プロデューサーはじめました。   作:テラリウムA

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50話 カンザキランコと謎のトレーナー(6)

 * * *

 

 

 眼前の茂みを乱雑にかきわける。細い枝やトゲで両の腕は傷だらけだ。チクチクした痛みをこらえつつ、薄暗い森の中、木々の間をすり抜けながらブリュンヒルデは道なき道を走る。

 

「はぁ、はぁ、はぁ──おわぁっ!」

 

 この薄暗さでは足元を確認しずらい。ましてや今まさに追われている身ならばそんな余裕はない。

 

 地面からせり出した木の根に足を引っかけて派手に転ぶ。身を包む鎧がガシャンと大きく金属音を鳴らした。

 

『あっちだ! 音がしたぞ!』

『いけっ! 取っ捕まえて殺せ!』

 

 怒りと殺意に満ちた声が遠くで発せられている。間違いなく、ブリュンヒルデを探しているのだ。

 

 痛がっている暇もなく、体勢を立て直したブリュンヒルデはふたたび駆け出した。

 

 

 

 

 天界の大陸の崩壊から1週間。それは瞬く間に世の中の現状を大きく変えてしまった。

 

 静観を続けていた魔族は、チヒルドの言う通りに、動きを活発化させ地下世界から地上への侵攻を開始した。地上を含めたすべてを支配するために。

 

 崩壊した大陸によって地上に住む人間たちにも大きな被害が発生した。大小様々なそれの欠片により、街や村が潰されたのだ。

 

 突然降ってきた巨大な質量になす術もなく、ある者は逃げ惑い、ある者は呆然とし、またある者は気付くことなく、しかして全員が最後には下敷きになって死亡した。

 

 初めは哀しみにくれていたが、それはやがて憎しみとなり、復讐を駆り立てた。凄惨で、残酷で、血まみれの復讐だ。

 

 多くの天界人は翼で空を飛び無事に脱出していた。その一方で、崩落に巻き込まれた者もいた。手傷を負い動けずにいた彼ら彼女らは人間たちに発見され、命乞いも虚しく復讐心の赴くままに処刑された。

 

 この動きは急速に広まり、同時に天界人にとって安心できる場所は地上からなくなってしまった。

 

 

 

 

 木の影にじっと身を潜めているブリュンヒルデは、追手がもういないことを確認し幹にもたれかかる。ずるずると背中を擦りながら腰を落ち着ける。

 

 荒かった息遣いも落ち着きを取り戻しつつある。入れ替わるように疲れがどっと押し寄せてきた。この1週間録に休めていないのに、全力疾走するはめになったのだ。

 

 見れば指や腕、脚にはたくさんの細かい切り傷があって、血が滲んでいる。身を隠すためになんとか入手したボロボロのフード付きマントやその下に着用した天界の鎧は土や埃ですっかり汚れている。

 

「これからどうしよう。街には戻れないし」

 

 さきほどまで滞在していた街にはもう戻れない。

 

 ここ2日ほど、ブリュンヒルデはさきほどの街のスラムに身を潜めていた。天界人が憎悪の対象として狩られている中では大手を振って歩けるような状況ではない。友好的な人間は、今ではおそらく少数派だ。

 

 ようやく、ほっと一息つけたと思ったのも束の間、広場が騒がしくなる。スラムにも届くくらいの喧騒だ。広場には入らず、スラムとの境界に留まりながら遠目で見る。

 

 擦れあう鎖に繋がれて、とある天界人の女性が連れられてきた。人々の狂喜にも似た歓声があがる。

 

 不意に彼女が立ち止まる。目線の先には、大量に置かれた薪とそこから飛び出た1本の棒。

 

 火あぶりにされるのだと察した彼女は弱々しく抵抗していたが、虚しくも磔にされた。

 

 せめて祈りをでも。人々が着々と準備を進める中、建物の陰から様子を伺っていると、磔にされた天界人と視線が合った気がした。

 

 気のせいだろうか──そんなブリュンヒルデの考えはすぐに否定される。

 

