プロデューサーはじめました。   作:テラリウムA

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51話 カンザキランコと輝く闇Part1(7)

* 【6】 *

 

 

 

「おお……!」

 

 蘭子はノートパソコンの画面を見つめながら感嘆の声をあげた。

 

 映っているのはまさしく自分自身。さきほどまでのレッスンの様子を麗が撮影したものである。

 

「どうだ? 初めて撮った時と比べたらだいぶ上達してるだろう?」

 

 麗の言うように上達していると蘭子自身も思う。なんというか、角がとれてまとまりがよくなった感じだ。

 

 初めて歌とダンスを合わせた時の蘭子のレッスンも撮影されていた。内容を確認して、はっきり言ってぐだぐだで、ちぐはぐな印象を受けた。歯車が噛み合っていなかった。

 

 こんなんで大丈夫かと、ステージは上手くいくかと蘭子は不安に駆られてしまうほど。

 

 それがだいたい2週間前の出来事。

 

 そこからはひたすらにレッスンだった。変態的な出会い方をしたとはいえ、プロデューサーの言葉通りに麗は優秀なんだろう。初めの動画と今の動画を見比べれば違いは一目瞭然で、それ蘭子自身が気付けるほどだから。

 

「これなら今週末のステージは問題ないな。プロデューサー殿にもそう報告しておこう」

「うむ! 磨かれた我が魔力が人々を闇の円環へ導き目覚めさせるわ!(たくさんの人に喜んでもらえそうです!)」

 

 今週の日曜日に『ハロウィンフェスティバル202X』のステージがある。そここそが蘭子がデビューする会場だ。演目は午前から組まれていて、蘭子を含めた新人アイドルたちのステージ演出は午後からとなっている。

 

 他所の事務所の新人たちもステージに立つので、埋もれる訳にはいかない。悪目立ちするのは困るが、印象にきちんと残るくらいには目立たなければならない。

 

「とはいえ、まだ足りないものがある」

 

 唐突に麗が言う。

 

「えっ」

 

 蘭子だって驚く。

 

「確かにダンスと歌については上達している。そこは私が保証しよう。しかしだ。ダンスと歌が上手いだけなら、そんなの世の中にごまんといる」

 

 ──確かにそうだけど……。

 

「アイドルというのは、歌やダンスを通して何か自分の伝えたいものを伝えるからこそのアイドルだと私は思っている。だからこそ多くの人を惹き付ける」

 

 ノートパソコンの画面を捉えていた麗の視線が蘭子へ向けられる。

 

「蘭子にはそういうのはあるか?」

「わ、私は……」

 

 パッといえるものはない。口をパクパクと動かすだけの蘭子がそこにあった。

 

「いきなりですまない。ただ、考えておいてくれ。それはアイドルにとってとても大切なものだ。ふぅむ、明日のレッスンのときにまた改めて聞くとしよう」

 

 ノートパソコンを閉じた麗は、

 

「まあ宿題みたいなものだ。気負わずに考えてくれ」

 

 と言い残して、次のレッスンに向かった。

 

 

 * * *

 

 

 夜の8時。アイドルは皆それぞれの家に帰り、多くの社員たちも家路につき、どのフロアも薄暗さに包まれている。

 

 アイドル部門も例外ではない。ちひろを含めほぼ全員がすでに退勤している。しかしてその一角では、一部の照明が付けられたままだ。雑音のない空間にキーボードの打鍵音が響く。

 

 麗はコーヒーを一口啜ろうとして手を伸ばし、すでのカップが空になっていたことを思い出して引っ込めた。

 

「ふぅぅぅ」

 

 打鍵を止め、目頭を指でつまむように揉んでいると、黒い液体の入るカップが空のカップの隣に不意に置かれる。湯気も立っているし、珈琲の薫りもふわりと昇る。どことなく安心感を覚えるから、これはおそらくインスタントに違いない。

 

「お疲れ様です、麗さん」

 

 麗に割り当てられているデスクの側にプロデューサーが立っていた。いつの間にか。音もなく。

 

「ああ、ありがとうプロデューサー殿。いただこう」

 

 相変わらず神出鬼没な奴だ、と言いかけたのをコーヒーで喉の奥に押し込む。言ったところで、曖昧に笑うだけだ。

 

「やはりコーヒーはインスタントのブラックに限る。残業ならとくにな。エナジードリンクに頼っているようではまだまだ半人前だ」

「よくインスタントだとわかりましたね」

「飲み慣れているからな」

 

