プロデューサーはじめました。   作:テラリウムA

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4話 スターダスト・メモリー

 新しい朝がきた。希望の朝となればいい。

 

 346プロダクション30階にあるアイドル部門プロジェクトルームにプロデューサーはいた。ちひろはまだ出社していない。

 

 時刻は朝の8時。天候は晴れ。インスタントコーヒーがうまく感じられるような爽やかな朝晴れだ。

 

 本日は水曜日で、学校がある凛たちがここに来るのは放課後になるだろう。さすがに授業ほっぽりださせるわけにもいかない。学業も重視するのが上の方針だ。

 

 さて、駆け出しアイドルたちが来るまでにやらねばならない仕事はいくつかあるものの、先だってはトレーナーの確保だろう。

 

 アイドル部門を創設するに当たって、レッスンを行うトレーナーは絶対に必要である。

 

 当然、ここアイドル部門にもトレーナーを雇う予定だった。

 

 しかし、そのトレーナーが交通事故に遭ったという連絡があったのが一昨日である。

 

 命に別状はなかったものの、トレーナーを続けられない怪我を負い、残念ながら仕事を断られてしまった。

 

 命が助かったのは大変に喜ばしい。が、トレーナーがいないと大変に困ることもまた事実だ。

 

 常務や部長と相談し、新たに雇用すると結論が出た。

 

 幸い、その彼女にはアテがあるらしく、明日の午前中に会えるよう手配してくれた。

 

「おはようございまーす」

 

 朝から眼に刺激の強い蛍光グリーンのスーツに身を包み、ちひろが出社してきた。

 

「ちひろさん、おはようございます」

「プロデューサーさん早いですね。あ、そういえば明日でしたね、トレーナーさんと会うの」

「えぇ、もうそれで頭いっぱいでしたよ。事前にもらったメッセージで、一時期一緒にレッスンを指導していたそうで彼女なら信頼できるから大丈夫だろう、と」

「どんな人なんでしょう?」

「厳しくも優しいタイプで、名前は青木聖さんだそうです」

 

 

 * * *

 

 

 はぁ……、と思わずため息が出てしまう。ため息は幸せが逃げるというが、本当なのだろうか。順序が逆ではないかと思いつつも検証する気は起きない。

 

 青木聖はロッカー内の小物を手に取った。

 

 彼女は今、職場である芸能事務所スターダストの更衣室にいる。

 

 設立から5年という比較的新しい事務所だが、今月をもって閉鎖となることがさきほど社長から伝えられたのである。

 

 呼び出されたとき、いつもはうざいくらい構ってくる社長がどこかよそよそしく、ああ何かあったんだとすぐにわかる態度だった。

 

 レッスン計画を立てるため30分ほど早めに出勤していたものの、現状の説明と解雇の話でその時間は消えた。

 

 正直にいえば、ここ最近の不穏な空気はなんとなく感じ取ってはいた。

 

 所属のアイドルたちはピリピリしているし、スタッフたちには重苦しい空気が漂っているし、社長もどこかに電話を掛けまくっていたから。

 

「聖さん」

 

 すべての荷物やパソコンのフォルダを片付け終わり、更衣室を出ようとしたときに呼び止められる。

 

 顔を向ければ聖が担当していたユニットが神妙な面持ちで立っていた。

 

「お前たちか。どうした」

「最後にちゃんとお礼を言いたくて。今までありがとうございました。厳しいレッスンだったけど、楽しかったです」

「そう言ってもらえると嬉しい。お前たちはどうするつもりだ」

 

 彼女たちの顔が険しくなる。

 

「私たちは、引退することにしました。もともと人気もなかったし……。今日から普通の女の子です!」

 

 にっこりと彼女たちは笑う。

 

 3年もレッスンに付き合っていればそれらが作り笑いだと明白にわかる。

 しかし、聖はそれを指摘せずに、そうか、とだけ返事をした。

 

「じゃあ、聖さん。さようならです」

「あぁ、さよなら」

 

 彼女たちが目尻にうっすら涙を浮かべるのを見てみぬ振りをして聖は事務所を後にした。

 

 

 

 

 ガタゴトと電車に揺られて自宅マンションへの帰路につく。10時過ぎの電車は、今日が休日だからか、人は多めだ。

 

