プロデューサーはじめました。   作:テラリウムA

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36話 四つ葉のクローバー(4)

* 【4】 *

 

 

 智絵里がそっとまぶたを開くと、ここ最近ようやく慣れてきた天井が出迎えてきた。体を捻って時刻を確認すると、6時になる5分前を示している。

 

 このまま二度寝でもしようかと数秒悩んだ末に起床することにした。

 

 ベッドから降りて背中をメインに体をぐぐぐと伸ばす。パジャマ姿のまま窓に近づき、カーテンを開ける。

 

 透き通るような青空とアクセントとしての白を醸し出す雲が東京の街の頭上にあり、そこに悠然と輝く太陽が堂々と存在を主張している。

 

「今日もいい天気」

 

 日の光を浴びてぽかぽか気分の智絵里はもう一度体を伸ばすと、着替えるためにパジャマのボタンに指をかけた。

 

 

 

 

 346プロダクションアイドル部門が保有する女子寮はもとは別の会社の寮だったらしく少し年代を感じさせる。ただ、内装は一通りリフォームされているようで、不便なところはない。今のところは。

 

 智絵里が食堂に入ると香ばしいにおいが鼻をくすぐってくる。

 

 ──これは……ウィンナーかな?

 

 がらんとした食堂の中で、厨房で調理中が1人と、20席ほどある椅子のうちの1つに座るのが1人、そして智絵里の3人しかいない。そもそもこの寮に入所しているのが3人だけなのだ。以前はお試しで入所していた杏もいたが、期限となりやっぱり自宅がいいと彼女のマンションへ戻っていった。

 

「あ、智絵里ちゃん。フフ、煩わしい太陽ね(おはようございます)!」

 

 ウキウキと朝食の完成を待っていた智絵里と同じくアイドル部門に所属している神崎蘭子が朝の挨拶らしきものをしてくる。普段はツインテールにしている髪を今は下ろしている。

 

 ──えっと、確か……おはようって意味だったような?

 

「あ、おはようございます、蘭子ちゃん」

「聖炎なるものは爛々と輝き、摩天楼の街を焼き付くさん!(今日も朝からいい天気ですね。ぽかぽかです!)」 

「え、あ、うん」

 

 何か朝っぱらから物騒なことを言っている蘭子だが、プロデューサーいわく話している内容自体は至って普通だという。ただ言葉が小難しいだけで。

 

「あ、智絵里ちゃん、おはよー。もうすぐ完成するから待っててね」

 

 慣れた手つきで調理する前川みくに返事をして、蘭子の隣の席へ腰かけた。

 

 

 

 

 白米、目玉焼きとウィンナー、味噌汁というみくお手製の朝食を食べていると、なにやら蘭子がむむむと唸っている。

 

「あー、蘭子ちゃんまたピーマン残す気? だめだよ、ちゃんと食べなきゃ。大きくなれないよ」

 

 目玉焼きウィンナーの添え物として炒めた野菜が添えられていて、そこにあるピーマンに苦戦しているようだ。

 

「んむむ……わ、我が食物の書に苦き緑の鐘は載っておらぬ(ピーマンは苦くて苦手なんです……)」

 

 みくに詰められ蘭子は苦し紛れにそう答える。

 

 ところで、大きくなれないとみくは言うが、智絵里と近い年齢なのにあの大きさなのはなぜなのだろうか。蘭子だってそれなりにある。入所した際に、一緒に共同浴場に入ったときのあの衝撃は未だに忘れなれない。胸囲の格差社会とは、なんとも理不尽である。

 

 さて、この寮では炊事はもっぱらみくの役目になりつつある。智絵里も蘭子も包丁を握ったのは家庭科実習のときだけだからだ。やはり食事なのだろうか。

 

「もぐもぐ、もぐ──!? んぅぅぅぅ……にがいぃ」

 

 みくに圧しきられる形でピーマンを食べ、悶絶する蘭子。ふにゃりとしていてちょっと可愛い。

 

「あ、そういえば智絵里ちゃんは今日、雑誌の撮影だったよね?」

「うん。プロデューサーさんとかみんなのおかげでオーディション、初めて合格できたから」

 

 まあまあ名の知れたファッション雑誌の秋シーズンの特集に合格することができたのは間違いなく周囲の助けがあったからだろう。何社か落ちてネガティブが発動しかけていたとき──正確にはすでにちょっとだけ発動していた──に飛び込んできた吉報だった。

 

「プロデューサーも喜んでたよ。はーあ、みくにもおっきい仕事こないかなぁー」

「魔猫の呪具の使い手よ、そなたにも届きし文はあると聞いているぞ(みくちゃんにもお仕事きてるって聞いたよ)?」

「それはそうなんだけど、ほら他のみんなはユニットだったり曲もらったりしてるやんか」

 

 みくは背もたれに寄りかかり天井を仰ぎ見た。ネコミミをつけていないときは話し方は普通になるし、なんなら関西弁がたまに出たりする。

 

「我らが降り立った地は立ち止まることは許されない。常にその剣を磨き、切磋琢磨しなければならない。急げばことを仕損じるかもしれぬ(アイドルは常に自分を磨いていくもの。焦らないでやっていこう)」