 そうして麗はもう一口。気兼ねなく飲めるのがインスタントのいいところだ。

 

 小休止を終え、文字を打とうとするとキーボードとの間に小袋が割り込んできた。それは誰でも知っているお菓子メーカーのもので、青いパッケージが印象的だ。差し出しているのはもちろんプロデューサーだ。

 

「コーヒーだけでは頭は回らないでしょう。甘さ控えめですから、ちょうどいいかと」

「プロデューサー殿の経験則というのなら、無視はできないな」

 

 麗はそれを受け取ると梱包を破き、口で噛みしめる。確かに甘さは控えめだ。

 

「はじめて食べたが、うまいな」

「でしょう?」

 

 クッキーを食べ終わったタイミングで、

 

「そういえば、蘭子に宿題を出したそうですね」

 

 とプロデューサーが切り出す。

 

「まぁな」

「麗さんの経験則ってことですか」

「んー、ま、そうなるな。私が昔、アイドルをやっていたのは君も知っているだろう。その時の私は歌とダンスを完璧にこなすことだけを考えていてな。レベルとしては程々に上手かったと思う。ひたすらにレッスンを重ねて、これで人気がでると」

 

 麗は自嘲ぎみに微笑む。

 

「だが結果はご覧のとおり。鳴かず飛ばずで知名度もない。むしろ知っている人がいればレアなほどだ。結局、一年足らずでアイドルをやめた」

 

 あの日の悔しさは今でも覚えている。暗い部屋で1人、悔しさに悶えながら枕を濡らした。

 

「なぜ人気が出なかったのか。当時はそればかり考えていたよ。自分より歌もダンスも下手なアイドルがなぜって。ふと、ゲリラミニイベントに遭遇して、わかった」

 

 短い間を置いて、麗は続ける。

 

「私よりも楽しそうにステージをこなしていたことに。楽しそうにしてる人を見てると、自分も楽しくなってくるだろう。私になくて、彼女たちにあったのがそれだ。与えられた曲とダンスを完璧にこなす。これは確かに大切だ。ただ、アイドルにとってはもっと大切なものがあるということに気付けなかった。だから蘭子に、いや、他のアイドルたちも含めて気付いてほしいと思っている」

 

 しんみりとした空気が、どことなく気まずさを感じさせる。

 

「ああ、すまない。こんな重い感じにするつもりはなかったんだ。忘れてくれ」

 

 打ち消すように、空元気の微笑みを作りながら麗は言う。

 

「……私がとやかく言える立場ではないので、一言だけ。やはり麗さんで良かった。心からそう思えます」

「おいおい、まったく。──フッ、そう言わせてしまったのなら仕方ない、プロデューサー殿の期待に答えられるようより一層の努力しよう。妹たちもこき使ってくれ」

 

 麗はこのことを話すつもりはない。恥ずかしいし、プライベートな事柄でもある。ただ、もしかしたら将来的には話す機会がくるかもしれない。

 

「あ、そうだ。サインください」

「いいぞ。どの書類だ?」 

 

 プロデューサーが彼のデスクの引き出しから出したのはA4の書類──ではなく、CDだった。

 

 その一世代前のようなジャケットには見覚えがある、というより忘れられるはずがない。

 

「これにです」

 

 なぜならそれは、麗のデビューシングルである『IDOL☆STARDOM』のCDだからだ。ぎこちない満面の笑みでポーズを決めている自分と目が合う。なんともいえん気分になる。

 

「はぁ……そんな骨董品いったいどこで見つけてきたんだか」

「たまたま寄ったブッ○○フにありまして。状態も良かったし買っちゃおうと。値段も聞きます?」

「いや、いい」

 

 値段を聞いて、万が一激安だったら立ち直れないかもしれない。いや、立ち直れない。よって、聞かないことにする。

 

 麗はケースからジャケットを抜き、そこにサインをして戻す。数年ぶりなのにすらすらと書けたのはかつて何度も練習した際の名残だろう。

 

「ほら、これでいいか」

「ありがとうございます。大切にします」

「プロデューサー殿も酔狂だな。ま、大切にしてくれ」

 

 プロデューサーはサイン入りCDを大事そうに引き出しへしまった。

 

 

 * * *

  

 

 翌日の午後、蘭子はレッスンのために事務所へ。どうやら学生組の中では一番乗りらしい。この静かさもみんなが来れば騒がしさに変わる。

 