 ガヤガヤと話し声にあふれるこの場で、自分だけがひとりぼっちになってしまった感覚に襲われる。まるで世界から切り離されてしまったように。

 

 会社が潰れるなんてことはきっと日本中で毎日起きているんだろうけど、いざ自分に降りかかるとそれなりにショックだ。まさかと思わざるを得ない。

 

 そうこうしているうちに最寄り駅に到着した。人の流れに身を任せて改札を出る。

 

 マンションまでは徒歩15分程度の距離だ。寄り道せずに向かう。

 

 オートロックの暗証番号を入力してドアを開け、ロビーを通ってエレベーターに乗った。

 

 7階で降りて自分の部屋に向かう。正確には姉や妹たちと一緒のだが。

 

 解錠して、ただいまも言わず玄関に入る。靴は1足だけ。これは妹の明のものだ。

 

「あれ? 姉さんどうしたの?」

 

 リビングに入ると、テーブルで書き物をしていた明が振り返った。

 

「あ、あぁ。いやその、ちょっとな」

 

 明は不思議そうな顔で、きょとんと首を傾げた。

 

 さらりと目線を外しつつ足早に自室へ行く。ドアを閉めたとき、ようやく一息つけた気がした。安全圏にいる安心感は心強い。

 

 ベッドに寝転がる。仕事がなくなってしまった今、聖は無職だ。さてこれからどうしたものか。まずは求人を……。

 聖は安堵につられて寝息をたて始めた。

 

 

 

 

 誰かが聖を呼んでいる。体を揺すってもいるようだ。

 

「おい。おい聖。起きろ」 

「んー……んぁ? 姉さん?」

 

 そこにいたのは聖の姉である麗だった。

 

 気付けば、空は赤と薄暗さが絶妙に混ざっていて、いつの間にか太陽が沈み始めている。

 

 帰宅したのが11時ちょっと前だったから、かなりの時間寝ていたことになる。

 

「ようやく起きたか。ったく」

「何か用?」

 

 寝ぼけ眼をこすりながら要件を尋ねる。

 

「お前、何かあったんだな?」

「えっ、あ、いや、ただ今日は疲れがたまってたから早退を……」

 

 聖はとりあえず取り繕ってみたものの、わずかな顔の強ばりを麗が見逃すわけなかった。

 

「ほぉ? ならちょうどいいタイミングだ。リビングに来い。今すぐにだ」

 

 麗に言われるがままベッドを降りてリビングに向かう。明の姿はない。買い物にでも行ったのだろう。

 

 テーブルにつき、ぼうっと待っているとキッチンで作業をしていた麗が蓋付きカップを持ってくる。

 

「お前は運がいい。今ちょうど疲れにきくドリンクを考えていたところだ」

「えっ」

 

 にかっと笑う麗だが、その手にある形容し難い色のドリンクを見れば嫌な予感しかない。

 

 麗の趣味は様々な効力を持つドリンクを配合することだ。本人は実際に毎回飲んでうまいと思っているらしいが、試飲させられる3人の妹たちからはクソマズだという評価でいつも一致している。政府は一刻も早く劇物指定するべきではないだろうか。

 

「ほら、飲んでみろ。パーっと疲れが吹っ飛ぶぞ」

(の、飲みたくない……!)

 

 飛ぶのは意識なんじゃないか。麗と特製ドリンクの間で交互に視線を移していた。やがて姉の早く飲めという無言の圧力の前に聖は屈した。

 

「ええいままよ!」

 

 ドリンクを一気に飲み干した。

 

「フッ、どうだ?」

(マ、マズゥゥゥゥゥゥゥ……!?)

 

 どや顔の麗には悪いが、味はこの世のものとは思えないほどに不味かった。もはや何を入れればこんな味になるのか不思議なほどだ。いや、これも一種の才能か。

 

「ま、まあまあだなぁー。ハハハ」

「ふむ。そうか。にんにくとチョコを多くし過ぎたか」

 

 これ以上ここにいたら、とんでもない材料が判明しそうで怖い。真実を知る前に早く部屋に戻らなければ。

 

「部屋に戻るよ」

「待て」

 

 ゆっくりと立ち上がった聖を麗が引き止める。

 

「まだ話していないことがあるだろう」

 

