プロデューサーはじめました。   作:テラリウムA

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3話 夢見る魔法と生ハムメロン

 教室内にはざわざわと声が溜まっていた。HRが終わったあとにはだいたいこうなる。部活動に行く、補習を受ける、職員室への呼び出し、あるいはただの駄弁り。

 

 学校で必要なもの一式をスクールバッグにしまい込み、チャックを閉める。

 

「卯月~、帰りどっか寄ってかない?」

 

 別のクラスになってしまった友人数人が、引き戸のところで彼女の名前を呼んだ。

 

 島村卯月、それが彼女の名前である。現在17歳、高校2年生。

 

「あっ、ごめんなさい。今日は養成所でレッスンだから、いけません。また誘ってくださいね♪」

「おー、そっか。いやー、頑張るねぇ。じゃ、頑張って!」

「はい! 頑張ります!」

 

 手を振る友人たちに卯月も手を振り返す。

 

「よしっ、今日も頑張るぞ!」

 

 自分の頬を軽く叩いて気合いを入れてから、卯月は養成所に向かう。

 

 

 

 東京都内某所にあるアイドル養成所に卯月はもう数年通っている。

 

 規模はそこまで大きくないものの、将来アイドルになることを夢見る少女たちが日々レッスンに励んでいる。基礎から応用まで幅広いレッスンが受けられるということもあり、入所してくる候補生も多い。

 

 もちろん卯月もその1人だ。

 

「おはようございます!」

 

 養成所のドアを開けるといつも卯月を担当しているトレーナーが玄関の掃除をしていた。

 

「卯月ちゃん、おはよう。レッスンの時間までまだあるけど今日も自主練?」

「はいっ! 前回の振り付けを復習したくて」

「そう。レッスンルームは開けてあるから自由に使ってね」

「ありがとうございます!」

 

 卯月は更衣室に直行し、自分に割り当てられているロッカーを解錠して開ける。制服を綺麗に畳み、ジャージに着替える。レッスンシューズに履き替えて、レッスンルームに移動する。タオルと水分も忘れずに。

 

 ルーム内の片側の壁を隠すように緑のカーテンがある。それを引くと壁一面に貼られている姿見が現れた。これは身体の動きや足元のステップ、顔を前に向けたまま練習できるようにするためにある。

 

 邪魔にならないよう鏡とは反対側の壁に寄せてタオルと飲料を置き、少し離れた場所に立つ。

 

 まずは準備運動だ。

 

 首のストレッチから始め、胸、肩、腰、脚の順番で進めていく。これを怠り、いきなり急な動きをすると思わぬ事故や怪我をしてしまう恐れがあるのだ。飛ばすことはできない。

 

「よいしょっと」

 

 身体がゆっくりと伸びていくのを感じながら、ストレッチを継続する。

 

 充分にウォーミングアップをしたら、いよいよ前回の振り付けの復習にはいる。

 

「ふっ、はっ、ほっ」

 

 激しめのステップに思わず荒い息が漏れる。

 

 目の前の鏡に映る自分の動きを確認しながら、注意点を1つずつこなしていく。腕の伸び、指先、足のキレ、顔の向き。

 

 振り付けの最後まで通して終わる。

 

「途中の腕があがってなかった。もう1回やろう」

 

 汗を拭い、水分補給をしつつ呼吸を整える。

 

「よし、もう1回!」

 

 卯月は始めから振り付けを踊りはじめた。

 

 

 

 通しで2回目が終わった頃にトレーナーがルームへと来る。

 

「ちょっと早いけど始めようか」

「もうですか?」

 

 卯月は壁掛け時計で時間を確かめる。やはりまだ所定の時間にはなっていない。それにいつも彼女と一緒にレッスンを受けていた同期の子がまだ来ていない。

 

「今日は前回の振り付けを少し変えて……」

「あの! まだ来てないです」

「あー……えっとね」

 

 トレーナーは苦笑いを浮かべながら指で頬を掻いていた。

 卯月はその仕草だけで察した。あぁ、そうなんだ。と。

 

「あの子は先週辞めたの。卯月ちゃんのレッスン中だったかな。その日は休むって連絡来てたけどいきなり1人で来てね、『私、今日でこの養成所を辞めます』って伝えにきたわ」

 