「あら、蘭子ちゃん。早いですね」

 

 この時間帯に最も日当たりのいいソファでそう微笑む楓。

 

「煩わしい太陽ね!(おはようございます!)」 

「ええ、おはようSUNです。ふふ」

 

 ゆったりと、柔らかく楓は返す。

 

 挨拶を交わして、蘭子は壁掛け時計へ視線を向ける。レッスンまではまだ充分に時間がある。

 

「今日はぽかぽかでお昼寝日和です。蘭子ちゃんもどうですか? レッスンまではまだ時間がありそうですし」

「えっと……」

 

 お昼寝の提案は嬉しいが、今は大切なことが他にある。

 

 蘭子は楓の対面のソファに腰をおろすと、

 

「あ、あの、楓さん! ちょっと相談があります!」

 

 と切りだす。

 

「私に、ですか?」 

 

 きょとんとする楓に蘭子はうなずく。

 

 麗の宿題を一晩考えたものの答えは出ず。相談しようとしてふと思い浮かんだ相手が楓だった。彼女のデビューライブも、その前の緊張し強ばる姿もこの目で直に見た。デビューライブ間近の蘭子の相談相手としては適任だった。

 

 楓はじっと見つめていたが、

 

「わかりました。私でよければ」

 

 相談に乗ってもらえて安堵しつつ、今の状況を話す。デビューライブのこと、麗からの宿題のこと、その他不安。

 

「麗さんからの宿題、なかなかに難しいですね。うーん……。私のライブのときは、当たり障りがなくて申し訳ないんですが、来場してくれた方々に楽しんでもらえたらって考えてはいましたけど、アイドルとして何を伝えたいかは考えたこと自体なかったです」

 

 楓は続ける。

 

「でも、楽しいと感じてもらうのはとても大切なことだと思います。私だったら、そうですね……ふわっと体の力が軽くなるような、そう、お酒を飲んだときみたいにふわっと楽しい感じでしょうか」

 

 酒を飲む場面でも想像しているのか、楓はへらっと笑う。

 

「蘭子ちゃんはどうです? どんな感じに楽しんでもらえたらいいなぁと思いますか?」

「私は……」

 

 蘭子は黙ってしまう。時間の針が止まったみたいに。

 

「そういえば、蘭子ちゃんはよく辞書の内容をメモしてますね。結構難しい単語とかその意味とか」

 

 それを進めたのは楓だった。

 

「ふぇっ!? な、なな、なんで知って!」

「あら、もしかして内密な勉強でしたか。ごめんなさい。すごく集中していたから、何やってるんだろうと思って肩越しに覗いちゃいました」

「くっ、サイクロプスの眼か!(見られてたなんて!)」

 

 恥ずかしさで顔が赤くなる蘭子。

 

「それ。その話し方はどうしてやろうと思ったんですか?」

「えっ? こ、これはその、カッコいいと、思って」

「アイドルになってから?」

「は、はい。もともと中世とか天使や悪魔みたいなファンタジー作品が好きで、絵とか自分で書いてみたりして。自分でもそんな役になりきってみたくて。オーディションを受けたのも、そういうのが表現できるかもしれないと思ったからなんです」

 

 蘭子はぽつりぽつりと言葉を繋げていく。

 

「他人の目があると恥ずかしいんですけど、でも、アイドルっていう枠……というかフォルムなら、思い切りやりたいようにできるかもって」

 

 蘭子は指をもじもじと落ち着かない様子で動かしている。楓は「なるほど」とひとりごつ。

 

「ありましたね。蘭子ちゃんのライブでの楽しんでもらい方」

「へっ?」

 

 すっとんきょうな声を漏らす蘭子。

 

「蘭子ちゃんがカッコいいと思う表現、言葉を変えれば世界観でしょうか。それをライブを通してお客さんたちと一緒に楽しむんです。なんだかすごく壮大な話になりますね」

「お客さんたちと一緒に世界観を楽しむ……」

「はい。伝えるのは言葉や想いじゃないといけない決まりはありませんから」

 

 蘭子は、心にすとんと落ちていくのを感じた。

 

 世界観を伝える。自分の世界観を作りあげ、それをライブの観客たちと一緒に、ときには他のアイドルたちも巻き込んで楽しんでいく。

 

 まるで双眼鏡のピントがぴったり合ったときのように、曖昧な輪郭がくっきりとして、アイドルの道が少しは鮮明になった。

 

