アイドル。
それは彼女にとってテレビやスマホの画面の向こう側にあって当たり前のものだった。キラキラと輝くステージの上で歌って踊る偶像は、彼女にとっては文字通りの偶像だった。
「未央」
ドア越しに聞こえる母の声に彼女──本田未央は「何ー?」と返事をする。
千葉県在住で、父、母、兄、未央、弟の5人家族である。現在高校1年生の15歳、花のティーンエイジャーだ。
「書類書いといたわよ」
未央はクリアファイルを手に急ぎ足でドアを開けて、母の持つ書類に目をやった。
「おっ、ありがとうお母さん!」
「お父さんにもお礼言うのよ。許可するか迷ってたんだから」
角が折れたり汚れたりしないようにそれらをクリアファイルにしまう。
「うん! あー、私もいよいよアイドルかー!」
「驚きだわ。まさか未央がアイドルになるなんて思ってもみなかったよ。お母さんもテレビ取材とかされるのかしら」
「『美少女アイドル本田未央、その知られざる素顔は!?』みたいな?」
「そうそう」
「もし来たらなんて言う?」
「うーん、そうねぇ。寝相が悪くてお腹出して寝てます、とか」
「そんな恥ずかしいこと言うの!?」
「ふふ、冗談。ほら明日の準備はしっかりしておくのよ。お母さんはお風呂入るから」
母がドアを閉める。足音がリビングのほうへと消えていった。
受け取った書類が納められたクリアファイルを鞄にしまって、明日の準備を完了する。
明日の放課後、彼女は346プロへと行く。手続きを済ませ、正式にアイドルになるためだ。
引き出しを開け、合格通知を取り出して読み返す。もう何度も読み返したからか、端がよれてきている。
そもそもオーディションに応募したのは友人に薦められたからだ。おだてられたともいう。
受かったらどうする?なんて会話のたねにしていたが、まさか本当に合格するとは未央も含めて誰もが思っていなかった。
「ドキドキするなぁ」
緊張と不安で胸の鼓動が少し早いと感じる。
合格が判明したあと、辞退することもできたが、こんな体験は滅多にできないからとアイドルになると決めた。
両親との会議では、母が言っていたように父は初め渋っていたものの最終的にはゴーサインを出してくれた。
「アイドルってどんな感じなんだろう」
わかっているようでわかっていない、今の未央にはそんな曖昧さがアイドルの第一印象である。郵送されてきた書類も慣れないザ・ビジネス文書で読みにくかった。
「とりあえず明日に備えて寝よう!」
そうして未央は室内の電気のスイッチを切った。
* * *
そんなこんなでもう放課後になった。早い。F1カーが通り過ぎる並みの早さである。気付けばもうホームルームも終わっていた。授業の内容も半分くらいうろ覚えだった。今はそれどころではないからちかたないね。
とりあえず学校を出て346プロへ向かわねば。
「未央~」
ここで現れたのは高校に入学してから3番目に友達になった同じクラスの隣の席の友人こと虹菜ちゃんである。本日もサイドポニーが大変可愛らしい。
「今日さ、ライブハウス行くんだけど一緒にいかない?」
「ごめん! 今日は用事があって!」
手を合わせて行けないことを謝罪する未央。
「そっかそっかー。用事があるなら仕方ないなぁ」
「ほんとごめん! 今日は事務所行かないといけなくて。また誘って!」
「オッケー。って事務所? あ、もしかしてオーディションの? すごーい! え、じゃあ今日からアイドルってこと? 芸能人じゃん! 写真撮ろ写真!」
虹菜はスマホのカメラアプリを起動させ、横向きに持ち変える。
「はい、笑ってー。いぇーい!」
「いぇーい!」
シャッターが切られ、写真を確認すると、笑顔でピースをする2人がブレることなく撮れていた。
「よし、ちゃんと撮れてる。いやー、あたしも芸能人の友達ができるのかー」
「まだ気が早いって」
「いやいや、あのオーディションを突破したんだよ。それはつまり才能があるってこと! あ、あたしはファン1号だね!」
「もー、照れるなぁ。でも、ありがとう。私、がんばるよ!」
「その意気! そうだ、時間大丈夫?」
虹菜に指摘されて教室の壁掛け時計を見る。そろそろ出発しないといけなそうだ。
「やばっ! そろそろ行かなきゃ!」
「あたしも引き止めちゃってごめんね」
