きらりはローファーを履き、つま先で地面をトントンと軽く叩く。鞄の中の封筒を今一度ちゃんとあるか確認する。
──うん。ちゃんとあるにぃ。
制服をちょいちょいと整えて、玄関のドアに手をかけながら、
「よし! いってきまーす!」
と外へ出た。
通勤通学その他の人々に混ざって、きらりは通学路を進む。途中、信号待ちの交差点で立ち止まる。
頭がひょっこり飛び出ているからだろうか、ときどき視線を感じる。物珍しさとか、まあいろいろあるんだろう。
この年にもなれば、さすがに慣れてくるし、動じなくなってくる。むしろ、心なしか避けてくれるから混雑していても歩きやすかったりする。ちょっと複雑な気持ちではあるけれど。
交差点を渡り、そのまままっすぐ行くと郵便局がある。当然ながらポストもある。
きらりは鞄からA4サイズの封筒を取り出した。しっかりと封はされているし、送付先の住所も間違っていない。たまに貼り忘れることがある切手も今回は忘れていない。完璧である。
宛先は346プロアイドル部門となっている。
数日前に、杏からオーディションのことを聞かされたきらりは、それに応募すると決めた。
杏に『アイドルに向いている』とか、『可愛い』とか言われたのもあるが、何より今のきらりを見た上でそういう風に言ってもらえたことがオーディションへの応募を決断する後押しになった。
もしもアイドルになれたら何より楽しいだろうし、それに杏とも一緒に活動できるならさらに楽しさは倍になるかもしれない。
封入されているのはオーディションに必要な応募用紙で、公式ホームページからダウンロードした用紙に記載して、顔写真も撮って、項目を埋めた。
一次審査は書類選考だから、なんかイイコトを書こうとしたものの、さっぱり思い付かずに結局自分自身が考えていることを素直に書いた。うわべだけ取り繕うよりはいいと思っている。
一次が通らなければ、当たり前だが二次審査には進めない。そこで終わりとなってしまう。
──頼むにぃ……!
たかがポストに入れるだけなのに、こんなにもドキドキするとは驚きだった。投函はたったの数秒で終わるのに、とても長く感じられる。
「うぅ~…………、えーいっ!」
意を決して、封筒をポストに押し込むように投函した。ぽとりと落ちた音が聞こえた。
「ふぅ、ドキドキしたにぃ……」
胸を撫で下ろすように一度大きく深呼吸をする。強ばっていた筋肉がほっと一息ついたことで緩くなったような気がする。
まだオーディション締め切りまでは日数があるし、結果が判明するのはさらに先になってしまうだろう。
現時点では、結果は神のみぞ知るが、それでもきらりは無機質なポストに手を合わせてから、朝の人々とともに学校へと歩みを進めた。
* * *
ポストへ投函してから早いものでもう2週間以上が経とうとしていた。
ちゃんと届いたのかやきもきしつつも学校に通い、仕事が忙しいらしい杏とちょくちょく連絡を取り、実用書を見ながらスカート作りに精を出して、ここ毎日を過ごしていた。
完成したスカートは糸がほつれていて、あとサイズが合わなかった。どこかで寸法を間違えてしまったのだろう。
そんな日々を過ごしてきた今日、自宅ポストに待ち望んでいたものが投函されていた。
「…………」
きらりはその封書を穴が空きそうなほどじぃっと見つめる。
宛名が『諸星きらり様』となっていることを確認してもう3回目だ。開けるための勇気を今まさにぐんぐんチャージしている。
346プロアイドル部門のオーディションの募集締切はちょうど3日前で、いよいよもってソワソワが止まらなかった。
「ふー……きらりん、大丈夫。落ち着くにぃ」
ペン立てに差してあるハサミを手に持ち、きらりはそっと封筒の蓋に切り込みを入れていく。中の文書を切ってしまわないよう細くゆっくりと着実に。
時間にして約1分ほど。
今までこんなにも時間を掛けて封筒を切ったことはないし、たぶんこれからも先にもないだろう。
きらりは親指と人差し指をそっと入れて、中の文書を引き抜いていく。三つ折りにされたそれが出てきて、思わず顔から遠ざける。そんなことをしても結果が変わるわけでもなく、ただただ不安さから起こしたアクションだった。
瞼をぎゅっと瞑りながら、ゆっくりと折られた面を開く。
──うぅ……どきどきするにぃ……。
薄目でちらりちらりと内容を確認していく。
文章を目で追っていく。『選考の』『諸星きらり様』、『拝見』、『面接』、『進んで』、『おります』、『つきまして』、『日程』……。
──『面接』?