 適当にはぐらそうとも考えたが、麗はまっすぐ聖を見ている。視線は決して揺らがない。

 

 姉の勘はよく当たるし、もう逃げ切れないと観念して座り直した。

 

「実は……」

 

 事情をすべて説明する。

 

「そうか。スターダストが。最近、人気が出始めてきたアイドルが突然移籍してたしな」

「……」

「別にお前を責めてるわけじゃない。こういうのはよくあることだ。落ち込み過ぎるなよ」

「あぁ」

「ま、休みをもらったと思っておけ。家にずっといるのは勘弁だがな」

 

 聖は黙ってうなずく。

 

「ドリンクもう一杯いるか?」

「いらない」

「そうか。飲みたくなったらいつでも言えよ」

 

 天変地異でも起こらないとそれはないだろうと聖は思う。

 

「ただいま~。あれ姉さんたち、どうしたの?」

「明か。おかえり。これはあれだ。聖の人生相談というやつだな」

「ふぅん。あ、今日は聖姉さんの好きなハンバーグにしたからいっぱい食べてね」

 

 買い物袋を下げた明はすとすととキッチンに入って、テキパキと夕飯の準備を始めた。

 

「明にもお礼を言っておけ。お前の様子がなんとなくおかしいってLOINEしてきたんだからな」

 

 聖はハンバーグづくりを手伝おうと立ち上がり、その前にトイレに行って、出すものを出したのだった。

 

 

 

 

 芸能事務所スターダストが本当に散ってしまってから明日で2週間になる。

 

 求人サイトで探した会社に履歴書は送ってみたものの、良い返事はもらえていない。

 

 このまま無職継続になるのだろうか。趣味のデイトレードでも損したしなんかうまくいかないなぁ。

 

 そう思うと、もう何度目かの長いため息が出てしまう。

 

「もー、ちょっとお姉ちゃん! さっきからため息ばっかりして! やめてよね!」

 

 ぷりぷり怒るのは、テーブルの向かい側に座る慶だ。専門学校に通う19歳で4姉妹のうちの末っ子である。ちなみに長女が麗、次女が聖、三女が明、四女が慶となっている。

 

「あぁ、すまない」

「朝からどうしたの? 仕事決まんないから?」

「いや……昨日、デイトレードで損しただけだ」

 

 額はこの場では言えないが、大金であることには違いない。

 

「ふーん、でいとれねぇ。ま、私にはよくわからないけど、暇ならここ教えて!」

「ん? どこだ?」

 

 ノートパソコンを閉めて、慶が差し出した教科書を見やる。

 

「あぁ、これか。これはここがこうなるからこうなって」

「だからこうなるってこと?」

「そうだ」

「さっすがお姉ちゃん! ありがとっ!」

 

 慶は奪うように教科書を取ると、ノートに何やら書き込み始める。5、6行ほど文章を続けるとパタリとそれを閉じた。

 

「んー、課題終わったぁ! あ、そうだ! お姉ちゃん、一緒に買い物行こっ!」

 

 慶はテーブルを叩くように手をつき言った。

 もちろん聖も答える。

 

「嫌だ」

 

 と。

 

 

 

 

 ショッピングモールは週末と変わらず人が多い。1人で、カップルで、親子で、様々いる。平日なのに暇を持て余しているのだろうか……。

 

「うぐ」

「……? どうしたのお姉ちゃん?」

「いや、なんでもない」

 

 華麗なるブーメランの直撃に勝手にダメージを受ける聖は、なぜこんなことにと数十分前を思い返す。

 

 買い物に付き合って。荷物持ちして。

 

 そんな慶にきっぱり断ったのに、アウトドア派の末の妹は圧しが強く、ずるずると付き合う羽目になったのである。

 

 インドア派の聖には、慶のパッションオーラはまぶしい。

 

「よし、まずはあそこだ!」

 

 目を輝かせて駆け出す慶を聖も追いかけた。

 

 

 

 

 2時間後、聖と慶はファミレスにいた。

 

 慶があっちへふらふら、こっちへふらふらするので最近運動不足ぎみの聖はすっかりバテていた。若さについていくので精一杯だ。ありとあらゆる店を巡り、ようやく一段落したらしい慶はファミレスに入ったのである。

 

 席につき注文を済ませ、聖はぼうっとスマホをいじる。通知も着信もなし。

 