『助けて!!』

 

 轟いたのは彼女の声だ。大声でそう叫んだのだ。脇目も振らず、ただ真っ直ぐに、その眼はブリュンヒルデを捉えて離さない。

 

『お願い、助けて!! わ、わたし、嫌! 死にたくないの!! お願い、ねぇ!! 仲間でしょ!! ねぇ!!』

 

 彼女は服代わりの布切れを着せられていて、傷の手当てはされていないのか血が所々滲んでいた。着用していたであろう鎧もなく、天界人の証左である翼は雑に切り取られ、足元の薪に投げ捨てられていた。滴る血はまだ赤い。

 

 いつもならきっと助けにいっていただろう。いつもなら。

 

 今のブリュンヒルデは堕天した身だ。力も失った、それに崩落に巻き込まれた際の傷も適切な処置ができていない。

 

 そんな満身創痍の状態では、自分の身1つを守れるかすら不透明だった。

 

 まずいかもしれない。1歩後ずさりすると、傍に立て掛けてあった鉄の棒にかかとが当たり、倒してしまう。甲高い音が広場に響き、一瞬世界を止めた。

 

 ──いつの間にこんなに広場の近くまで……。

 

 静寂はすぐに去る。音の発生源に周囲の注目が集まるのは道理で、一斉に1対の眼がブリュンヒルデに向けられた。

 

『あいつも、天界人か?』

 

 誰かが言った。瞳に映る黒い炎に反射的に背筋がぞくりと冷たくなったのを感じて、踵を返して逃げ出した。

 

『逃げたぞ! 追えぇ!』

 

 直後、背後から“なにか”が燃える音と恐怖に染まった絶叫が響き渡り、人間たちの何人かがこちらへ走り出す。振り返ることなんてできず、行くあてもなく、ただ走ったのだ。

 

「ごめんなさい……ごめんなさい……」

 

 あの絶叫は間違いなく彼女だった。きっと、そういうことだろう。

 

 逃げ切った先で何度謝罪しても意味がない。すべては過ぎ去ってしまった。決して変えられない。

 

「とりあえずどこか安全な──」 

 

 安全な場所を探そう──という続きの言葉は尻餅を付いたことで喉から消えた。

 

「あれ……?」

 

 もう一度、その場から立ち上がろうとするが、また尻餅を付いてしまう。

 

「足に力が入らない……」

 

 何度か試してもダメだった。足が言うことをきかないし、なんだか意識が薄れてきた。ブリュンヒルデはもう諦めて、改めて木の幹に背中を預ける。

 

 ──ああ、もうダメなのかな……。そっか……。

 

 緩慢な動作で上を見上げる。生い茂る木の葉の間から星が鈍く光るのがわかった。

 

 杖にすらならない切っ先の欠けた聖剣を抱き抱え、黒い翼で体を包み込んだ。そこから意識が落ちるまで数秒も掛からなかった。

 

『──天──様。────。──天使様?』

 

 そう呼び掛けられているような気がした。

 

 

 * * *

 

 

「──ちゃん。おーい。蘭子ちゃーん? 朝だよー」

 

 名前を呼ばれている気がして、蘭子は瞼を開ける。上体を起こして寝ぼけ眼をこすりながら、机の上の時計へ目線を向ける。

 

 時刻は7時をまわり、半に近づこうとしている。どうやら寝落ちしてしまったらしい。ベッドに入ろうとはしたような……記憶はどうにも曖昧だ。

 

 昨晩はお風呂の後、ステージで着る衣装のイメージイラストを描いていたはずだ。蘭子としては、徹夜で完成させて、翌日にはプロデューサーに提出する予定だった。

 

 ──確か、なんとか完成したような……。

 

 突っ伏して寝ていた自分の下敷きになっていたイラストを確認する。幸いなことにそれは完成していて、よだれとか鼻水も付いていない。付いていたら書き直しだった。

 

「ようやく起きたね。さ、朝ごはん食べちゃって」

 

 すぐ傍で声がしたので、その主へ顔を向ける。

 

