「痛っ……、お師匠さんめ、少しは加減をしろってんだ」
「自業自得だろ。あの人がいるこの舟で、悪口なんて言ったオマエのな」
メルカバに設置された医療室。中には包帯やガーゼといった医療道具がそろっており、万全な設備が整えられていた。そんな中で両腕を膝に付けて猫背に座る傷エドを、向かい合うように座っているセリスが丁寧に治療するのであった。
アインに連れ去られたエドが帰ってきたときの姿は戦場帰りの兵士のようにボロボロの姿だった。特に顔が一番ひどい。痣や鼻血の痕がくっきりと残っており、それはもう見るも無残な姿だった。その姿を目にしたセリスは有無も言わさずにエドを医療室に連れて行き、彼の治療をおこなった。その際、事の経緯を聞いていたセリスは、何をやっているんだと、呆れるしかなかった。
「総長がどういう人か、お前が一番よく知ってんだろう。だって言うのに、その総長を怒らせるなんて、ただのバカだろう」
「ばっ! ……いや、確かに俺の軽率だったな。顔だけですんだから、まだマシだな」
アインが本気になれば、顔だけですむ話ではなかったはずだ。それこそ、全身の骨を折ったり、臨死体験をさせたりなど、悪魔も裸足で逃げるほどの所業を笑って実行するだろう。幼少の頃に彼女の下で一年も修行してきたエドは、それを身をもって知っていた。
「痛っ! もう少し、手加減をしてくれよ。ちょっと荒っぽいぞ」
「うるせぇ。さんざん心配かけさせたんだ。このくらい我慢しやがれ」
ふんっ、と鼻を鳴らしながらも、エドの治療を続けるセリス。彼女自身、エドが龍來で《庭園》の追跡後に行方不明になったことを知らされてから、彼の身が心配で気が気ではなかったのだ。そして、エデン村で無事な彼の姿を見てほっとしたかと思えば、彼はオランピアとどこか親しそうにしており、抱いていた心配はすぐに消え去ってしまった。嫉妬と怒りなどで、頭の中が無茶苦茶になり、エドにつらく当たっているのだった。
「人が心配していたのをよそに、あのチビ助とイチャコラしやがって……」
「イチャコラって、お前な……」
「おまけにあのチビ助もどこか吹っ切れたみたいな顔になりやがってよ。くそっ、面倒くせぇことになっちまった」
「セリス?」
「あぁ?」
「……なんでもありません」
凄みのあるセリスの眼力にエドは思わず引いてしまう。これ以上、下手に聞けば、顔に新たな傷ができてしまう。
「そんなことより、エド。一つ聞きてぇんだけどよ」
「なんだ?」
「チビ助は知ってんのか? アルマさんのことを」
セリスの質問にエドは口を閉じてしまう。彼女の質問の意図をエドはなんとなく察してしまったからだ。
「……あぁ。シモン先生が教えたようだ。それまで、思い出すこともできなかったんだってよ」
「それでお前は、あいつを許したのか?」
「あぁ」
迷いなく答えるエドの返答に今度はセリスが顔をしかめながら沈黙してしまった。
納得がいかない。
彼女の顔からはそう伝わってくる。
「お前が母さんを慕っていたのは知っている。母さんに憧れて、教会に入ったんだからな。お前がオランピアのことを恨んでいるのは、重々承知している」
「それはお前もじゃねぇのか? ノルドに行く前、アタシの言葉を遮ったけど、あの時のお前は……」
「そうかもな。たしかに俺はオランピアのことを憎んでいた。そして、俺はそれに蓋をして、無意識に気づかないふりをしていた」
その憎しみをどこかで認めたくないと思ったからなのか、あの時、セリスがオランピアのことを言及しようとしたとき、怒り気味な声で彼女を黙らせてしまった。あの行動がオランピアのことをまだ恨んでいるという証拠とも言えるだろう。
「でも、老師のおかげで自分と向き合う機会ができた。その憎しみと向き合って、俺はあいつを許すことにしたんだ。あいつは母さんの仇だけど、同時に俺にとってはもう、かけがえのない大切な奴なんだ。……だから、なにがあっても、俺はあいつを守るって決めたんだ」
「エド……」
「セリス。お前がオランピアのことをまだ恨んでいるのはわかった。……だけど、俺はその恨みを捨てろとは言わない。同じ憎しみを知っているから、俺もその感情が間違っているとは言わないし、言えない。でも、それでも、できることならあいつのことを見守って欲しいんだ」
