* * *
翌日、午前中からレッスンの予定がある智絵里は事務所へと顔を出した。レッスンの開始前の時間を使い、昨日の雑誌撮影の振り返りを行うことになっている。
本来なら昨日プロデューサーが迎えにきたあと、そのまま事務所で行うつもりだったものの、ぴんと張った糸を切ったように疲労感がどっと押し寄せてきて無理だった。
「おはようございます」
「お、智絵里。おはよう」
ドアのすぐそばにいた聖と目が合う。どうやらドア横に置いてあるホワイトボードにレッスン予定を書き込んでいるようだ。
今日は休日だからかレッスンの予定はみっちり入っている。
「聞いたぞ。昨日の撮影は上手くいったそうだな」
「あ、はい。頼りになる先輩がアドバイスをくれたので、なんとか……」
「そうか。手を貸してくれる人がいるというのは幸せだな。大切にするんだぞ」
「はい。ところで、プロデューサーさんはまだ来ていませんか?」
「朝食を買いにコンビニに行ったな。そろそろ戻るはずだ。っと、これでよし」
聖が予定を書き終わるタイミングと同じくしてプロデューサーがビニール袋を手に戻る。
「お、智絵里早いな」
「おはようございます、プロデューサーさん」
「おはよう。昨日はぐっすり眠れただろ?」
「はい。ぐっすりでした」
智絵里が爆睡と表現できるほどにぐっすりと寝たのは久しぶりで、それだけ初仕事の重圧が肉体的精神的にあったのだと思う。1歩くらいは踏み出せたのではないだろうか。
「ならばよし……ふあぁぁぁーあ」
大きなあくびをしながら彼は自分のデスクへ袋を置き、どさりと椅子に腰かける。よく見ると目の下に隈もあり、着ているシャツもよれている。
「あ、あの」
「どうした智絵里……ああ、振り返りをやるって言ってたな。ちゃちゃっと食うから待ってて」
「えと、ごはんはゆっくりでもいいです。その、徹夜したんですか?」
「うん」
ちょっとした不安が智絵里の胸をよぎる。
「そ、それはその、き、昨日の撮影で私が手間取ったせいですか?」
プロデューサーの徹夜の原因は昨日のあの撮影での対応のためではないか、と思ってしまう。
返事を待っていると、彼は一瞬智絵里へ目線を向けたがすぐにコンビニの袋へ戻した。手を突っ込み、おにぎりを取り出す。
そして、きっぱりと言う。
「違うよ」
プロデューサーの明確な返事は、智絵里の不安を易々と砕き、代わりに安堵が胸に広がっていくのを感じる。
「考え過ぎだよ。昨日少しだけスタッフと立ち話したけど、最後の方はいいのが撮れたってさ」
「そ、そうですか……良かったぁ」
「少しずつ自信を付けていくのが、智絵里の今後の課題かな。ですよね、聖さん」
プロデューサーが聖に振る。
「ああ、その通りだ。自信のないダンスは下手くそに見えてしまうからな。その点、智絵里はまだまだだ」
「うっ、はい。がんばります……」
「まあ気にしすぎてもしかたない。まずはとにかく基礎を積むことに集中するとしよう。ダンスは基礎が命だからな、そこは手を抜かないぞ」
「よ、よろしくお願いします……っ!」
「うむ、やる気があってよろしい」
そのとき、不意を付くようにドアが乱暴に開けられた。ばん!と大きな音が室内に響き、人影がささっと飛び込んでくる。
「「「お、遅くなりました(にゃ)!?」」」
肩で息をする人影は卯月、かな子、みくの3人だった。その後ろには蘭子がいて、彼女は焦ることなく涼しい顔で入室する。対して3人は汗をかくほどに急いでいたようだ。
「ごっほごっほ……!? あぅっはぁ……!?」
「大丈夫ですか、プロデューサー殿!?」
驚きのあまり食べてたおにぎりを喉に詰まらせかけているプロデューサーの背を聖がさすりながら問いかける。
「お前たち、どうしたんだいきなり。ドアが壊れてしまうぞ」
「いや、その遅れちゃいそうだったので……」
「レッスンの時間まではまだ十分にあるぞ」
「それは、まあ、そうなんですけど」
手の甲で汗を拭ったかな子がちらりと智絵里のほうへ視線を向ける。
「ふぅぅー、あー、死ぬかと思った。あ、聖さん、ありがとうございました。落ち着きました」
「いえ。ところで、プロデューサー殿は何か知っておいでで?」
「ええまあ」
プロデューサーはデスクの引き出しから何か小さな袋を取り出すと、3人へ手招きをする。彼女たちは駆け寄って行って何やら中身を確認する。智絵里も気になったが、さすがに見えない。
「そんな感じになったが、どうだ」
「おお! さっすがプロデューサー、みくのイメージ通りにゃ!」
「ほんとだぁ、綺麗~」
「プロデューサーさん、すごいです!」
その何かは満足のいくものだったようで、3人は感嘆の声をあげていた。やがてアイコンタクトをし合って、智絵里の前にやってくる。
「智絵里ちゃん、これ、私たちからです!」
卯月から差し出された小さな袋を受け取り、中身を取り出してみる。
それは丸く透明な雫型のペンダントだった。中には緑色の四つ葉のクローバーが大小2つ封入されている。
「わ、これって」
「はい。智絵里ちゃん、昨日初仕事でしたよね。すごく不安そうだったから、その時にお守りとして渡そうと思ってたんです。完成まで時間が掛かっちゃって今日になっちゃいましたけどね」
「四つ葉のクローバーも透き通るような緑色ですごく綺麗」
「智絵里ちゃんは四つ葉のクローバー好きだって言っていたので。気に入ってくれました?」
「はい。とっても嬉しいです。これ本当に貰っていいんですか?」
「もちろんです!」