「ううん。全然気にしないで! じゃ、本田未央、頑張ってきます! また明日ね!」
「うん。頑張れ」
虹菜の激励を受け取った未央は駆け足で教室を後にした。
スマホの画像検索で出てきたのを見ると大したことなさそうなのに、いざ実物を前にすると半端ない迫力だと再認識させられることが稀によくある。
346プロのオフィスビルを間近に見た未央がまさにそうである。
首の稼働範囲を限界まで動かして仰ぎ見るが、それでもこの高層ビルの屋上付近まで視線が届かない。
まるでこれから進むアイドルという道がとてつもなく険しくかつ途方もないと示しているかのようだった。
「うわぁ……でっか」
ただただ息が漏れるような言葉しか出てこない。ひとまず行こう。
未央がいるのは本館やオフィスビルの正面玄関口から左側、1階にあるカフェ側の正門である。ちょうど反対側に駐車場の裏門がある。
「カフェもあるなんて」
そのうち利用しようと思いつつ、カフェを横目に玄関口へ向かおうとすると「そこの君」と呼び止められる。
何事かと声の主を見るとスーツの男性がすぐ後ろに立っていた。
未央はブラックコーヒーが飲めない。香りは好きなのだが、如何せんあの苦さがどうにも慣れない。父も母もそのうち上手いと感じるようになると言っているが、本当だろうか。
さて、346プロオフィスビル1階の1部スペースを間借りして営業しているのが『リコリス』という名のカフェだ。
グレーヘアーの似合う店長はもともと近くで喫茶店を営んでいて、ここの社員たちも足しげく通っていたらしい。
しかし、店の老朽化と区画整理の波を受け、店じまいをしようと考えていたところ、ここにカフェを開くので店長をやってくれないかと打診されたとのことである。
「コーヒーだけで良かったんですか」
「あ、はい」
会話がぼそぼその麺みたいにすぐ途切れてしまう。
じっとしているのが気まずくてミルクとシュガーをさらに追加で入れる。
未央の対面に座る彼こそがプロデューサーだという。オーディションのときもいたから覚えている。
彼は未央が持ってきた書類を確認……することなくスマホを片手に軽食のサンドイッチにかぶりついていた。数分もしないで、それを食べ終わる。
「書類は確かに受けとりました。あとで確認します」
口元を紙ナプキンで拭きながら彼は言う。
「今日これからですが、あとの2人が到着次第宣材写真を撮ります」
「はい」
「あと30分くらいで来ると思いますから、それまでここで休憩してもいいですし、30階のメインルームで待っていてもいいです」
「はい」
何か気のきいた話でもできたらなぁ、と心の中でつぶやく未央。でも話題が浮かび上がってこない。とりあえず今日の日程を話のタネにして広げてみよう。
「えっと、今日はレッスンとかはしないんですか?」
「そうですね。レッスンは明日からになります」
会話の糸が切れて静寂になった。
「緊張してますね」
「あ、はい。ちょっとだけ、いや、結構がっつり」
「初顔合わせですからね。そうなるのも仕方ありません。2人とも優しい子たちだから大丈夫ですよ」
そうなのかな、そうだといいな。
未央は緊張や心配を呑み込むようにコーヒーを1口啜った。
オフィスビル30階から見渡す眺めは、未央の心のわだかまりを吹き飛ばすには充分だった。
「おほぉー!」
どこまでも続く晴れ空、ときおり流れてくる雲は犬にも猫にも見える。ずらりと並ぶ建築物はまるで絨毯のように大きく広がっていて、壮大さを感じる。
「いやー、こんなにいい眺めだなんて」
「気にいったようで何よりです」
「ねぇねぇプロデューサー! 夜景は綺麗?」
「もちろんです」
未央のテンションはますます上がる。
「いいなー、夜景見放題なんて役得だね!」
「そうですね。ちなみに、夜景は残業するサラリーマンによって作られているとも」
「もー、そんな夢のないこと言ってー」
そこで未央はハッとして気付いた。めちゃくちゃ馴れ馴れしく話していたことに。
この眺めを見てついついテンションがあがってしまい、そのままの勢いで話し方を崩していた。
プロデューサーは、表情を窺う限り、怒ってはいなさそうだ。しかし、腹の中では大噴火しているかもしれない。
「あ、あはは……。ごめんなさい! いきなり馴れ馴れしくしちゃって」