「蘭子ちゃん」

 

 蘭子の言葉は基本的に理解できないが、たまにこうして理解できるときがある。言葉使いは難解ではあるものの、優しい言葉を掛けているのを感じる。

 

「わ、私もみくちゃんを応援するから諦めずに前に進んでいこう?」

「智絵里ちゃん」

「悩める魔猫の呪具の使い手へ、我れが特別に供物として緑の……」

「あ、ピーマンはちゃんと食べてね」

「あっ!? うぅぅ……」

「あはは、そう簡単には引っ掛からないにゃ」

 

 茶化すようにみくはネコのポーズを取る。

 

「……2人とも、ありがとうね。ちょっと元気でた。……はぁーあ、仕方ないからみくが今日だけそのピーマン食べてあげる」

「じゃあ、私も」

「みくちゃん、智絵里ちゃん……!」

 

 かじったピーマンは苦さの中にほんのりとした甘さを感じたような気がした。

 

 

 * * *

 

 

 午後1時になった頃、智絵里はオフィスビル30Fでエレベーターを降りた。

 

 オーディションのときは廊下を左側へ進んだが、アイドルになった今は右側にあるプロジェクトルームへ行く。

 

 そこにオーディションを担当したちひろやプロデューサー、レッスン担当の青木姉妹のデスクがある。同じフロアに偉い人の部屋もあるらしい。

 

 開けっ放しのドアからルームに入ると、智絵里の担当プロデューサーがデスクに座り、真剣なまなざしで資料を読んでいた。他の人は席を外しているようだ。

 

「お、おはようございます」

 

 返事がない。智絵里の挨拶にも気付かないほどに集中しているらしい。また呼び掛けるのも悪いと思い、そろりそろりと彼に近づく。

 

 ──何見てるんだろう。

 

 こっそり肩越しに覗きこむと、どうやらユニットに関する資料のようだ。残念ながら智絵里のではない。右下の辺りにネコと南京錠の落書きがされている。

 

 そういえば今日の撮影はプロデューサーに付き添ってもらう予定になっていた。

 

 改めて声を掛けるタイミングをうろうろ計っていると、

 

「お、智絵里、おはよう」

 

 人の気配を感じて振り向いたプロデューサーと目が合う。

 

「あ、おはようございます」

東京(こっち)の生活には慣れた?」

「は、はい。慣れてきました。寮の生活も学校も、今のところは問題ないです」

「それは良かった」

 

 三重県から上京してきて、早いものでもうすぐ1ヶ月になる。2次選考の合格通知を受け取り、両親に本気でアイドルになると決意を伝えてからは、それはもうバタバタしていた。寮の手続きに学校の手続き、住民票とか口座とか、目まぐるしく動いていた。

 

 すんなり送り出してくれた両親には感謝しかない。少しでも明るく変わった姿を見せられたいいなと智絵里は思う。

 

「今日は午前中は学校だったっけ?」

「はい。午後からはお仕事ということでお休みに。出られない授業は課題の提出をすることになってます」

「そうか。提出は忘れないようにな」

「は、はい」

 

 初仕事の時間が着々と近づいている。時計を確認すればするほどそれに比例して緊張の度合いが上がっていく気がする。

 

「……」

「……」

 

 沈黙が痛い。

 

「表情が固いな。緊張……はするなというほうが無理か。ほら、笑ってー」

「こ、こうですか?」

「それだとペニーワイズだな。もっと自然な感じで。何か楽しいこととか面白かったことを思い浮かべてみるとか」

「うう、自然な感じって言われると難しいです」

 

 いつも通りでいいと言われて、いつも通りってどんなだっけと迷うのに似ている。

 

「わ、私に本当にできるでしょうか?」

「できるよ。こうしてアイドルになれたのが何よりの証拠さ。オーディションだって後悔したくなくて戻ってきたでしょ」

「そ、それは、その、そうなんですけど……」

「失敗するかもしれないけど一生懸命に、逃げて後悔するのは嫌だと言ったあの言葉はきっと智絵里の本心だよ。自分自身としっかり向き合ってる。強い子だ。大丈夫、失敗しても私がリカバリーするさ。はい、深呼吸。吸ってー、吐いてー。吸ってー、吐いてー」

 

 智絵里は呼吸を整える。心のざわつきが徐々に治まってきて、代わりに決意がじわじわと固まってくる。

 

 ふとオーディションの際に彼に言われた言葉が浮かんだ。

 

「あの、プロデューサーさん。オーディションのときなんですが、『なんでここにいるのかをよく考える』といいと言いましたよね」

「ああ、言ったね」

「それでその、考えてみたんです。私がオーディションにいた理由」

「ふむふむ」

 

 プロデューサーはいつの間にかデスクトップから智絵里へ目線を移し相づちを打ちながら耳を傾けていた。

 

「私は……私が変われるチャンスを逃したくないからあそこにいたんだと思います。一生懸命にするのも、後悔するのが嫌なのも、それを達成するためなんです。だからその、一歩でもそれに近づくために、不甲斐ない私ですが、これからもよろしくお願いします!」

「よくわかったよ」

 

 プロデューサーは「んんっ」と咳払いをする。

 

「こちらこそ、よろしく頼むよ。それを忘れずに、頑張っていこう。何かあれば私や仲間たちを頼ってくれ」

「は、はい!」

 

 ──不安はなくなったわけじゃないけど、頑張ろう……!

