* 【5】 *
シャッターが連続で押される小気味良い音がスタジオに響く。カメラマンや多くの出版社のスタッフたちに見守られる中、白背景の前に立つそのショートボブカットの少女は様々なポーズを取る。
秋口に売り出されるであろう洒落た服をさらりと着こなし、さらに少女は自然な笑顔を見せる。智絵里も用意された衣装を着ているが彼女ほど着こなせているかはわからない。
フラッシュをたかれつつ、ああだこうだと最初に指示されてからは、腕や足、頭、腰などを動かし体の向きを調整して指定されたポーズを作る。OKを出したカメラマンは数枚のシャッターをまた連続で切る。
その様子を智絵里はスタジオの端に置かれた椅子に腰かけながら、ぼうっと眺めていた。
遡ること約20分前。前のモデルの撮影が終了し、順番が智絵里に回ってきていた。指示されたようにポーズを決めてみせるが、カメラマンはポリポリと頭をかきながら困ったように口を開いた。
「緒方さん、もう少し自然な笑顔はできませんか」
「笑顔、ですか? こ、こうでしょうか……?」
あくまで指示された通りに笑顔を作ってみせる智絵里だが、「うーん」と唸るような彼の表情からイメージ通りにできていないことを察した。
智絵里としては大真面目にやっているつもりなのだが、おそらくできていないのだろう。プロデューサーの言っていたペニーワイズのようか感じになってしまっているのだろうか。
「うーん……まだぎこちないなぁ」
「あ、えっと……すいません」
しょぼんとした気持ちが智絵里の顔に出たのを鋭く読み取った彼は、
「ああ、大丈夫。そんなに気にしないで。なんというか、ガッチガチに緊張している感じかな。確か今日が初めての撮影だったね」
と言う。
「あ、は、はい!」
「君の雰囲気と服のマッチングは調和が取れていていい感じだよ。あと表情なんだけど……あまり意識して作らなくても大丈夫……なんだけど」
カメラマンは何か考え込むよう仕草をしていたが、すぐそばにいる出版社のリーダーらしき人と一言二言交わす。
「えと、緒方さん、いったん下がってもらっていいかな。順番変更するから。あとで改めて撮りなおそう。」
「あ……はい……すいません……」
智絵里は『ああ、やってしまった』と茫然としつつ、うつむきながらとぼとぼと待機椅子に向かい、次の撮影待ちの人と交代した。
さて、交代したショートボブの少女はというと、智絵里とはまるで違い、とてもスムーズに撮影が進んでいる。ポーズも表情も自然体で、少ない指示でさりげなく当たり前のようにやってのけている。
──すごいなぁ。どうしてあんなに自然にできるんだろう。
なんだか別次元から来た未知の生物を見ているような気分になってくる。先に撮影していた数人も含めて、なぜあんなに自然体でいられるのか。経験値からくる慣れか、それとも天性の才能か。
──私にもあったら良かったのに。
嫉妬心と自虐心をミックスしたモヤモヤが心に広がる。
無い物ねだりなのは百も承知だが、そう思うことは自由であるはずである。
「はい。OKです!」
「ありがとうございました」
「こちらこそ。次回もまたよろしくね。声掛けるから」
「はい。ありがとうございます」
少女とカメラマンを含むスタッフたちは少しの立ち話をしている。聞き取れる会話の内容から何度か仕事をしたことがあるらしい。
「それじゃ、機材の確認もあるし、15分くらい休憩いれようか。その後、緒方さんの撮影再開します」
立ち話が散るとリーダーはそう周囲のスタッフたちへ大きめの声で伝えた。そうして1人のスタッフが智絵里のもとへ駆け寄った。
智絵里は座ったまま撮影用の白背景を穴が空きそうなほどじっと見つめて、イメージトレーニングに努める。
失敗してしまいそうな気配がプンプンするが、それでも頑張るってプロデューサーに言ったから。ここで逃げて後悔するのは嫌だから。だからこそ、まだここにいるのだ。
「むむむむむ……」