「いえいえ構いませんよ」
「怒って……」
「ません」
未央からほっと安堵の息が漏れる。
「私、テンション上がるとつい普段のしゃべり方が出ちゃうんで」
「そうでしたか。はしゃいでる姿は大変に可愛らしかったですよ」
「え!? あ、へへ、そ、そっかぁー。いやぁ、照れますなぁ」
可愛らしいなんて言われたのはいったいいつぶりだろうか。元気がいいとか、パッションにあふれてるとか、毎日フルパワーとかならよくまわりから言われているが。
顔がほわっと赤くなるのを自分でも感じる。この顔を見られるのは恥ずかしい。何か話題をそらさなければ。
「そ、そんなことより! プロデューサーも敬語辞めよう! ほら、私たちこれから一緒に活動していくし、堅苦しくなっちゃうから! ね?」
こんな感じでどうだ、と未央は彼の反応を待つ。
「そうですか? んー、じゃあ、敬語はやめにしよう」
どうにか路線変更できたようだ。
「んん、こんな感じでどうだ、未央」
「うんうん。だいぶ話しやすくなったよ!」
「そういうもんか」
「そういうもんそういうもん」
話題はそらせたし、堅苦しさもなくなくって話しやすくなったし、これは一石二鳥だろうか。
未央とプロデューサーがほんの少し打ち解けたとき、ルームのドアが開けられ、オーディションの際にいた蛍光グリーンの女性が書類を片腕で抱えて入室してくる。
彼女に続いて、長い黒髪のクールな子とふわふわキュートな子も後ろにいた。
ああきっとこの子たちが、未央は直感で理解した。
この場に揃うは5人。
プロデューサーの天津。彼のアシスタントの千川ちひろ。そして、新人アイドルの渋谷凛、島村卯月、本田未央である。
「それでは、今日が初顔合わせのメンバーたちには自己紹介をしてもらう。まずは私、プロデューサーを務める天津で、そして、はい」
「アシスタントの千川ちひろです! トップアイドルになれるよう誠心誠意サポートしていきます!」
ちひろはソファから立ち上がり、両の拳に力を込めて自己紹介をする。やる気メラメラである。メラゾーマくらいあるかもしれない。やけどに注意だ。
「では次、凛」
「渋谷凛です。15歳で、えっと、よろしくお願いします」
「よろしい。卯月」
「はいっ! 島村卯月です! ようやくアイドルになるっていう夢が叶いました! これから精一杯頑張ります!」
「うんうん。じゃあ最後」
プロデューサーがアイコンタクトで『次は未央の番』だと合図する。
「本田未央15歳。高校1年生ですっ! 元気に明るく、トップアイドル目指して頑張りまーっす! 今日からよろしくお願いしまーす」
「よく言った、未来のトップアイドル」
「えへへ」
自己紹介が一通り終わり、全員が一息つく。いよいよアイドルとしての活動がスタートするのである。
「では、アイドルとしての初仕事をこれから行う。それは」
場の空気が一瞬で張りつめる。誰もがプロデューサーの言葉を待っていた。
「宣材写真を撮ること」
* * *
宣材写真とは、宣伝材料用写真のことで、所属する芸能人等を売り出すためにクライアント向けに撮影する。基本的に同じ服装でさまざまなポーズを撮影し、それらを複数枚用意する。
ざっくりすれば、売り込み用の写真だ。
「よろしくお願いします」
「はいよ。任せな」
プロデューサーが挨拶をしたカメラマンは346プロ専属だ。くたびれた容姿とは裏腹に名の知れる人らしい。撮影スタジオでの宣材写真の撮影やHPの施設内写真、公式SNS用の写真までさまざまこなす。
「今回はあそこの3人かい?」
カメラマンが初メイクを体験中の3人を指して言う。
「えぇ、今日からアイドルです」
「見ただけで初々しいもんな。あんたが担当?」
「そうです」
「やっぱりな。まだ少し新人さが残ってる」
カメラマンという職業柄だろうか、よく人のことを観察してるようだ。彼からすればプロデューサーもまた新人なのである。
メイクアップアーティストがメイク完了を告げる。ちなみに彼女も専属らしい。カメラマンといい、メイクアップアーティストといい、346プロの規模の大きさに驚かされる。
「よしきた。じゃあはじめるぞ。誰から撮ろうか?」
「卯月からにします。卯月ー、撮るぞー」
「はい! 島村卯月です! よろしくお願いします」