「参考になったようで良かったです。ライブまでもうすぐですから、ここがふんばりどころです。頑張ってください」

「ありがとうございます、楓さん」

「私も時間があったら見に行きますね。そのハロウィンフェスティバルはお酒の試飲ができるらしいですし。うふふ」

 

 楓は試飲している瞬間を想像しているのだろう。なんか嬉しそうだ。たぶん、おそらく、きっと、お酒がメインなんだろうけど、今は何も言うまい。

 

「我が身から溢れだす無尽蔵のマナが世の中をあまねく包みこむ!(ステージに来た人みんなファンにしてやるんだからっ!)」

 

 拳を握りしめた蘭子は、自身を奮い立たせるように発破をかける。

 

「その意気です。ライブまで突っ走っちゃいましょー」

 

 楓がゆるく拳を突き上げる。

 

「おー!」

 

 蘭子もそれに倣う。

 

「また何かあったら相談してください。こう見えても、私はここのアイドルの中では最年長ですから」

 

 腕に力こぶを作る動作をする楓。

 

「ありがとうございます! あ、ちょっと早いけど私、レッスンに行きます!」

「はい。いってらっしゃい」

 

 蘭子は足早に更衣室へ向かった。その足取りはどこか軽かった。

 

 

* 【7】 *

 

 

 蘭子のデビューライブ当日、澄んだ秋晴れが頭上に広がっている。ここ数日の天気予報では、くもりまたは小雨だったが、昨晩ほんの少し降ったくらいで、灰色雲はどこかへ流れ去っていた。

 

 ステージ裏の隅っこからひょっこりと顔を出した蘭子はそっと観客席の様子を伺う。

 

「結構人多いなぁ」

 

 パフォーマンスを行うのは知名度のほとんどない新人アイドルたちだ。通常ならば、足を止めてくれたり聴いてくれる人の数は両手の指で足りてしまうだろう。

 

 しかしながら、広い会場を借りて行われるほどの大規模イベントなら別だ。

 

 イベントのチラシによると、出店は飲食・展示・体験型がありその数は50を超える。他にはたらくくるまやステージスケジュールなど盛りだくさんとなっている。

 

 そんな大規模なイベントの効果もあり、入れ替わり立ち替わり人の流れこそあるものの、物見遊山や流しの見物客によって観客席はほどほどに埋まっている状況である。新人アイドルたちにとってはお披露目にはうってつけだろう。

 

「蘭子ちゃん、そろそろメイクをしましょう。その後、衣装ね」

「あ、はい。今、行きます」

 

 明に呼ばれて控室へ戻る。彼女がメイクと着付けを手伝ってくれるとのことだった。

 

 横幕をよけて控室のテントへ。手前にテーブルがいくつか並べられていて、奥にはドレッサーが3台、着替え室、全身鏡が備えられている。出演する順番に使用するようにと運営事務局から言われた。

 

「はい、じゃあ始めるね。あんまり動かないでね」

 

 ドレッサーの前に着席する。明は慣れた手つきで道具を持ちメイクを施していく。

 

 鏡に映るのは緊張で表情が固い蘭子の姿。

 

「緊張してる?」

 

 明はメイクをしながらも蘭子に声をかける。

 

「は、はい……してます」

「まあ、自分のデビューライブだからね。緊張するなっていうほうが無理よね。蘭子ちゃんは今日までレッスンきちっとこなしてきましたから、きっと大丈夫!」

「ありがとうございます……」

「あらあら、いつもは壮大な熊本弁で返ってくるけど。んー、じゃあメイク終わるまで麗姉さんの話でもしてあげようかな」

 

 そうして明は話し出す。

 

「麗姉さんがアイドルをやっていたのは知ってる?」

 

 小さくうなずく蘭子。

 

「姉さんね、なんでも完璧そうで実はメイクがめちゃくちゃ下手なの。アイドルとして活動していた頃は私がメイクのやり方を指導していたくらいよ。ある日、ステージでアイシャドウを使いたいって考えたらしくて、それで自分自身でやってみたんだけど、そしたら、ふふ、パンダみたいになってて」

 

 明は笑いをこらえている。さぞかしシュールで面白い光景だっただろう。

 

「あんなに笑ったのは初めてだったわ。あ、ステージ終わったら蘭子ちゃんにも見せてあげる。写真撮ってあるから。っと、よし! こんな感じかな」

 