「ねぇ、お姉ちゃん」

「なんだ」

「トレーナーってさ、なるの難しい?」

 

 聖はスマホから目線をあげて慶へ向ける。その表情はどこか暗い。

 

「藪から棒にどうした?」

「いや、その。お姉ちゃんがいた事務所、潰れちゃったんでしょ? 私の先輩にも結局普通に就職した人が多くて。それで、ちょっと聞いてみたんだ」

 

 芸能事務所や養成所のトレーナーを目指す人は多いが、枠が少なくあぶれる人が出てしまうのが現実である。

 

「まぁ、そうだな。トレーナーになれない人のほうが多いのは確かだ。私は運良くスターダストに入れたが、同期のほとんどは無関係な所に就職している」

「やっぱりそうなんだ。お姉ちゃんはまたトレーナーとして働くの?」

「そのつもりだ」

 

 無邪気な笑顔の子供が傍の通路を走り抜けていく。母親が後を追う。

 

「不安なのか?」

「まぁ、お姉ちゃん見てたらね。あっ、別にお姉ちゃんがクビになったことは関係なくて……いや、ない訳じゃないけど。とにかく、少し不安になったんだ」

「お前の不安もわかる。私みたいに事務所が潰れることだってあるからな。こればかりはどうしようもないが、まず第一歩として勉強をしろ。サボるなよ」

「それはちゃんとしてますー」

  

 口をとがらせる慶の表情は少しだけ和らいだ気がした。

 やがて注文した料理が運ばれてきた。慶はカルボナーラを、聖はハンバーグセットだ。

 

「お姉ちゃん、トレーナーってさ、楽しい?」

「ああ楽しいぞ。どうしたら望む動きをできるか、どう声を出すか、を考えていると楽しいと感じる。担当の子たちと二人三脚でやっていく感じだ。うまくいけば嬉しいし、ダメなら悲しい。それら全部ひっくるめてトレーナーというのは楽しいんだ」

「そっか。お姉ちゃん見てたら本当に楽しいんだなって思ったよ。ありがとう」

 

 慶はにこりと微笑むとカルボナーラをぱくりと1口頬張り、美味しそうに舌鼓を打ったのだった。

 

 

 * * *

 

 

 末の妹とショッピングモールに出掛けた日からいくつか日をまたぎ、聖は赤提灯のよく似合う都内某所の居酒屋にいた。

 

 外見は年季が入っていらが、内装はそれを感じさせないほどに整えられて綺麗だ。厨房はもちろんのこと、のれん、座席、椅子などに埃や汚れはまったくない。掃除も丁寧なようである。しっかり管理が行き届いているのが見てとれる。

 

 お座敷に通され、タッチパネルでとりあえず生2つを注文し、メニュー表を眺めていると、対面に座る女性が嬉しそうに言う。

 

「この居酒屋、1人で来るには少しハードルが高かったのよね」

「そうか? いたって普通の居酒屋だと思うが」

「雰囲気よ、雰囲気」

 

 対面の彼女は聖の同級生で、名をみくるという。

 

 そもそもここに来ることになったのも彼女から誘いを受けたからというのが理由だ。

 

 ショッピングモールに行ったあの日、ファミレスを出たところでばったり再会し、少しの立ち話のあと、LOINEを交換して別れていた。

 

 そして今日、一緒に飲みに行こうとメッセージが来たのだ。

 

 運ばれてきた生ビールで乾杯をし、2人揃って豪快に傾ける。喉を通るときの刺激がたまらない。

 

「ぷはぁ~……。やっぱ酒は生に限るわね!」

「生ビール好きは変わらないな」

「そりゃそうよ。このために生きてるって言っても過言じゃないわ!」

 

 1拍置いてまた飲み始め、みくるは速攻でジョッキを空にした。

 

「しかし、また聖と会うなんてね。一緒に仕事してたときはこうして2人で飲みに行ってたのが懐かしいわ」

「そうだな。お前がスターダストを辞めた日が最後だ。あれから上手くいってるようだな」

「まーね。忙しくて忙しくて大変だったけど、やりがいはあったわね。これでも私やり手よ?」

「ああ、名前は私のとこまで聞こえてるぞ」

 