エドの真剣な眼差しに息を詰まらせるセリス。しばらく、その状態で黙ってしまい、やがて深くため息をついた。
「そこまで言うなら、わかったよ。けど、アタシがあいつのことを許すとは限らねぇぞ」
「それはあいつ次第だ。それにあいつもそう簡単に許されるなんて思ってねぇ。だから、長く見守ってくれ」
「ったく、あのチビ助のことをよく知っている風に言いやがって……」
気に入らないのか、不機嫌な姿を隠さないセリスはそっぽ向いてしまう。その様子にエドは苦笑いを浮かべながらも、彼女なりに納得してくれたのだとわかり、少しほっとするのだった。
「……なぁ、エド。一ついいか」
「なんだ?」
「この戦いが終わったらよ、お前、その後どうすんだ?」
「その後……」
セリスは落ち着かない様子で髪をいじりながら、エドを見つめる。その目にはどこか切望のようなものが混ざっていた。
「全部、終わったら、もう逃げる必要もないんだろう。だったら、き、騎士団に入らないか?」
「騎士団に?」
「あぁ。なんなら、アタシの従騎士になるってのもある。お前は入るつもりはねぇって言ってたけどよ。上の連中も今回の件でお前をどうこう言うことなんかできねぇから、騎士になるなんてそう難しくはないだろうし」
教会上層部はエドをシモン殺しの犯人と断言して、外法認定までしてしまったのだ。それが全部、間違いであったと突きつけられれば、上層部も黙るしかない。むしろその分、いろいろと便宜をはかってもおかしくはない。セリスの言うとおり、教会の騎士になるのはそう容易くはないだろう。
「セリス。わりぃが俺は教会に所属するつもりはない」
「っ、……理由は?」
「元々、入るつもりもねぇし、今回のことで教会に対して信用がなくなった。じっちゃんたちには申し訳ないが、あの事件のせいで皆無になったといってもいい。……それにたぶん、俺はどこにも所属せずにフリーで動いたほうがいいと思うんだ」
「なんで?」
「この先、ゼムリア大陸は大きな変革が起きると思う。今まで平穏だった日常が激変するような何かが起きると思うんだ」
二年間、世界各地を回り、様々な国の情勢を知る機会を得たエド。そして、何の因果か、それぞれの国の重鎮ともいうべき人とも交流を持ったエドは、情勢の裏で蠢くそれぞれの思惑にうっすらと感づいていた。
「……"激動の時代"」
「え?」
「帝国のオズボーン宰相が別れ際に俺にそう言ったんだ」
『これから訪れる"激動の時代"。その時に君がなにを見出すのか期待しているよ』
「"激動の時代"?」
「あぁ。あの人が面白半分でそんなことを言うとは思えない。たぶん、本当に来るんだとも思うんだ。混迷渦巻く"激動の時代"ってやつが……」
それこそ、あの宰相自らが火を点けるのかもしれない。
「俺はどこにも属さない第三者の位置に立つ。そして、あの人が言う"激動の時代"が来たとき、最悪の結果にならないように立ち回る。たぶん、それは俺にしかできないことだと思う」
エドは直感する。今後、自分が事件の中心に立つことはないだろう。自分にできることは、いずれ来る混迷の時代の中で必死に抗おうとする者たちを助け、導くことなのだろう。ならば、どこかの組織に組みするのではなく、公平な第三者の立場にいることが重要なのだと。
「だから、わりぃ。お前と一緒に教会にいることはできないんだ」
「そう……か……」
わかってはいた。彼が教会に入らないことは。だが、いざ面と向かって言われると、やはりショックは隠しきれない。無実だと証明されても彼と一緒にいられる時間は少ない。それがどうしようもなく、悲しくて、寂しいのだ。
「それならエド。一つ約束してくれるか?」
「約束?」
「あぁ。月一でいい。月に一回は法国に戻ってくれるか? ……アタシに会うために」
揺れる彼女の瞳にエドは静かに見つめる。
「別にそれはいいが、お前の方は大丈夫なのか? お前は星杯騎士、しかも《守護騎士》の立場にある。遠征任務がほとんど。下手をすれば、一ヶ月以上のもあるんだぞ」
「大丈夫だ。一ヶ月以内に終わらせればいい。なんならリオンに任せて、アタシだけ法国に戻ったっていい」
「いや、そいつは……」