しかし、さぁっぱり笑顔になるイメージが湧いてこない。思考は回るが、回るだけで前に進まない。目をつむっても効果は薄い。
そういえば、と思い出す。
入学や卒業、旅行に何気ない1枚などの写真を撮られるときの智絵里はついうつむいてしまったり、視線をそらしたりした。心からの笑顔で写っている写真はまったくないかもしれない。
「うーん……笑顔、自然な笑顔……」
こんなときプロデューサーがいてくれたらと願うが、それは叶わない。
──よくかんがえよう。これは私にとっての最初の一歩なんだから。
そうこうしているうちに時間はどんどん過ぎていく。緊張や不安のボルテージがあがっていくのを感じる。鎮まってほしいが、高まるばかりだ。
「あの」
「うっひゃあ!?」
智絵里は突然声をかけられ跳ねあがるようにびくんと驚く。
「……!? だ、大丈夫?」
さきほど智絵里と順番を交代したショートボブの少女が心配そうな視線を向けていた。残す撮影は智絵里だけなのでとっくに帰ったと思っていた。
「は、はい、大丈夫、です」
「びっくりさせちゃってごめんね。その、迷惑じゃなければ隣座ってもいいかな?」
「はい、えっと、どうぞ」
少女は智絵里の隣の椅子に腰かける。若干の間を置いて口を開く。
「えっとね、撮影で少し手こずっていたみたいだから、何かお手伝いできればなぁって思って。ああ別に先輩風吹かせようとか馬鹿にするためとかじゃなくてね! もちろん嫌なら断ってくれていいからね!」
早口で捲し立てるように少女は前置きを言う。貶めるためではないと言いたいらしい。
「さっきの撮影を見ていて、私にも似たような経験があったなぁと思い出して、それで、もしかしたらお役に立てるかもしれないって思ったんです」
そんなこといきなり言われても困る、と智絵里は率直に思う。あてになるかわからない第六感は悪い人ではないと判断しているが。ただ、この少女の撮影はとてもスムーズで自然体だったのはこの目で見ているから間違いない。
「いきなりでごめんね。その、話してくれたら嬉しいな」
悩んだ末、智絵里は話してみることにした。どっちみち休憩が終われば撮影再開になるのだから、うかうかしていられない。
「実は、その自然な笑顔がよくわからなくて。私は笑顔を出しているつもりなんですけど……。どうしてもぎこちなくなっちゃうみたいで。どうやったらいいのか迷ってて」
「そうなんだね。うん、わかるなぁ。私もね、アイドルになったばかりの頃に初めて雑誌の撮影を受けたんだ。ただ、そのときはガチガチに緊張しちゃって全然上手くいかなかったばかりか気を失っちゃって中断させたりして。てんやわんやたったよ。アイドルってこんなに難しいこともするんだって。それでちょっぴりだけど、後悔したり」
過去を噛みしめるように語る少女は少しだけ楽しそうにも見えた。
「でね、その撮影で教えてもらったんだ。そもそも自然体なんてできっこないんだよって」
「えっ?」
「驚くよね。私も言われたとき驚いちゃった」
──自然体ができないのならどうすればいいんだろう……。
「“自然体は意識していないからこそ。そもそも意識してる時点で無理”だとカメラマンに言われてね、確かにその通りだなぁって戸惑ってたら“自然体なんていいから、その服を着てどこに遊びにいって何したいかイメージしてくれ”って」
「服を着てお出かけをするイメージですか?」
「うん、そんな感じかな。私には自然体云々より取っつきやすくてね。まあまあ時間は掛かっちゃったけど初めての撮影はそれでこなしたんだ。それからはずっとこの方法でやってて、今日のこの衣装も街を散歩するイメージで撮影に臨んでみたんだよ」
──もし私なら、この衣装を着てどこにお出かけしたいかな。
それを考えているとふとある場所が浮かぶ。
「わ、私ならお花の綺麗なところに行きたい、です。あ、その、そんな深い理由があるとかじゃなくて。なんとなく浮かんできたというか……」
「そう、直感でいいんだよ。それをイメージしていくと、だんだん良くなると思うな」