 みくるは今、ダンスの専属トレーナーとして活動している。スターダストを辞めたあと、別の有名なトレーナーの下で学びながら技術を磨いている。

 

「そっちは? スターダスト潰れたけど」

「私か? 就活中だ。まだ成果はないが」

「そっか。聖なら大丈夫よ。ちゃんと見つかる」

「お得意の勘か?」

「違うわ。アンタが担当していたユニット、1回フェスで見たのよ。細かいところまで指導されてたし、なにより聖の好きな振り付けもちゃっかり入ってた」

「わかったのか?」

「もちろん。伊達にトレーナーやってないんだから」

 

 比較的有名なフェスといっても、そのユニットに割り当てられたのは一番隅にあるステージだった。客の入りはかなり微妙だったと聖は聞き及んでいる。知名度が無に等しいのだから仕方がない気もするが。

 

「すごいな、みくるは」

「いきなり何よ。湿っぽいじゃない」

「私なんてまだまだだ。すっかり立ち止まってしまっている。はぁ、まったく、自分が情けない」

 

 聖は残りのビールを一気に飲み干す。からあげと生ビールを追加注文し配膳まで待つ。

 

 アルコールがまわり始めた頭は、理性のコントロールを失っていく。思ってもみないことがぽろりと口から出てくる。

 

「っく。私にはトレーナーとしての才能がないんだ。だかりゃ、あいつらも売れずに……」

「酒に弱いのは相変わらずね」

「私は弱くない! 酒がまわりやすいだけだ」

 

 呂律が1割ほど悪くなってきたことに気付かず、聖はたまらず否定する。説得力はない。

 

 からあげと追加のビールが到着する。

 

「ほーら、からあげよ」

 

 話題を変えるため、ねじ込むようにからあげを聖にくわえさせる。もきゅもきゅと咀嚼する姿はリスのようだ。

 

「うまいな。もう1個!」

「はいはい。あーん」

 

 今度は大きめのを1つ。ごくりと大きく喉を鳴らして飲み込んだ聖は、みくるに食べさせた。

 

「あ、おいしいわね!」

「んフフ。だろう?」

「アンタが作ったわけじゃないでしょ」

「だがわたひが食べさせた!」

「えぇ、そうね。さ、まだあるわ。どんどん食べましょ。昔みたいに」

「まじゃまじゃ、わらひは若い!」

 

 そうして、また聖がからあげを頬張ったところで記憶は途切れた。

 

 

 * * *

 

 

 居酒屋で飲み明かした日の翌日は大変だった。

 

 玄関先で胃の中身を吐き散らかした後片付けをした明には『弱いのだから飲み過ぎないように』と諭され、ベロベロに酔っ払った聖を部屋まで連れていった慶に『ふらふらし過ぎて大変だった。あと酒臭かった』とぶつくさ文句を言われ、酔いざましとして出された麗の特製ドリンクを吹き出してクソマズいと本音を言ってしまい姉を傷付けた。

 

 あれから今日で1週間だ。

 

 何度か面接に行き結果が判明せずやきもきしている。のはいいとして。

 

 聖はスマホのLOINEを開き、通知が来ていないか確認する。

 

 みくるの返事はない。

 

 誘われて飲みにいった翌日からメッセージを送っても返事がこないのだ。忙しくて返信する暇がないのかと考えもしたが、既読すら付いていない。

 

「あ、犯人捕まったんだ」

 

 テレビを見ていた明がつぶやく。聖も釣られてそちらの画面に視線を向ける。

 

 それは数日前に赤信号を無視して交差点に侵入した車がタクシーに衝突し、そのまま逃げた事件の続報らしい。運転手は死亡、乗客の女性も一時重体とされたが命は助かったとアナウンサーは言っていた。

 

「こういうの見ると車って怖いなー」

「慶も免許取ったんだから気を付けてね」

「わかってるよ明お姉ちゃん。どっちかっていうと麗お姉ちゃんのほうが危ない運転するんじゃない?」

 

 妹2人が車の運転で盛り上がる中、聖はじっと画面を凝視する。

 

 女性は20代で、事故が発生したのは飲みに行ったまさにその日である。

 

 まさかな。聖は心の中でつぶやく。

 

 世の中にあの日飲みに行っていた20代の女性が何人いると思うのか。どう考えたってみくるである恐れは限りなく低い。

 