きらりは薄目で見るのをやめ、両手でそれを持ち、文章を目で追っていき、結果をしっかりと確認した。
『──さて、選考の結果についてですが、諸星きらり様の応募書類を拝見し、ぜひ次の面接試験に進んで頂きたいと考えております。つきましては下記の日程で──』
これは、つまりそういうことなのだろうか。
──ま、間違いじゃ、ないよね?
もう一度、文書の上から下まですべて読み込み、実は裏面にもないか、封筒の中にまだ何か入っていないか、この文章がきらり宛てで間違いないかを入念に確認する。
しかしながら、今回送付されてきたのはこれしかなく、やはり結果はこの文書の通りということになる。
きらりは書類選考を通過したのである。
「にゃっほおぉぉぉぉぉぉぉぉい!!」
こみあげてくる嬉しさを爆発させ、きらりが勢いよく立ち上がると、座っていた椅子ががしゃんという派手な音とともに床に倒れてしまう。
これを聞いた母親がわらわらときらりの自室に駆け込んでくるまで、そう時間は掛からなかった。
* * *
きらりは自室の姿見の前でくるりと1回転して、乱れがないか念入りに確認する。万が一にでも、服に穴なんか空いていたらと思うと念入りになってしまうのも仕方ない。
何を隠そう今日はオーディションの面接試験の日なのである。
コバルトブルーの空で、わたあめみたいなふわふわの雲が遊んでいる。天気予報が当たったらしく、本日は晴天なり。
──いよいよかぁ。……うっきゃー! ドキドキしてくゆぅ! 大丈夫かなぁ……ううん、弱気になっちゃめっ! きらりん、大丈夫! よし!
カラフルポップで可愛い服に身を包むきらりは覚悟を決める。小物のコーディネートも完璧だ。持ち物をすべて鞄に詰めてある。
「準備完了だにぃ!」
きらりは逸る気持ちを抑えつつ、そうして346プロダクションへと向かった。
346プロダクションに到着すると、オーディション参加者への立て看板があって、まずは本館の受付を済ませて、渡り廊下でオフィスビルへ、そしてエレベーターで30階に行くらしい。
本館に足を踏み入れると、まるでお城の内装のような豪華絢爛な空間に出た。
──す、すっごい。こんなの初めてだにぃ。
壁には有名な女優がプリントされた垂れ幕や高そうな絵画が飾られている。天井にはシャンデリアまで吊り下げられているのだから驚きだ。
驚きを隠せないまま、とりあえず受付を済ませ、通行証を持ってセキュリティゲートを通り、オフィスビルの30階を目指す。
3つあるエレベーターのうち一番左側に乗り込み、30階を押した。
分厚い扉がゆっくり丁寧に開く。またしても案内板があり、現在地と待合室の場所を知らせてくる。
左側の廊下を進み、角にある自販機兼休憩コーナーを曲がった先か待合室だ。右側の廊下は関係者以外立入禁止の貼り紙とベルトインパーティションにより封鎖されている。
案内に従い、待合室へ向かい、ドアを開ける。
室内にいた他の参加者たちの視線が一気にきらりへ集まる。値踏みをするようにきらりをじろじろ見てくる人も、興味なさそうにすぐにテーブルに視線を落としている人も、一瞥すらしない人もいる。
だいたい30人ほどだろうか。まだ席には空きがあるし、まだ来ていない参加者もいるのだろう。もしかしたらもっと多くなるのかもしれない。
──こんなにライバルがいっぱいだなんてぇ。きらりん、大丈夫かなぁ……。
この場の全員がライバルだと思うと、いかにきらりでもさすがに緊張してくる。
今朝、手のひらに『人』を書いて何人か飲んできたけれど、それでは足りなさそうだ。
とりあえずドアにもっとも近い席に座り、開始時刻をじっと待つ。
スマホを触って気を紛らわせたいけれど、ネットで調べた限りではマナーに反するらしく、触らないほうが無難だろう。
シンプルな壁掛け時計を眺めて暇を潰す。
秒針が一定の間隔が進んでいく。1分が経過し、次は短針が1つ進む。これを電池の保つ限り繰り返している。
その間も続々と参加者は集まっていき、そして開始時刻まで5分を切ったときである。肩にどっしりくる重たい空気と衣擦れの音すら響くような静寂に包まれる待合室のドアが開かれた。きらりも他の参加者と御多分に漏れず視線を向けた。
