プロデューサーはじめました。   作:テラリウムA

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35話 四つ葉のクローバー(3)

 

 

 うつむきがちな智絵里の隣にはさきほどの少女がどこか心配そうに座っている。ちらりちらりと様子を伺っているのが見てとれた。

 

 ボロボロと涙をこぼしていた智絵里だったが、今は少し落ち着いている。

 

「…………すんっ………………」

 

 そっとハンカチで涙を拭う。

 

 このハンカチは隣の彼女が貸してくれたものだ。

 

 ついさきほど声をかけられたとき、泣きじゃくる智絵里へあたふたしながらも『どうぞ』と差し出されたものである。

 

「……あ、あの、少しは落ち着きました?」

「あ、は、はい!」

 

 突然のことに肩をびくりと震わせながらも、そう答えた。

 

「それなら良かったです!」

 

 にこっと微笑む彼女に、

 

「……ハンカチ、ありがとうございました」

 

 智絵里はおずおずとお礼を言う。

 

「あ、ハンカチ、洗って返し…………」

 

 そこまで言いかけて気付いた。今日は三重から電車や新幹線を乗り継いできていたことに。はてさて困った。

 

 ──ど、どうしよう、このハンカチ。私のせいで汚れちゃったし、えっと……。

 

「あの、ハンカチ、なんですけど、今日はその……遠くから来ていて、洗って返せなくて……ごめんなさい」

「ハンカチは私のほうで洗うので、大丈夫ですよ!」

 

 とことん迷惑ばかり掛けている自分がとてつもなく嫌になってくる。なんだか自分自身のダメさを痛烈に実感させられているような気がしてならない。

 

「ごめんなさい。私が……」

「わわわ、大丈夫ですよ! だから、ね? 落ち着いてください」

 

 慌てて立ち上がりフォローにまわる彼女は、智絵里の心が静まったのを感じ取ったのか、ほっとした表情でベンチに座りなおした。

 

 無言の間が2人を包み込む。

 

 何か話したほうがいいのかと智絵里が指をもじもじさせながら考えていると彼女が先に口を開く。

 

「変なことを聞くんですが、今日は346プロアイドル部門のオーディションに参加しに来たんですか?」

「えっ?」

「ああいや、別に探りをいれたいとかじゃなくて。怪しい者とかじゃないので! ほんとですからっ!」

 

 驚く智絵里へ身の潔白を証明しようとする彼女。

 

「あ、はい。その、危ない人じゃないのはわかってます、よ?」

「そ、そうですか? よかったです」

 

 心の底から安堵している彼女は改めて説明をはじめる。

 

「私、346プロ本館のカフェのテラス席で休憩をしてたんです。そしたら、正面玄関をうろうろしている人がいて」

 

 それはおそらく智絵里で間違いないだろう。同じ日の同じ時間帯にそんなのが2人もいたら、それはそれで怖い。

 

「それでその人は立ち止まったと思ったら走ってどこかへいっちゃって。気になったので探していたんです」

「それは……たぶん私のこと、ですか?」

「はい。もしかしたらオーディションで失敗しちゃったのかなって思ってしまったら、いても立ってもいられなくて。ごめんなさい、お節介でしたよね」

 

 とんでもない人だな、と率直に智絵里は思った。あそこから走って逃げ出して公園のベンチに座り、そして彼女と出会うまで10分以上は時間が経っている。その間、周囲を探し続けていたのだろうか。

 

「いえ、その、ご迷惑をおかけしてしまったみたいで」

「いえいえ、私が勝手にやったことですから!」

 

 不意に彼女は「あっ」と声を漏らす。

 

「そういえば、名前まだでしたね。私は島村卯月といいます」

「緒方、智絵里です……」

「智絵里ちゃん、でいいですか? よろしくお願いします!」

「は、はい。こ、こちらこそ?」

 

 数奇な知り合い方を卯月とした智絵里は、ちょっとだけ戸惑いつつもそう返した。

 

「それで、ですね、オーディションなんですけど」

「……!」

「1度ミスをしたとしても諦めないで欲しいんです。都合のいいことを言っているのはわかっています。それでも、諦めないで欲しくて。絶対にうまくいくとは断言できません。でも、道半ばで諦めてしまった人たちを私は知っているから」

 

 ああ、そうか。卯月は智絵里がオーディションで大きなミスをしたと思っているのか。それで声を掛けてきたと。

 

 ──私はそもそもオーディションに……。

 

 このことは言いたくなかった。ただ、すれ違いのまま話が進むのは嫌だし、ちゃんと伝えなければならないだろう。

 

「あ、あのっ! 実は……」

 

 智絵里は、卯月へことのあらましを説明した。そもそもオーディションに参加していないこと、直前になって逃げてしまったことを。

 

