* 【4】 *
時刻はまもなく23時になろうとしている。夜空に雲はなく、晴れている。控えめに言って最高だ。
これからペルセウス座流星群の放射点が地平線から夜空に昇り切り、空が白けるまで観測しやすくなる。
アーニャは目星をつけていたポイントの1つに来ていた。まわりに光源がなく、木々が少なく空がひらけている場所である。夜になってみて、やはりここがもっとも良い場所だった。
ヘッドライトの赤色灯を頼りにカメラに広角レンズを装着、三脚へ固定する。ホワイトバランスは固定、シャッタースピードと撮影間隔もそれぞれ設定する。ファインダーを覗きながら微調整を行い準備万端である。
──これでよし。撮影、スタートです。
インターバル撮影を開始する。
折り畳み式の椅子に腰掛け、ヘッドライトを消して星空を眺める。まだ眼が慣れきってないので、等級の小さい星の光しか捉えられない。時間が経てば暗順応も進むだろう。
ペルセウス座流星群が運良く撮影できればいいが、こればかりは運による。ちなみに朝の情報番組の占いにおけるアーニャの順位は5位という絶妙過ぎる結果だった。
ようやく1つ流れ星が見れたとき、ふと人の気配を感じたのでそろりと振り返る。人でも怖いし、熊だったら洒落にならない。
暗闇に佇んでいたのは彼──凛と奈緒がプロデューサーと呼ぶ人だった。スマホやライトのような明かりは持っていないようだ。
「こんばんは。隣、座ってもいいですか」
「ダー、どうぞ」
彼は持っていた折り畳み式の椅子をアーニャの隣に設置すると「よっこいしょ」と腰をおろして背もたれに体重を預ける。
「調子はどうです」
「まだ1つしか流れてきません」
「そうですか。まあこれは運が絡みますから。でも安心してください。今日の私の運勢は今朝のテレビ占いでは1位だったから」
ちょっとどや顔の彼は逆に頼りなくみえてしまう。まあでも、アーニャも今朝の占いはなんやかんやと気にはしていたからお互い様で決着としよう。
「何か私に手伝えることはありますか?」
「あー、そんなに気を遣わなくても、大丈夫ですよ」
「わかりました。何かあったらぜひ言ってください。凛と奈緒の分まで私が」
凛と奈緒は、アーニャからグランマのことを聞き、天体写真の撮影を手伝うと言ってくれていたものの、静かに迫ってきた睡魔に襲われてしまい、気付けば互いにもたれ掛かりながらぐっすりと寝ていたのだ。
すやすやと眠る彼女たちを起こすのは忍びなく、アーニャは1人で撮影へ、彼はテントに彼女たちを寝かせていた。
「……あの、1つ聞きたいこと、あります。いいですか?」
「なんなりと」
「リンがアイドルは楽しいと言ってました。新しい世界に来たみたいだと。いったい、どんな場所なんですか?」
「どんな……かぁ。うーむ……」
彼は雲もなく透き通った星空を仰ぎながら考える。また新たな流れ星が空を横切ったとき、口を開く。
「自分の輝きで人々を明るく導く場所、でしょうか。夜空に浮かぶ星が人々を導くように、ファンに魔法をかけて楽しさや笑顔に導く。いつか魔法が解けてしまうとしても、また掛けてしまえばいい。何度でも導いていける場所ってこと……だと……思います。ちょっと抽象的過ぎたかもしれません。参考にはなりました?」
「ダー、はい。参考になりました。新しい世界、ちょっと興味があります。ママも『世界は広い』と言ってました。私がまだまだ知らない事がたくさんあると。アイドルも、その一つですね」
アイドルといういまだ知らぬ世界は、いったいどんな世界なのだろうか。アーニャの胸に少しの好奇心が湧く。
「アイドルは何をしますか?」
「楽曲に合わせて歌やダンスをしたり、雑誌のモデルをしたり取材を受けたり、あとはテレビや映画、イベント出演など」
「なんでもするんですね」
身も蓋もないけれど、アーニャの第一印象は便利屋のようなものだと思った。
「まぁそうなります。もちろん、レッスンも欠かしません」
「レッスン……厳しくしますか?」
「それなりには。やはり質をあげようとすると、どうしても厳しくなってしまいますから。とはいえ、体を壊してしまえば元も子もありませんなら、そこは調節します」
それから数分は、彼がスケジュールの組み方の苦労とかライブが云々とかアイドルへの愚痴とかを聞いた。パパやママ、それにグランマとは違う話題に飽きずにいられた。
「その、ミク?というアイドルはネコミミを付けているんですか?」
「そうです。常日頃からですよ。『ネコミミは世界を救うんだからっ!』って。……ちょっと私には理解が及ばないんですが」
アーニャにもよくわからない。ネコミミとはそこまでの物なのだろうか。不思議である。