 卯月にとっての同期入所の子がまた辞めたのである。

 

「そう、ですか。私、1人になっちゃいましたね」

 

 卯月がこの養成所に入所したとき、同期の子たちは10人以上はいたのだ。入所初日にみんなで撮った写真を彼女はまだ大切に持っている。

 

 それぞれが夢を語りあい、わきあいあいとしていた。

 

 しかしながら、オーディションは決して楽なものではなかった。

 

 初めは落選しても互いに励まし合って明るく振る舞っていたものの、落ち続けるうちに表情は泥に埋まっていくように暗さを増していく。そして結果を得られずに、1人、また1人と養成所を辞めていった。

 

 努力しなければ夢は叶わない。ただ、努力したとしても必ず報われるとは限らない。そんな世の中の厳しさに打ちのめされてしまった。

 

 それでも、彼女は卯月とともにレッスンを続けてきた。

 たった二人のレッスンルームでアイドルの話題で盛り上がったり、できていない点を指摘してし合うこともあった。

 

 彼女が辞めることを伝えに来たという日、卯月は彼女を見ていたのを思い出す。

 

 

 * * *

 

 

 いつものようにレッスンを終えた卯月が着替えようと更衣室に戻ったとき、ドアが開けっ放しになっていた。

 

 閉め忘れたかなと思いつつ出入口まで来ると動く人影がある。

 

 誰かと思い目を凝らすと、ともにレッスンを受けていた同期の子だった。

 

 彼女はロッカーからシューズや小物を乱雑に袋に詰めている。

 

 金属の擦れる不快音を立てながらロッカーが閉じられた。

 

 堰を切ったように彼女はいきなり滂沱の涙を流して、その場にへたり込んだ。床を拳で殴りながら声にならない声で泣きはじめてしまう。

 

「……、! ……っ……」

 

 卯月は声を掛けようとした。『どうしたの?』『大丈夫?』と。でも声がでなかった。口は開くのに声がでない。

 

 ただただ立ち尽くしていると人の気配を悟った彼女と視線が合う。身体の自由がきかなくなる。泣き腫らしたその瞳は澱んでいるように黒い。

 

 『何か言おう、でもなんて?』と頭の中がぐるぐるしていると、よろけながら立ち上がった彼女は袋を抱き抱えたまま無言で卯月の傍を通り抜け、廊下の角に消えた。

 

 かすかに聞こえた玄関の閉まる音で、身体の自由が帰ってきた。

 

 重い足取りで自分の使うロッカーに向かうと、床に白くて丸いものが落ちていた。

 

 拾い上げるとそれはくしゃくしゃに丸められた紙だった。

 

「これって?」

 

 ゆっくりと広げていくとそれはA4の1枚の紙だった。

 件名は『オーディション結果のお知らせ』で宛名は彼女だ。差出人は346プロダクションアイドル部門となっている。

 

 ああ、これは。

 

 卯月はこれをよく知っていた。なぜなら彼女とともに346プロダクションのアイドル部門のオーディションを受けたからだ。

 

 卯月の結果はまだ届いていないが、彼女には来たようだ。

 

 件名から本文へ目線を下げて読み進めていく。──結果は落選であった。

 

 

 * * *

 

 

 トレーナーの呼び掛ける声がうっすらと聞こえた。

 

「卯月ちゃん? 大丈夫?」

「あ、はい! 大丈夫ですっ!」

 

 意識がくっきり覚醒して慌てるように返事をした。

 

「じゃあレッスン始めようね」

 

 トレーナーにとっては、ある意味で当たり前のことなのかもしれないが、卯月にとってそれは当たり前ではなかった。

 

 

 * * *

 

 

 翌日、オーディションの結果が郵送された。

 

 

 島村卯月様

 

346プロダクション採用担当の天津と申します。

 

 この度は、弊社オーディションへご応募頂きまして、誠にありがとうございます。

 

 さて、書類選考の結果についてですが、厳正なる選考の結果、誠に残念ではございますが、今回はご希望に沿いかねる結果となりました。

 

 ご期待に沿えず大変恐縮ではございますが、ご了承くださいますようお願い申し上げます。

 

 島村卯月様のより一層のご健勝とご活躍を心よりお祈り申し上げます。

 

 