「はい。よろしく」
卯月が白い背景紙に立つ。さまざまな機材に照らされる彼女に対してカメラマンはシャッターを切っていく。
「そうそう。そんな感じで。撮るぞ」
ポーズを指定しながら──ときに細かいところまで指示して、10分ほどで卯月の写真を撮り終えた。
「ありがとうございました!」
卯月が脇に逸れて、次は未央の番だ。
「本田未央です!」
「はい。そこに立って。さっきの子と同じように撮るから」
カメラマンは声をかけながらシャッターを切っていく。
「いい笑顔だ。はい、そのまま」
カシャカシャカシャ。シャッター音が小気味良い。
「ふむ、これくらい撮ればいいだろう。次の子を」
「ありがとうございました!」
未央も脇に逸れる。最後に凛の番だ。
最初こそ順調そうに思えたが、カメラマンの指が不意に止まる。
「うーん」
何やら考え込んでいる様子の彼にプロデューサーが声をかける。凛も不安そうだ。
「どうしました?」
「いやね、笑顔がぎこちないんだ。彼女、無理してるね。写真見るかい」
「はい」
プロデューサーは一眼レフカメラの画面で撮影したものを1枚1枚確認していく。
確かに彼の言うとおり、凛の笑顔にはぎこちなさがある。作り笑いだと一発で看破されるだろう。
さてどうしようものか、プロデューサーがいろいろ思案している後ろで未央と卯月も心配そうに見守っている。
「凛ちゃん、大丈夫でしょうか」
「笑顔がひきつってるし、うーん、どうしたらいいかなぁ。頑張れ私の頭! なんか絞り出せぇ!」
「私も考えます! むむむ……」
かつて屏風の虎退治で『屏風から虎を出せ』と切り返した一休和尚のように名案を閃かせんとする未央は、その脳みそをフル回転させる。
ポクポクポク、チーン。
そして思い付いた。
「おっ、閃いた。ねー、プロデューサー!」
プロデューサーのもとへ駆け寄る未央に話し込んでいた彼が顔を向ける。
「どうした未央」
「あのさ、クール路線で行ってみるのはどうかな?」
「クール路線?」
「そうそう! 765プロの如月千早も笑顔少ないけど人気だし、無理に笑顔するよりいいんじゃないかなって」
ふむ、顎に手を当てていたが、彼はやがて頷く。
「うん。いいかもしれないな。どうですか?」
「……アリだな。アイドルだから笑顔じゃなきゃダメだと思っていたが、少々視野が狭かったか。それで撮影してみよう」
カメラマンは構えると、凛に無理に笑顔をさせずに撮影を再開させた。
凛はさきほどまでとは打って変わって、自然体でいられている。爽やかな蒼い風でもまとっているかのようだ。
「わぁ、凛ちゃん、すごくクールな感じしますね!」
「そうだな。でかした未央」
「いやぁ、それほどでも……あるかな!」
「そこ、すぐ調子に乗らない」
「てへ」
未央がてへぺろをする中、凛の宣材写真の撮影も無事に終了した。安堵の表情を浮かべる彼女の下に未央が駆け寄っていく。卯月も続く。
「今日はありがとうございました」
「なに、これが俺の仕事だからな。しかし、あの3人は化けそうだ」
「化ける、ですか」
「そうだ。何十年もカメラ越しに被写体を見てるとな、なんとなく人気が出そうかどうかわかるんだよ。あまり心配はいらんな、彼女たちは」
「さすがプロのカメラマンですね」
「伊達にプロやってるわけじゃないからな。ま、ほとんど俺の直感みたいなもんだから、信じすぎるなよ?」
「肝に銘じておきます」
撮影を終えたカメラマンが電源を切ろうとしたとき、『あのー』という未央の声がその場に割って入る。
「みんなで写った写真撮ってほしいんですけど、いいですか?」
「もちろんいいとも。さ、そこに立って」
彼が再び構えるとまわりのスタッフも協力してくれるようだった。凛と未央と卯月がカメラの前に立つ。
「ほら、プロデューサーも!」
「え、私も?」
「みんなでって言ったでしょ! ほらほら」
未央に手招きされ、プロデューサーは少し困惑する。写真には慣れていない。急に緊張もしてきた。
「呼ばれてるぞ」
「あ、はい」
プロデューサーも彼女たちのところへ早足で駆け付け、それぞれが思い思いのポーズを取る。
「よし、撮るぞ」
その掛け声とともにシャッターが切られ、4人の写真が撮られたのだった。
* * *
