プロデューサーはじめました。   作:テラリウムA

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56話 汝、ロックを知り、そして進め(4)

* 【4】 *

 

 

 翌日もみくちゃんはレッスンを休んだ。そして、また翌日も。

 

 みくちゃんが体調不良なんて珍しいね、と他のアイドルたちと軽く話していたが、さすがに2日連続にもなると心配の色は強くなる。

 

 同じ寮で暮らす智絵里ちゃんや蘭子ちゃんによると、生存は確認されていて学校にもきちんと登校している。ただし、ここ数日は元気がなく、食事やお風呂など以外は部屋に籠っているという。

 

 同寮の2人が呼び掛けても『大丈夫』と言うらしい。強がっているのか、はたまた本当に大丈夫なだけなのか。

 

 みんな心配している。もちろん私だって。

 

 このまま来なくなってそのままフェードアウト……なんてことを想像してしまう。あり得てしまうかもしれない。でも、それはそれでデビューのチャンスが増えるのではないかと考える嫌な自分もいる。

 

 まあ現状ではみくちゃんがデビューできる確率のほうが私より高いのは事実だけどね。

 

 レッスンのスケジュールは今日も組まれている。とりあえずはそちらに集中しよう。今の私にできることはなさそうだし、そっとしておいて時間が解決してくれることを祈ろう。

 

 

 

 

 厳しくも愛のある──おそらくそのあるはず──聖さんのダンスレッスンが終わり、私はフロアの角に位置するガラス張りの休憩コーナーにいた。自販機の横にぽつんと置かれた長椅子に腰掛けて炭酸水を傾ける。

 

 口の中で弾ける炭酸が心地よくて、これだから飲むのをやめられない。炭酸系はロックって感じがする。以前はよくジュースを選んでいたけど、私も一応アイドルだし気を付けるために最近は無糖の炭酸水にしている。

 

 ──みくちゃん、大丈夫かな……。

 

 ガラス越しに日没へ向かう街並みを眺めていると、

 

「りーなっ!」

「おわぅっ!?」

 

 気付けば未央がすぐそばにいて、私を呼ぶと隣にどさりと腰掛けた。私はさぁっぱり気付いていなくて、そりゃあもう心臓が跳び跳ねるくらい驚いた。未央ちゃんの気配をまったく感じなかったから忍者のまつえの可能性が?

 

「み、未央ちゃんかぁ……。びっくりしたあ」

「いやー、ごめんごめん。何度か呼んだんだけど、反応なかったからつい」

 

 てへぺろと可愛らしく舌をだす未央ちゃん。ちくしょー、可愛いなぁ。

 

 そこからしばらく2人で沈黙していた。ときおり弾ける炭酸の音がくっきりと聞こえるくらいの静けさが包み込んでくる。

 

 凪のような状況へ石を投げたのは未央ちゃんだった。

 

「みくにゃんのこと考えてたでしょ」

「……まぁ、ちょっとは」

「おやおやぁ、みくにゃんがいなくて寂しいんですかな?」

 

 からかうように未央ちゃんは言う。こう言ってはなんだが、未央ちゃんのからかい顔には絶妙なウザさがある。ほっぺつねってやりたい。

 

「ち、違うって! ただちょっと考え事をしてただけ」

「どんな?」

「みくちゃんみたいにレッスン以外に自主的にメニューを組んでこなしていてもデビューできないんだ、って」

 

 努力しなければ夢に辿り着けないけど、努力したからといって必ず夢に辿り着くとは限らない。いたってシンプルな理屈だ。シンプル過ぎて嫌になるね。

 

「…………今、思ったより真面目なの来た!って思ったでしょ?」

「えへ、バレた?」

「未央ちゃんの顔にそれはもうくっきりと書いてあるよ」

「あちゃー」

 

 未央ちゃんは大袈裟な仕草でバレたことを誤魔化したあと、少しだけ真面目な表情になった。

 

「まあ、りーなの言いたいことはわかるよ。みくにゃん、がんばってたし、必死だった。端から見てもわかるくらいに真っ直ぐたった。デビュー計画が白紙になったのは私も知ってる。詳しい経緯まではわからないけど、きっと今じゃないってプロデューサーはそう判断したんだよ」

「そりゃそうだろうけど、みくちゃんほどストイックに活動していていったい何が足りなかったんだろう」

「うーん……タイミング的な?」

 

 私の疑問に未央ちゃんはざっくりと答えを返してくる。タイミング、あるいは時の運とも言い換えられるかもしれない。

 

