プロデューサーはじめました。   作:テラリウムA

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34話 四つ葉のクローバー(2)

 

 

 翌日の午後、本日の帰宅部の活動を終えた智絵里は勉強机と向き合っていた。宿題をするため、というのも1つの理由だが、メインではない。では何か。

 

「これで、いいのかな」

 

 智絵里はそっとボールペンを置いた。

 

 目の前にはオーディションに応募するための書類がある。

 

 写真良し、誤字脱字なし、擦れなし、折れなし。目線でぐるりとまわし見し、おかしな点がないか確認する。こんなにきっちりした書類を書くのは高校の受験の時以来だ。

 

 完全に乾くまでの間、100均に寄り道して購入した封筒へ宛先を記入しておく。ゆっくり丁寧に、誤字脱字のないように。

 

 書類を折らずに入れ、封をする。テープ式なので楽チンである。そして、切手を貼って作業は終了となる。

 

「ふぅ……」

 

 ただ書類1つ書いて、封筒に入れただけなのになぜだかどっと疲れた。肩に謎のプレッシャーがのし掛かってきていた感じである。明日の登校時にポストへ投函するのを忘れないよう早めに鞄にしまっておこう。

 

 智絵里はスマホのスリープを解除する。

 

 表示されたのは、346プロダクションのアイドルオーディションの募集要項である。スクロールして期限までまだ期間があることを確認して、そのホームページを閉じた。

 

 音楽アプリを起動して、ライブラリのシャッフル再生をスタートする。ベッドにころんと寝転がると、ゆったりしていて、穏やかな曲が流れ始める。

 

 ──もし……、もしも……、アイドルになれたらほんのちょっとでも今の自分から変われるかな。 

 

 正直、合格するかどうかは怪しいが、これも変化への一端としていけたらいいと智絵里は思う。

 

 応募してみようと心変わりしたのは、やはり昨晩の件があったからである。それなりにショックだったのは事実で、しかしながら智絵里自身にも思い当たる節があったのは否定できない。

 

 今朝の母は至って普通だったし、智絵里もなるべく普通に振る舞っていたつもりではある。もちろん、違和感を見抜いている可能性もなきにしもあらず。

 

 うとうとくる確率の高い国語の授業中に今の自分を変えるための方法を考えて、思い付いたのがアイドルになるというものだった。ちょうどあの広告を見ていたこともあるかもしれない。

 

 荒唐無稽なのは承知の上で、受かればラッキー──万が一にもないだろうが──だし、不合格でもそこから変わっていくための足掛かりにしていける気がする。というかしなければならない。

 

 とにかく、智絵里にとっては新しいスタートラインとなる。他人からみれば小さな1歩だが、彼女からすれば大きな1歩となる。

 

 少しでも改善して母や父に心配をかけない緒方智絵里になりたい。それが彼女が一念発起した理由だ。あと、母の真意もさりげなく聞いてみたいのでその勇気も欲しかったりする。

 

 そうして、智絵里はゆっくりと眠りに落ちていった。

 

 

 

 

 翌日、智絵里は学校への道中にある郵便ポストをじっと見つめていた。より正確に言うと、封筒を入れようとして躊躇している、となる。勇気ポイントがガンガン減っていていく気がしてならない。ゼロになる前にしなくては。

 

 ──うぅ、ただポストに入れるだけなのに……。

 

 普段はなんてことないただの赤く塗られた鉄の箱なのに、今日はゲームのボスのように禍々しく見える。そう思うと謎のプレッシャーをひしひしと感じてしまう。

 

 ポストの前であたふたする智絵里を、道行く人々は尻目でちらりと流し見すつつ通りすぎていく。

 

 埒が明かないと思った智絵里は一度深呼吸をして、

 

「よしっ……!」

 

 鞄から取り出した封筒をポストの投函口にそっと、そぉーっと入れていく。1分ほど掛かってようやく投函が完了した。

 

「ふぅ……」

 

 まだこれから学校だというのに、なんだかどっと疲れた。サボりはしないが、今日の授業はあまり集中できなさそうだ。

 

 智絵里はようやく投函できたこととそれまでの疲労感を混合した吐息を肺から絞りだしつつ、遅刻しないように踵を返して通学路を進む。

 

 その数時間後、担当の郵便局員によって智絵里の書類は回収されて、無事東京へと運ばれていった。

 

 

 * * *

 

 

 はてさて、智絵里が受けた346プロのアイドルオーディションに応募してからもうすぐ2週間が経とうとしている。結果を知りたくて悶々としていた日々だったが、それも終わりである。

 