 ──何度、この書面を読んだだろうか。何度、文章を目で追っただろうか。変わる訳なんてないのに、それこそ魔法でも掛からない限りありえないのに。

 

「また、落選かぁ……」

 

 オーディションにはもう何度も落ちているのだし、すっかり慣れていたと思っていた。それなのにこの胸を締め付けてくる感じ。

 

「私、アイドルになれないのかな……」

 

 弱音を吐きながら書面を雑に放り出し、机に突っ伏した。

 

 窓から室内を照らす夕陽が今だけは鬱陶しく、卯月はおもむろに椅子から立ち上がるとカーテンを閉める。

 

 椅子に戻らず、卯月は窓際の壁に三角座りで寄りかかる。

 

 カーテンのわずかな隙間から差す一筋の光が、薄暗い中に進む道を確かに示しているように思えた。

 

「私……」

 

 自分はその道をゴールに向けてどんどん歩んできたつもりだったけれど、実際にはスタート地点で足踏みをしていただけだったのかもしれない。いやスタート地点にすらいないことだってある。

 

 同期の子は卯月を除いて全員辞めてしまった。彼女たちは新たなスタートラインに立つことにしたが、卯月はどうだろうか。

 

 アイドルという夢は本当に手が届くのだろうか。

 その輝きに惑わされているだけという恐れはないか。

 まぶしさで目が眩んでいるだけなのではないか。

 新しいスタートラインが必要なのではないか。

 

「私も養成所辞めようかな……」

 

 同期の子が減っていく度に頭の片隅にその言葉はあった。いつもは片隅に追いやっていたが、今は中央に堂々と仁王立ちしている。

 

「ダメダメっ! 弱気になっちゃ! 私はアイドルになるんだっ! そのためにレッスンを……」

 

 無理やり明るく振る舞おうとしてみても、段々と声のトーンが下がっていく。

 

 ああ、みんなこんな気持ちでいたのかな。

 

 気付かないうちに少しずつ心に不安や悔しさ、悲しさが積もりに積もっていって、やがて下から腐り、それを蝕んでいく。

 

 とてもじゃないけど耐えきれないだろう。

 

 言葉では表現できないドロッとして粘着性のある感情から逃れる術は、その原因から離れるしかない。一時的に、あるいは永遠に。

 

 見知った天井を仰ぐ。ただぼうっとぐにゃぐにゃの思考回路のなすがままに。

 

 どれくらい仰ぎ見ていただろう。いつの間にか道標の光は綺麗さっぱり消え去っていた。室内は薄暗さが増している。

 

 不意にドアがノックされる。

 

「卯月、ごはんできたよ」 

「今日は、いらない」

 

 膝な顔を埋めながらぶっきらぼうな返事を放つ。

 

「……そう? じゃあお腹空いたら降りてきてね」

 

 母の足音が遠退いていく。

 

 

 

 やがて室内はますます暗くなっていく。また今日も夜がやってきたのだ。壁掛け時計の針が夜光塗料によって怪しく光る時間帯である。それでも卯月は、膝に顔を埋めたまま、動く気はない。

 

 きいきいと床が軋み、だんだんと足音が大きくなる。そして卯月の部屋の前で止まった。

 

「卯月、入るよ?」

 

 母に返事をしないままでいるとドアノブがゆっくりとまわる。

 

 室内に入ってきた卯月母が電気のスイッチをオンにする。部屋の奥に縮こまるように座り込んだ卯月が照らし出された。

 

「これは」

 

 ドアのすぐ前に落ちていた1枚の紙を卯月母は拾い、それを読む。

 

 結果が好ましくないものであると予想はしていた。オーディションの結果が届いてからというもの部屋からさっぱり出てこないのだから。

 

「卯月」

「ママ……あ、それ」

 

 卯月の顔には生気が薄い。

 

「うん、見たよ」

「落選だって。私、また落ちちゃった。何回目かな。アイドル……なれるのかな? ただ頑張ってるつもりなだけなのかな?」

 

 こんなにも落ち込んでいる卯月は珍しい。

 

 数年前に一度、友達と喧嘩をしてしまって帰ってくるなり部屋で大泣きしていたことがあったくらいだ。

 

 いつも明るく元気に一生懸命だが、時々がくりと落ち込む。

 

「隣、いい?」

「うん」

 

 卯月の隣に腰を落ち着ける。彼女の表情は影がかかったままだ。 

 