「ありがとう、卯月ちゃん。それにかな子ちゃんとみくちゃんも。私、大切にするね」
手のひらの中のペンダントはなんだなとても温かく感じられた。
「おお、乙女たちの祈りの結晶がその道行きを示すか!(とても綺麗にできてるペンダントだぁ! すごーい!)」
覗き込む蘭子が小難しいことを言っているが、瞳が輝いているから驚いている感じは伝わってくる。
「ふむ、よくできてるな。そういえばさきほど、遅くなったとか言っていたな」
「えっと、本当は智絵里ちゃんより早く事務所に来て、ちょっとしたサプライズ!みたいに渡そうと計画してたんですけど。……あはは」
「が、3人揃って寝坊したと?」
あははと苦笑いをする卯月に聖は確信に近いものを持って言った。
「まあ……はい」
「理由はなんだ?」
聖が詰める。
「友達と長電話しちゃって夜更かしを……」
と卯月。
「昨晩、お菓子作りに熱が入ってしまって……」
とはかな子の弁。
「ね、ネコチャンは気まぐれなので……」
みくは単なる寝坊のようである。
聖は1つため息を付くと口を開く。
「まったく。アイドルたる者、体が資本だぞ。健康維持にはできる限り規則正しい生活を送る必要があるからな。ふーむ、お前たち、少したるんでるんじゃないか。よし! 今日のレッスンはいつもより厳しくいくぞ! よろしいですか、プロデューサー殿」
3人は彼に聖を止めてくれるという期待のまなざしを向けていたが「はーい、OKです」との返事にがっくりしたようだ。
「「「ええ!? そんなぁ~!?」」」
3人が情けない声をあげるそんな賑やかな場面で、智絵里はペンダントを首に掛けてみる。
「似合うじゃないか」
「えへへ、ありがとうございます。プロデューサーさんも手伝ったんですか?」
「手伝ったというか材料の調達と製作、仕上げは私。デザインは卯月たちだよ」
「じゃあ徹夜って」
「おおむね智絵里の想像通りさ。まあ、智絵里が喜んでくれているから良かったよ」
このペンダントを作るために徹夜したのは間違いだろう。
「ちなみにクローバーの葉っぱはうっすらグラデーションになってるぞ。ふっ、そこは私もこだわったからな」
得意気なプロデューサーに言われるがまま、光にかざしてみると、確かに葉の内側から外側にかけて緑のグラデーションになっている。
「ペンダント、ありがとうございます。これからアイドルも頑張るので、よろしくお願いします」
「ああ、期待してる。さーて、歯磨いて仕事するかぁ」
軽めの朝食を終えたプロデューサーは肩を揉みながら立ち上がろうとする。
「あの、プロデューサーさん、ちょっとだけ肩たたきをしてもいいですか?」
「得意なの?」
「はい。お父さんやお母さんによくやってあげるんです。上手だねって言われるんですよ」
「そう。じゃあ頼むよ」
「えへへ、はい!」
こうしてまた智絵里の新しい1日が賑やかながらに始まるのだった。
* 【6】 *
『もしもし、お母さん、どうしたの?』
『智絵里。雑誌、見たわよ。随分と見違えたじゃない』
『そ、そうかな?』
『小さい頃の智絵里は、写真は嫌々って駄々をこねていたのよ。そこから見ればかなり変わったわ。お父さんなんて感激してさっそくスクラップブックにしてるわよ』
『は、恥ずかしいよぉ』
『いいじゃないの。お父さんは智絵里のことが心配で心配でたまらなかったみたいなんだから。アイドルとしてちゃんとやっていけてるのかって346プロのSNSを毎日チェックしてるのよ』
『ええっ?』
『それだけ大切に思われてるってこと。あ、そうだ。1つ聞きたいことがあったのよ』
『……? 何?』
『智絵里がアイドルになろうと思ったきっかけ』
『それは……』
『あなた、あんまりテレビとか見ないし、音楽もクラシックとかが多いでしょ? だからちょっと気になったの。まぁ今時の若い子はネットかしら』
『えっと、オーディションのことを知ったのは雑誌なんだけど……その』
『どうしたの?』
『聞いてくれる?』
────────
『そう……あの時の会話が聞かれていたのね。まずは、ごめんなさい。智絵里を傷付けるつもりはなかったの』
『う、ううん、別に怒ってないよ』
『でも辛かったでしょう?』
『それは……うん』
『軽はずみな発言をした私が悪いわ。ごめんなさい。お父さんにもね、叱られちゃったわ。智絵里の努力を見ないとって』
『うん』
『きっかけになったでしょなんておこがましいことは言わない。ただ、お父さんも、そしてお母さんもね、あなたの活動を応援してる。それだけはわかって欲しいの』
『うん』
『智絵里が決めた道だから、私たちには応援することしかできないけど、何かあったら頼っていいからね。あなたが産まれたときから応援しているファンたちとして、いつまでも味方よ』
『……う゛ん』
『もう、泣き虫なところは相変わらずね。ほら鼻かんで』
────────
『じゃあそろそろ切るけど、そっちはどう?』
『たくさんの人に助けてもらいながら、なんとかアイドルやれてる』
『なら良かった。人に頼って頼られて、それが人生よ。ふふ、どう? お母さん考案の名言よ』
『いい言葉だなって思う。年の功だね』
『……今のグサリと来たわ』
『ええっ!? ご、ごめんなさいお母さん!』
『大丈夫、気にしてないわ。体に気を付けて、がんばりなさい。もし仕事の都合でそっちに出張に行ったら、ご飯でも食べながらゆっくり話を聞かせて』
『うん! えへへ』
『じゃあね』
『お母さんもね』
そうして智絵里は通話終了を押した。