「ざっくりしてるね」

「言った私もそう思う。でも、案外大切な要素なんじゃない? ノリと勢いで上手くいくこともあるし、反対にしっかり準備してもうまくいかないときもある。私だって、タイミング次第ではアイドルになってなかったかもしれないしね。ま、この手の話はさ、考え出したらキリないから、人生そんなもんだと思っておくくらいがちょうどいいよ」

 

 そう語る未央ちゃんは私よりも年下のはずなのに、なんだかずっと大人びて見えた。伊達にデビューしてる訳じゃないということか。アイドルとしての経験値なら私は足元にも及ばない、道端の石ころみたいなものだ。

 

「でも、あれだね。タイミングも大切になると、努力の価値が薄れる気もするよ。あれだけがんばったのにって」

「だね。とはいえ努力しておかないと、タイミングが回ってこなくなっちゃうかもしれないし……むむむ、世知辛いですな」

 

 優しさと厳しさをごちゃ混ぜにした世の中を生きるというのはこういうことなのだろう。ただ、タイミングも大切だとするならば、私がアーティストに手が届かなかったのも仕方なかったのだと言えなくもない。

 

「とりあえず私たちにできるのはレッスンをしながら、みくにゃんを待つことだけだね。まあ、夢に向かって一直線のみくにゃんですからきっと戻ってくるよ。っと、じゃあ、そろそろレッスンの時間だから戻るね」

「うん。話付き合ってくれてありがとう」

「いえいえー♪」

 

 そう言うと、未央ちゃんは軽快な動作で立ち上がり、流れるような足取りでレッスンを受講しに行った。 

 

 ──きっと戻ってくるんだろうけど、とはいえ白紙になっちゃったんだし、もう………………………。

 

 そのまま一気に炭酸を飲み干すと、私の気分とは対称的に、強烈だけどさっぱりした弾ける感覚が口内に広がり喉を通っていく。味気ない爽やかさを嗜みつつ、空のペットボトルをゴミ箱の捨て、私も休憩コーナーを離れた。

 

 

 * * *

 

 

 汗を吸ったジャージは鞄に詰め込み、私服に着替えた私は今、応接室にいる。窓の外はもう薄暗く、帳が落ちようとしていた。

 

 応接室は、全体的にシックなデザインで落ち着きがあり、ソファだってプロジェクトルームのとは違い、ふわふわな感じが段違いだ。高級品なのは間違いないが、いったいいくらなのだろう?

 

 はてさて、私がここにいるのは、本日予定されていたレッスンも終わり一言声をかけてからぼちぼち帰ろうとしていたところをプロデューサーに呼び止められたからだ。応接室(ここ)で待つように、とも。

 

 応接室は個室だから必然的に話す内容は誰かに聞かれたり2人きりじゃないと困るものか、あるいは来客対応のどちらかだろう。

 

 ──何か大事な話かな? 来客は今のとこ来てないけど、もしかして雑誌の取材かなんかかな!

 

 ただ1人ぽつんとプロデューサーを待つ間、何の気なしに呼ばれた意味をそうやって想像していた。することないし。

 

 待つこと5分くらい。プロデューサーがやあやあと1人でやってきた。他に誰の姿もないので取材とかではなさそうだ。残念。

 

 私の向かいのソファにどすりと座ったプロデューサーは、

 

「さて、用件を簡潔に伝えます。李衣菜」

 

 と切り出した。

 

「は、はい!」

 

 私は咄嗟に身構える。

 

 だってこんな風に改まって言うことなんだもん。私に初めての仕事が来たとか? デビューが決まったとか? 期待するなっていうほうが無理だ。

 

 期待は一方的にぷっくりと膨らんでいって、そして──。

 

「これからアイドルを続けるかどうか、意思確認をしたいんだ」

 

 小さな針でつつかれたときの風船のようにぱぁんと弾けて消えた。

 

「……え?」

 

 今、プロデューサーはなんて言った? アイドルヲツヅケルカドウカ……カクニンっていうのはあの確認だろうか?

 

「あー、えーと、それはどういう……」

 

 私は目を泳がせながら尋ねようとして、口ごもる。頭の中が真っ白だ、てっきり吉報だと思ってたから。つまりこれは。

 

「……私は、クビってことですか」

 

 確かに私はまだ仕事をしたことはない。事実だ。とはいえ、ここに所属してまだ2ヶ月くらい。デビューだってしていないし、事務所のホームページにちょこっと顔写真とプロフィールが載っているくらいだ。……見込みがないと判断された?