茶色の髪を三つ編みにしたやたら派手な黄緑の事務服を着た女性が会釈をして入室した。参加者には見えないので、おそらくスタッフなのだろう。名札に『千川』とあるその女性は一度咳払いをして口をひらく。
「みなさん、おはようございます。本日は346プロダクションアイドル部門オーディションにご参加いただきありがとうございます。既定の時刻となりましたので、ただいまより面接試験を始めます」
誰かが息を呑む。きらりだったかもしれないし、違うかもしれない。
「面接は5名ごとに行われます。他のみなさまは呼ばれるまでここでお待ちください。終了した方から帰宅して貰って構いません。結果は応募書類に記載のあった住所へ郵送させていただきます。変更があれば私までお願いします」
千川は名簿を挟んでいるであろうクリップボードを見える位置に持ち直した。
「では名前を呼びますので、呼ばれた方は荷物を持って隣の部屋に移動してください。えっと、多田李衣菜さん──」
「ひゃいっ!」
一番目に呼ばれた子が、裏返った声で返事をして待合室を出る。続いて呼ばれた子たちも続々と面接会場へ移動する。足取りはどこかぎこちない。
「以上となります。次のグループを呼びにくるまではこちらでお待ちください」
そう言うと会釈をして千川は待合室を出ていった。
きらりが待合室でじっとしていると廊下が少し騒がしくなったのを感じる。4番目のグループが終わったのだろう。だいたい30分ほどで呼ばれているから、ざっくり計算で1人あたり約6分となる。
千川が名前を呼び上げていく。
1人目、きらりじゃない。2人目、きらりじゃない。3人目、きらりじゃない。そして4人目。
「諸星きらりさん」
「は、はい!」
──い、いよいよだにぃ……!
4人目として、ついにきらりの名前が呼ばれた。誤って椅子を倒さないように慎重に立ち上がり、隣の会場に移動する。
お辞儀をして会場に足を踏み入れると椅子が5脚あり、先に入室した3人はその左側に立っている。きらりもそれに習い、同じく左に立つ。
長机を連結させたテーブルには優しそうな初老の男性とややくたびれている若そうな男性がいて、机上には筆記用具や送った応募書類が整頓されて置かれている。
5人目も揃ったところで、
「おかけください」
若い男性のその指示に従い、椅子に腰かける。
「はじめまして。本日の面接を担当します、天津です。こちらは今西です」
若い男性はそう名乗った。
「よろしく頼むよ」
朗らかな声で今西は挨拶をする。
「さっそく始めます。まずは自己紹介をお願いします。では、あなたから」
彼は、きらりから見て一番右側の参加者に自己紹介を振った。
1人目の彼女はとても流暢に名乗っている。自信にも満ち溢れているように思える。2人目は普通だ。可もなく不可もなくといったところだ。3人目はやや噛んでいるが、それがキュートらしさを感じる。
──つ、次はきらりんの番……! うぅ、やっぱり普通にいったほうがいいのかなぁ?
散々“変な子キャラ”を演じてきたきらりだが、若干揺らいでいる。
もうすぐ順番がまわってくる。
──……ううん、きらりはきらりらしく。杏ちゃんもそう言ってたにぃ!
オーディションの書類選考を通過したことを杏に連絡すると、
『きらりはきらりのままで、頑張ってきなよ』
とだけ返事がきたのだ。
普段送られてくる返事の倍の長さだったが、杏らしさもある。それを読んだとき、背中を押してもらったような感覚だった。
3人目が終わる。
「ありがとうございます。では次の方、お願いします」
きらりは普段通りの呼吸で、気を落ち着かせた。
「にゃっほーい! 諸星きらり、17歳、趣味は可愛い物集めだにぃ。よろしくおにゃーしゃー!」
場の空気がほんの一瞬凍りついた気がした。無理もない。初めてやるとだいたいこうなる。これも経験則だった。
右側からくすくす笑い声が聞こえてくる。横目でちらっと見ると、2人目の参加者の子だった。
嗤われてしまったことは残念だが、それでも、これもまたきらりにとっての大切な要素である。今さら普通に戻すつもりはない。
「ありがとうございます」
一切表情を崩すことのない面接官たちに気圧されるように、2人目の彼女も急いでくすくす笑いを引っ込めた。