 自宅に届いた郵便物には智絵里宛の封筒があって、見覚えのあるロゴマークは346プロのものだ。つまり結果発表で、そう認識したら心拍数が一気に跳ね上がったのを自覚する。

 

 眺めていてもわからないので、意を決してはさみで切り、封を開けた。

 

「あ……合格?」

 

 封書には、書類選考を通過した旨と次の面接の日程が記載されていた。

 

 智絵里がそれを理解し飲み込むまでの3分ほど、彼女はフリーズしていた。

 

 

 

 

 さて書類選考を合格した智絵里だったが、2次選考の面接は東京で行われる。当然それには参加したい。しかし、会場までの交通費とかその辺もろもろは智絵里のポケットマネーでは心もとない。

 

 やはり家族に話してお願いするのが確実だし、そもそも何も言わず東京まで行ったりしたら心配させてしまうのは目に見えている。

 

 ──お母さんにちゃんと話しないと。

 

 とはいえ、どのタイミングで言うべきか。次日程まで時間の猶予がたくさんある訳じゃない。早めに、そしてなるべく穏便に済ませられそうな……。

 

 ということで、合格がわかった翌々日の夕食時に母へ話すことにした。

 

 時刻は18時を過ぎたあたりで、父はまだ仕事から帰っていない。ちらちらとタイミングを見計らっているうちに夕食も終わりになりつつある。ちなみに本日は定番のカレーだ。

 

「あ、あの……お母さん!」

 

 智絵里も母も皿が空になってきたので、意を決して呼んだ。

 

「いきなりどうしたの?」

 

 スプーンも置き、かしこまる智絵里に母は不思議そうだ。

 

「ちょちょっと、話があって……」

「話?」

「う、うん」

 

 智絵里は“あの夜の会話”以外を詳細に話した。

 

「あいどるおーでぃしょん?」

 

 目をぱちくりさせながら母はおよそ娘の口から出ないと思っていた単語を繰り返した。

 

「うん、アイドルオーディション」

「アイドルってあれよね。テレビとか広告とかでよく見る……そう、あの、765プロ?みたいな感じよね?」

 

 智恵理はこくりと頷く。

 

 母は前髪をたくしあげるようにおでこに手をあてて考え込む。表情は驚き半分、呆れ半分のように思えた。引っ込み思案な智絵里が斜め上のことを話し出したら、そんな表情になるかもしれない。

 

「えーっと、とりあえず合格はおめでとう。それで2次が東京の会場で、もちろん参加したいと?」

「うん」

「ふうん、そう。じゃあ行ってきなさい」

「いいの?」

 

 あっさりめの返事に智絵里は思わず聞き返す、

 

「もちろんよ。どんな心境の変化があったのかはわからないけど、智絵里が自分から応募したんなら無理やり止める筋合いはないもの」

 

 母からそう言ってもらえてほっと胸を撫で下ろす。

 

「でも、きっと大変よ? 知らない人がたくさんいる世界で頑張っていかないといけないし、きっとおどおどしてる暇なんてないわ。それこそコミュニケーションが大切な場面が多いはず」

「うん」

「智絵里は苦手にしてるじゃない? それでも頑張ってみるの?」

「……うん、私やってみたい」

「そう。わかったわ。チケットはこっちで準備しておくから、当日までの準備はしっかりすること」

 

 母は再びスプーンを持つと、カレーを一口掬う。

 

「ありがとう、お母さん……!」

「ふふ、いいのよ。さ、食べちゃいなさい」

 

 こうして、智絵里は東京に行けることになったのだった。 

 

 

* 【3】 *

 

 

 コンクリートジャングルと揶揄される東京の7月は鉄板にでも囲まれているような暑さだ。そんなうだる暑さも今はそこまで感じない。むしろ顔面蒼白になっているかもしれない。

 

 左手首に巻いた1500円の腕時計は現時刻が11時30分をまわったことを指し示している。

 

 ただただ淡々と時計としての役割を真面目に果たしていて、智絵里を想って夢や幻を見せてくれるわけはない。もちろん時間を巻き戻してくれるわけもなく。

 

「……」

 

 もはやため息すら出てこない。自分自身に呆れ返るというのは今のような状態を言うのだろうか。

 

 腕時計が示す通り、オーディション開始時刻はとうに過ぎている。では、智絵里が会場の待合室にいるかと問われればそれはノーとなる。

 

 346プロのすぐ近くにある公園のベンチに智絵里はいる。顔を上げればネットで調べた346プロの一際目立つオフィスビルがすぐ視界に入る。

 

 近くて遠いそこに智絵里はいない。

 

 本館にある正面玄関口までは行った。オーディションの案内の看板が立て掛けられていて、本当に来たのだと感じると思わず唾を飲んだ。多くの人々が行き来をする中で彼女もまた1歩踏み出そうとしたが、その一瞬にいろいろ考えた。考えてしまった。

