プロデューサーはじめました。   作:テラリウムA

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7話 ツンデレとソフトクリーム

 

 

 夜。それは大人の時間。1日の仕事を終えた人々がおもいっきり羽を伸ばす、そんな時間である。

 

 帰宅して家族と過ごす、買い物をする、寄り道して酒を傾ける、スポーツジムで運動する、キャバクラで一時、などなど。

 

 20時をまわった頃、プロデューサーは1軒の居酒屋の前にいた。

 

 菱形模様の引き戸に手をかけ、店内へと足を踏み入れる。カウンターと座敷がそれぞれある至って普通の居酒屋だ。居酒屋と言われて想像するような王道の店内である。

 

「1名様ですか?」

「いえ、待ち合わせです」

 

 店内をぐるりと視線をまわすと奥の座敷に見知った背中が座っている。店員へあそこの席の人だと伝えると案内してもらえた。どうやらもう酒盛りを始めているようだ。

 

「お疲れ様です、先輩」

「お、来たわね。さ、座って座って」

 

 先輩に促されて対面の座布団に座った。先輩は2人いるのでこっちはパイン先輩と呼ぶことにする。

 

 テーブルの上にはすでにいくつかの料理とビールのジョッキ、ウーロン茶のコップが置かれている。

 

「本日はお呼びいただきありがとうございます」

「あはは、元気そうだな」

「先輩もお元気そうで。して、今日は何用で?」

「そりゃもちろん意見交換会よ。こうしてプロデューサーが3人集まってるんだから」

「なるほど。つまり飲み会ですね。でも、パイン先輩はお酒弱いじゃないですか」

「ほどほどにしておくわ。明日も仕事だし。それにお酒も少しずつ慣れてきたから問題なし!」

 

 お開きになる頃にはベロンベロンになるんだろうなとプロデューサーは考えつつ、メニュー表を手に取った。

 

 からあげは鉄板で、あとは……と表を眺め、一先ず店員に注文を済ませる。

 

「それでそっちは順調か?」

「えぇ、今のところは順調ですよ。大きなトラブルもありませんし」

「うん。なら良かった」

「この人ったら、あなたのことが心配でちょくちょく気にしてたのよ? 連絡したらどうですかって言ったら邪魔しちゃ悪いしって。そんな訳で今日の会が開かれた訳です!」

 

 少しドヤ顔のパイン先輩。予想通り、彼女がセッティングしたようである。 

 

「仕事だと決断が早いのに、1歩ずれると優柔不断になっちゃうんですから」

「あはは……いやぁ、面目ない。まぁ、上手くいってるなようだし良かった。困ったらなんでも相談してくれ」

「こんないい先輩たちを持って私は幸せです」

「大袈裟だなぁ」

「……奢ってくれたらもっと幸せになると思ったり」

「相変わらずね、あんたは……。ま、悩みがあったらいつでも言ってちょうだい。何せ先輩だからね!」

 

 先輩もパイン先輩も相変わらずの人の良さだ。プロデューサーは2人に変わりがないことに安堵しつつ、お冷やを口に含む。

 

 ちょうどからあげが運ばれてきたので、1つつまむと醤油とにんにくが程よく絡み合っていて大変に美味しかった。

 

 ちなみにきっちり割り勘になる定めである。

 

 

 * * *

 

 

「ぐぁぁ……」

 

 先日、正式に所属となった城ヶ崎莉嘉が、休憩になったとたんにレッスンルームの床に大の字で寝転がる。

 

 ニュージェネレーションの凛、未央、卯月と莉嘉の姉の美嘉を合わせた5人はまさにレッスンの真っ最中である。

 

「ちょっと莉嘉、だらしないよ!」

「そんなこと言ってもぉ……」

 

 ぐでっとした姿を美嘉に注意され、莉嘉はしょぼんと口をしぼませる。

 

「なんだ、もう嫌になったのか」

 

 ニュージェネに評価点と改善点を伝え終えた聖が今度はこちらの会話に混ざる。

 

「ううん。そういうわけじゃないけどー」

 

 莉嘉は体を起こす。

 

「普段使わないとこまで使ってる感じだから疲れがドットくるというか」

「ほう。ならストレッチも必要だな」

「い、痛いやつ?」

「違う違う。ゆっくり伸ばすんだ。ふむ、明日からメニューに加えよう」

 