 

「あ、それで今日の付き添いなんだけど、別件が入ってしまって最初から一緒には難しくて。なんとか早めに終わらせて行くからさ、1人で現場に行ってほしいんだ。ちひろさんも動けなくて」

 

 ──えっ?

 

「えっ? あっ、あの、その……ついてきてくれると嬉しいなぁって私の本心が……」

「ごめんな」

「……えぇぇぇぇぇぇぇぇっ!? そ、そんなぁ……!?」

 

 智絵里の本心からのお願いは残念ながら届かず、驚きは静かなプロジェクトルームによく響いた。

 

 

 

 

 指示された通りに領収書をもらってタクシーを降り、撮影が行われているスタジオに到着した。

 

「お嬢さん、大丈夫かい?」

「だ、大丈夫です……」

 

 あまりのかちこち具合にタクシーの運転手にまで心配される始末。自分に向き合い、変わりたいとは思ったけれど前途多難な道のりになるのだろうか。たぶんなるんだろうなぁ。

 

 今回、撮影が行われるスタジオはとあるビルの1フロアにある。エントランスに足を踏み入れ、案内板で階数を確認し、エレベーターへ。

 

 たった数フロア分なのに体感時間が途方もなく長く感じてしまう。

 

 到着を知らせるチャイムが鳴り、ドアが開く。すると、すぐ目の前にいた○○出版のスタッフらしき女性とばっちり視線が合う。

 

「あ、えっと……」

 

 心の準備はしていたのに、いざとなると言葉がでてこない。

 

「もしかして346プロの方ですか?」

 

 そうこうしているうちに相手に先手を取られてしまった。

 

「は、はい。346プロダクションから来ました緒方智絵里です。本日は、よろしくお願いします……!」

「こちらこそよろしくお願いします。ではこちらへどうぞ」

 

 スタッフにより連れられた控室へ鞄を置いて一息つこうとしたとき、すぐに隣のメイクルームに呼ばれてメイクアップが始まる。

 

「そこの椅子に座ってください」

 

 智絵里は指示されるがまま大きな鏡の前の椅子へ腰かけた。鏡の左右にはそれぞれ照明がついていて顔を明るく照らし出す。

 

「では始めます」

「は、はい。お願いします」

 

 そのメイクアップアーティストの腕捌きは滑らかで、それでいて一切の迷いがない。これまでの経験やセンスを存分に活かして無駄なくテキパキと進めていく。

 

 子供の頃の夢でメイクさんになりたいと憧れるのも頷ける。

 

「表情が固いね」

 

 メイクさんは整えながらそう言った。

 

「今日の撮影は初めて?」

「は、はい。アイドルになってからの初仕事……です」

「そうなの」

 

 メイクさんとの会話はそこで途切れてしまった。よりにもよって智絵里の苦手なハキハキと喋りテキパキ動くタイプの人だ。ついつい表情とか声色とか視線とかが気になって話が続かない。偏見だが、いつも不機嫌そうに見えてしまうのもある。

 

 何か話そうとは思うものの話題がない。たとえ、今日の天気を話題にしても言葉のラリーが続かない自信がある。

 

「アイドルは楽しい?」

 

 突然のことに心拍数が一瞬跳ねあがる。誰の声だかわからなかったがすぐにメイクさんのだと気付く。

 

「頭は動かさない」

「は、はい!」

 

 思わず振り返ろうとして制止された。

 

「それでどう? 楽しい?」

「それは……まだ、実感が湧かないんですけど、あ! で、でも、わくわくするときはあって」

「そう。なら撮影のときにそれを考えると少しは緊張がほぐれるよ」

「あ、その、ありがとうございます。やってみます」

「生放送じゃないから多少のミスはどうとでもなるもんさ。プロのカメラマンだってミスするし、あたしもそうさ」

「そう、なんですか?」

「そうそう。みんな意外とポカやらかしてるんだ。あたしだって──」

 

 メイクさんの失敗談に始まり、知り合いのやらかし話を面白おかしく話してくれた。智絵里は途中でくすくす笑ったり、自分の失敗を明かしてみたりもした。

 

「さて、これで終わりっと」

 

 おしゃべりに花を咲かせていると、メイクのほとんどの過程がすでに終わっていた。少し明るめで、秋の柔らかさを取り入れたようなメイクに仕上がっていた。

 

「とびきり可愛くしておいたよ。次は衣装ね。廊下のスタッフに言えば案内してもらえるから」

 

 ほんのちょっと会話をしただけでも心が軽くなった気がする。

 

「はい、ありがとうございます」

「気楽に行っておいで」

 

 メイクさんに背中を押され、智絵里は撮影のための衣装合わせのためにメイクルームから出た。

 

 

 

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