クラス担任がホームルームを終えて教室から出ていくと、クラスメートたちはそれぞれ動き始める。あるものは部活動、あるものはアルバイト、またあるものは寄り道の相談などなど多岐に渡る。
「みんな、おにゃーしゃー☆ ばいばーい!」
ばいばーいと手を振り返してくれたクラスメートと別れて私は教室を後にする。
彼女の名前は諸星きらり、17歳。ちょっと……いや、だいぶ背が大きめの高校2年生。
きらりは廊下から階段を通って1階へと降りていく。
放課後にこれからの予定はなく、家に帰ってかわいい小物作りの続きをやろうと考えている。昔は集めるだけだったが、今では自作するのがきらりの趣味になっている。
些細な忘れ物をしたことに気付いたのは、昇降口でローファーに指をかけたときだった。
明日も使う教科書なので別に持って帰らなくても問題はないが、今日の宿題をするときにあると便利なのは確かであるから取りに戻ることにした。
──いけないいけない。うっかりだにぃ。
教室までの道のりを戻り、さあ入ろうとしたとき、中からは話し声が聞こえてくる。
「諸星ってさぁ、なんであんな話し方なの」
自分の名前が話題に上がってしまい、入りに入れなくなる。とりあえず会話が聞き取れる位置に咄嗟に隠れた。
「あー、あの『にょわー』とか『だにぃ』ってやつ?」
「そーそー。あれ電波入っちゃっててキモくない?」
「わかるぅー。あいつと普通に付き合えてる奴も根暗ちゃんばっかだし、オタサーの姫の女版みたいな」
「なー。でも諸星って結構男子に人気あるみたい」
「はあッ! チッ、あーあ、男って馬鹿ばっかり。にょわにょわ言ってるあんなイロモノがいいとか。でかくて喋り方が変で」
「握力も81kgあるって聞いた」
「バケモノじゃんか!」
2人で楽しそうに笑いあっている。そんなに握力はないけれど、言ったところでさほど意味はないだろう。
──……。
きらりは早くこの場を離れたくなって、2人が教室から出ていくまでトイレの個室に身を隠していた。
教科書はひとまず回収できたきらりは、そそくさと下校した。あの2人とばったり顔を合わせなくて良かったと思う。
とぼとぼ歩く帰り道、足取りが重く感じる。
通学路の途中にある公園を通り過ぎようとしたとき、ふとブランコが目についた。風に押されたのか、ゆらゆらと揺れている。
理由はないが乗りたくなったきらりは、ブランコに近づき遊んでいたり遊びたそうにしている子供がいないか、キョロキョロ見渡してから座る。
「はは……ちょっと……つらいにぃ」
きらりは誰もいない公園でそうつぶやく。ブランコのキィキィと擦れる音だけが、まるで私を慰めてくれているように感じる。
この変な口調をし始めたのは、ちょうど中学校に入学して初めての夏休みが明けたときからだ。
小学校高学年くらいから身長が伸び始めて、そのせいでちょっと思い悩んだ時期があって、考えて考えて考えた末の解決策として実行した。
確かに効果はあったが、心が傷つくことがやや増えた。
身長に関しては、始めは他の子と同じくらいだったものの、めきめきと伸び始めて気付けば女子たちの中で文字通り頭1つ分ぴょんと飛び出ていた。
中学1年生の4月の測定のときでだいたい165センチくらいの身長だった。卒業時は178センチに伸びていた。
現在、高校2年生で186センチとなり、190センチの大台に乗るのも時間の問題かもしれない。
「はぁ……」
今日みたいに陰でこそこそ言われていたことは中学、高校を合わせて何度かあった。
木偶の坊、筍、目立ちたがり、キモい電波、変なデカブツなどなど。
よくこんなの思い付くなぁとおもわず感心してしまいそうになるほどバリエーションが豊かだった。誉めるときよりも叩く言葉のほうが思いつきやすいのかもしれない。
自分でやり始めた“話し方の改変”を今さらやめるつもりはないし、もはや素の自分になりつつあるが、それでも言われた陰口が辛いときがある。
「いたいのいたいの……とんでけぇ……」
小さくブランコを漕いでみるものの、やはり心は痛いままだった。傷がついてしまった箇所から赤くて生暖かい血がぽたぽたと出ているんだろう。処置のための絆創膏や薬がないから、あとは時間が解決してくれるのを待つしかない。
やがて漕ぐのを止めたブランコは勢いを失って静止する。どこからかカラスの鳴き声が聞こえ、見上げるとオレンジ色の空へ飛び立っていった。
「あんまり遅くならないうちに帰るにぃ」
きらりはブランコから降りる。
誰も座っていないブランコは、ときどき吹くそよ風で揺れるがまた元の位置に戻る、を繰り返していた。
* * *
翌日の放課後、私は忘れ物がないように入念に確認してから下校した。
あの2人とはとくに話はしていない。昨日のあれは運悪く聞いてしまっただけで、むやみにつつかなければ大事にはならない。
物が隠されるとか失くなっているとか、鞄の中をいじられたりとかはないから一安心だった。
帰宅部に混ざって帰り道を進んでいると、またあの公園の差し掛かった。
何十年も前に設置されたような使いふるされた滑り台やジャングルジム、そしてブランコしかなくて、生い茂る木々のせいで光が遮られどことなく薄暗い。
──あれ?