 聖が莉嘉の発言を要点をまとめてささりとペンを走らせメモをした。そして後ろからそれをプロデューサーが覗き込む。 

 

「美嘉と莉嘉はどうですか?」

「きゃあっ!?」

 

 いきなりの彼の登場に小さく跳び跳ねるように驚く聖。可愛い声も出ていた。

 

「ぷ、プロデューサー殿! いったいいつから……!」

「少し前からです」

「いきなり後ろから声をかけるのはやめていただけると。心臓に悪いので!」

「可愛らしい一面が見れて満足です(これは失礼しました)」

「プロデューサー、本音出ちゃってるよ」

 

 美嘉に言われるも時すでに遅し。ややジト目の聖からの視線を受けながら、美嘉と莉嘉の調子を確かめる。

 

「どう? 本格的にアイドルになってみて」

「きついけど、でも楽しいよ☆」

「良かった良かった」

 

 プロデューサーは莉嘉の頭を撫でる。

 

「えへへ~」

「美嘉は?」

「アタシ? アタシも楽しいかな★ うまくステップ踏めたときとかちょっとカッコいいななんて思ったりして」

「そうか。よ~しよし」

「ちょ!? アタシはそんな歳じゃないっての!?」

 

 美嘉も撫でてみる。表情がコロコロ変わっていくのが面白……とてもいい。見た目ギャルっぽいけど案外純心かもしれない。

 

「プロデューサー殿は相変わらずですね。マイペースだとかよく言われません?」

「よく言われます」

「でしょうね。おっと」

 

 聖の腕時計からアラームが鳴り、休憩時間の終わりを知らせていた。

 

「よし。休憩終わり! 続きからだ!」

「では、よろしくお願いします」

「えぇ」

 

 プロデューサーは聖にレッスンを任せ、外回りに出た。

 

 

 

 

 営業活動を終えたプロデューサーは秋葉原へと足を伸ばしていた。

 

 理由は特にない。強いて言えば勘となるだろう。直感というやつだ。メイド喫茶とか興味なんて全然さっぱりないから、本当だから。

 

 さて、秋葉原といえばホビーの中心地といっても過言ではないだろう。とりあえずその辺の店舗を冷やかしに行くとしよう。

 

 プロデューサーはひとまず近くの店舗に足を踏み入れた。

 

 人はまばらで──平日ということもあるだろう──冷やかしにはちょうどいい。

 

 店内の一角には彼の背丈と同じくらいのショーケースが並び、多くのフィギュアが展示されている。メーカーごとにスペースが区切られ、商品名の札を見るにまだ発売前の物もあるようだ。

 

「へぇ」

 

 プロデューサーは見てまわりながら、思わず声を漏らす。というのも、最近のフィギュアというのは非常に細かく作り込まれており、例えばあのスカートが短めの女性キャラクターはパンツのシワまで再現されているほどである。

 

 そのとき、彼はショーケースをくまなく見るのに集中していて、隣にいた人とぶつかってしまった。

 

「おっと、失礼しました」

「あ、いえ。こちらこそ」

 

 謝罪の言葉を交わしてそのままショーケース観覧に戻る。

 

 ちらりと横目で確認すると、女性でボリュームのあるふわふわのウェーブヘアで、お団子を後頭部高めに1つ作っている。身長は150センチくらいだ。

 

 どこかで見たような……。彼はそんな気がしていた。

 

 何度か横目で見ていると相手もさすがに気付いたらしく、訝かしむ視線を向けて話しかけてくる。

 

「あの、アタシに何か用ですか?」

 

 さきほどまでは横顔しか見れていなかったが、今なら真正面だ。やはりどこかで。そんなプロデューサーの頭はミキサーのように回転し、そして閃いた。

 

「もしかして、神谷奈緒さんですか?」

「……は?」

 

 彼女は鳩が豆鉄砲をくらったようにぽかんとしていたが、やがて真顔でポケットからスッとスマホを取り出した。視線は冷たく、刺すようだ。

 

 そして、その行為の意味をプロデューサーが理解するのにたいして時間は掛からなかった。

 

 

 

 

 プロデューサーと奈緒はさきほどの店舗からそう遠くない場所にあるメイド喫茶にいた。

 

 奈緒を驚かせてしまったお詫びともとからメイド喫茶目的だったことと警察沙汰を回避するためである。

 