(考えすぎか。少し散歩でもしてくるか)

 

 椅子から立ち上がり背筋をぐぐっと伸ばしたとき、テーブルの上のスマホに1件の通知が表示された。

 

 それはみくるからで、内容はいたって簡潔だった。

 

『聖マリアン病院。503号室』

 

 聖の背中を嫌な汗が一筋すうっと流れたのだった。

 

 

 

 

 病院には独特な匂いが充満していると昔から感じている。薬品だけじゃなく、様々な生きる人の苦痛や悲しみ、怒りなんかも混ざっているかもしれない。薬品だけならばこの独特さは再現できないだろう。

 

 聖は聖マリアン病院の503号室のドアの前で立ち尽くしていた。

 

 このまま帰ろうかと思ったが、ここで会わなければもしかしたら次はないかもしれない。

 

 5分ほどうろうろしてから、決意を込めて3回ノックをする。

 

 案外、転んで足を骨折したとかかもしれない。充分にあり得る。

 

「どうぞ」

 

 ドア越しにみくるの声が聞き取れたので、入室する。

 

 病室は個室でベッドとベッドテーブル、丸椅子がいくつか、それに床頭台だけとこざっぱりしている。

 

 ベッドテーブルの上にはフルーツの盛り合わせが置かれていた。すでに誰かが来訪していたようだ。

 

「連絡がないから来ないと思ったわ。椅子、ここにあるわよ」

 

 はっきりとした口調で座るよう促してくる彼女ではあるものの、その姿はただただ痛々しい。

 

 頭には包帯を巻き、右足はギプスで固定、頬や腕にもガーゼが貼ってある。それだけ大きな出来事に巻き込まれたのだと一目で理解できるほどに怪我をしていた。

 

「あぁ。その、大丈夫か?」

「これが大丈夫に見える? 全身傷だらけよ?」

「あ……すまない」

「……ちょっと。暗くなりすぎよ。いつものハキハキした聖はどこいったのかしら。もしかして、1杯引っかけてきたわけ?」

「引っかけてない! あ、大声を出してしまってすまない」

「謝ってばっかりね」

 

 みくるは視線を伏せる。一瞬だけそれが彼女の右手に移ってから、フルーツの盛り合わせに向かう。

 

「食べたいのあったら持って帰っていいわ。あいにくフルーツがあっても包丁がないのよ」

 

 残念そうにみくるはフルーツを視線で愛でる。

 

「ところで、私に何があったのか聞かないのね。まぁ概ね想像の通りだけど。テレビ見たならざっくりとわかってるでしょ」

「やっぱり飲み会の帰りにあの事故に?」

「そういうこと。いい気分でタクシー乗ってて気付いたら病院のベッドの上なんだもの。驚いたわ。医者が言うには助かったのは奇跡だそうよ。寝て起きただけだから実感ないけどね」

 

 そのとき、みくるのスマホがブーと細かく震えた。小さな電子音が鳴り、画面にはメッセージが表示される。

 

「返事するからちょっと待って」

 

 みくるは左手で懸命にスマホを操作している。一文字一文字を人差し指で丁寧に打ち込み、それは3分ほどで終わった。

 

「お前、右手は使わないのか」

「……」

 

 違和感を覚えた聖の問いかけにみくるは沈黙した。やがて、仕方ないとでも言いたげな顔つきで口を開く。

 

「やっぱり気付くね。私の右手さ、ほとんど動かなくなった。リハビリしても動くかどうか」

 

 聞かなければ良かったと聖が後悔しても時すでに遅し。たとえ数十秒であっても過去には巻き戻せない。

 

「事故にあったとき、頭を強く打って急性硬膜下血腫になったらしいの。幸い手術は成功したけど脳に障害が残って、右手はほとんど力が入らないし、右足は感覚がまったくない。右足はひどく折れてるらしいけど痛みはまったくないわ。運がいいのか悪いのか……わからないわ」

 

 聖はなんと言ったらいいのかわからなかった。

 

 体が不自由になってしまった友人にどう声をかけるかなんて学校では教えてくれなかった。自分の頭で考えるしかない。

 

「お前はどんなになってもお前だから、その、元気だせ。私にできることならなんでもする。あ、できる範囲で、だからな」 

「あら、いろいろ頼もうと思ったのに」

「あまり無茶苦茶なのはやめてくれ」

「残念」

 