 卯月は何も話さない。彼女は今、どんな顔をしているのだろうか。

 

 呆れているか、バカにしているか、ドン引きしているか、見下しているか。

 

 顔を上げて卯月と目を合わせられない。静寂が街の喧騒から2人を遮っている。

 

「智絵里ちゃん」

 

 卯月が口を開いた。智絵里はびくつきながら次の言葉を待つ。

 

「そうだったんだ。話してくれて、ありがとう。あのね、実は私も養成所にいたとき、大事なオーディションすっぽかしたことがあるんだ」

 

 昔を懐かしむように、されど昨日のことのように卯月は話し出す。その表情はうつむいているように思える。

 

「緊張して、怖くて、また不合格になるのが嫌で、足が動かなくなって。会場の前までは行ったんだけどね、結局、サボっちゃった。そのときはそれでいいかなって思ったけど、あとから後悔して『やっぱり受けとけば良かった』とか『もしかしたら合格してたかも』とかいろいろ考えちゃって。それからは全部受けましたね、まあ、すべて不合格だったんですけど」

 

 あははと軽く笑う卯月は顔を上げ、智絵里の目をまっすぐに見る。

 

「智絵里ちゃんの気持ち次第かもしれないけど、もしオーディションを受けたいならまだ間に合うかもしれません」

「え?」

「どうかな」

 

 すっぽかしてしまったけど、でも、やっぱり受けたいとは思う。ただ、そんな虫のいいことが通じるのか。

 

「わ、私は、う、受けてみたいとは思うけど、でもすっぽかしちゃったのは私のせいだし、受付ももう……」

「それはその、私も一緒にプロデューサーさんにお願いしてみるので」

「え? ぷろでゅーさーさん?」

「実は私、346プロ所属のアイドルなんです。だから、もしかしたら話を聞いてもらえるかもしれなくて」

 

 なんとなく見覚えがあったような気がしていたが、あの雑誌のオーディション告知ページの写真に載っていたのかもしれない。

 

「そんな、口利きみたいなこと……」

「と、とりあえず電話してみますね!」

 

 卯月はスマホを取り出すと、どこかへ電話を掛けはじめる。

 

 ──もしこんな私のせいで卯月ちゃんまで不利な立場になったらどうしよう。それに、どうしてこんなに……。

 

 頭の中は、少しの期待と大きな罪悪感や卑怯くささでいっぱいだ。

 

「……はい。……はい。……わかりました。智絵里ちゃんっ! オーディション最後になっちゃうけど大丈夫だって!」

 

 スマホから耳を離した卯月は嬉しそうに報告する。

 

「え、あ、あ、あの……、こんな事してもらってありがとうございます」

「いいんです! さぁ、行きましょう!」

 

 卯月に手を引かれて、智絵里は戸惑いながらも再び346プロダクションへと向かった。

 

 

 

 

 本館の中へ卯月とともに足を踏み入れるとその豪華絢爛な内装に目を引かれた。床は高そうな石のような素材が使われているし、天井にはシャンデリアを模したような照明がぶら下がる。

 

 右側には受付が、左側には卯月がさきほど言っていたカフェの入口が見える。

 

 ホテルのような内装をくるくると見渡していると、

 

「あ、ちひろさん!」

 

 卯月が呼び掛けた。智絵里はさっと顔を向けて確認する。

 

 カフェ入口のさらに奥にあるオフィスビルへと続くであろう渡り廊下から、やたらと目立つ蛍光色の黄緑のジャケットを着た女性が2人の下へまっすぐ歩いてくる。肩に流した三つ編みがひょこひょこ揺れ動いている。

 

「卯月ちゃん、プロデューサーさんから話は聞いています。あとは私が」

「はい。お願いします」

「ええ、任せてください。それで、あなたが緒方智絵里さんですね?」

 

 ちひろと呼ばれた彼女の視線が智絵里へ移る。肩がびくりと震える。

 

「は、はい。緒方、智絵里です……。よ、よろしくお願いします」

「千川ちひろと申します。アイドル部門でアシスタントをしています。本日は遠路はるばるお越しいただきありがとうございます。では、案内します」

 

 ちひろは怒るわけでも嘲笑うわけでもなく淡々としている。何か言われると思っていた智絵里は少し面食らう。彼女から入館証を受け取って首にかける。

 

「智絵里ちゃん、私も応援してますから!」

「ありがとうございます、卯月ちゃん。えと、いってきます」

 

 手を振る卯月を背に智絵里はちひろに案内されて、オフィスビルにある会場へ行く。

 

 廊下を渡りきり、エレベーターホールで籠が到着するのを待つ。ただでさえ会話の苦手な智絵里が、オーディション先の社員と会話のキャッチボールができるはずもなく、気まずさが漂う。

 