「私の知らない世界は、思ったより多いみたいですね。勉強になります」
ははは、と彼は苦笑いをしながら頬をかいた。
「私もそういう世界、見つけられるでしょうか」
「おそらくは。まずは興味のあるものに挑戦してみたらいいと思いますよ」
ああそうだ、と彼は小型バッグへおもむろに手を突っ込むと小さな魔法瓶と紙コップを取り出した。
「肌寒いと思って、ここへくる前にコンロで温かい麦茶を淹れてきました。飲みます?」
「いただきます」
ビニールの封を切り、コップが1つアーニャへ差し出された。受け取ると、さっそく水筒から麦茶が注がれていく。白く細長い湯気が立ち昇っては消え、立ち昇っては消えを繰り返す。大麦の香ばしさがふわりと舞いあがり、一口味わえば豊かな風味がいっぱいに広がる。
「ん、おいしいです。風味もしっかりしていますね」
「水筒に入れたあと、少しだけ氷をいれて温度を下げてるんです」
「一手間ですね」
紙コップ越しのほんのりとした温かさを両手で感じていると、夜空を流れるペルセウス座流星群の数が多くなってくる。1つ、また1つと尾を引いて夜空を駆け抜けて消えていく。
「あ、見てください! たくさん流れ星が出てきましたね!」
アーニャは興奮しながら彼へ呼び掛ける。たった一瞬の煌めきから目を離すことができない。
「チュジェースヌイ……!」
素晴らしいという意味のロシア語をついぽろりとこぼすアーニャ。この国に移り住んでだいぶ日本語に慣れてきたものの、無意識にはまだ時々ロシア語が出てしまう。今のがまさにそれだ。
「えぇ、綺麗です」
流星群という知識がまだなかった頃から星や天体、それに関わる現象は人々を魅了してやまなかった。それはきっと未知なる世界、新しい世界を求めて手をめいっぱい伸ばして開拓しようとした好奇心の現れなのではないか。
それはきっとアーニャにとっても昔の人にとっても変わらずに持っている道標なんだろう。案外、それに従ってみるのもいいかもしれないと思う。
一筋の流れ星が放射点から出現し、まるでアーニャを空から見守るかのように一際輝きながら夜空に尾を描いたのだった。
* 【5】 *
外が明るくなってきたのをテント越しに感じて、アーニャは目を覚ます。
「ふわぁぁぁ……」
寝袋代わりのタオルケットをよけつつ、体を起こして背中をぐぐりと伸ばす。枕元のスマホを手にしスリープを解く。ちょうど朝の6時になろうとしている。
眠気覚ましに外の空気でも吸おうとドアパネルのスライダーを下げる。靴を履き、改めて伸びをする。今度は体全体でだ。
呼吸をする度に森の澄んだ空気がアーニャを満たしていく。
水色の絵の具を溶かして薄く塗りつけたような朝空にアクセントの白い雲が映える。奥多摩湖の水面を今日も律儀に顔を覗かせた朝日がキラキラと照らす。
「ん?」
爽やかに目覚めたアーニャの鼻がおいしそうな匂いを感知した。
それの発生源はすぐに発見できた。なんせすぐ隣のテントの前にソロテーブルを置き、食事の仕込みをしていたから。
カセットコンロにかけられた鍋ではお湯がふつふつと沸騰していて、その横には昨日も使った土鍋がある。このいい匂いはその土鍋からだろうか。
「おはよう、アーニャさん」
凛と奈緒のプロデューサーを務めている彼が、アーニャへおはようの挨拶をしてくる。
「ドーブラエウートラ……あ、おはようございます」
「よく眠れましたか?」
「ダー、ぐっすりです」
昨晩のペルセウス座流星群の撮影は午前2時頃に切り上げた。流星をだいぶ観測できたことと睡魔が耳元で早く寝ようなどと囁いていたからである。
彼に手伝ってもらってカメラや三脚などを収納し2人でテントサイトへ戻った……ところまではアーニャの記憶にある。残念ながら、そこから先はない。何か恥ずかしいことをしでかしていなければいいが。
「あ、昨日の夜はありがとうございました。撮影を終えたあたりから、記憶が曖昧で。私、迷惑とかかけませんでしたか?」
「いえ、全然。ここに戻ったらすぐテントに入ったので問題はありませんでしたよ」
「それは、良かったです」
アーニャはほっと胸を撫で下ろす。覚えていない醜態ほど恥ずかしいものはないから。
「それにしても、いい匂いですね。この土鍋、もしかして炊きたてご飯?」
「その通り、今朝のご飯です。もちろん、アーニャさんの分もあります」
「わぁ、ほんとですか。スパシーバ! ありがとうございます」
「旅は道連れ世は情けと言いますから」
確か、互いに助け合うのが賢明だという意味だったとアーニャは記憶している。しかし、今のところ助けられてばかりなような気がしてならない。
──そうです! 私も、朝食作り、手伝えばいいんです!