 

「そうはいってない」

「じゃあどういう」

 

 つもりなんですか、と続けようとした私の言葉を切るように1拍おいてプロデューサーが話し出す。

 

「今の李衣菜はレッスンに身が入っていないように見えるとトレーナーさんたちから報告を受けた。そこでレッスン風景をビデオ撮影してもらって、私もその様子を確認したよ」

 

 確かに最近のレッスンでビデオ撮影をしていることが何回かあった。てっきり内容を決めるときの参考にしているのだと。

 

「結論からいえば、私も同意見だ。確かに一通りレッスンはこなしているがどこかセーブしている。とりあえずやれと言われたことをやっているような、そんな感じ」

「そんなことは……ない、ような……」

 

 どう反論していいか、わからない。少なくとも私はふざけてレッスンを受けていたとか、手抜きしてへらへらっとしていたつもりはなかった。でも、断言できるほど熱量をもって打ち込んできたかと言われればそうでもない気がする。

 

 経験の豊富なトレーナーさんたちやプロデューサーが見てわかるくらいなら、きっとそうなんだろう。

 

「……正直、今の私にはなんて答えたらいいかわかりません、すみません」

「そうか」

 

 淡々とプロデューサーは返事をした。

 

「あの、もし現状のままだと、どうなりますか」 

「あくまで変わらなければの話だが、デビューは先送りになるだろう。他の仕事もまわせるかは不明だ」

「そう、ですか」

 

 それ以降、何も言えずに私はただ黙るしかなかった。

 

「自分自身と向き合ってみてほしい。今後の李衣菜にとってとても大切なことだからな。アイドルを続けるにしても、そうでなくても」

 

 そのプロデューサーの言葉が妙に耳から離れない。

 

「………………」

 

 たったの5分にも満たないこの会話のあと、私はプロデューサーが退室して静まりかえっていた応接室をそうっとあとにした。

 

 

 * * *

 

 

 薄暗く染まった室内の一角を照明が照らしていて、その下で打鍵音がカタカタと途切れずに鳴っている。

 

 夜の8時をまわったアイドル部門にひとけはなく、しんとしている。いるのは残業中のプロデューサーともう1人。

 

「まだ残っていたのか」

 

 プロジェクトルームのドアを遠慮なく開けて、そう言い放ったのはアイドル部門の総責任者である美城常務だ。

 

 こんな夜の時間帯にも関わらず着用しているスーツにはシワ1つなく、髪型すらびしりときまっている。

 

「おや、常務。残業ですか?」

 

 コツコツとヒールを鳴らして常務は彼のデスクに近づく。

 

「少々会議があったものでね。そういう君こそ残業か?」

「ええ、まあ」

 

 あまり無理はするな、とワーカホリックぎみのプロデューサーへ言いかけたが人手を増やせていないことが頭をよぎりその場では飲み込んだ。

 

「とはいえ、もう今日は終わりにする予定でした」

 

 椅子ごと振り向いた彼のデスクトップに表示されているのはアイドルの資料のようだ。

 

 ファイル名は『多田李衣菜』。

 

「何か飲みますか?」

「いや、結構だ」

 

 ここで『貰う』と返事をしていたら出てきたのは間違いなく熱々のブラックコーヒーだろう。エナジードリンクの類いは飲まない主義だと以前話していたのを覚えている。

 

「多田李衣菜……か」

 

 常務は目に入ったファイル名を思わず読み上げてしまう。意識していなくてつい口にしてしまった。彼の目つきが一瞬だけ変わる。

 

「気になりますか」

「当たり前だ。我がアイドル部門から辞めてしまうかもしれないのだろう」

「まだ決まってませんよ」

「それはそうだが、如何せん性急過ぎたのではないか」

 

 彼や今西部長から大まかな説明は受けているものの、より詳しいことは忙しさもあり常務はまだ聞いていなかった。

 

「本人の意思を明確にさせておくのは早いに越したことはありません。それにタイミングとしては今が最適だと、っと私の口から説明するより動画を見ていただくほうが理解しやすいと思います」

「動画?」

 

 彼は素早くマウスを動かしてファイルを保存し、フォルダ内に保存されている動画を開く。

 

「ええ。百聞は一見に如かず、短いのでそこまで手間は掛かりません。まずは1本目です」

 

 再生ボタンが押される。画面ではダンスレッスン中のアイドルたちが映し出される。もちろん李衣菜もそこにいる。

 