 ティン、という到着音とともに扉が開く。誰も乗っていなかったそれに2人で乗り込む。

 

 エレベーターの駆動する振動を足裏で感じながら、智絵里はやっとこさの思いで声を出す。

 

「あ、あの」

「はい? どうしましたか?」

「あ……、その……もも、申し訳ありませんでした!」

 

 智絵里は渾身の力を込めて頭を下げた。

 

「ど、どうされましたっ!? 大丈夫ですから、頭を上げてください、ね?」

「で、でも私すっぽかしてしまって迷惑を……」

「それなら私も他の者も気にしていませんから、安心してください」

 

 ちひろはそう言うものの、本当かどうか怪しく感じる。もしかしたらかえって気を遣わせてしまったのではないかと感じる。

 

 落ち着いた様子を見たちひろは安堵して息を吐きで、ゆっくりと口を開く。

 

「緊張しますよね、面接。私も346プロ(ここ)を受けたとき、建物に入れずにいたんです。見えない大きな壁がどっしりとそこにあるようで、たった数歩が踏み出せなかった。それで、その辺をうろうろしてたら、たまたま通りかかった社員の方に不審がられて声を掛けられましてね。それで事情を話してようやく足を踏み入れられました。だから私にも少しは気持ちがわかります。壁を越える勇気を簡単に出せる人が羨ましいですよね」

 

 それについては激しく同意する。こういうときに躊躇なく飛び込んでいける人は──何か思いつきもしない苦労があるのかもしれないが──きっとそれ自体が才能なのだろう。 

 

「わ、私……逃げようと思ってしまって」

「卯月ちゃんから電話をもらった担当が言っていました。“諦められなかったから事務所の近くにいたんだろう。もっと遠くに行こうと思えば行けた”ってね。ちょっと遅刻したようなものですよ」

 

 エレベーターの籠が停止し扉が開く。

 

「到着です。待合室はこちらです」

「は、はい」

 

 ちひろの背中を追って、智絵里は30階に降り立った。

 

 

 * * *

 

 

 智絵里が待合室へ通されてから、おおよそ1時間が過ぎようとしていた。自分以外誰もいなくなったここはがらんとしていて、その冷たさが不安さをかきたててくる。

 

 最後のグループが呼ばれたものの、そこに智絵里は含まれていなかった。ちひろ曰く、担当が個別に話をしたいというので、一番最後になるとのことだった。

 

 むくむくと不安が膨れあがっていくのがわかる。

 

 確かに一番最後になると卯月に聞かされたが、まさかこうなるとは想像していなかった。

 

 ──いや、こんなあり得ないチャンスをもらったんだから文句は言えないよね。

 

「…………うぅ」

 

 ──やっぱりダメそう。

 

 勇気を、壁を越える力を得なければ。

 

 頭が砂嵐のように混乱がうずまく中、一筋の光が見えた気がした。 

 

「そ、そうだ……! おまじない……!」

 

 高校受験の時に、緊張する智絵里へ母が教えてくれたあのおまじないがある。それを実行したあと落ち着いて問題を解くことができた、気がする。とりあえずやってみよう。

 

「手のひらに人って書いて、飲む!」

 

 これを3回繰り返す。

 

 普段絶対にしない行動をとることで落ち着くとか、人を飲むという行為が相手を圧倒できるという暗示をかけさせるとか、検索エンジンで調べたところそんな意味があるらしい。本当かどうかはわからない。

 

「………………」

 

 緊張がまったくほどけない。そんな素振りすらない。

 

 ──うぅ、効果ないよぉ……。別の方法を考えないと。あっ。

 

 智絵里はパッと思い付いた。天文学的な重なりや1%のひらめきから導き出される答えを。

 

 そうだ、人の代わりにクローバーを書いて飲もう、と。

 

 意味がわからない? 実は智絵里自身もよくわかっていない。彼女の思考回路は緊張と不安で半分ショートしかかっているのが理由である。

 

 ──こ、これなら……!

 

 手のひらに四つ葉のクローバーを書く。待合室のドアがノックされる。そして飲む。これを3回繰り返す。ドアが開く。ルーチンを終え一呼吸付いてから“私はいったいなにをやってるんだろう”と我にかえった。

 

 おまじないが不発かつ謎の進化をとげたところで肩に手を置かれ、

 

「勇気は出ました?」

 

と声をかけられた。

 

「くぁwせdrftgyふじこlp──!!!??」

 

 声にならない悲鳴をあげながら椅子からかばっと立ち上がる。

 

「大丈夫?」

 

 さらに声をかけられたので、びくびくしながら振り返ると背の高いスーツの男性が1人心配半分驚き半分で智絵里を見ていた。

 