「さきほどは驚かせてしまい申し訳ありません」

 

 プロデューサーは着席したまま深々と頭を下げる。名刺を出してあれやこれや説明してなんとか誤解を解き、事なきを得た。

 

「あ、いや、いいよ。あたしこそ346プロの人だとは知らなくて」

 

 奈緒はキョロキョロと落ち着かない様子で答えた。

 

 改めてになるが、彼女の名前は神谷奈緒という。以前開催したオーディションに応募してくれた子である。残念ながら、一次選考通過後に辞退されてしまったが。

 

「ご主人さま、ご注文はお決まりですか?」

「あ、えっと……」

 

 注文を取りに来たメイドに促されて手元のメニュー表へ視線を落とす奈緒。

 

「私は『ふわふわ天にも昇るオムライス、魔法付き』で」

「じゃああたしもそれで」

「はぁ~い、お待ちください!」

 

 メイドは小走りで厨房に向かい、注文を伝えた。

 

「メイドの衣装が気になりますか?」

「へっ!? あ、いやー、べ、別に? それより、メイド喫茶、よく来るの……ですか?」

 

 図星だったのか、あからさまに話題を変えてきた。ここは乗るとしよう。

 

「いえ、ここが初メイド喫茶です。なんでも36歳で現役のメイドさんがいるそうで」

「あ、それ知ってます。へぇ、ここだったんだ。車椅子に乗ってるメイドさんは珍らしいって」

「そうです、そうです。以前から気になってたんですよ」

 

 そのとき、メイドが2人分の『ふわふわとんとこオムライス、魔法付き』を運んできた。そして、その後ろにはまさに今話題にのぼっていたメイドもいた。

 

「お待たせしました! 『ふわふわ天にも昇るオムライス』です! では魔法はこちらのメイドさんとバトンタッチします」

 

 配膳のメイドは1歩下がると車椅子の彼女とバトンタッチする。

 

「バトンタッチしました! お二人は初めてですか? ではいきます! 萌え、キュン、萌え、キュン、ふわふわりーん!」

「おぉ~」

 

 テレビなどで見ると大したことなさそうだが、実際にやってもらうとテンションが上がる。奈緒も目が釘付けだ。

 

「ではご一緒に。萌え、キュン、萌え、キュン、ふわふわりーん」

「萌え、キュン、萌え、キュン、ふわふわりーん!」

「ありがとうございます! ご用があればまたお呼びくださいねご主人さま!」

 

 彼女は別のテーブルに移っていった。

 

「なんかテンション上がりますね」

「うん! あっ、そ、そうですね」

 

 屈託のないいい笑顔だった。すぐに引っ込めてしまったが、プロデューサーは自身の目に狂いはなかったと確信する。あ、オムライスおいしい。冷凍じゃないなこれ。

 

「ところで、ああいう可愛い衣装、気になりますか?」

「え? あー……、バレてた?」

「がっつり」

「ま、まぁ、ほんのちょっとくらいは気になるけど……」

「奈緒さん。アイドル、今からでもやってみませんか?」

 

 一瞬目を真ん丸くした奈緒は、状況が飲み込めていないのかぽかんとした表情を浮かべる。

 

 それはまるで背後からいきなりピコピコハンマーで叩かれて振り返ると虹色のダース・ベイダーが立っていたあの日のプロデューサーと同じだ。

 

「……はぁ!? いやいや、ア、アタシには無理だって!!」

 

 間を置いて、奈緒は全力で否定したのだった。

 

 

 * * *

 

 

 メイド喫茶で奢ってもらった日から、すでに数日が経っていた。

 

 あれからの奈緒には平穏な日常が訪れていた。

 

 白い小動物みたいなのに契約を持ち掛けられたり、突然能力に目覚めたり、異世界に飛ばされたり──そんなアニメや漫画みたいな劇的な変化が起こるわけでもなく、何気ない日常が当たり前のような感覚で流れていく。

 

「はーあ、なんで応募しちゃったんだろうなぁ」

 

 なんとなくやることもなく、ベッドに寝転がりながら奈緒は物思いにふける。

 

 

 

 

 少し前に募集されていた346プロのオーディションに彼女も応募していた。

 

 なぜと理由を問われたところで彼女に明確なものはない。強いて言うならば、その場の勢いで、となるだろう。

 