 鏡の中の蘭子はメイク前とは大きく違った。目の輪郭がくっきりとしているし、リップやチークは血色を良くみせて生き生きとした表情に魅せている。

 

 自分でやるよりも魅せ方が数倍上手だ。後学のためにあとで詳しく教えてもらわなければならない。

 

「どう? どこかイメージに合わないなって思うところあるかな?」

 

 蘭子は首を横にブンブンと振る。

 

「生まれ変わったみたい……です!」

「なら良かった。次はヘアメイクと衣装。てきぱきいくからイメージと違う点があればすぐに言ってね」

 

 明は蘭子の髪に指を添えてそっとブラシをあてた。

 

 

 * * *

 

 

 ステージ上では地元のシニアバンドによる演奏が行われている。特にギターのじいさんは髪をパンクにまとめていて、一目で気合いが入っているとわかる。

 

 この演奏が終われば、いよいよ新人アイドルたちによるライブが始まる。

 

 観客席の隅っこに座るプロデューサーは、バンドの音楽を聞きつつその辺の屋台で買った山菜そばを啜る。めんはほどほどにコシがあり、載せられた山菜もそばと喧嘩していない。それなりに美味しい。

 

 プロデューサーとして、やれることはやった。あとは蘭子次第である。

 

 あるアイドルはデビューライブ、またあるアイドルは知名度アップのため、と所属事務所によって目的は様々だ。

 

 ただこれだけは言える。ここで結果を残せなければ、鳴かず飛ばずに終わるか、中途半端な知名度で終わることになる、と。どちらにしても10代後半から、人によっては20代前半までという貴重な時間を浪費してしまうだけだ。

 

 新人たちにも、そして蘭子にも申し訳ないが、初めの1歩から問答無用の競争なのだ。最初からクライマックスである。

 

 新人アイドルの登竜門として位置付けられるステージの1つなどと巷で呼ばれるだけあって、業界関係者や筋金入りのアイドルファンの姿がちらほらといる。

 

「プロデューサー殿、隣に座っても?」

 

 声の主を確認すると、麗が立っていた。蘭子のライブへ時間を作って駆けつけたのだろう。レッスンスケジュールもその時間が確保されていた。

 

 頷いてOKのサインを送り、かけこむようにつゆまで飲みほす。

 

「ほら、お茶だ」

「ありがとうございます」

 

 隣に腰掛けた麗からペットボトルのお茶を貰い、軽食後の一服をする。

 

「……ふぅ」

「プロデューサー殿はアイドルではないからとやかく言わないが、つゆを飲むのはほどほどにしておけ。塩分過多になるからな」

 

 厚生労働省によると男性の1日の塩分摂取推奨量は7.5g未満だが、世の男性は1日約10.9g摂取しているという。忙しさにかまけてコンビニやチェーン店で済ませるプロデューサーもその1人に間違いなく入る。

 

「いやぁ、耳が痛い話です。こういうのはつい飲んでしまうので。今のところ健康診断で異常は見つかってないんですけどね」

「後になって響いてくるぞ。また私のあの特製ドリンクを飲むか?」

 

 特製ドリンクという単語を聞いて、プロデューサーは意識が飛んだくさやドリンク事件の記憶や感覚が甦る。あれはひどかった。

 

「遠慮します」

「なら健康に気をつかうことだ。アイドルに限らず、すべては健康が大切なんだ」

 

 プロデューサーはくさやドリンクを飲んだ際の口の感覚を打ち流すようにもう一度ペットボトルを傾ける。

 

「いよいよですね。緊張してますか」

「当たり前だ。私が346プロに所属して初めて担当した子だぞ」

 

 麗はふとももの上で組んだ指を組み直す仕草を繰り返す。

 

「私のレッスン内容は正しかったのか、それともダメだったのか。蘭子のステージですべてわかるんだ。緊張しないわけがない。プロデューサー殿もだろう?」

「もちろんです。このデビューライブという方針で良かったのか、世間への露出を増やしてからのほうが良かったのか。悩ましいですよ、プロデューサーというのは」

「お互い大変だな」

「ええ、まったく」

 

 シニアバンドの演奏が終了し、何名かのスタッフが楽器の撤収作業を始めた。パンクなじいさんたちは拍手を浴びながらやりきった表情で舞台袖へと消えていった。

 