「ママね、卯月がアイドル目指して養成所行きたいって言い出したとき、正直すぐ辞めるんじゃないかって思ってたの。養成所の前に2ヶ月だけピアノ習ってたでしょ。あのときみたいに」

 

 ピアノ全然おもしろくない、そう言って小学生の卯月はピアノ教室を辞めていた。

 

「でも、養成所に入ってアイドルを目指してから何度オーディションに落ちてもまったくへこたれなかった。卯月は本気なんだなってママ思ったよ」

「ママ……」

「だからね、ママにも手伝わせてほしいな。卯月がアイドル目指すの。お話するくらいしかできないけどね」

 

 小さく「うん」と答えた卯月は、1分ほど口をもごもごさせていたが、ぽつりぽつりと話し始める。

 

「私、アイドルになれるか不安で。努力はしてきたつまりだけど、自己満足だったのかな。一緒に頑張ってきた同期の子もこの前辞めちゃった。2人だけになっても『私たちはステージで会おうね』って約束したんだけど……」

「もしかして一度遊びにきたポニーテールの子?」

 

 ぼんやりとではあるが、脳裏に顔が浮かび上がる。ハツラツとしたいい子だった。

 

「うん。いつも笑顔で会うたび私も元気になれて、でも最後に会ったときはまるで別人みたいで。その姿が頭から消えなくて。アイドルを目指すなんて最初から無理だったのかなって思うようになって……」

「卯月はアイドル、諦められる?」

「それはっ! 諦めたくはない、けど……。私は……」

 

 一度は大きく発した声もしゅるしゅるしぼんでいく。

 

 卯月母はそっと手を伸ばすと卯月の頭を抱き寄せた。幼い頃によくやっていたように彼女を撫でる。

 

「ママ……?」

「卯月は今、足がすくんでいるの。初めはみんなで走っていたけど、1人また1人といなくなって最後は自分だけで走らないといけなくなった。ここから先は1人だけで踏み出していかないといけないけど、それが怖い。仲のいい同期の子が辞めてしまったこともあって、余計に。ただね、やっぱり諦めきれないよ!って思うなら1歩進まなきゃ。ママは一緒に走れないけれど、背中は押してあげられるよ」

 

 いつまでもアイドルを夢見てはいられないことを卯月母は知っているが、それでも追いかけられる時間があるのなら追いかけて欲しかった。

 

「大丈夫、一緒に走ってくれる人がきっといる。卯月の頑張りをちゃんと見てくれている人はいるよ。パパもママもおばあちゃんも、もしかしたら見えない人もいるかもね」

「見えない人?」

「そう。卯月からは見えない人でも相手からはちゃんと見えているものなの」

「ママ、ありがとう。私、まだ頑張るよ」

 

 卯月がどんな表情をしているかは把握できないが、声色には少しだけ調子が戻ってきていると感じた。

 

「その意気!」

 

 そのとき、腹の虫がド派手に鳴いた。それはもう部屋いっぱいに響くくらいに。

 

「あ、あははー。安心したらお腹が」

「夜ごはん、まだよね。取ってあるから、今から食べましょ?」

「うん!」

 

 生気が濃くなった卯月の返事は、さきほどの腹の虫に負けないくらいの元気があった。

 

 

 * * *

 

 

 本日予定されていた2次審査は滞りなく終わったものの浮かない顔のプロデューサーは見慣れた床に向かい、ため息と焦りと意気消沈その他諸々を混ぜ合わせて放った。

 

「……凡ミスなんて」

「やっちゃったものは仕方ないよ。大切なのはこれから。さて、君はどうするつもりだい?」

 

 ソファで優雅にコーヒーを啜る今西部長は穏やかに諭すが、眼鏡の奥の眼光が鋭くなった気がしてならない。普段優しい人のほうが怒ると怖いというのは間違いではないだろう。

 

「島村さんのお母様から、さきほど2次審査を受けると連絡がありました。日程ですが、できれば本日中が良く、また養成所でやりたいと要望が。私としては島村さんの通う養成所の一室を借りて審査したいと考えています。大丈夫でしょうか?」

「そうだね。先方の希望だし、それくらいなら問題ないよ」

 