そんな時代に取り残されたような公園のブランコに人影がある。
──子供? 1人?
目を凝らすとまだ10歳にも満たなさそうな子供が座っていた。まわりの地面に荷物も置かれているが、まわりに大人の姿はない。
小さい子供からすればどでかいきらりなんて天敵みたいなものだけど、でも放っておくことはできなかった。たとえ、怖がられても声をかけたほうが良いと思ったから。
──うーん。やっぱり放置はできないにぃ!
ゆっくり近づいていくと、その子と目が合った。腰を屈めて目線を同じにするといいらしいと何かで聞いた。小さい子供にはとくにいいと。
「ね、ねぇ……そこの君」
恐る恐る話しかけると、その子はキョロキョロと辺りを見渡してから、
「……杏のこと?」
と返事をしてくれた。
あまり怖がらせないように意識しながら話を続ける。
「う、うん。もう夕方だけど、ここでどうしたに……の?」
「え? あー、その、歩くのに疲れちゃって。人を待ってるんだ」
「お父さんとお母さんのことかにぃ?」
「ううん、違うけど。杏の両親は今北海道にいるから」
杏と名乗ったこの子の両親は北海道にいるらしい。
──北海道って47都道府県の北海道? 北海道はでっかいどー!の北海道で合ってるのかな。
東京の公園で北海道の子が1人でいったい何をしているんだろう。疑問はつきない。
「ええっと、とりあえず別の場所に移動してほうがいい、かな」
なんか深刻そうだし、とりあえず交番に連れて行けばいいのかなと考える。
「え、いいよ別に。人は呼んであるからさ」
「で、でもでもぉ、これから夜になって暗くなっちゃったらとても怖いと思うなー」
「いやいや、杏は1人でちゃんと待てるよ。子供じゃないんだし。こう見えても杏、17歳ですから。どやっ……!」
どや顔をするこの子、もとい杏がびっくり発言をかます。
「えっ?」
──じゅうななさい。17歳。杏さんじゅうななさい。私と同い年……?
「にょわうあうぇうぇうぇーっ!?」
「うおぉっ! な、なんのさいきなりぃ」
「あっ、ごめんねぇ。その、きらり、すっかり驚いちゃって」
まさかこんなに小さくて同い年の子がいたなんて、17歳で186センチの自分が言うのもあれだが、今までの人生の中で一番驚いた。何か運命的なものを感じてしまう。
「ちなみに誕生日は?」
「ふふ、聞いて驚け見て笑え! なんと、9月2日の花も恥じらうおとめ座なのだぁ! どやややっ……!!」
それは偶然にも私と1日違いだった。
「うっきゃー!! きらりも、きらりも!! 9月1日のおとめ座なんだよぉ!! うぇへへ、運命、感じちゃうにぃ!!」
「お、おおぅ」
杏が後ろに仰け反るような姿勢を取ったことで、きらりはぐぐぐっと顔を近づけてしまっていたと気付いた。以前迷子の子供を泣かせてしまったことがあるし、怖がらせてしまってはいないだろうか。
「あ、ごめんね。興奮しちゃって、つい……」
「……別に謝ることないんじゃない? そりゃあ、いきなり顔を近付けられたらびっくりするけどさ、謝られるほどのことじゃないでしょ」
──良かった。
「隣のブランコ、座ってもいいかにぃ?」
「うん」
きらりは隣のブランコにそっと座る。
会話が続かず、ブランコのキィキィという鎖同士が擦れる音だけが小さく鳴っている。
「……杏ちゃんは、きらりのこと怖くない?」
「なんで?」
「背がおっきいからだにぃ」
「全然怖くないけど」
即答だった。
「杏から見れば、子供以外のまわりの人はみんな背が大きいからさ、今さらだよ。大きい人たちの中にもっと大きい人がいたって、結局大きい人であることに変わりないからね。強いて言うなら首が疲れるくらい」
「そっか。そっかそっか。ありがと、杏ちゃん」
──賢いんだにぃ、杏ちゃんは。きらりもそんな風に割りきれたらいいのに。
「なんでそんなこと気にするの? 誰かに言われた?」
「……う、うん……中学生のときにね、『おっきくて怖い』って言われたにぃ」
「ふーん……………………なるほどね」
杏は1人で納得しているようである。
「だからその“変なキャラ”をしてるんだ」
「うゆ?」
「背がおっきくて怖がられないように変な子だって周囲にキャラ付けしたいってことでしょ。そっちのほうがマシだから」
「……っ!」
「その表情、図星でしょ? へへーん、杏はこう見えて頭の回転は早いほうだと自負しているのだっ! どやん!」
口調を面白いと言われたことはあったが、なぜその口調なのかをそこまで考えてくれた人は今までいなかった。
「杏ちゃんはすごいにぃ。そこまでわかっちゃうんだ」
「まあね」
「ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、きらりの話を聞いてくれると嬉しいなって」
「うん、いいよ」
きらりは息を吸って吐く。
「……きらりね、中学のとき『おっきくて怖い』って言われてね、ショックだったんだぁ。それまでは他のみんなと同じだと思っていたにぃ。でも、実は違ったんだって思ったら、みんなの中でひとりぼっちになっちゃいそうで怖くなって。それで、なんとか怖がられないようにしようと決めたんだにぃ」
中1の夏休みの間、ずっと考えていたのを記憶している。
『怖がられるより変な子だと思われるようにする。そっちのほうがマシ』というのは、突拍子もない解決策だったなぁとふと思うことがあるが、あの時はそれが最善なんだと信じていた。
「変な子に思われるっていうのはパッと思い付いたんだぁ。夏休み明けにすぐ実践して。最初はみんな驚いていたけど、少ししたら慣れたんだと思うにぃ。怖がられることはなくなったから」
身長の話題はほとんどなくなり、きらりちゃんの口調変になりすぎだよー、と話のネタにされたことがあるくらいだから、きっと溶け込めていたはず。卒業した今は確かめる術はない。
「まあ望む結果にはなったってことか。良かったじゃん」
「うん……うぇへへ、あのね聞いてくれてありが」
「でもね、無理はダメだよ」
「……」
「良いことばかり起きる訳じゃないでしょ。辛くなるときもあると思う。ここ最近も何かあったんじゃない?」
──杏ちゃんは鋭いにぃ。それとも、きらりの顔に書いてあったのかな。
「ちょっと、ね。聞きたくない言葉を聞いちゃって、凹んでたんだぁ」
昨日の会話を思い出してしまう。
変な子のキャラ付けで背の高さを怖がられることはなくなったが、陰口の対象にもなりやすかった。
当時はそんなことまで考えが及ばなかったから、聞いてしまった時はかなり傷付いたし、よそよそしくならないように気を張ってキャラを演じたのは精神的にきつかった。
「でもでも、何度かあったから平気だにぃ! きらりは頑丈さが取り柄だから!」
慣れた訳じゃないけど、こういうことも起こりうるのだと頭の片隅に置いているだけでだいぶ気は楽になった。
「……ま、そういうならこれ以上は何も言わないよ」
「ありがとね、杏ちゃん。心配してくれてとっても嬉しいにぃ」
「杏も少しはその気持ちがわかるからさ」
きらりがその高い身長についての悩み事があったように、杏にもまた低い身長についての悩み事があったのかもしれない。
「きらりと杏ちゃんは、実は似た者同士なのかもしれないにぃ」
「身長は真逆なのにね」
学校には友達はいるし、そこまでいかなくても普通に会話をしてくれる人もいる。それでも、杏の存在はきらりにとってとても大きく感じられる。
「あのね、杏ちゃん。その、いきなり変なこと言っちゃうんだけど、きらりと友達になってくれませんか?」
「友達……ま、いっか。いいよ」
「……! う……」
「う?」
「うっきゃー!! おっすおっす、これからよろしくね杏ちゃん!! にゃっほーい、友達になれたにぃー!! うぇへへへへ!! うきゃー!!」
きらりはついつい嬉しくてなってしまって、興奮のあまり杏の両の脇の下に手を入れて抱き上げていた。
「へ?」
そして、そのままその場でぐるぐるまわった。遊園地ではなく公園でまわる人力メリーゴーランドの完成である。
「ちょ! 待っ……、なな、何をするダァァァァァァァ!?」
それから約1分ほどまわっていた。
「ご、ごめんね杏ちゃん!」
「い、……いいよ……気にしな……く……て」
すっかり目をまわしてしまった杏の介抱をしていると、2羽のカラスが特徴的な鳴き声を発しながら頭上を飛び差っていった。
気付けば空はもう夕焼けに染まっていて、帰宅する人々で街は混みはじめている。
「もうこんな時間だにぃ。杏ちゃんの待ってる人はまだかな?」
「そういえば遅いなぁ。あ、スマホに連絡来てる。30分くらい前に『少し遅れる』ってあるから、もうそろそろだと思う。そうだ。連絡先とか交換する?」
「うん」
互いの連絡先を交換する。大切な友達がまた増えた。
「きらりも遅くなる前に帰りなよ」
「うん。じゃあ杏ちゃん、きらり帰るね! おにゃーしゃー☆ また連絡するにぃ!」
「ばいばーい」
手を振る杏を背に公園を後にしようとする。出入口まで来たところで最後にちらっと振り返るとスーツの男性が杏と一緒にいた。何やら話していて、それがまとまったのか、杏の荷物を手に持った。
きっとあの人が杏が待っていた人だろう、ときらりは一安心して帰路についた。