「イラストを描くのはいいけど、夜更かしはダメだよ? アイドルたるもの健康第一! 体が資本なんだから」

 

 人差し指を立てながらそう説教を垂れるのは、同寮の前川みくだった。

 

「ほら蘭子ちゃん、しゃきっとして。もう7時半になっちゃうよ。洗い物済ませたいから早めに来てね」

 

 ぼーっとしながらみくの言葉を右から左に聞き流す。みくが蘭子の自室を退出すると、もう1度記憶を多度ってみくの発言を思い出す。

 

「う~ん……もう7時半かぁ」

 

 7時半になる──確かにみくはそう言っていた。7時半ということは、つまり7時半ということだろう。

 

 ちなみに蘭子の通う学校の登校時間は8時15分まで、移動時間は徒歩で15分弱。

 

 現在時刻は7時31分だとデジタルの置時計が教えてくれている。

 

 その瞬間、蘭子の脳細胞が急激に目覚めていく。シナプスを介して神経細胞であるニューロンに情報が伝わっていき、それが数えきれないほど繰り返され、脳が活発に動く。

 

 コンマ数秒が経ち、そして1つの結論に至る。

 

「やばい!? このままじゃ遅刻!?」

 

 蘭子は椅子を倒さんばかりの勢いで立ち上がると、みくの後を追うように部屋を出た。

 

 

 

 

 時計はまわり、15時30分を過ぎたところだ。蘭子はプロジェクトルームのソファに疲れたようにどさりと座る。まったく今日はさんざんだったとため息をつく。

 

 今朝からてんやわんやだったと思い返す。

 

 朝食食べて、身支度と身だしなみを整えて、登校した時間は遅刻になる1分前。バタバタしていたからか、教科書やプリントは忘れるし、靴下の柄も違っていた。挙げ句、スマホだと思ってエアコンのリモコンを持っていってしまう始末。

 

 でも、1度帰宅してゴスロリ私服に着替え、完成したイラストを持ってくるのは忘れなかった。アイドルなので。

 

「ふぁ~あぁ」 

 

 大きなあくびが出てしまう。昨晩は深夜1時過ぎまでは起きていたし、朝からドタバタしていたからゆっくり一息つく時間はなかった。昼は昼で、購買部での目当てのパンをめぐる闘いがあったし。

 

「大きなあくびですね。コーヒー飲みますけど、いりますか?」

 

 ふたたびあくびをする蘭子に声をかけたのはちひろだ。昨日、額に落書きをされていたが今日は綺麗に落とされている。

 

「否! 清らかなる水を所望する!(お水お願いします!)」

「確かミネラルウォーターのペットボトルがあったような。一緒に持ってきますね」

 

 ちひろは給湯室に姿を隠し、コーヒーカップとペットボトルをお盆に乗せて蘭子のいるソファへ。

 

「はい、どうぞ」

 

 ちひろからそれを受けとる。手のひらでポリエチレンテレフタレートの樹脂ごしに冷たさを感じて気持ちいい。

 

「よっこいしょっと」

 

 コーヒーカップとともにソファに腰を下ろしたちひろ。

 

 ……ちひろはまだ20代だと思うが、やはり歳を取るにつれて『よっこいしょ』とつい言ってしまうのだろうか。ボトルの蓋をまわしつつふと思った。

 

 じっと彼女の顔を見つめていた蘭子に気付いたらしく、

 

「あはは。もしかして昨日の“あれ”、見てしまいましたか」

 

 苦笑いを浮かべるちひろ。“あれ”とは十中八九額の落書きについてだろう。むしろあれ以外にあったら驚きだ。

 

「ひどいですよね、いつの間にか私の寝顔を撮るなんて。しかも編集ソフトで変顔にしたのをグループチャットで一斉送信したんですよ。プロデューサーさんは『面白いでしょ』なんて言って」

 

 違った。『肉』のほうじゃないようだ。

 

 さて、ちひろの愚痴タイム開始である。

 