 彼がやらかしたこと、それは書類審査の結果を誤って送付してしまったことだ。

 発覚したのは、本日午前中に行われた2次審査の際に人数が合わなかったことによる。

 

 

 

 オーディション開始の30分前になり、ちひろがプロデューサーのもとへ1人足りないと報告にきたのである。

 

 待合室まで案内をした彼女によると27番の人が時間までに来ていないという。受付に電話してみてもやはり来ていないと。辞退の連絡もいくつかあったが、その中にもいない。

 

 27番を割り振ったのは『島村卯月』という高校生だ。

 

 今日は土曜日だから急な予定でも入ったのか、それともただドタキャンしたのか。

 

 プロデューサーも手元の2次審査参加者リストを確認すると、なんと27番は違う名前だった。

 

 違う名前なんだけど、とちひろに告げる。彼女が言うにそれは28番の人の名前らしい。

 

 急いで上から27枚目の履歴書を見る。確かに『島村卯月』の履歴書がそこにはあったのである。

 

 なぜ来ないのか現時点でわからないが──おそらくなんかミスしたと思いつつ──プロデューサーは履歴書に記載されている番号を固定電話に入力し電話を受話器を取った。

 

『はい』

「もしもし、島村さんのお宅でしょうか?」

『はい。島村は家ですが』

「私、346プロダクションアイドル部門の天津と申します。島村卯月さんはご在宅でしょうか?」

『娘ですか? 今日は養成所に自主レッスンにいくと9時過ぎに出掛けました。あの、娘に何か御用ですか?』

「はい。実は──」

 

 彼女の母親に一通り事情を説明する。

 

『え、あ、にじしんさ? 娘は不合格だと通知が届きましたけど……』

 

 ミス確定である。

 

「そうでしたか。それは間違った内容でして、卯月さんは書類審査を合格しています」

『そ、それは本当ですかっ!?』

「はい。本当です。つきましては改めて2次審査の日程をご用意させていただきたいのですが」

『あ、ありがとうございますっ!!』

「いえ、こちらのミスですから。ご迷惑をお掛けしてしまい申し訳ありません」

『いえいえそんな!! あの、日程なんですけど、卯月は今携帯の電源切っているはずなので、養成所に私から電話して伝えてもらいますので、またこちらから折り返します』

「お手数をお掛けしてしまい申し訳ありません。よろしくお願いします。失礼します」

 

 プロデューサーは受話器を置いて、大きくため息を吐き出した。

 

「どうでした?」

「不合格通知が届いていたらしいです。あ、折り返しの電話が来るので、万が一、私が出られないときはお願いします」

「わかりました。しかし、どこで間違ったんでしょうね」

「それがさっぱり。とりあえず部長に報告してきます」

「オーディションまであと15分ですから、手短にお願いしますよ」

 

 プロデューサーは軽く手を振り、部長のもとへ向かったのだった。

 

 

 * * *

 

 

 ──青天の霹靂というのはまさに今日のような日のことを言うのだろう。

 

 卯月は、いつも通りに家を出て、なんの変哲のない道を歩いて、普通に養成所に向かった。

 

 つい最近、気分が落ち込んだこともあったが、今はまたアイドルというに夢に向かって進みだしていた。

 

 挫けちゃいそうになったり、もう諦めそうになったりして、それでもやっぱりアイドルになりたいという気持ちに嘘はない。だからまた1歩踏み出したのである。

 

「おはようございます!」

 

 すっかり見慣れた養成所の出入口を開ける。何年も通っているからか、自宅のような安心感すらある。

 

「おはよう卯月ちゃん。今日も自主練に精が出るね」

「はいっ! 今日もがんばります!」

 

 事務所スペースから顔をひょっこり出したトレーナーに笑顔で答える。

 

 更衣室でさっと着替え、さっそく自主練開始である。大型の姿見の前に立ち、振り付けを確認する。

 

「ふ、ふ、ほ、ここで……ターン!」

 

 まずまずだと卯月は思った。少しキレがない。あと、やっぱり伸ばすところが曖昧になりがちだ。それを踏まえてもう1回最初からだ。

 

 

 

 

 汗が頬を伝って顎に流れ、やがて滴となって落ちていく。

 

 汗を拭きつつ水分補給もしっかり行う。呼吸を整えて、5分の休憩終わり。さぁ再開だというタイミングでトレーナーが顔を覗かせた。

 