ばっちりきめたお洒落な衣装で花畑を散策するというのは突拍子もなかったが、楽しそうなイメージは湧いてきた。
「はい、少し楽しいなって思えました。ありがとうございます」
「お役に立てたみたいで嬉しいな。えへへ」
少女は微笑んだので、智絵里もにこっと微笑みを返した。
「休憩終わりまーす! 緒方さん、撮影再開したいんですけど、大丈夫そうですか?」
15分が経過したようで、スタッフたちが所定の位置に付くと声が掛けられた。
「あ、は、はい! よろしくお願いします!」
「大丈夫、次は上手くいくよ」
「ありがとうございます。えと、いってきます」
智絵里は少女へお礼を言うと、再び白背景の前に立った。
* * *
紆余曲折あったものの撮影はなんとか終了し、智絵里と少女はスタジオの入るビルのエントランスにある簡易休憩スペースのベンチに並んで腰かけている。
智絵里は自販機で買った炭酸を一口飲む。喉をしゅわしゅわと通り抜けていく感覚が強炭酸なので少しきついが、それでも身も心も爽快な気分になる。仕事終わりの両親がビールを飲むのはこのためなのかもしれないとちょっとわかった気がした。
「あの、今日はお世話になりました」
「ううん、気にしないで。私がしたくてやったことだから。むしろジュースを貰ってしまって申し訳ないくらいだよ。名前は緒方さん、で合ってるかな?」
「あ、はい。緒方智絵里です。その、智絵里、でいいです」
「じゃあ智絵里ちゃんって呼ばせてもらうね」
智絵里はついさきほど『今から向かうよ』と連絡をよこしたプロデューサーを、少女は事務所に戻るためのタクシーをそれぞれ待っている。
「あの……聞きたいことがあるんですが、いいですか?」
「うん、なんでも聞いて」
「アイドルって難しいですか?」
「うーん、確かにダンスとか曲とか難しいときもあるけど楽しいことの方が体感では多いかな」
「そう、なんですか……」
「智絵里ちゃんは不安?」
「……ないと言えば嘘になります。私は、その、人前が苦手な自分を変えたくて346プロのオーディションに応募したので、憧れとか夢とかは薄くて……」
「そっか。実は私も、弱い自分の性格を直したくてアイドルになることにしたんだ」
「……!」
「昔は、何かある度にそこら辺にスコップで穴を掘っていたんだ。隠れるための穴をね。今思うと自分でも驚くことをやっていたなぁって」
そう言って彼女はどこからともなくスコップを取り出し、スコップ面の縁をそっと指でなぞる。それは大切に扱われているらしく、細かい傷はあっても壊れている部分はなく綺麗に磨かれている。
いったいどこから出したのか追及したかったが、触れないほうがよさそうな気がして口にはしなかった。
「わ、私も、穴は掘らないんですけど、自分じゃどうしようもない状況になると俯いたり、言葉が出なくなったりしてしまって……それで、まわりの人が気を遣ってくれることが多くて」
「わかるなぁ。周囲の人たちが気遣ってくれると嬉しいよね」
「はい……。でも、ちょっとモヤモヤするときもあって」
「うん、私にも似た経験があるよ。甘えちゃう自分が情けないって思うのにそれでも甘えちゃうこと。変わりたいとけど足を1歩踏み出せない」
自分の気持ちに理解を示してくれる人がいてくれたことが智絵里には嬉しかった。
「どうやったら、その1歩は踏み出せますか?」
「どうやって? そうだなぁ、うーん……難しいなぁ……」
彼女は悩む。
「その、ね、私のときは仲間たちにもプロデューサーさんにも助けてもらって1歩を踏み出せたんだ。智絵里ちゃんはどう? まわりに背中を押してくれる人はいる?」
「私は……」
頭の中で人の顔を思い浮かべる。両親にプロデューサー、卯月、かな子、みく、蘭子、それに他のアイドルたち。
卯月はオーディションのとき助けてくれたし、プロデューサーも見守ってくれている。他にもいろいろ、細かいことまであげるとキリがない。
「はい、います」
溜めるように、しかし明確にそう答える。