「そういえば、蘭子への宿題の解答はどうでしたか?」

「ちゃんと見つけてきて驚いた。正直、答えを聞けるとは思っていなくてな。思わず聞き返してしまったよ」

「蘭子はもともと表現してみたいイメージをぼんやりと持っていたみたいですから」

「だな。それは普段の言動や書いているイラストで知っていた。今後はそれに囚われすぎないようにしていかなければな。アイドルとして、可能性はたくさんある」

「ええ、私に任せてください。なんたって私はプロデューサーですから」

「頼もしいな」

「それに楓さんへ相談して上手く言語化できたみたいです」

「ああ、なるほどな。どうりで『近いうちにお酒を奢ってください』と楓が言ってきたわけだ」

 

 麗は凸と凹が合わさるようにぴたりと納得がいったようだ。

 

「あらら、大変ですよ、楓さんは。ああみえて枠ですから。なんぼでも飲みます。しかもそれだけじゃなくて、飲ませるのも上手くて。私もそれなりに強いほうですけど、何度酔い潰されたことか」

「そんなにか。ヤバいな、私は弱いんだが」

「御愁傷様です」

「うん、その時はぜひプロデューサー殿も呼ぼう。絶対呼ぼう。そうだ。これから楓も来るんだろう? そのとき誘ってやろうか」

「やめてください翌日仕事になりません」

 

 麗とプロデューサーが他愛もないやりとりを繰り広げていると、

 

『お待たせしました! 次のステージはぁ……アイドルステージですっ!』

 

 進行役とおぼしき女性がマイクを持ってステージに立つ。観客席からは少数の拍手が待ってましたと鳴らされる。

 

『では、準備が完了していますので、さっそく1人目に行きたいと思います! まずは──』

 

 1人目の所属と名前を簡単に紹介されると、舞台袖から衣装に身を包んだアイドルが現れる。事務局から貰ったスケジュールによると蘭子の番は後半だ。

 

「プロデューサーさん、麗さん」

 

 呼ばれて振り返ると仕事終わりの楓がいた。彼女の片手にあるビール入り透明カップ(Lサイズ)がその存在をきっぱりとアピールしていた。

 

「ああ、楓さん。お仕事は無事に終わりましたか?」

 

 楓は今日の午前中に雑誌の撮影が組まれていた。彼女へファッションモデルとして直々のオファーが来たためだ。

 

「はい。あ、隣、いいですか?」

 

 楓がプロデューサーの隣に腰をおろす。

 

「ええ、どうぞ。ところでそのビールは?」

「今日はもう他に予定はないし、なにより美味しそうだったので。これクラフトビールなんですよ?」

 

 クラフトビールをうっとりと、それはもう美味しそうに味わう楓。

 

 先日、撮影が終わり次第この会場に来ると話す楓がイベントマップの日本酒やビールの展示販売に丸を付けていたのは内緒である。

 

「ふふっ、ビールを浴びーるくらい飲んでみたいです」

 

 体力を1使ってプロデューサーのスルースキル発動。

 

「本日の撮影はどうでしたか?」

「なんだか不思議な気分でしたね。モデルのときは閑古鳥が鳴くくらい仕事がなかったのに、アイドル部門に移ってから今日みたいなお仕事を頂けるようになって驚いています」

「楓さんの魅力が伝わり始めてるんですよ」

「それなら嬉しいですね。もっと精進します」

 

 楓はまたカップを傾ける。ビールは残り三分の二ほどに減った。

 

『ありがとうございました!』

 

 1人目のアイドルがパフォーマンスを終える。マイク越しにお礼を言い締めくくった。拍手に送られながら袖へと消えていく。

 

「蘭子ちゃんの晴れ舞台、もうすぐですね。このステージに向けて頑張ってましたから、きっと上手くいきます。だから2人とも、不安そうな顔をせずに応援してあげましょう。ね?」

 

 麗とプロデューサーは眉をぴくりと震わせた。

 

「……麗さん、知ってました? 楓さんって意外と頼りになるんですよ」

「……そのようだ。見直したよ」

「……なんだか2人にひどいことを言われてる気がします」

「「気のせいだ(でしょう)」」

 

 2人の声が重なる。

 

 2人目のパフォーマンスが始まった頃に、屋台めぐりから戻ってきた凛と奈緒、加蓮が合流する。

 

 フライドポテトを黙々と食べ続ける加蓮に奈緒がツッコミを入れ、凛が楓にビールを勧められあたふたしながら断っている。

 

 蘭子の出番まであと少しとなる。そして、気合いのこもった蘭子の両親が登場するまで残り10秒を切っていた。

 

 

 

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