私情を挟みまくったセリスの物言いに、さすがのエドも、それでいいと思うことはできなかった。何とか説得を試みようとするが、
「お願いだ、エド。約束してくれないか?」
「セリス?」
「もしかしたら予定がつかないかもしれない。無駄足になるかもしれないけどよ。それでも、戻ってきて欲しいんだ。アタシに会いたいってお前がそう思ってくれるだけで、それだけで頑張れるんだ。だから、それを証明してくれないか?」
会いたいと思っている。いや、可能ならずっと一緒にいたい。だが、もう自分たちは子供ではないのだ。お互いに立場があり、それぞれの道がある。交わる機会などそんなに多くはない。
会いたい。そう思ってくれているだけで十分なのだ。自分に会いたがっているとわかるだけで、嬉しさが込み上がってくる。次に会うためにもっと頑張れるのだ。
「わがままだったお前が我慢を覚えるとはな」
「二年も我慢したんだ。これ以上の我慢なんかできねぇよ」
「それもそうだな」
それを言われると何も言えない。エドは観念して、首を縦に振る。
「わかった。約束するよ。月に一回は法国に戻る。……お前に会うためな」
「っ……、おう!」
欲しかった言葉をもらったセリスは満開の花のように綺麗な笑顔を見せるのであった。
~~~~
外が夜の闇に包まれ、唯一の光である月が地上を照らす中、メルカバの甲板で一人の少女がいた。
――ちゃりん、ちゃりん
月明かりの下で静かに、なだからに舞い踊るオランピアは、時々吹いてくる冷たい風にも反応することなく、淀みない動きで舞を踊り続ける。
――ちゃりん、ちゃりん
最後の鈴を鳴らして、その場で両手を組んでうずくまる。己の願いが届くようにと祈りの構えをとって、舞が終わるのであった。
――ぱちっ、ぱちっ、ぱちっ
「あ……」
無我夢中で踊っていたからか、自分の舞を見学している存在に今頃になって気づくオランピア。拍手の音がした方に顔を向けると、そこには自分が思っていたとおり、彼が立っていた。
「いい舞だったぞ。オランピア」
「エドさん」
拍手を終えて自分に近づいてくるエドをオランピアは頬を少し赤くしながら見つめるのであった。
「なんか、いろいろと吹っ切れたって感じだな。前に見たときよりも洗練されている感じがしたぞ」
「ありがとうございます。……これを着ているからかもしれませんね」
オランピアは自分が今、身に纏っている服――巫女服に目を通しながら、嬉しそうに顔を緩ませる。
「……その服には、なにか思い入れがあるのか?」
「はい。……昔、お母さんがこれを着て踊っている姿を見たことがあるんです。お母さんの舞はすごく綺麗なものでした。いつか、私もあんな風に踊れたらなって、強く憧れたんです」
「憧れの人と同じ服を着て踊る。まぁ、わかんなくもないな。……それで実際はどうなんだ? 少しはお母さんに一歩近づけたんじゃないか?」
「そ、そんな……、私なんてまだまだです。……むしろこれからです」
「これから?」
「はい。自分の罪と真剣に向き合うために、そして償うために、私はたくさんの人を助けたいと思います」
「それがお前が考えた罪の償い方。いや、お前の"生きる"意味か?」
初めて会ったクロスベルの地で聞いた、オランピアが彼と行動を共にする理由。
『あなたと一緒に行けば見つけることができるかもしれないんです。罪の償い方を。私が"生きる"意味を』
エドは今もその言葉を一字一句覚えていた。
「今のところはそんな感じです。もしかしたら、もっといい方法があるかもしれません。でも、今の私ではこれが精一杯の答えです。これからも旅を続けて、もっといい方法を見つけたいと思います」
「お前はこれからも旅を続けるのか?」
「はい。もっと多くのものを、人を見てみたいんです。エドさんと一緒に旅をして、私はたくさんのことを学ぶことができました。そして、これからも私はいろいろと知りたいと思っています」
「そうか……」
「エドさんはどうするんですか? 無実だと証明されれば、もう逃げる必要もありませんし……。やっぱり、教会に戻るんですか?」
「いや、教会には戻らない。俺も世界を旅する予定だ」
「え? で、でも、教会にはセリスさんが……」
「あぁ、それはだな……」