「たとえばどういうときに背中を押してくれたと思う?」
「オーディションのときに──」
智絵里はオーディションのときや今日の撮影前にプロデューサーと話したことを記憶を手繰りながら語る。彼女はその間聞き役に徹していて、ほぼ話し終えた頃に一方的だったと気付いた。
「あ、すみません、勝手にペラペラと……」
「ううん、聞けて良かったよ。それで、私思ったんだけど、智絵里ちゃんはちゃんと1歩前に進んでるんじゃないかな。」
「そ、そうなんでしょうか……」
「うん。私はそう思うな。まあでもすぐにはピンとこないよね。私も少し時間が経ってから『ああ、あの時だな』ってイメージできたけど、すぐには実感できなかったから。だからきっともう少ししたら実感が湧くと思うよ。ごめんね、抽象的で」
「いえ、確かにそういうことあるなぁって感じましたから」
彼女は炭酸飲料の缶を傾ける。智絵里もそれに続く。
「そういえば、346プロでちょっと前にオーディションをやってたよね。自分で応募したの?」
「はい。ポストに投函するだけでドキドキでした」
「すごいなぁ」
「……?」
「実はね、もともと私の友達が勝手にオーディションに応募しちゃってたんだ。いきなり合格通知が届いて、私も家族もびっくりしちゃったよ。それから友達に推されてあれよあれよと面接をして、まさか合格するとは思ってなくて、かなり迷ったしお父さんに反対されたけど一念発起してアイドルになったんだ。だから、自分から応募はしてないんだ」
あのときはすごく驚いたよ、と少女はしみじみと懐かしさを噛み締めるようにつぶやく。
「ふふ、人生何があるかわからないってこういうことを指すのかなぁ」
「な、なんだか深い言葉です……」
「ときどき考えるんだぁ。詩的な文章は考えていて楽しいんだよね。大学でも人文学部に入学してね、その縁で作詞もやらせてもらったりして」
──詩的ってことはポエムなのかな……学校の授業で……あれ、大学?
「えと、大学生なんですか?」
「うん。今年で2年生だよ」
「…………~~~~~っ!? ご、ごめんなさい! てっきり歳が近いとばかり思っていて! ま、まさか歳上だとは! じゅ、ジュースをもう1本!」
「お、落ち着いて智絵里ちゃん! 怒ってないから! ほ、ほら、私もまだまだ若く見られて嬉しいな、みたいな? それにジュースはまだ半分くらいあるから!」
あたふたする彼女と智絵里の間に静寂が数秒流れて、その後2人は吹き出す。
「ふっふふ」
「ふふ」
「なんだか2人であたふたしたり、早口になったり、おかしいね」
「はい。でも、ちょっと楽しいです」
「私もだよ。私たち、ちょっと似てるね。あ、智絵里ちゃんさえよければ連絡先交換しない?」
「えっ、あ、その、……私なんかといいんですか?」
「もちろん、いいよ。あ、むやみやたらに教えちゃダメだよ」
「はい。そこはプロデューサーさんからきつく言われました」
アイドル活動を通して知り得た連絡先は、仕事もプライベートも関係なく、家族も含めて他人に教えてはダメだとプロデューサーに指示されていた。
スマホを取り出して数秒も経たずに連絡先を交換する。両親と地元の友達1人、プロデューサー、他のアイドルたちの分しか入っていない連絡先に1つ新しく増えた。
「ありがとうございます。その、嬉しいです。こんなに頼りになる人と知り合いになれて」
「そ、そんな頼りになるだなんて。私も初めて言われたよぉ、えへへへ」
少女は恥ずかしそうに照れて赤くなった頬を指でかく。
「あ、タクシー来たみたいだね」
ガラス越しに1台のタクシーが車道に停車するのが見えた。
「智絵里ちゃんのプロデューサーさんも来たみたい」
タクシーの後方につけるように1台の乗用車が停車する。運転席には見慣れたプロデューサーの姿がある。
「そろそろ行こっか。じゃあ、智絵里ちゃん、気軽に連絡していいからね」
「はい、今日は本当にありがとうございました」
手を振ってタクシーへ歩きだした少女に智絵里も手を振った。