「緒方智絵里さん、ですね。はじめまして、天津といいます」

「あ、はい。私は緒方智絵里といいます。その、よろしくお願いします」

「はい。確認しました。ところで勇気は出ました? さきほどから小さく『勇気……勇気……』と呟いていたので」

「……えと、今の衝撃で、飛んでいっちゃいました……」

「それは失礼しました」

 

 彼はそう言うと智絵里に座るよう促し、その辺の椅子を2つ引っ張ってきた。よく見ると後ろにはちひろの姿もある。

 

 天津と名乗った彼とちひろは長テーブルを挟んで向かい側へ着席した。

 

「では始めます」

 

 始まったオーディションは、個別という形もあって、オーディションというより三者面談のように感じられた。想像していたのはもっとビシバシ圧迫してくるものだったから、身構えていた分拍子抜けだ。

 

 さて内容はというと、名前から始まり年齢や特技、そして『アイドルになりたい理由』。

 

「わ、私、人と話したり……人前に出るのが苦手で、それでアイドルになれば改善できるかなって思ったんです。コミュニケーションが大切なお仕事なので、それを通して今の自分が変わるためのきっかけになればと」

 

 こうしていざ話してみると結構身勝手な理由かもしれないと思ったりする。

 

「……そうですか。もし仮に合格したとして、勇気を持って仕事に臨めそうですか?」

 

 アイドルは決して慈善事業ではなく、ビジネスだ。そこんとこ分かってんのか。学校のような環境とはまるで違うぞ。そう言われているように感じた。

 

「私は、その、やっぱり諦めたくなくてここに来ました。逃げて後悔するのは、嫌だと感じるので、失敗するかもしれませんが一生懸命がんばります……!」

「わかりました。では次ですが」

 

 彼の質問は続き、それらに答えていき、15分ほどで終了した。現実時間で見れば短いが、体感では1時間くらい過ぎたような気がしてならない。

 

「最後になりますが、ご質問などはありますか?」

 

 彼はメモを記していたノートを閉じて言う。

 

「えっと、あの、質問じゃないんですけど、いいですか?」

「はい、どうぞ」

「その、今日は、迷惑をかけてしまい申し訳ありませんでした」

 

 彼とちひろはちらりとアイコンタクトをする。

 

「それについては千川の言った通り、気にしていませんので」

「それでも、ちゃんと謝ったほうがいいと思って……」

「そうですか」

 

 彼はそのまま押し黙ってしまう。そして、数秒の後、沈黙を破る。

 

「……緒方さんがなぜ今ここにいるのかをよく考えてください。それはきっと今後のあなたの役にたちますよ。それでは、本日はご参加ありがとうございました。これで2次選考は終了となります。気をつけてお帰りください。結果は郵送でお送りします」

 

 こうして智絵里のオーディション2次選考は幕を閉じた。

 

 

 

 

 東京駅は16時をまわっていても相変わらず混雑している。時間帯によって波がありそうなものだが、どこを見ても人だらけな状況だとその判別はコンピューターでの処理以外では付けられないだろう。

 

 新幹線のぞみの名古屋行きのチケットに記載のある車両はもうまもなくホームへ入線してくるはずである。

 

 メロディが流れ、低速のそれが視界に入る。突発的なトラブルもなく時間通りだ。

 

「あ、新幹線来ましたね」

 

 卯月が言う。彼女はわざわざ入場券を買って見送りをしてくれるらしい。智絵里は断りをいれたものの、『私が送りたいから』という圧に負け、ついでに車で送ってもらってしまった。

 

 新幹線の到着を待つ間、当たり障りのない雑談をしていたが、なにげにこんなに人と話したのはかなり久しぶりかもしれなかった。

 

「あの、卯月ちゃん! 今日はその、いろいろとありがとうございました!」

「ううん、気にしないで。半分は私のためにやったことだから。智絵里ちゃんが合格できるよう祈るね」

 

 車両が停車し、空気がぷしゅうと抜ける音でドアが開く。

 

「……」

 

 智絵里はドアの近くで立ち止まる。

 

「智絵里ちゃん?」

「あの、その、……ちゃんとオーディション受けれて良かったです。本当にありがとう……!」

「うん! 私も役に立てたのなら嬉しいな!」

「じゃあ、ばいばい」

 

 乗り込み、自分の席を探す。中央付近の窓際だ。席につくと窓越しに手を振る卯月の姿があり、智絵里も振り返す。

 

 やがて、ゆっくりと車両は動き出す。数分もして速度が上がり、東京の街並みは窓の景色が移り変わり始めると同時に過ぎ去っていった。

 

 

 * * *

 

 

 ある日の午後のこと。

 

 インターホンを鳴らした郵便配達員は、

 

「緒方智絵里さん宛に書留の郵便です。送り主は、346プロダクションですね」

 

と言った。 

 

 

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