エドはセリスに話した内容をそのままオランピアに伝えた。最初の方は目を丸くしながらも、オランピアは静かに彼の話を聞くのであった。
「では、エドさんはその"激動の時代"に向けての備えをするために教会を離れるということですか?」
「あぁ。……セリスには、悪いことをしちまったな」
罰悪そうに目を横に逸らすエド。自分の帰りをずっと待ってくれていたのに、それを反故にしてしまったことに申し訳ないと思っているのだろう。
「……ではエドさん、一つお願いしてもいいでしょうか?」
「なんだ? お願いって」
何を決心したのか、オランピアは深く息を吸って、エドの顔を覗き込むように見上げる。
「その、もしよかったら、私もあなたの旅に同行してもよろしいでしょうか?」
「え?」
「エドさんの言う"激動の時代"がどういうものなのか、私にはまだ想像ができません。ですが、それによって、たくさんの人が苦しんで、助けを求めようとしているのは、なんとなくわかります」
「俺と行動すれば、多くの人を助けられる。それはつまり、自分の罪の償いに貢献できるって考えたのか」
「はい。……ダメ、でしょうか」
罪を償いたいという気持ちは当然ある。だが、何よりも大好きな彼ともっと一緒にいたい。そんな淡い想いを抱いた少女に対して、エドは――、
「……いいぜ。一緒に行っても」
「い、いいんですか?」
「一人旅だった時よりも、お前と二人での旅は楽しかったからな」
「そ、そうですか?」
「あぁ。お前の初々しい反応が特にな」
「なっ?! エドさん!」
「わるいわるい。でもな、本当に楽しかったんだよ、お前の旅は。お前を許しちまうほどにな」
「え……」
目を丸くして、オランピアはエドを見つめる。
「最初はお前のことが許せなかった。母さんを殺した、お前をな……」
「……」
「それに見ないふりをして、お前と一緒にいた。自分の手で殺したかったかもな」
「……でも、あなたはそうしませんでした」
「そうだな。一緒にトラブルに巻き込まれたり、食事をしたり、星空を見上げながら他愛もない話をしたり、いろんなことがあった。どれもこれも本当に楽しかったんだ。一人旅の時よりもずっとな。そんで気づいたら、お前のことを許しちまったんだ」
「あ……」
そっと、オランピアの頭に手を置くエド。髪型が崩れないように優しく、暖かく撫でる。
「お前は俺を救ってくれんだ。お前の旅は決して無駄じゃなかった。ありがとな」
優しく微笑んでくれる彼の姿に、オランピアはぎゅっと唇を噛みしめる。胸の奥から込み上げるものを必死に堪え、彼を見つめる。
「ま、それよりもまずはこの戦いを終わらせないとだな。シモン先生もそうだが、《庭園》の方もなんとかしないと、毎回、奴らに狙われる羽目になるからな」
「その言い方ですと、メルキオルとの口約束を信じていないんですね」
「ゲームに勝ったら、手を出さないっていうあれか? あんな奴の口約束なんか信用できるか。呼吸するかのように平気で嘘をつくだろう、あいつ」
「はい。その通りですね」
先程までの空気はどこに行ったのか。お互いに苦笑いを浮かべてしまう二人。エドの言うとおり、《庭園》をなんとかしなくては償いの旅どころではない。
「あ、そういえばよ」
「? なんですか?」
何かを思い出したのか、エドはオランピアに訊ねる。いきなりのことに彼女は首を傾げて、彼の話を聞く。
「龍來の件なんだが、俺に話があるって言ってたよな。あれって、結局なんだったんだ?」
「え……、あ!」
龍來から今日まで怒濤とも言うべき日々を過ごしていたから、そのことをすっかり忘れていたオランピア。エドに言われて、思い出し、その内容に顔を思わず、真っ赤に染める。
「オランピア?」
「ひゃい! え、えっと……、こ、この戦いが終わってからに言います! まずは《庭園》をなんとかしないといけませんから!」
失礼します! と勢いそのまま、艦内の方へと走っていった。突然のことにエドは目を丸くしながら固まってしまう。
「……まずいことを聞いちまったか?」
なぜ彼女が逃げ出したのか、まったくわからないエドはその場で腕を組んで、必死に頭を働かせる。かつて彼女がいたにもかかわらず、いまだ乙女心を理解していないエドであった。