「卯月ちゃん」

「はい? どうしました?」

「お母さんから電話よ。なんか急ぎらしいわ」

 

 なんだろうと思いつつ、トレーナーの後を追う。携帯は今、電源を切って更衣室のロッカーの中だ。

 

「もしもし、ママ?」

『あ、卯月? ママ、今からとっても大切なこと言うからよく聞いてね。いい?』

「え、あ、うん。いいよ」

 

 こんなに真剣な声色なんて数えるほどしか聞いたことがない。いったいなんだろうか。まさか、パパかおばあちゃんに何かあったのだろうか。

 

 固唾を呑みながら卯月母の続きを待つ。

 

『書類審査、卯月は合格だったって!』

「──へ?」

 

 衝撃が走る。雷に撃たれたような衝撃とはまさに今みたいな状況を指すのだろうか。実際に体験するのは初めてだ。

 

「ごうかく……? なにに?」

『だから書類審査! 346プロから電話が来たの! 娘さんが2次審査に来てないって! いろいろ話したら卯月は合格だったんだって! 間違って不合格を通知してたみたい』

「うぉえぇぇぇぇぇぇぇぇぇ──!」

 

 突然の大声にまわりにいたトレーナーたちの視線が一瞬で卯月に集まる。

 

『卯月、卯月? 聞こえてる? それでね、346プロの方が日程を準備してくれるんだけど、いつがいい?』

「あ、えと、いつ? う~ん……」

 

 いきなり日程はいつがいいなんて言われても困る。

 

 いったん受話器を置き、できるだけ早く掛けなおすことになった。

 

「卯月ちゃん? 大丈夫? 何かあった?」

 

 あたふたしているとトレーナーに心配された。当たり前だ。傍から見れば大声で叫んでしまったのだから。

 

 ここで卯月は閃いた。

 

 そうだ。そうである。ここは養成所で、頼れるトレーナーがいるのだから彼女に相談すればいい。 

 

「あの、実は」

 

 かくかくしかじかまるまるめりめり──卯月母からの電話の内容を伝える。

 

「良かったじゃない!」

「ありがとうございます。夢みたいです!」

「こーら、まだ2次審査が残ってるわ。そうね、日程は早いほうがいいし、審査は午前中だったから、いっそ今日の午後は?」

「え。今日の午後ですか?」

「そ。卯月ちゃん、自主練で体温まってるし、2次審査は自由アピールなんでしょ? 練習したことを今こそ発揮するときよ!」

「う、あ、心の準備が~……」

 

 心の準備もままならないままに2次審査を受けるなんて──ぐだぐだしてあたふたして何も残せぬまま終わりそうなのが簡単に想像できた。

 

「さすがに急過ぎるか。そうだッ、うちのレッスンルームで受けたら? 今日は空いてるし、ここなら慣れてるでしょ」

「確かに慣れてますけど、そんなことできるんでしょうか?」

「相手側のミスだし、多少の無茶は押し切れるはず」

 

 卯月はひとまず日程と要望を卯月母に伝えた。いろいろ話し合い、養成所にも346プロから電話が来たりして、最終的には2次審査はこの養成所の一室で行われることになった。

 

 

 

 時刻は14時半少し前。養成所のレッスンルームの一室に卯月はいた。落ち着かないのか、右往左往している。

 

 もうすぐ始まる。秒針の動く音が嫌なくらいくっきり鳴っている。鼓動が早くなっているのが自分でもわかる。

 

 部屋の外から男女の話し声がする。1人はトレーナーだろう。じゃあもう1人は。

 

 防音ドアが開き、トレーナーとスーツの男性が1人入ってくる。

 

「こちらです」

「ありがとうございます」

「では、私はこれで」

 

 ドアを閉める間際に彼女は卯月にウィンクを飛ばした。きっとがんばれと伝えようとしているのだろう。

 

 がちゃりとそれは閉められた。今この空間には2人しかいない。

 

「はじめまして。私が346プロダクションでプロデューサーをしています。天津といいます」

 

 1拍の間を挟んで彼は名乗った。

 

「この度は、私どもの不手際によりご迷惑をおかけしてしまい大変申し訳ありません」

 

 頭を下げたプロデューサーにおろおろしながらも卯月も続く。

 

