まずちひろがやるべきことは美波と司会進行の打ち合わせだ。バッグにタイムスケジュールを印刷した紙を入れておいたはず。良かった、忘れずにあった。
「美波ちゃん、これがタイムスケジュールです」
「ありがとうございます。ふむふむ」
「何か聞きたいことがあれば言ってください」
ステージは18時開始で19時30分の予定である。
村長の挨拶から始まり、自慢の一品、シブメンコンテスト、子供たちによる合唱、降郷村マスコットキャラクターのお目見え、そしてファミリア、ニュージェネ、演歌歌手の順番にミニライブ、閉会、となっている。
「演目はわかりました。この“自慢の一品”と“シブメンコンテスト”は所要時間は決まってますか?」
「明確には決まってないんですが、そうですね、だいたい20分から25分くらいが目安でしょうか。越えちゃうと後ろが結構カツカツになっちゃいますから」
「わかりました」
「ステージなんですが、実際に行ってみましょう」
美波が余白にメモし終えるのを待ってから、夏祭り会場にあるステージへと移動するために教室を出る。
ステージでの動き方を紙だけで説明するよりも実際に見ながらのほうが格段に早い。
「ちひろさんってアシスタントなんですよね」
控え室のある校舎を出て会場へ行く道すがら、美波が尋ねてくる。
「ええ、そうですよ」
「アシスタントって何をやるんですか? いまいちピンとこなくて。あ、別にちひろさんがサボってるとかじゃなくてですねっ」
「ふふ、わかってますよ」
慌てる美波の姿も可愛いとちひろは思う。プロデューサーが『美波は何をやっても、どんな表情でも魅力的に見える』と言っていただけある。
「例えば、楽曲や衣装の発注・管理、書類作成、アイドルたちの勤怠管理、備品管理、電話番などなど。オーディションのときは書類審査にも参加しましたよ。結構いろいろやってるんです」
「多岐に渡るんですね。今日みたいに付いてくることもあるんですか?」
これからみんなが売れてきたらあるかもしれない、とちひろは美波に伝える。
「大変ですね」
「まあ大変ではあります。それでも、みんなの活躍の場がこうして広がっていくのを間近で見れるのが嬉しいんです」
「ふふ、私たちの活躍はちひろさんのような素敵な方のバックアップのおかげですね」
「あらあら、おだてても何もでませんよ?」
顔がにやけてないかなとちひろは不安になる。誉められたことはあっても、こんなに直球で『素敵な方』なんて言われたこと生まれて初めてで。
──美波ちゃん、恐ろしい子ッ!
何気ない美波の言葉にドキマギしつつ、グラウンドへの階段を上がっていく。
やがて視界が開けると、野外ステージの上手の舞台袖側へと出た。
グラウンドのあちこちで青年団の人たちが屋台の骨組みを組み立てている。ステージを挟んで反対にも骨組みがあるためそこにも屋台が建てられるようだ。
ステージの正面にはパイプ椅子を並べる加蓮と奈緒の姿が見える。
「ここがステージですね。こっちが上手で、こっちが下手になります。真ん中のカーテンのところも出入口で、シブメンコンテストのときはここから参加者が壇上に上がります」
ちひろがカーテンで閉じられた出入口について指を差しながら説明していると、下手側の舞台袖からプロデューサーが現れる。
「あ、プロデューサーさん。挨拶は無事に済みました?」
「ええ、問題なく。このステージセットも隅から隅まで確認しておきました。危ない箇所はないので安心して登ってください。あ、そうだちひろさん」
「はい?」
「機材の使い方ってわかります?」
「機材っていうと音響機材ですかね」
プロデューサーさんがうなずく。