 たまたまSNSでトレンドに上がっていたので、少しホームページを覗いてみて、あとは勢いそのままに応募という流れだった。

 

 軽い気持ちだったし、まさか書類選考を通過するなんて郵便ポストに投函するときは微塵も考えていなかった。どうせ落ちるんだろうなと。

 

 新年度も始まり、応募した事実さえ薄れてきた頃にそれはあっさり届いていた。

 

 学校から帰宅するといつものようにポストを確認すると、ポスティングされたチラシが数枚と奈緒宛ての封筒が一つ。差出人は346プロだ。そういえば応募してたっけ、と思い出す。父は仕事で、母は外出していて誰もいない自宅の玄関で靴を脱ぎ、階段で2階の自室へ向かう。鞄を下ろし、文房具立てからはさみを抜き取り、端を切る。

 

『えっ』

 

 中身を確認して驚きのあまり思わず声を出してしまったことを彼女はまだ覚えている。

 

 なにせ、結果は書類選考通過のお知らせだったのだから。

 

 面接の日時もすで組まれているようで、別紙に詳しく記載されていた。

 

 どうしよう、と奈緒は考えた。まさかまさかの結果である。このまま受けてみるか、それとも……。しかし、やりたくて応募したわけじゃないし、なんとなくだったというか。そもそもアイドルなんて柄じゃないし、人前で歌って踊る自分の姿とか想像つかない、というか恥ずかしい。それにアタシには可愛さも愛嬌もない。……でも、可愛い衣装には少し、ほんの少し興味が……。

 

 頭の中を思考がぐるぐるまわっているのを感じつつ、その日は過ぎていった。

 

 

 

 

 翌日、奈緒は辞退することを決めた。

 

 

 

 

 2次選考を辞退したのだから、もう特になんにも思い入れはない、そのはずだった。

 

 346プロのプロデューサーだという男に会うまでは。

 

 体勢を変えて枕に顔をうずめる。

 

「なんなんだよ、もぉ~!」

 

 枕に向かって本音を素直にぶちまけたあと、奈緒は弾かれた輪ゴムのようにベッドを下り、収納棚を漁る。いろいろ引っ張り出して、あれじゃない、これじゃないを繰り返し、ようやく古い箱を見つける。

 

 開けてみれば、それはアニメのDVD-BOXで、中学1年かその少し前くらいにおこづかいを貯めて買ったものだ。

 

 アイドルものではないが、可愛い衣装に変身した女の子たちが戦う作品で、小さい頃は録画して何度も見ていたし、今も毎週欠かさずに見ている。

 

 プレーヤーに1枚セットし、テレビの電源を入れ、リモコンを持ってベッドに戻る。

 

 再生ボタンを押すと、すらすらと暗唱できるほどに聞いたオープニングの曲が始まる。やがて本編へと移り、キャラクターたちが動きはじめる。

 

「あぁ、そういえばこの衣装好きだったなぁ」

 

 ふと思い浮かんできたのは、お気に入りキャラクターが着ている衣装をおもちゃ屋で買ってもらったときのことだ。

 

「あれ四六時中着てたなー。出かけるときまで着てこうとして怒られたし。少し破れちゃってギャン泣きしたっけ。ははは」

 

 家族の間で今までに1番すさまじい駄々をこねたときだったとして語り継がれているらしいが、当の本人はさっぱり覚えていなかったりする。

 

 独り言やらとともにあーだったこうだったと色褪せていた記憶が色を取り戻し、蛇口を捻ったようにあふれてくるのを感じる。

 

「……また、可愛いの着てみたいな」

 

 体育座りのまま、ぽろりとこぼした言葉は、余計な思考がろ過された純粋さを含んでいた。

 

 

 * * *

 

 

 そうして、さらに数日が経過した。あっという間の出来事だったと言わざるを得ないだろう。朝起きて学校行って授業を受けて帰宅して、を繰り返す日々である。未練も少しは薄まったのではないだろうか。

 

「あ、そうだ。秋葉行こ」

 

 お昼休憩後すぐに歴史の授業という睡魔に襲われること間違いなしの状況で奈緒は唐突に閃いた。

 

 

 

 

 場面は変わり、秋葉原駅近くのハンバーガーショップ。

 奈緒はボックス席についていて、テーブルを挟んで向こうには例のあの人がいる。トレーにはできたてのポテトやナゲットなどが置かれている。

 