 確かに昨日、額に『肉』と落書きされていたが、諸事時あって消されたと推測する。さっぱり見当はつかないが。

 

 ちなみに、もっとカッコいい文字にすれば良かったのにとか思っていたり。例えば『(つるぎ)』とか『焔』とか『滅』とか。

 

「あんなにだらしない寝顔を撮るなんてデリカシーがないんですよ、あの人は。だいたいプロデューサーさんは冷たいんですよ。ちょっとは私の仕事手伝ってくれてもいいじゃないですか」

 

 大人の愚痴に付き合わされる神崎蘭子15歳。社会人の気苦労の一端を見る。あ、水おいしい。

 

 そのまま聞いていると愚痴の対象(プロデューサー)が現れた。

 

「お、蘭子もう来てるのか。ん? どうしましたちひろさん」

「プロデューサーさんはひどいなーってだけですよー」

 

 ツンツンしている。すごくツンツンしている。

 

「? ああ、昨日の“あれ”ですか」

「そうですよ! 乙女のセンチメンタルハートは傷付いたんですからね!」

「そんなセンチなあなたにはこちら! スイーツ食べ放題無料券~!」

 

 青いネコ型ロボット風にジャケットの内ポケットから取り出したるは某有名店のスイーツバイキング無料券だ。軽快なBGMが聞こえてきそうだ。

 

「そ、それは……!」

「昨日の対価です。営業先の方から頂いたものですが、あいにくスイーツ巡りは趣味ではないので」

「ふ、ふーん……」

 

 ちひろはまんざらでもなさそうにチラチラ見ていたが、そっとそれを受け取る。なんやかんやで嬉しそうだ。

 

「まぁ、これで許してあげるとしますか。へへへ」

 

 すごく嬉しそうなちひろ。

 

「よぉーし、定時までバリバリ仕事しますからね!」

 

 すっかり機嫌の直ったちひろはデスクにつき、カタカタとキーボードを叩き出す。

 

 しかして、昨日のおでこのあれはいったいなんだったのだろうかと疑問に思った蘭子がプロデューサーへ顔を向けると横目の視線とぱっちり合う。

 

「秘密だ」

 

 彼はそう面白がるように言い、パソコンを立ち上げた。

 

 

 

 

 キーボードが叩かれ始めてかれこれ20分ほど経過した。ちひろは席を外している。

 

 もうすぐ自身のレッスン開始時刻となってしまう。早くしなければ。蘭子は深呼吸をすると、たっぷりとチャージした──もう必殺技が打ててしまいそうなくらい──勇気をすべて使いプロデューサーに声を掛ける。

 

「あの! プロデューサー!」

 

 ──言えたっ! へへ。

 

「これ、書いてきました!」

 

 グリモワールの1ページを開いて差し出す。そこには希望てんこもりの衣装のイラストが描かれている。夜更かししたのだから、それなりの自信作に出来上がっている。

 

「お、どれどれ。ふむふむ、なるほど。よく描けてるじゃないか。そうだな、イメージはだいたいこれにそった形にしようか」

「ふんふん!」

「デザイナーにも、これを基本に大きく崩さないようにしてもらう。助かったよ、蘭子。ページ、コピーしてきても?」

「うむ!」

 

 蘭子は褒められて嬉しくなる。

 

 恥ずかしくて今までグリモワールを他人に見せたことはない。どんな反応をされるのか不安だったけれど、褒めてもらえたのは良かった。

 

 上機嫌でいるとコピーを終えたプロデューサーからグリモワールを返却され、それを大切に胸に抱きかかえる。今一番の宝物だ。

 

「衣装のデザインが決定したらまた報告するよ」

「力溢るる装束は世の者すべて魅了する定め!(カッコいい衣装ができるといいなぁ!)」

 

 ──どんな感じの衣装になるのかなぁ。完成が楽しみ!