ファミレスの店内は未央たちと同じくらいの年齢の少年少女たちで混雑していた。ここにいる3人は正真正銘のアイドルたちなのだが、誰一人として声をかけたり、サインを求めたりしない。知名度ゼロなので当たり前だが。
「えー、では今宵、お集まりいただきありがとうございます。ただいまより親睦会を開催します!」
「いぇーい!」
「い、いぇーい」
卯月はノリ良く、凛は少し戸惑いつつも未央に合わせる。ちなみに、現在時刻17時過ぎである。茜色の空が綺麗だ。
この親睦会は、撮影が終わり、今日の日程がもうないため帰ろうとする2人を未央が誘ったことに起因する。プロデューサーはまだ仕事中のため、不参加である。
「いやー、いよいよアイドルになりましたなー。あ、2人はどうしてアイドルになったの? 私はね、友達にオーディション薦められたからなんだ」
「私は小さい頃からアイドルに憧れてて、養成所にも行ったりして、オーディション毎回落ちてたんですけど、ようやくアイドルになれました!」
「おー! 養成所にも行ってたんだ。じゃあ先輩だね」
「はい! 私にどーんと頼ってください!」
「頼むぞー。しぶりんは?」
フライドポテトをつまんでいた凛へ話を振る。彼女は呼ばれたのかわからずきょとんとしていた。
「しぶりん? あ、私のこと?」
「あっ、うん。私が付けたあだ名なんだけど、嫌だった?」
「ううん。嫌じゃないよ。あだ名で呼ばれるなんて久々だったから」
「そっか。それなら良かった!」
「わ、私にはあだ名ないんですか!?」
卯月もあだ名を欲しそうに未央を見ている。
「おっ、じゃあ、ちょっと待ってねー。ムムム」
腕を組んでさまざまな案を思い浮かべる未央。
(島村卯月だから、うづきち、うづピー、しまっち、うーちゃん……しまむー……これだ!)
ハッと閃く。
「ずばり『しまむー』がいいでしょう!」
「しまむー。可愛らしい響きですね!」
「うんうん。喜んでもらえたようで何より」
卯月は嬉しそうに『しまむー』というあだ名を噛み締めている。そしてにへらと笑う。可愛い。
「それで、しぶりんは? アイドルになったきっかけ」
「プロデューサーにスカウトされたから。それにアイドルのライブ映像を見てたらなんだか目が離せないくらい惹き付けられたんだ。初めての感覚だったから、思いきってやってみようって。変、かな」
「ううん。すごくいいよ! 惹き付けられるくらい感動したってことでしょ! そんな経験中々ないよ! ね、しまむー」
「はい! 今度は私3人で誰かを惹き付けられるくらいのアイドルになりましょう!」
「お、良いこと言うねぇ。よし乾杯だー!」
3人で紙のカップをぶつけあう。ガラスや金属ではないのでカチンという心地よい音は鳴らなかったが。
「あ、そういえばさ、私たち役割はどうしよっか」
「役割?」
凛と卯月は声を重ねる。
「ほら、プロデューサーが言ってたじゃん。3人にはユニットを組んでもらうって。それで、やっぱりキャラクターって大切じゃない?」
「ああ、あの人は天然キャラだから、みたいなの?」
「そそ。しぶりんは、やっぱクールキャラだよね!」
「そうかな?」
「そうだって! しまむーは、ゆるふわキャラかな。そして私はセクシーキャラ。ん~、ちゅっ」
未央は2人に向かって投げキッスを飛ばす。いびつなハートは空中を漂い、そして空気が抜けるように静かに破裂した。
「……未央にはちょっと向いてないかな」
「……ですね」
どうやら未央のセクシーキャラは、凛にも卯月にも認められなかったようだ。本人としては自信たっぷりである。
「えー? 結構自信あるんだけどなぁ。2人は私がどんなキャラだと思うの?」
「大食いとか。花より団子って感じするし」
「私はワンコ系だと思います! 元気が良くてわんちゃんっぽいです!」
「大食いではないなー、それにわんちゃんはしぶりんでしょ」
「え、私?」
「忠犬っぽいじゃん。お手!」
「しないよ?」
「おかわり! ちん……むごご!」
「はいストップ。そこまで。それ以上はダメだから!」
凛は未央の口を手でふさいで制止する。
「しまむぅー、私ってどんなキャラなのぉ」
「うーん、明るく元気なキャラ、でしょうか」
「なんかこう一言でびしっと表せるのはないのだろうか」