「さ、どうぞ。食べてください」

 

 そう、346プロのプロデューサーである。

 

 なぜ、と問われたら、秋葉原駅を出たところでバッタリ会って『お茶でもしませんか』と誘われたからと答えるだろう。

 

 背後から『こんにちは』と声をかけられたときの心拍数の上がり方は体に悪いのではと思えたほどだ。しかし、本当に偶然だろうか、という疑問は残る。……偶然であることを祈るしかない。神様お願いします。

 

 そっとポテトを1つ指で掴んで、口に運ぶ。塩がよく効いてる。添加物については考えないようにしよう。

 

「……あの」

「はい」

「そんなにジロジロ見られると食べにくいんだけど……」

「これは失礼しました」

 

 口ではそういうが目線は相変わらず奈緒に固定されたままだ。

 

「あ、えっとー……、1つ聞きたいことがあるんだけど、いい?」

「なんなりと」

「変なこと聞くんだけど、ア、アタシにアイドルって似合う、かな?」

 

 あの日から──主にこの人が余計なことを言ったせいで──こんな感じだ。

 

 自分がアイドルになったらどんな衣装を着ているのか、着たいのか、どんな活動をするのか、人気はでるのか。ふとこんなことを考えるのだ。未練は薄まったどころかかえって大きくなっているらしい。

 

 彼は答えない。少しの沈黙が流れる。

 

 それが自分で辞退したはずなのに未練がましいなと彼女に恥ずかしく思わせて、口を開かせた。

 

「あ、あはは! ちょっとしたジョークみたいなもんだから、あんまり気に──」

 

 気にしないで、と言うつもりだった。笑ってくれてもいいし、似合わないとすっぱり切り捨ててくれてもいい。それで未練も何もかも消え去るんじゃないかと。

 

「よく似合いますよ」

「しない……で」

 

 その返答は、消し去るどころかかえってそれを大きくさせるものだった。

 

 一瞬だけ脳がフリーズする。1秒にも満たないその瞬間がとてもとても長く感じられた。

 

 動くことを確認した口で言葉を絞り出す。

 

「……そっか。似合うんだ、はは」

 

 嘘なんかついていないと信じられるほどに、まっすぐにしっかりと奈緒を見据えて彼はそう言うのだ。

 

「あ、あのさ! アタシ、その、自分には似合わないとか柄じゃないとか人前が恥ずかしいとか、そういうのついつい考えちゃって。合格してもいないのに勝手に舞い上がってバカみたいだななんて我に返ったりもして、頭ん中ぐるぐるになって、それで辞退したんだ」

 

 自分でも何を言っているのかわからない。話す言葉にブレーキがかからなかった。彼は黙って聞いている。

 

「応募した理由も、可愛い衣装が着れるんじゃないかって考えたからで、不純だと思ってさ」

「不純ではありませんよ。うちに所属しているアイドルたちも、もちろんアイドルになりたかったからという理由もありますが、面白そうだから、興味が湧いたからなった子もいます。最初の1歩を踏み出す理由は人それぞれですから」

「そうなんだ」

 

 そう言ってもらえて、はっきり嬉しかった。同時に後悔の念も感じた。

 

「メイド喫茶に行って、というか、アンタ会ってからさ、もし自分がアイドルになったらどんなんだろうって想像ばっかりしてるんだ。はは、辞退したっていうのにバカみたいだよな。それでも考えちゃうんだ。おかしいだろ?」

「ふぅむ。奈緒さんは、ああだからこうだからとできない理由を探しているように思えます。少々後ろを向きがちです」

「そう、見える?」

「えぇ。それに、そこまで考えてしまうのならやってみたい理由を探してみるのもありです」

「やってみたい理由、かぁ」

 

 頭にぱっと浮かぶのはやはり『可愛い衣装が着てみたい』だろうか。単純だけれども昔っからそうだった。アニメキャラの衣装とか結構好きだった。鏡の前でポーズを決めたりもした。

 

 ああ、良かった。自分にもちゃんとあったんだ。

 

「……こんなこと頼んでいいのかわからないんだけど、に、2次審査受けさせてもらえない、かな。1度辞退してるし、今さら迷惑なワガママ言っちゃってるのはわかってる。けど、アタシも1歩踏み出してみようかなって」