「あ、頭を上げてください! その、私も頑張るので、よろしくお願いします」

 

 2人で頭を下げ合って数秒、彼は顔を上げた。鞄に手を入れ、筆記用具やメモノートを取り出す。

 

「さっそくですが、今から始めてもよろしいですか?」

「はい! 私は音楽に合わせて振り付けを踊ります。大丈夫でしょうか」

「ええ、歌を歌った方もいましたから問題ありません」

「わかりました! 島村卯月、がんばります!」

 

 ステレオのスイッチをオンにして審査が始まる。

 

 レッスンで使われる4分ほどの踊り慣れているはずの曲なのだが、今回に限っては終わりまで凄まじく長く感じた。

 

 緊張で胸が張り裂けそうなのを必死に抑えて、1つ1つの振り付けをこなしていく。ミスは絶対に許されない。

 

 終盤、よろけそうになったものの、なんとか踏ん張る。

 

 音楽が途切れ、卯月の肩で呼吸をする音と彼がメモを取るペンの音だけがこの場にささやくように響いている。

 

 彼の表情は変わらない。目線もメモに釘付けだ。

 

 良かったのか悪かったのか。人の顔の細かい仕草を見て判断する能力は卯月にはない。

 

「ありがとうございます。結果につきましては郵送でお送りいたします。今度は再発防止のチェックを徹底しますのでご安心ください」

「わかりました。あの、今日はありがとうございました!」

 

 こうして卯月の2次審査は、滞りなく完了したのである。

 

 

 * * *

 

 

 本日は金曜日だ。多くの人が明日からの週末に浮き足立つ日。ふらふらと赴くままにどこかへ出かける、美味しいものを食べに行く、ドライブする、遊ぶetc.etc。

 

 そんな爽快な金曜日にも関わらず、そわかそわかしている卯月。理由は明白で、先週土曜日に受けた2次審査の結果がまだ来ないからだ。

 

 もうそろそろ届いてもいいんじゃないかなーと思ったり思わなかったり。

 

「少しは落ち着きなさい。やれるだけやったんだから、あとは成るようになるよ」

 

 キッチンまわりの整理整頓をしてきた卯月母が、心ここにあらずの卯月に注意をする。

 

「そうだけど、んー! やっぱり落ち着かないよママ!」

「そうね、じゃあメロンあるから生ハムメロンでもしましょうか。卯月も食べるでしょ?」

「食べる!」

 

 生ハムメロンはイタリアとスペインで食べられる伝統的なオードブルだ。

 

生ハムをメロンに乗っけただけだが、プロシュットやハモンラセーノといった保存のきく生ハムの塩味とカンタロープメロンの甘味がいい具合に合うらしい。

 

 卯月母が冷蔵庫からメロンを取り出そうとしていると、呼び鈴が鳴った。

 

「卯月、対応してきて」

「はーい」

 

 軽く返事をして卯月はソファから腰をあげると玄関口へ向かう。ドアを開けると郵便配達員が立っていた。何やら封筒を手に持っている。

 

「島村卯月さんはご在宅でしょうか」

「あ、私です」

「それではこちらにサインをお願いします」

 

 ささっと署名すると配達員はお馴染みの赤いバイクで去って行った。

 

 やけに厚みのある封筒だった。差出人には346プロとある。

 

 それは、卯月が待ちに待ったオーディションの採否通知で、ついに届いたのだ。彼女は一目散にリビングへと駆け込んだ。

 

「ママ、ママ! オーディションの結果、来たよ!」

「あら! いよいよね、早く開けてみましょ!」

「うん!」

 

 キッチンから出てきた卯月母と2人で結果を見守る。はさみで恐る恐る開封し、そっと紙の束を掴んで引っ張る。一番上にある書類にざっと目を通していき、そしてその2文字を見つけた。

 

「ごうかく……合格だってママ! 私、やったよ!」

「おめでとう卯月! これで晴れてアイドルね! こうしちゃいられない。今日はお赤飯にしなきゃ! っとその前に、はい卯月、生ハムメロンよ」

「ありがとう」

 

 さきほど準備してくれていた生ハムメロンを卯月は頬張る。

 

 オーディション合格という最高の調味料が加わり、今までで一番の美味しさだ。彼女は手を止めずにすぐ完食したのだった。

 

 

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