そうぽんと閃いた。
「なら、私も手伝います。こうみえて、料理、得意です!」
「そう……ならお願いします」
アーニャは自分で使おうと用意していたシングルバーナーとフライパンをリュックから引っ張り出す。
「食材は昨日の残りが少しとウインナーがありますよ」
「んー、なら、炒めて塩コショウで味付けにします」
点火し、フライパンに油を薄く引いて温める。受け取った食材を入れて炒める。ジュウジュウと焼ける音がなんとも食欲をそそる。
「ふぅあ……あ、プロデューサーにアーニャ」
がさごそと物音のしていたテントから凛が姿を現す。
「リン、おはようございます」
「おはよう。えっと、昨日はごめん。手伝うって言ってたのに」
「気にしないでください。リンとナオのおかげで賑やかに過ごせました。それに、ふふ、寝顔可愛かったです♪」
「そ、そっか」
凛は少し照れているのか、指で頬をかいた。
「私も朝ごはん手伝うよ」
「リンも? んー、ならもう少しで出来上がるので、お皿の準備をお願いします」
「わかった。紙皿でいいよね。っと、ウインナーの焼けるいい匂い」
「火が通ってきたみたいですね」
「食欲がそそられるね」
「ダー、私もです」
そうして、朝食のメニューがおおまかに完成したタイミングで、奈緒も起きてきたため、4人揃っての食事となった。
楽しい時間はあっという間なもので、もうそろそろテントサイトを出発しなければならない時刻になる。すでにテントは畳んであって、カメラやリュックとともにまとめてある。
自分のテントが設営されていた場所がさっぱりと綺麗になっていると、どことなく寂しく感じる。楽しい時間もいよいよ終わりだと実感させられてしまうからだろう。
他のキャンパーたちもほとんどが帰るようで、各々が撤収の準備を始めている姿が見える。
「あーあ、もう終わりかぁ。なんかあっという間だったな」
「そうだね。つまんないよりはいいんじゃない?」
「そうだけど」
凛はインナーテントを畳み、奈緒はポールを分解している。彼はクーラーボックスなどの重たい荷物を先に車へ積み込みに行っている。
「私も、何かお手伝い、しましょうか?」
「大丈夫。あたしたちだけでできるからさ」
奈緒はバラしたポールを専用の袋へしまい、ファスナーを閉める。凛のほうも収納完了したようだ。
「ふぅ、これでよし。凛は?」
「こっちも終わり」
「プロデューサーのテントもしまったし、あとは戻ってきてから受付に返却だな。アーニャは貸し出しじゃないのか」
「私のテントは私物ですから、持ち帰りです」
「そっか」
奈緒は少し寂しそうにテントを設営していた場所を眺める。
「ナオ、名残惜しいですか?」
「んー、まぁな。楽しかったから文句はないんだけどさ」
「キャンプに来るときは“あたしは特に興味ないんだけどな”って澄まし顔してたのにね、ふふ」
凛がからかうように少し意地悪を言う。
「そうだったんですか、リン?」
「うん。でも、奈緒が一番楽しんでたけど」
「ダー。ナオ、とても楽しそうでした」
間違いなくこの場でもっとも楽しんでいたのは奈緒になるだろう。あのはしゃぎっぷりはほとんどお目にかかれないレベルだ。
「……いや、ま、それはそうなんだけれども。ほら、終わりよければすべてよしって言うだろ!」
「私もリンやナオ、彼と過ごせて楽しかったです! 短くてもいい想い出、ですね! リンはどうですか?」
「そうだね。私も来て良かったよ」
凛もにっこり笑って返事をした。
「ふふ、ナオの言う通り、終わりよければすべてよし、ですね!」
「そうだな。あ、ところでアーニャ、それ全部荷物なんだろ?」
「ダー、はい。私のです」
奈緒の視線がアーニャの荷物へ向けられている。確かにテントに三脚にカメラにリュックとだいぶ多い。
「あたしたちプロデューサーの車で来たから、どうせなら乗ってったら? 荷物も多いみたいだし、都心から1人で電車で来たって昨日言ってただろ。あたしたちも東京方面だからさ」
「あー、そこまでいいのでしょうか」
ぶっちゃけかなり助かるのだが、さすがにそこまでお世話になってしまっていいのだろうか。そう思いつつ凛にちらりと視線を向ける。
「プロデューサーならたぶん大丈夫だよ。こんなことで怒る人じゃないから。何人乗ろうがガソリン代は一緒だからとか言いそうだし」
「あー、わかる。とりあえず聞いてみよう」
話の終わりというちょうどよいタイミングで戻ってきた彼に凛と奈緒が事情を説明し交渉を行った結果、即OKが出た。
「3人乗ろうが4人乗ろうがガソリン代は大して変わらないから」
「……ンフフっ」
奈緒が笑いを漏らす。凛は『ほらね』と言いたげな表情だ。彼ははてなマークを浮かべきょとんとしている。
「スパシーバ、ありがとうございます」
アーニャはそう礼を告げた。