「もちろん構いません」

「即答しちゃって大丈夫なのか!? でも、ありがと。へへっ。あ、それで、アタシは何したら」

「いえ、ちょうど今終わりました。奈緒さんは合格です」

 

 ちょっと何を言ってるのかわからなかった。情緒が宇宙に飛び立つ3秒前である。

 

「え?」

「基本的な事務処理はこちらで進めておくので、お渡しする書類に記入してもらってですね、保護者の方の承諾書に判子と」

 

 フリーズを通り越して情緒が無事に宇宙へ飛び立っていった奈緒に彼はテキパキ説明しつつ、かばんから厚めの白い封筒を取り出した。

 

 そのタイミングでようやく宇宙からそれが帰ってきた彼女は思わず声を漏らした。

 

「えええええええぇぇぇぇぇぇ!?」

 

 その後、店内の視線が奈緒に全集中し、さりげない呼吸でポテトをつまみ、さも何事もなかったように誤魔化すことになるのである。

 

 

 * * *

 

 

 346プロの1階フロアにはカフェがある。一時の休憩もできるし、軽食も取れる。出入口は2つで、一般の方が利用するためのと346プロの社員などが使う社内への直通のものがある。

 

 値段が少々高めだが、それでもメニューも多くて中々に便利である。

 

「ソフトクリームです。こぼさないようにお気をつけください」

 

 カウンターでソフトクリームを受け取ったプロデューサーは、その辺の空いている席に腰かける。

 

 これからの予定を頭の中で確認しつつ、それを食べ進める。ほどよい甘さでコクもある。これは中々にうまいのではないだろうか。

 

 予定としてはいろいろある中で、やはり神谷奈緒が正式に所属することが本日のメインだと言ってもいい。あと30分ほどで彼女はここに来る。

 

 からんからんとドアチャイムが鳴って、1人の少女が入店してくる。

 

 もふもふの髪を一部お団子にしている彼女のことをプロデューサーはよく知っている。

 

 彼女こそ神谷奈緒その人だからである。

 

 目と目が合う瞬間に彼女も気付いたようで、軽く会釈をした。

 

「いらっしゃいませ。ご注文はございますか?」

「あー、じゃあ……ソフトクリームで」

「かしこまりました。500円になります」

 

 会計を済ませた奈緒が彼のいるテーブルにやってきた。

 

「ここ、いいですか」

「どうぞ」

 

 奈緒は腰かけてソフトクリームを食べはじめる。

 

 プロデューサーはじっと彼女を観察する。理由を説明しておくと、今後のプロデュース方針のための情報収集である。断じて変態的な目的ではない。

 

「おいしい……!」

 

 彼女の緊張気味の表情がぱあっと明るくなる。

 

 おいしそうに食べる姿は見ている彼の心も明るくしくれそうだ。あっという間に食べ終えた奈緒はとても満足そうだ。

 

「あ、そうだ。天津さん」

「呼びやすいので結構ですよ」

「そう? じゃあ……プロデューサーさん、かな。うん、しっくりくる。そっちもさ、話し方崩していいよ。なんだか堅苦しいからさ」

「わかったよ、奈緒」

「うん。えっと、これからよろしくな、プロデューサーさん」

「こちらこそ」

「それでさ、これから他の子とも会うんだよな?」

 

 そのとき、カフェのドアチャイムがまた鳴って、黒髪をなびかせ取っ付きにくそうな1人の少女が入店してくる。彼女は渋谷凛。プロデューサーの担当アイドルの1人だ。

 

 凛は空いている席を探そうと店内を見渡して、プロデューサーと奈緒を発見した。

 

「あれ、プロデューサー……とこの人は?」

「グッドタイミング、凛。こちらは神谷奈緒さん、今日から所属する新人アイドルだよ」

「そういえば昨日言ってたね。はじめまして、渋谷凛です」

「神谷奈緒です。よろしく」

「うん。よろしく奈緒。フロアまで案内するよ」

「いいのか? カフェで休憩とか」

「うん。カフェに来たのはなんとなくだし。さ、行こっか。ほらプロデューサーも」

 

 凛と奈緒、プロデューサーの3人は談笑しながらカフェを出る。

 

 ちなみに、奈緒のことを『もふもふツンデレ枠』と形容してきたのがバレ、「アタシはツンデレじゃないから! ほんとだからなっ!?」と言われることになるのだった。

 

 

 

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