 

「~♪」

 

 期待に胸を踊らせていると、女性がドアから颯爽と現れた。彼女のことを蘭子は知らない。ただ、見知らぬようで、けれど雰囲気は知っている。トレーナーの青木姉妹たちに似ている……というよりそっくりだ。

 

 女性はプロデューサーへ会釈をして、彼のもとへ。

 

「おはよう、プロデューサー殿」

 

 クーラーボックスを床に下ろしつつ挨拶をしている。2人はどうやら知り合いらしい。

 

「おはようございます、麗さん。今日からよろしくお願いします」

「ああ、任せてくれ。それで、彼女が?」

 

 2人の視線が一気に蘭子へ向けられる。

 

「はい。この子が神崎蘭子です。渡した資料はご覧になりましたか」

「うむ。見たぞ。中々ハードなスケジュールだが、きっちりこなしているようだ。想像していたよりも肉付きがいい」

 

 そう言って麗と呼ばれた女性はいきなりしゃがむと蘭子のスカートに両手を躊躇なく突っ込み太ももを触ってくる。さわさわとくすぐったい。

 

「──っっっっっ!?」

 

 あまりに突拍子のない行動にワンテンポ遅れて反応せざるを得なかった。

 

「幻影なるサキュバスが現世に降臨したというのか!?(な、なんなんですかぁこの人っ!?)」

「おっと、すまない。筋肉の調子を確認したかったのでな。その、サ……なんとか?についてはよくわからないが」

 

 軽く謝ってまたプロデューサーと話し始めた麗。何事もなかったかのようにさらっと済ませられてしまったものの、スカートに手を突っ込むなんて普通じゃない。そもそも誰なのか。

 

「我が下僕! 汝の魔導鏡を用いてサキュバスの真なる姿をつまびらかにせよ!(この人いったい誰なんですかプロデューサー!)」

「ああ、ごめん、紹介がまだだったな」

 

 きちんとした説明がなければ、このままでは『スカートに手を突っ込む変態』として今後認識しないといけない。さて聞くとしよう。

 

 プロデューサーは改まるように1度咳払いをする。

 

「彼女は青木麗さん。うちでトレーナーをしている聖さんや明さん、それに慶ちゃんたちの1番上のお姉ちゃんだ。専属でトレーナーをやってもらうことになった。有名なアイドルの指導を経験しているから実力は間違いない。例えば最近なら──」

 

 例に出されたアイドルたちは確かに蘭子でも知っている名前だった。今の蘭子と比べたら雲の上の存在ともいえる。ただ、最近はそのユニットの活動をあまり見ないような……。

 

「麗さんにはすでにデビューしているアイドルたちにレッスンをつけてもらう。元アイドルでもあるから、レッスン以外の点でもいろいろ細かく教えてくれるはずだ」

 

 ──え。元アイドルなの? なんかイメージと合わない。

 

 後でGoogle先生で検索を掛けてみよう。

 

「改めて、青木麗だ。彼の言うとおり、すでにデビューした者やその予定がある者を担当することになった。よろしく頼む」

 

 蘭子は安堵した。さきほどはその突拍子のない行動ゆえ確かに驚いたが、こうして話をしてみると以外ときちんとしている。

 

「まず始めに受け持つのは君だ。神崎蘭子君と言ったかな。あとで君のダンスとボーカルのレッスンを見学させてもらう。あと、背中や腕、お腹まわりも触らせてほしい」

 

 上がりかけた好感度がすうっと下がっていくのを感じた。

 

 優秀な人らしいのだが、バカと天才は紙一重のように、優秀さと変態さもまた紙一重なのだろうか。

 

「さて、蘭子君はこれからレッスンだったな。ちょっとしたプレゼントがある」

 

 麗はクーラーボックスに手を入れた。何が出てくるのか。

 

「ふっふっふ。これだ!」

 

 彼女が意気揚々と取り出したるはドリンクだとおぼしきもの。スクイズボトルに液体が入っているからドリンクには違いない。

 

「……え゛」

 

 ゲーミングPCみたいに虹色に光っていなければ、疑わなかったのに。

 

「私はドリンクづくりが趣味でな。レッスンに必要な栄養素のことを考え、様々な材料で試作しているんだ。上手くいったレシピはメモしてある」

 

 フフンと鼻を鳴らす麗。

 

「さ、飲んでみたまえ。よく効くぞ」

 

 蘭子へ押し付けるようにスクイズボトルを差し出してくる。

 

 ──えっ、えっ。飲むの? これを飲むの?