「次です」

 

 続いて2本目となる。どちらも長さは3分弱で、なんてことないレッスンの様子を収めている。

 

 常務は再生が終わるまで静かに視聴していた。

 

「どうでした? 私の言いたいこと、なんとなく理解していただけたかと」

「ふむ、そうだな。なんというか……1本目と2本目では多田李衣菜だけが、“浮いている”ように見受けられた」

「“浮いている”、ですか。なかなかいい表現ですね」

 

 プロデューサーはすっかり冷めきったであろうコーヒーで口を濡らし話し始める。

 

「1本目と2本目の違いは撮影時期です。1本目は基礎レッスンから通常のレッスンに切り替えた初回の、2本目は昨日です」

「1ヶ月と少しで差がついたような形になったと? しかし、ダンスの技量自体は上がっているようだが」

「ええ、そうなんです。李衣菜を含めて全員の技量や体力、体のキレ、柔軟さといったダンスに必要な要素は概ね上達しています。ただ、それでも、李衣菜だけが“浮いている”ように見えてしまう」

 

 2本の動画を見比べたとき、1本目にはなかった違和感を2本目の李衣菜には感じる。ダンスの技量は中の中あたりで、同じくレッスンを受ける智絵里のほうが技量的には下だ。

 

 それでも智絵里にはなく、李衣菜にある謎の違和感。

 

「振り付け自体は他のメンバーと揃っていたし、遅れている様子もなかった。技量によるものではないとしたら、精神的ななにかが作用している?」 

 

 常務は思考を絞り出すように言う。その表情はどこまでも真剣だ。

 

「まあ、そんなところでしょうね」

 

 答え合わせをするようにプロデューサーは引き出しから紙の束を取り出してポンと置く。

 

「これは……見てもいいのか?」

「もちろんです」

 

 手に取り、彼女は1枚1枚めくっていく。

 

 表紙は白紙で、次のページは多田李衣菜のプロフィールと顔写真だ。さらに次はオーディションのときの彼と今西部長の所感、所属トレーナーである麗、聖、明の意見が載せられていた。

 

「ふむ、ボーカルレッスンでも似た状況がたまに見受けられると」

「はい。明さんの担当するレッスンでも確認されています」

 

 何が理由なのか、そう考えつつさらにページをめくる。そこには李衣菜が過去に応募した他事務所のオーディションの情報が並べられていた。

 

「……君、これは」

「李衣菜が応募したオーディションの情報です。アイドルではなく新人アーティスト募集の、ですけどね。うちのアーティスト部門にも記録が残ってましたよ」

 

 オーディション名と主催した芸能事務所、日付、それに提出したであろう詳細な応募書類まである。

 

「どうやってこれを?」

「トップシークレット、とだけ」

「……これが片付いたらこの資料は処分しておくように。もちろんパソコンのデータもバックアップを含めてだ」

「御意」

 

 常務は素知らぬ顔をしているプロデューサーを見てため息を吐き、改めてこの資料に視線を落とす。

 

「それでだ。君の見解を聞かせてもらおう」

 

 視線は落としたままそう告げる。

 

「……李衣菜はまだアイドルになることを受け入れられていないのでしょうね。もともと目指していたアーティストへの未練がそうさせるのだと考えています。たとえ書類上、手続上はアイドルであっても、本人はまだ納得できていない」

「頭では分かっていても心が付いてこない、という認識で合っているか」

「はい。彼女にとって、おそらくアイドルはデビューするための次善策です。その応募歴からもアーティストを目指していたのは明白で、それが上手くいかない中でデビューだけでもするためにうちのオーディションをすがるように受けたという流れかと」

 

 プロデューサーはコーヒーで舌を濡らして続ける。

 

「李衣菜は嘘や隠し事が下手なんです。だから良くも悪くも思っている内容が行動に素直に表れる。オーディションの際も隠しきれていませんでしたからね。私も今西部長も、李衣菜がアイドルを本気で目指していないとすぐにわかりましたから」

「それでも合格にしたのだから、見込みはあるのだろう?」

「ええ、私はそう判断しました」

 

 彼は続ける。

 

「時間をかけてレッスンを重ねていく中で、李衣菜はアイドルという存在をどんどん意識し始めているはずです」

 

 どのような心境でアイドルオーディションを受けたのか、常務にも彼にも分からない。ただ、着々と自分がアイドルに、なりたい存在ではないものになりつつある。それが心理的な抵抗が生んでいるのかもしれない。

 