「杏と莉嘉で接続作業をやってますが、だいぶ手こずってるみたいで。私も見てみましたがわかりませんでした。だいぶ古い機材みたいなので。美波との打ち合わせに区切りがついたらお願いします」
「はい、わかりました」
「お願いします。私は美嘉たちの様子を見てきます」
ちひろと美波ちゃんが通ってきた階段をプロデューサーさんは降りていき、その背中は階段の影に隠れてしまった。
「じゃあステージに」
「あ、ステージの確認は私1人でできますから、莉嘉ちゃんたちのほうに行ってあげてください。2人ともフリーダムですから、放っとくとどうなっちゃうか……」
そんなことはない大丈夫、と言い切れない自分がいて、ちひろはその提案を受け入れた。
「……そうですね。もし不明点があれば言ってくださいね」
「はい」
ちひろは美波と分かれ、機材席へ急ぐ。
機材席では目も当てられないような惨状が広がってると思っていたものの、機材やケーブルは箱にしまわれたままで手はつけていないようだ。
椅子の上で杏ちゃんがぐーすか寝ているので、とりあえず起こす。
「杏ちゃん、杏ちゃん」
──揺らしても起きませんね。おでこ、はたいてみましょうか? いえ、アイドルをひっぱたくなんてできませんし。
「杏ちゃん」
──やっぱり起きませんねぇ。気持ち良さそうに寝ています。寝る子は育つって言われてるんですけどね。
そういえば、とちひろは思い出す。
控え室にはお茶うけとして置かれていたお菓子をあとでつまもうとして適当にポケットに入れておいた、と。
──何かいいのがあると助かるんですが、おやこれは。
これならいけるかもしれない、ちひろはそう感じた。
「あ、こんなところに飴がー」
「……飴!? どこどこ!?」
プロデューサーが飴さえあれば杏はどうとでもなるって言ってたのはこういうことだったのかと実感する。飴の力が偉大すぎる。
「……? あれ? ちひろさん?」
「はい。機材わからないんですよね」
「あっ、はい。よくわかんなかったので触らずにいました」
飴はないの?と杏の顔にくっきり書いてあるのが、ちひろにはわかる。
──ちょうど2個持っていることだし、1個あげてしまおう。
「そうですね。じゃあ、はい、あーん」
「あーん。ん~、おいひー」
ひとまず杏が起動したので、機材のセッティングを進めるとする。と、ようやく1人足りないことに気付く。
プロデューサーは杏と莉嘉が、と言っていたのだ。
──……あ、莉嘉ちゃんがいない。
「莉嘉ちゃんはどこ?」
「さぁ? なんかあっちのほうへ走っていきましたけど」
杏が指差す方向には青々と茂る森しかない。
「森に、ですか」
「うん」
「………………森ぃ!?」
なぜそんなところに突撃していったのかは定かではないが、それよりこれはマズイ状況なのではないだろうか。もし万が一、帰り道がわからなくなって遭難してしまったら。そう考えてしまったちひろの顔を冷や汗が垂れる。
「と、とりあえずプロデューサーさんに!」
「あ、待ってよちひろさん」
「待ってね杏ちゃん、早く……!」
「いやあれ」
「え?」
再び指を指すので、その方向へ視線を向ける。
森の緑色の中に異質な金色が混ざっている。なんだあれはと不思議がっていると、それはひょこひょこと動いた。かと思いきや、茂みをかきわけてなんと莉嘉がひょっこり顔を出した。
きょろきょろしていた莉嘉はちひろたちを発見すると、一直線にこちらへ走り出した。ダダダダダという効果音がぴったり合いそうだ。
至るところに葉っぱやら小枝やらを付けて、手には大変に立派なカブトムシを持っている。しかも服装はやや短めのスカートだし、それで森へ突撃していたとは。
「ちひろさーん! 杏ちゃーん! ねぇねぇ見て見て!! おっきいカブトムシー!!」