  

 蘭子は必死にプロデューサーに目配せをして助けを求める。

 

 色が赤くなったかと思えば、青になったりグラデーションを経て緑になったり。どうみても危険な代物だ。本能がさっさと逃げろと警告を発している。

 

「……ふむ、以前話しにでたドリンクがそれですか」

 

 プロデューサーがそれとなく蘭子と麗の間に割って入る。そして彼は蘭子に向けてウィンクを1回。“私に任せろ”と伝えてきた気がした。

 

 ──プロデューサーっ! そうか、このまま自然な流れでドリンクを回収するんだ!

 

 プロデューサーがとても頼りになると思いかけたところで、

 

「案ずるな。プロデューサー殿の分もちゃんとある!」

 

 麗はふたたびクーラーボックスから取り出したボトルをプロデューサーにポンと手渡す。しかも蘭子のより若干大きめだ。

 

 そのときのプロデューサーの表情は、逃げられないことを悟ったカエルのように諦めが浮かんでいた。完敗である。

 

 数分間、2人でボトルを揺らしながら虹色な中身をかき混ぜ続けていると、

 

「どうした? さあ飲んでみて感想をくれ!」

 

 待ちきれない様子の麗に促され、プロデューサーは覚悟を決めたように真剣な顔つきになった。

 

「行くのか、我が下僕(プロデューサーさん、本気でふか)」

「時には、傷付いてでも進まなければならないときがあるんだ」

 

 なんてカッコいい台詞だろうか。でも、それを言うのはきっと今じゃないし、もっといいタイミングがあるはず。なんかガッカリ感がある。

 

 とはいえ、この状況から逃げるのは不可能だった。

 

「ええい、ままよ!」

 

 覚悟のもとに、プロデューサーは1歩踏み出した。ボトルの虹色の液体が彼の体内に流れ込んでいく。

 

 満足げな麗とあわあわと心配そうな蘭子。

 

 中身は少しずつ減っていく。8割、7割、半分、そして残り1割。ついには空になる。

 

「──────────フッ」

 

 プロデューサーは笑った。それはとても優しそうで、慈悲深く、懺悔すればどのような過ちをも許してくれそうな寛大さを感じさせるように。

 

「きゅう……」

 

 そして──目をまわして倒れた。衝撃で手のボトルが離れ、ころころと床を転がる。 

 

 と、同時に部屋に駆け込んできた人影が3つ。

 

「「姉さん!!」」「お姉ちゃん!!」

 

 息を切らせ、肩を上下させているのは麗の妹たちである聖、明、慶の3人だ。

 

「くっ! 遅かったか! 姉さん、なぜこんなことをした!?」

 

 聖が麗に詰め寄る。

 

「ま、待て! 味見はした! 指に付けてちょっと舐めてみたんだ! 確かに味は微妙だったが、倒れるほどとは……」

「味見の後、何か追加したんじゃないだろうな?」

「ちょっとだけ……」

 

 聖は大きくため息をつく。プロデューサーを抱え起こした明と慶は彼が完全に目をまわして撃沈しているのを確認した。

 

「あくまで食材だ! 添加物や薬品ではない!」

「で、何を入れたんだ?」

「えっとだな……」

 

 麗は一拍置いて答えた。

 

「くさやだ。汁も一緒にな」

 

 飲まなくて良かったと蘭子は心の底から思わずにはいられなかった。尊い犠牲になったプロデューサーのために祈りと胃薬を捧げよう。

 

 その後、プロデューサーは早退し、麗は妹たちに正座でみっちり説教され、346プロアイドル部門には部内限定の『アルコールおよび自作ドリンク取り締まり規則』ができることになるのだった。

 

 

 

 

 

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