「自分はこのままではアーティストではなくアイドルになる、なっていくという彼女の認識が、無意識のうちにレッスンに対する姿勢へ変化をもたらしたと考えています。本人はたとえデビューのためだと割りきっているつもりでも、実際にはまだ整理がついていない」

 

 軽い気持ちで応募したオーディションでまさかの合格をしたために夢と実利を天秤にかけたのだろう。悩みに悩んで、そして後者をとった。ただ、迷いや執着はまだ彼女の中にこびりついている。

 

「デビューはしたいがアイドルにはなりたくない。そんな……葛藤や悩み、心理的な抵抗がこの現状の原因だと考えています。デビューするためにはレッスンを受けなければならない。かといってそれはアイドルに近づくことでもあり避けたい。そんな不協和音が違和感として表れているのが、お見せした動画かと」

「ふぅむ、概ね理解はした。本人は気付いていると思うか?」

「いえ、気付いてないでしょう」

 

 むしろわざとならば少しの話し合いで解決できただろう。そうでないからこそ大変なのだ。

 

「だからこそ、多少荒くとも改善策を取るべきだと私は判断しました。ちなみにですが、常務はさきほどの動画からどんな印象を持ちましたか?」

「……そうだな、……まあ、あまり良い印象ではないな」

 

 アイドルにとって印象は人気に直結しているといってもいいほどに大事だ。しかして脆く崩れやすい。

 

 スキャンダルのような明確な原因で悪化する場合もあれば、日々の雰囲気や態度の微妙な変化で印象が反転する場合だってあるだろう。

 

「アイドルは論理や客観性よりも観客の主観や感覚に訴えかけていくものですから、このような直感や言語化できない領域での違和感は悪印象となり得ます。むしろマイナスの影響のほうが大きい。例えるなら、会議でなんとなくコイツやる気ないなって直感的に思うようなイメージです」

「なるほど。前回の会議のときの君のようにか」

「……あれは徹夜明けでしたので」

 

 ノーカンだと言いたげに視線をずらす彼は注意をそらすように1度咳払いをする。誤魔化しているのはバレバレだった。 

 

「んんっこほん! とにかく、今の李衣菜の状況は説明した通りです。観客が直感的に感じ取る悪印象はマイナスイメージにしかなりませんし、このままデビューさせてもファンはそこまで増えないでしょう。ファンの少ないアイドルの末路は常務もご存知のはず」

「ああ」

 

 常務は短く返事をすると、資料を読み込むようにじっと見つめる。

 

 アイドルの世界は苛烈な競争そのものだ。新しいアイドルたちが今日も生まれては消えていく。デビューしても人気が出ずに表舞台から降りていくアイドルはたくさんいて、夢破れた彼女たちがステージに昇る機会はおそらくもうない。厳しい世界に身を置き、人気を、ファンを獲得していかなければならない。

 

 当然、彼女たちとともにあるプロダクション側も厳しい判断を迫られるときだってある。慈善事業では決してないのだから。

 

「1つ聞きたい」

「はい、なんでしょう」

「もし仮に、多田君の状況が変わらない、あるいは、その見込みがないとなったら、どうする?」

 

 プロデューサーはちらりと常務へ視線を向け、考え込むようにそれを自分のコーヒーカップへと落とした。手に取り、ワインのようにカップ内のコーヒーをまわしてから、残りの1口分を飲み干す。

 

 空のカップを持ったまま沈黙していたが、ようやく返答を発した。

 

「そのときは、李衣菜を切ります。今のアイドル部門にはそんな余裕も耐久力もありませんから」

 

 再びプロデューサーが常務へ視線を向ける。

 

 ──それはあなたが一番よく分かっているでしょう。

 

 口にはしなくとも、彼の伝えたいことは眼を見ればすぐに理解できた。

 

 アイドル部門はまだ設立されて1年も経っていないし、存続のための条件もあって残念ながら余裕はほとんどない。最悪の場合は本当に切らねばならないかもしれない。そうならないために今の常務にできるのは祈ることだけだった。

 

「そうか」

「まあ、仮の話ですし、それに本当にどうにもならないならとっくに切ってますから」

「それを聞けて少しは安心した。では、私はこれにて失礼する。多田君のことはくれぐれも任せたぞ。そして、君も早く帰りなさい。労基だって目を光らせる時代だからな」

「御意」

 

 常務は大層な返事をするプロデューサーのデスクへ資料を置くと、ヒールを鳴らして退室した。

 

 

 

 

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