 からかうようににやりと笑うみくるに聖は呆れ半分安堵半分の気分になる。

 

「でも聖がそう言ってくれるし、うーん、そうねぇ。あ、そうだわ。ちょっとこっち来てくれる?」

 

 左手で手招きをされ、丸椅子から立ち上がり、ベッドのすぐ傍に立つ。

 

「こうか?」

「そう。そのまま抱きしめてくれない?」

「え? 大丈夫なのか?」

「頭は擦り傷だけだから。さ、ほらほら。ぎゅって抱きしめるの。抱擁ってやつ」

 

 みくるに急かされ、聖はおそるおそる抱きしめた。ちょうど胸のあたりに彼女の頭がくる形となっている。

 

「以外と胸あるのね」

「変なこと言うな」

「いいじゃない。女同士なんだもの」

 

 そのままみくるは聖の胸に頭を預けていた。

 彼女の頭をそっと撫でる。一度、びくりと反応したがすぐに落ち着いた。

 

「私……もうトレーナーは無理ね」

 

 ぽつりとこぼしたそれはきっと本音だったに違いない。

 

「そうだな」

「あれだけ積み重ねてきて、ようやくトレーナーとして一人立ちできると思ったのに。何もかも潰えちゃって。なのに、涙の1つもでないのよね。私、本気じゃなかったのかしら」

「状況に驚いているだけだ」

「そうだといいんだけど」

 

 1分ほど経った頃だろうか。みくるが「あ……」と言葉をこぼした。

 

 彼女の頬を1筋の涙がつたう。 

 

「良かった。私、泣けるくらい一生懸命だったのね」

 

 歯をくいしばって泣くみくるが落ち着くまで、聖はずっと彼女を抱きしめていた。

 

 時おり漏れる小さな嗚咽だけが、病室に響いていた。

 

 

 

 

 服こそ汚れてしまったものの、聖は全然気にしていない。これくらいなら喜んで胸を貸すだろう。

 

「すっきりしたわ。ありがとう」

「いいんだ。役にたてて嬉しい」

「そう? じゃあまたやってもらおうかしら」

 

 みくるはティッシュを持つ左手で目元を拭う。

 

「ねぇ、次の仕事は決まったわけ?」

「まだだ。面接には何社か行った」

「トレーナー、続けるんでしょ」

 

 基本的にダンススタジオやダンススクールに応募している。1社だけ事務も受けたが。

 

「もちろんだ」

 

 できるならな、と心の中でだけ付け足した。

 

「ふぅーん。そう。じゃあ、私の後釜やってみない?」

「私がか?」

「この場には聖しかいないじゃない」 

「それもそうだが」

 

 正直言って自信はない。ただでさえ、事務所は潰れ、ダンスを担当したアイドルたちは鳴かず飛ばずで引退していった。

 

「自信なさげね。担当したアイドルが爪痕を残せなかったのは事実なんでしょうけど、ダンスだけできてもアイドルが売れるわけじゃないわ」

「……」

「聖はトレーナーやってて楽しい?」

「ああ」

「即答ね」

 

 みくるは一息ついて話し始めた。

 

「私はまだないわ。楽しいと思ったこと。アンタに負けたくないとは思ってた。覚えてる? まだ私がスターダストにいたときのこと」

「覚えている」

「一緒にレッスンしていたときの聖はすごく楽しそうだった。教えるのは上手だし、振り付けも完璧。羨ましくてたまんなかった。なんとか追い付きたくてスターダスト辞めて先生の下で腕を磨いた。がむしゃらにやって追い付いてやる!って。でも楽しいと思ったことはないの」

「そうだったのか」

「知らなかったでしょ。追い付くことばかりに気を取られて私にはそれがなかったのかもしれない」

 

 みくるは聖の瞳をしっかり見つめる。

 

「トレーナーを楽しめるんだから続けるべきよ。私にはもうできないけれど、聖にはできる。先方には断りを入れるけど、そのときに話通しておくわ。どうする?」

「その、いいのか」

 

 聖にとってはすこぶる良い話だ。ダンストレーナーを続けられる可能性がぐっと高まる。

 

