッサリ切ってみた。よく似合ってるぞ」
ちひろさんもうんうんと頷いている。本当かな。ルキトレさんはあわわわって言ってるけど。
「私としてはもう少し面積削りたかったんですけどね」
ちひろさんがさらっととんでもないことを言っています。ここからさらに削られたら、さすがに水着ですらなくなってしまうのではないでしょうか。
「よ、よくお似合いだと思います! 美波さんの雰囲気にマッチしてます!」
ルキトレさんは何か言わないといけないと思ったんですね。まずはこっちをちゃんと見てもらいたいです。
「ルキちゃんも着てみる?」
プロデューサーさんがいたずらする子供みたいにからかいます。
「えっ!? わ、私にはああいう恥ずかしいのは! 難しいです!」
ルキトレさんに思いっきり恥ずかしいって言われましたけど、大丈夫なんでしょうか。
「よし。衣装合わせも終わったし、いよいよ美波の初仕事だな」
「は、はい!」
この衣装で撮影したグラビア写真を見たパパの反応は言うまでもありません。
車の後部座席に座りドアを閉めたところで緊張の糸が切れたのを感じます。
初仕事を無事に終え、ほっと安堵していると、運転席に乗り込んだプロデューサーさんが冷えた缶ジュースを手渡してきました。
「お疲れ様、美波」
「ありがとうございます。いただきます」
プルタブを起こすとぷしゅうと炭酸が抜ける快活な音がして、一口飲むと喉を通る冷たい炭酸がとても心地よく、パパやママが仕事のあとの一杯は最高だというのがなんとなくわかった気がします。さらにもう一口。うん、おいしい。
衣装合わせを終えたあと、私はプロデューサーさんの運転で初仕事に向かったんです。
雑誌のグラビア写真撮影が、私のアイドルとしての初仕事です。
なんでも、営業をかけた雑誌の関係者の方が私の宣材写真を一目見て即決したと。
翌日には改めて私も伺い、そのまま打ち合わせをして日程を決め、今日に至りました。
公園からゲームセンター、ボウリング場、街角で様々なショットを撮影しました。
撮影は滞りなく順調に進み、
『初めて撮影する子はだいたいガチガチなんだけど、君は自然体でいいね。俺も撮ってて楽しかったよ』
とお褒めの言葉をいただくくらいです。
人前に出るのは慣れていたし、なによりミスコンの経験が生きたからこそだと思います。
クリアブライトネス──さっきの衣装の名前です──を着るときはさすがに恥ずかしかったけど、堂々としていると綺麗に見えるよとプロデューサーさんにアドバイスを受けて、無事に切り抜けました。
「初仕事はどうだった?」
ハンドルを握るプロデューサーさんが問いかけてきます。
「緊張はしましたけど、楽しくできたと思います」
「それはよかった」
バックミラー越しの彼は微笑んでいるように見えました。
事務所へ帰る道すがら、赤信号に捕まったとき、ふと窓の外の広告が目に入りました。
それはブランドファッションの広告で、被写体として765プロの星井美希さんがおしゃれにコーディネートされた服装で写っています。
「私もあんな風になれるんでしょうか」
「ん? ああ、あの広告みたいに?」
「はい」
「なれるよ。大船に乗ったつもりで任せてくれ」
「泥船じゃないことを祈りますね」
「ひどい」
「ふふ、冗談です。これからもよろしくお願いしますね」
信号が青に代わり、車列が動き出します。広告はもう見えなくなってしまいました。
事務所まであと少しの距離になったところで、車はコンビニに入りました。
「すまない。ちょっと待っててくれ。何かいるものがあるか?」
「いえ、とくには」
急ぎ足でコンビニに行ったプロデューサーさんは3分も経たずに買い物を終えてきました。手にはティーンの女の子向けの雑誌。
「待たせた」
「ゆっくりでも大丈夫でしたよ。それよりその雑誌、もしかして加蓮ちゃんの」
「そう。ネイルのコーナーが乗ってる雑誌。見本誌は送られてきたけど、未央たちに即刻持ってかれた挙げ句、今は常務のもとにあるから、見せてくださいとは言いにくくてな」
未央ちゃんたちがバッと持っていってしまう光景が簡単には想像できますね。おそらく突風のように素早かったに違いありません。
「先に見ててもいいぞ」
「いいんですか?」
「ああ。あとで返してくれれば」
プロデューサーさんから雑誌をパラパラめくりながら、私もこんな風に写るんだなと思うと少しの笑みがこぼれてきました。
私のアイドル活動はこれからも続いていきます。
ちなみに、私のグラビア写真を見たパパは、案の定最初は怒っていましたが、プロデューサーさんとなんらかの取引をして落ち着いたようです。
治まって良かったなぁと思っていたら、後日、自宅の玄関にクリアブライトネスを着た私のグラビア写真が大きな額縁に入れられて飾られることになるのでした。