 

 自分にはやはり不釣り合いなんじゃないか。何も話せないんじゃないか。噛みまくってしまうんじゃないか。

 

 これはあくまで想像に過ぎない。起きてすらいないことをただ頭の中でイメージしているだけである。想像を膨らませているだけ。そんなことは百も承知だが、それでも智絵里の足はすくんでしまった。 

 

 すくんでしまった足はぴくりとも動かない。

 

 今朝、家を出るときはたんまりあった勇気はもはや一滴も残っておらず、どこかへ流れていってしまった。

 

 そして、智絵里は無意識にその場を離れた。

 

 正面玄関口に背中を向け、挙動不審のまま歩き出した彼女は、周辺を適当にふらついているうちに見つけた公園のベンチに腰をおろしたのである。

 

 ベンチに座ってすぐにスマホが鳴り、恐る恐る出ると346プロアイドル部門のアシスタントを名乗る女性からで、

 

『……ご、ごめんなさいっ!』

 

 頭が真っ白になった智絵里は、抑揚と声量のずれた謝罪をして切ってしまった。

 

 あれから今に至るまでスマホは鳴っていない。それからはずっと地面を眺めたままだ。

 

 ──もう、消えてしまいたい。

 

 そう考える智絵里をよそに腕時計はちくたくとその針を正確無比に進めていく。

 

 ──私、こんなにダメな子だったんだ……。自分で応募しておきながら、すっぽかすなんて。

 

 時間が経つにつれてネガティブな言葉がどんどん脳内にあふれてくる。自分のことが否応なしに嫌いになってくる。

 

 ──私、もう、何をやってもダメなのかな……。ううん、きっとそうだよね。

 

 どうやったら、こんなとき自分のことを慰められるのだろう。それができる人はいったいどうやっているのだろう。

 

「……あはは……考えたって無駄かぁ……」

 

 智絵里から乾いた笑いが出る。

 

「………………………………うっ、ひぐ」

 

 目尻が熱くなってくる。視界がゆっくりと霞み、ひざの上においている握り拳にぎゅうっと力がこもる。

 

 ──あんな風にへたれたくなかった。ちゃんと1歩踏み出したかった。合格不合格に関わらず、オーディションを受けたかった。少しでも今の自分が変化するきっかけになればと思っていた。

 

 ──ごめんなさい、ごめんなさい。

 

 一筋の涙が頬を伝う。重力に従ってぽたぽたと垂れるそれの滴は服や手をお構い無しに濡らしていく。

 

 こんな自分は嫌だった、嫌だったのに。それでも結局、自分は変わることができなかった。とんだ出来損ないだと思う。

 

 あの夜に母が言っていた言葉は真に正しかったのだと身をもって知ることにはなってしまったが、遅かれ早かれわかることだったから、このタイミングで良かったんじゃないだろうか。

 

 ──お母さんの言う通り、やっぱり私はダメな子なんだ。だから、仕方ない……。うん……。

 

 なんとかそう取り繕ってみるが、涙は止まらない。むしろ増えた気すらする。

 

 ──私はダメな子なのかもしれない。でも、そのままでいるのは……。

 

「……ちょっと悔しい…………私の…………ばか…………」

 

 せっかくのチャンスをふいにしてしまったのに、そんなことをつい考えてしまう。

 

 ──私のばか……ばかばかばかばかぁっ!!

 

「……! ……………………!?! ………………」

 

 声にならない嗚咽をあげながら、身勝手で不甲斐ない自分への怒りとかやるせなさとか、自身への失望とか悔しさとか、そんな感情をごちゃ混ぜにして1つにまとめたものと必死に向き合おうとする。

 

 こんな姿、街行く人に見られたら大変だ。警察を呼ばれたら親にすべてバレてしまうだろう。怒られるか、あるいは失望されてしまうか。どちらになっても仕方ないし、どちらであっても智絵里の正しい評価になるはずだ。

 

 ──もうどうしようもないのに。どうして涙が止まらないんだろう。

 

 泣けばすっきりするなんて巷ではよく聞くけれど、本当にそうなのか。泣いても智絵里は智絵里のままなのに。

 

 ようやく服の袖で涙やら汗やらを拭っていると、さきほどから地面しか映らないはずの視界にひょっこりと靴が現れた。おそらく女性ものの靴で、誰かがそこに立っていることは明らかだ。

 

「あ、あの、大丈夫ですか?」

 

 恐る恐る顔をあげると、どこかで見たことのある女の子が心配そうな視線を智絵里に向けていた。

 

 

 

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