「いいに決まってるじゃない。私はもうこんな体になってしまって現実的に無理よ。リハビリもまだこれからだし。それに、聖になら後をお願いできるわ」

「私にか?」

「そうよ。あ、理由は聞かないこと。ま、ただの勘なんだけどね」

 

 みくるは眼で判断を迫る。

 

「……わかった」

「うん。任せて。私の分までしっかり頼むわよ。いつまでも浮かない顔してたら承知しないんだから」

 

 みくるは今日はじめてにかっと笑った。何度も見ているはずなのにどこか懐かしく感じる笑顔だった。

 

「お前の分まで頑張るから」

「その意気よ」

「ちなみに先方はどこなんだ?」

「聞いて驚きなさい。なんと346プロよ!」

「え」

 

 みくるは少し大袈裟に芝居がかった仕草で意気揚々と告げた。

 

 聖は驚きのあまり数秒固まったのだった。

 

 

 * * *

 

 

 スーツにビシッと身を包んだ聖は346プロに到着した。なぜなら今日が初出社だからである。

 

 みくるからLOINEで346プロの担当が会ってくれることになり、カフェで会ったのだが、そこからあれよあれよと話が進み、拍子抜けするほどあっさり採用された。

 

 あまりの進み具合に不安すら感じたが担当は『私の勘はよく当たる』などと言い、問題ないと話した。

 

 そして今日から出社となったのだ。

 

 346プロといえば言わずと知れた大手。誰もが聞いたことのある俳優やモデルが所属しているし、ビルの大きさも施設の充実具合も聖のいたスターダストと比べると月とスッポンだ。いやミジンコかもしれない。

 

 そういえば最近アイドル部門が正式に稼働したと小耳に挟んでいた。

 

 まさか自分がそこに入るとは思わなかったが。

 

 受付を済ませ、ひとまずゲストカードでセキュリティを通る。エレベーターで30階まで上がる。そのフロア丸々アイドル部門だという。

 

 籠の扉が開くとそこは静寂に包まれていた。

 

(まだ3人しかいないって言ってたな)

 

 現時点で所属するのはまだ3人だけだという。その子たちにダンスレッスンをするのが聖の仕事だ。

 

 廊下の突き当たり、ドア越しに話し声が聞こえてくる部屋があった。

 

 1回深呼吸をしてドアをノックする。

 

 磨りガラスの向こうに人影がぬるりと現れ、ドアノブがまわった。

 

「お待ちしていました。さ、どうぞ」

 

 プロデューサーである天津が待ってましたといわんばかりに出迎えた。

 

 

 

 

 初めの挨拶を早々に済ませ、聖はさっそく自分のデスクに座る。窓を背にした壁際だ。プロデューサーたちのデスクは右にある。

 

「聖さん」

 

 デスクをいろいろ漁っていると、蛍光グリーンが大変に目立つアシスタントの千川ちひろが書類を持ってそこにいた。

 

「ちひろさん、どうしました」

「担当する子たちの履歴書とか宣材写真をお持ちしました」

「ありがとうございます」

 

 手渡された履歴書を眺める。

 渋谷凛。15歳。歌、ダンスともに経験無し。

 島村卯月。17歳。養成所でのレッスン経験あり。

 本田未央。15歳。凛と同じく経験無し。

 

「どうですか?」

「ふむ。まずは基礎レッスンからですね。当面は難しいダンスは避けてスタンダードなものを中心に3人で合わせていく感じで……」

 

 聖は頭の中でどういうレッスンにすべきか構築を開始する。こういった分析は姉妹たちの中では得意なほうだ。デイトレードで擦ったこと? あれは例外である。

 

 やがて、書類を持ったままパソコンを起動させてレッスンの計画書を黙々と打ちはじめる。

 

 

 * * *

 

 

「どうしましたちひろさん」

「聖さん、すっかり集中してますね。まるで私が見えてないみたいですね」 

「寂しいんですか?」

「違いますよ。まわりが見えなくなるくらい熱心にやってくれていて大変頼もしいってことです」

「私の判断に間違いはなかったようで一安心」

 

 仕事姿を見てほっとする2人。

 

「それに、聖さんには受け継いだものがありますからね」

 

 きょとんとするちひろを余所にプロデューサーは熱心にキーボードを打ち込む聖をそっと見守っていた。

 

 

 

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