投げたボールを取ってきたワンちゃんのように、それはもう嬉しそうにカブトムシを掲げている。
「おっきいでしょ、これ!!」
息も絶え絶えなのに、彼女の目は爛々と輝いている。この生き生きとした瞬発力が若さなのだろうか。
「どう、杏ちゃん!!」
「へー、なかなか大きいじゃん。よく見つけたね」
「へっへーん! カブトムシ見つけるのは得意なんだ☆」
莉嘉ちゃんの手で摘ままれたカブトムシの脚がうねうね、うねうねと動いている。杏はけろっとしている。平気そうだ。
──……あ、やめて。こっちに近づけないで。
「ちひろさんもどう!! カッコいいでしょっ!!」
「は、はい! とってもカッコいいと思いまふ!」
噛んだ。
──うう、莉嘉ちゃんのキラキラしたまなざしの前で昆虫全般が苦手だなんて言えません。守りたい、この笑顔。
「虫かごとかあるかもしれないから、村の人にでも聞いてきたら?」
「あ、そっか! 杏ちゃん、頭いいー! じゃ、ちょっと聞いてくるねー!」
莉嘉が虫かご探しに行ったことで、嵐がきたように大荒れだったちひろの心に平穏が帰ってきた。
「虫、苦手なんですね」
「あはは、まあ、そんなところです」
「あー、杏、ファインプレーだったし、そのポケットの中のそれ欲しいなぁ。ちら」
──ポケットにまだ飴があることがバレてるッ。なんて観察力なの!
「仕方ありませんね。あーん」
「あむ。うんうん、飴はいいねぇ。じゃ、杏、働いたんで寝まーす。おやすみ~」
「寝るのはまだ先ですよ~。もし今日がんばったら、プロデューサーさんに杏ちゃんのお休み掛け合えるかもしれませんね~」
「……………………じゃ、機材のセッティングやろうか」
キリッとした目付きで杏ちゃんは機材の箱を開ける。作戦成功である。
「さ、パパッと終わらせましょうか」
この機材は確かに古いが、ちひろはバイトで何度か触ったことがあった。
──この配線をここにつないで、そしてここには電源を……。
記憶を手繰りながら作業すること約20分。おおまかなセッティングは完了。
杏もしっかり手伝ってくれたし、途中でカブトムシを虫かごに入れてもらった莉嘉も合流してくれたので思ったより早く終わった。
虫かごを借りてすぐにカブトムシには大五郎って名前を付けたようで、姉である美嘉たちにも見せにいったそうだ。ちなみ美嘉は怯えながら腰を抜かしたらしい。
「ふー、完成です!」
「わー、ぱちぱちー!」
「ぱちぱちー」
大学時代に何気なくやっていたイベント関連でのバイトがこんなところで役に立つなんて思ってもみなかった。
「ねーねー、ちひろさん。これで終わり?」
「いえ、これからマイクやスピーカーのテストをしないといけませんよ」
「じゃあアタシがステージでテストする☆」
マイクを数本持って莉嘉がステージへ駆け出す。ステージじゃなくてもできるのだけど、ここで野暮なことは言わないことにする。
「杏は……まあ見てるよ」
今の一瞬の間にきっと杏ちゃんの脳細胞がフル回転して、見てるという結論に至ったに違いない。プロデューサーさんに休日を掛け合いはするが、まあ無理になるのが目に見えている。
『あー、あー、ただいまマイクのテスト中。あー、テステス、テステス』
莉嘉がマイクに声を吹き込んでいく。マイク、スピーカー、その他機材、すべて正常に作動している。問題なし。オールグリーン。
「よし、問題ありませんね。セッティング完了! 莉嘉ちゃーん、もういいですよー!」
『わかったー!』
機材の準備も終わったし、あとはリハーサルをして本番となる。
ちょうど加蓮たちも設営が終わったようなので、ひとまず控え室に戻ることにした。
控え室に戻ると端に寄せられていたテーブルが教室の中央林間に広げられていて、その上に大皿や鍋、おかずが置かれていた。