「意外と難しいんだね、その人の印象を一言にするのって」
3人で唸るように考え込む。数分経過したものの、3人寄れば文殊の知恵とはならなかった。
途中、フライドポテトをつまんだりジュースを啜ったりして脳にエネルギー補給してみたが変わらず。
「パッション、とか?」
「うーん、まぁ、今はそれが一番しっくりくるかな。ありがとう、しぶりん、しまむー。考えてくれて」
「いいよ。仲間だし」
「はい! これから3人でがんばりましょう!」
「2人とも……! うん、俺たちの戦いはこれからだ!」
「それフラグなんじゃ」
「えぇ!? それは困ります!」
「フラグは立てて眺めるものだと頭の中でもう1人の私が囁いているようないないような」
そこから話は盛り上がり、ついでに脱線や寄り道を繰り返し、最終的にはラーメン談義へとその姿を変えていったのだった。
凛と卯月は都内の住んでいるが、未央は千葉県なのでファミレスの前で別れていた。自宅近くの最寄り駅までは電車で移動だ。
スマホをいじる他の乗客に混じって未央もいじる。その途中、ピロロンと電子音が鳴る。送ってきたのは虹菜のようだ。
『新人アイドル1日目どうだった?』
『他のアイドルの子と宣材写真たくさん撮ったよ!』
『おお! アイドルっぽいねぇ。誰か有名人とは会えた?』
『全然。フロアが違うみたいで』
『そっかぁ。ま、有名人(将来)は未央がいるしね。サインもうもらっちゃおうかなー』
『サインすっかり忘れてた。考えてないや』
『アイドルなのに! ダメだぞぉ!』
『今から未央ちゃんサイン考えるぜ! 言ってくれてありがと』
『フッフッフッ、ファン1号は伊達じゃない! あ、そうだ。明日の数学、小テストやるみたい』
『なんですとぉー!?』
『範囲は今週のとこだって。あたしも勉強しなきゃ。じゃあね、また明日』
未央は『SEE YOU !!』のスタンプを送信する。すぐに既読が付き、グッドサインのスタンプが送られてきた。
ガタゴトと揺れる電車はやがて最寄り駅に到着する。車掌の鼻声のようなアナウンスを聞き流しながら人の流れに身を任せ、改札を出る。
帰宅する人、これから仕事の人、友達と遊ぶ人、飲み会の人などなど様々な人たちの横を通り抜け、未央は帰宅の途につく。
やがてたどり着いた家のドアの前で1度大きく深呼吸をする。そして未央は疲れを感じさせないくらい元気良く言った。
「たっだいまー! アイドル未央ちゃんのおかえりだーぃ!」
こうして未央のアイドル1日目は終わったのだった。
* * *
アイドルたちが帰ったあとのフロアは無機質な静けさで満たされている。
「聞こう」
常務室でプロデューサーは美城常務と相対していた。整理整頓され、余計なものも一切ない厳格な常務らしい部屋だ。
透き通るような眼でプロデューサーを真っ直ぐ貫く彼女からは有無を言わせない圧を感じる。秒針の音も相まってどことなく圧縮されている気分だ。
それでも彼は口を開く。
「本日予定していました宣材写真の撮影は滞りなく完了しています。常務のデスクトップからも確認できます。また、明日はみくるさんの代わりに青木聖さんがトレーナーとして当部門に入社します」
「そうか。彼女は明日からレッスンを?」
「はい。明日の午後からレッスンを始めてほしいと伝えてあります。承諾の返事も貰っています」
「概ね順調だな。そのまま励んでくれ」
「はい」
常務から発せられていた圧迫感が少しほどける。息のつまるような雰囲気も和らぐ。
「そういえばユニット名はまだ仮のままだったな」
1枚の企画書を常務は手に取る。凛、未央、卯月の顔写真と簡単なプロフィールが記載されている。それはクール系、キュート系、パッション系の3人でユニットを組ませ、売り出すための企画書である。
「前回は考えておくと言っていたが、浮かんだか?」
「えぇ、まぁ、はい。だいぶ悩みましたが、絞りました」
「ふむ。なんという名だ」
プロデューサーはユニットの名を告げる。あーでもないこーでもないといろいろな意味を考えたが、ややこしくなってきたので決定案はシンプルに締めた。
常務はペンを手に取ると、企画書の『ユニット(仮)』の部分を横線で打ち消し、その下へそれを走らせる。
『ニュージェネレーションズ』
それが彼女たちのユニット名である。