「おおーっ! なにこれーっ!」
莉嘉は感嘆しながら、大皿を1つ1つ楽しそうに眺めていく。
ラップで包まれた大皿にはおにぎりや卵焼き、肉団子などがおいしそうに盛り付けられていて、食欲をそそる香りがほんのりと鼻を刺激してくる。
「こら莉嘉! 食べる前に手は洗ったの! あと大五郎は窓際に置く!」
ラップの隅をこっそり開けてつまみ食いをしようとする莉嘉を美嘉が叱る。
「ええーっ!? 大五郎にもなんかあげたいよー!」
「……きゅうり貰ってあるから。だから手洗ってきなさい。あと近づけないで」
「ほんと!? えへへ、お姉ちゃん大好き★ じゃあ洗ってくるねー!」
──美嘉ちゃんってやっぱりいいお姉ちゃんですね。
「あ、ちひろさん。それにみんなも。設営は終わったんですか?」
「ええ、ばっちりですよ」
「そうですか。これ、お昼ごはんなので、みんなで食べましょう」
「あら、おいしそうですね」
「村のお母さんたちと一緒に作ったんです。アタシも腕によりをかけました。少し味見させてもらいましたけど、シンプルなのにすごくおいしいですよ。いろいろ役立つ知恵も教えて貰いましたし」
お母さんたちの知恵袋というわけである。入ってる知恵はきっとすごい、はずだ。
「なかなか上手にできてるじゃないか。うまそうだ」
「……!?」
ジャグタンクを持ったプロデューサーがいつの間にかちひろと美嘉の背後に立っていました。
たまに気配を消してるんじゃないかと疑うほど、するっとそこにいることがあって正直心臓にかなり悪い。忍者の末裔だと言われたならすんなり納得できるかもしれない。
「あ、プロデューサーさん、お疲れ様です」
「お疲れ様です、ちひろさん。まだ正午前ですが、お昼にしましょうか。全員いますか?」
「あ、莉嘉ちゃんが手洗いにいってます」
ダッダッダッダッダと廊下を走る音が聞こえ、莉嘉が大五郎とともに戻ってきた。
「じゃあお昼にしますか。紙皿とか紙コップはありましたっけ」
「それならさっき貰ってきたよ」
「ありがとう美嘉、じゃあ全員に配ってくれ」
「おっけ☆」
紙皿もコップも全員に行き渡ったところで、いただきます、とプロデューサーが言う。他のみんなもそれに続く。
「プロデューサー、この卵焼き、私が焼いたんですよ。エッグいくらいおいしいので食べてみてください。あーん」
「そうなんですか。あーん。どれどれ、ほんのり甘くておいしいですよ」
「ふふ、お口にあって良かったです」
──ごく自然な動作であーんするなんて、あれが大人の余裕というものなの……。
「あら?」
楓さんの底力をまじまじと見せつけられつつ、ちひろもおにぎりを1個手に取りる。それはなんだか他のと違って少し崩れているようにも見える。よくよく見ると、どうやら他にも何個か似たようなのがある。
「……あ、あの」
凛ちゃんがすうっと隣に立つ。
「それ、私が握ったんです。その、母の料理を手伝うことはあっても、おにぎり握るのは始めてで。美嘉に教わりながら握ったんですけど、崩れちゃって」
ちひろからすれば、初めてにしては上手く握れていると思う。しかしはじめて握ったのなら不安を感じてもおかしくない。ここは言うより食べるが早し。
凛手製のおにぎりをぱくりと1口。
「あ」
「……大丈夫、おいしいですよ」
あからさまにほっとした表情を見せる凛。
「そっか。なら良かったです」
「誰だって最初は下手なとこがあるから、気にしすぎないでね」
「ありがとうございます。ちょっと自信持てました」
その後、みんなに提供された──まあ半分は自分たちで作ったようなものだが──料理を残さずに完食したことで、村のお母さんたちからいい食べっぷりだと誉められたのだった。