長く続く一本道。その道を黙々と進んでいくエドたちは最奥へと辿り着いた。エドたちの前に立ちはだかるのは一つの大きな扉。まるで教会の門のようなデザインをした扉は、来る者を拒むかのように固く閉ざされていた。
エドは扉の前に立ち、軽く手で押すと門がゆっくりと動き出した。どうやら鍵はかかっていないようだ。
それを確認したエドたちはオランピアたちの方に振り向く。全員が頷くのを確認して、エドは両手で扉を大きく開いた。
「ようこそ。待っていたよ、エド君」
扉の先に広がるのは古びた教会の跡地。木やレンガといった従来のものではなく、土と岩で構成された椅子と祭壇。手入れはほとんどされておらず、崩れている場所がいくつか見られる。少なくとも何百年も前に建てられた教会であることはすぐにわかった。
「ここは儀式の最終地点。《魔眼》の力に適合し、その性能を十全に使いこなせると判断した者のみがここに招かれる。ここで被検体の目と《古代遺物》の《魔眼》と接続して、《古代遺物》と同等の力へと引き上げる。そして、ここに入る資格を持った者はただ一人。……その者は今、私の目の前にいる」
黄金に輝く目がエドの姿を映す。その目から伝わってくる狂気をエドは正面から受け止める。
「この儀式が始まったのは今から約五百年も前。《D∴G教団》が創設した時期に執り行われていた古い儀式だ。ここはその儀式を効率よく行うために教団が作った場所だ」
「その儀式を主導したのはアンタなのか?」
「いや、私が教団に入ったのは十五年前だ。たしかに教団を作った錬金術師たちにこの力を見せたことはあるが、まさかそこから《古代遺物》を見つけ出して儀式に使うとはね。人の執念が生み出した奇跡だよ」
「なにが奇跡だ。何の罪もない子供を何人も犠牲にして。そんなもんが奇跡のはずがねぇだろうが!」
淡々と話すシモンにセリスが吼える。まるで自分には関係ないと言わんばかりの態度に怒りを隠すことができない。睨みつけるセリスの姿をシモンはじっと見つめ、ゆっくりと首を縦に動かす。
「……あぁ。君の言うとおりだ、セリス君。これは奇跡などではない。多くの命と希望を踏み潰して築き上げてしまった凄惨な悲劇なのだろう。……昔の私なら、こんなことを口にはしなかっただろうがね」
「どういう意味だよ?」
「私の身体はすでに魔王との融合を果たしている。私の人間としての価値観はすでに汚染されているのだよ」
シモンはエドたちから視線を外して、祭壇に備えてあった花に軽く手に触れる。
「今の私にとって、喜びといった感情は苦痛でしかない。逆に死や悲鳴が私の心を癒してくれる。この美しい花も今の私には穢れた汚物にしか見えない」
シモンは花を強く握りつぶした。強く握りしめた手からは血がにじみ出る。
「武術が上達した達成感も、友と育んだ友情も、かつて抱いていた憧憬も、今の私には何の価値もないものになった」
「だから殺したのか? おじいちゃんを、そして母さんを」
普段よりも低い声でシモンに問い詰めるエド。睨んでくる黄金の目にシモンは花を落として見つめ返す。
「君の母は私の実態を知った。そして、それを父であるオーバに伝えようとした。私が進めている計画のためにも、あの二人には消えてもらわなければならなかった」
「おじいちゃんとは、一緒に研鑽を積んできた友達だったんだろう? おじいちゃんが死んで、何も感じなかったのか?」
「言ったはずだ。育んだ友情は今の私には無価値な存在だと」
「シモンよ。本当にそうなのか? オーバの葬式の時、お主は涙を流しているのを知っている。本当は友を失ったことに後悔しているのではないのか?」
「師父よ。やはり、あなたは何もわかっていない。後悔だと? あぁ。たしかに後悔はした。だが、それは友を死なせたことに対してではない」
「何だと?」
戸惑うグンターにシモンは顔を向ける。血で汚れた花を踏み潰して、どこまでも無表情で、心など一切ない能面のような顔で告げる。
「あの時、オーバたちの始末をメルキオルたちに託した。私のアリバイのためにも必要なことだった。だが、オーバが死んだとわかった時、こう思ってしまったのだよ」
どうせ死ぬのなら、せめて私の手で殺してやりたかった、とね
シモンの口から出た無情な告白にグンターだけでなく、エドたちも言葉を失った。目の前にいる男が人の皮を被った別の何かにしか見えなかったのだ。
「だがね、こんな非人間になった私にも、一つだけ、魔王に侵されていない想いがある。それだけはどれだけ経とうとも、決して穢れることはなかった。そして、私は決意したのだ。たとえ、どんな犠牲を払おうとも、この想いだけは貫き通すとね」
「それがアンタの言う計画の目的か?」
確信に迫るシモンの言動にエドの口調が強くなる。その姿にシモンは口角をうっすらと上げる。
「あぁ。私の目的。それは彼の魔王を再び復活させること。だが、そのためには器となる者を生け贄にしなければならない。魔王の眼を宿した器をな」
シモンの言葉にオランピアたちの視線が一人の青年に向けられる。青年は自身の目に手を添えた。
「《魔眼》が器の証だっていうのか?」
「その通り。正確には魔王の器となる者は《魔核》と呼ばれるものをその身に宿している。その形は異なっているようだが、《魔眼》がまさにその《魔核》と呼ばれるものなのだというのがわかったのだよ」
「どうして、そんなことがわかるんだ? アンタは《魔眼》以外の《魔核》を見たことがあるのか?」
「あぁ。あるとも。一度だけな」
《魔眼》とは異なる《魔核》。それはつまり、封印されている魔王とは違う、聖典に記されている五柱の魔王の器がこの世に存在していることを意味している。
「シモン、まさか、貴様なのか! ヴァンが行方不明になったのは貴様の手引きなのか!」
「せ、先生?」
「どうしたんですか?」
血相を変えてシモンに問い詰めるグンターにセリスたちは戸惑いを見せる。
「彼には一切、手を付けていない。クロスベルで悪魔が現れたくらいだったか、その時にはすでに中退して、姿を晦ましていた」
「ではヴァンは……」
「あぁ、無事だよ。《魔眼》を通して確認済みだ。抜き取られているとはいえ、さすがは魔王の器だ。彼の嗅覚は常人を逸脱しているな」
(中退……、それに嗅覚だって?)
シモンたちの話を聞き、エドは龍來での夜のことを思い出す。
『共和国のとある学校に在籍していることを知っていた私はすぐさまそこへと向かったのだが、すでにその場から立ち去っていた』
『あやつは教団の実験で、人一倍、鼻が利き、人や空気の邪念には敏感だった。おそらく、教団の気配を察知して、逃走を図ったのだろう』
「……そういうことか」
「エドさん?」
「じっちゃんが、おじいちゃんたちと一緒に教団ロッジで保護したっていう子。その子が魔王の器なんだな」
「え!」
「ほ、本当なのか、先生!」
「……あぁ」
沈黙を貫いていたグンターはもはや隠し事ができないと悟り、口を開いた。
「我々が保護した子は《エゼル記》に記されている魔王、《漂白の魔王》の器だった。だが、保護したとき、ヴァンの中にはすでに《魔核》は存在していなかった」
「ど、どういうことだよ、それ……」
「摘出されたんだよ。他ならぬ、担当していた幹部司祭の手に寄ってね」
グンターの話をシモンが横から割り込む形で入ってきた。だが、その内容は聞き捨てならないものだった。
「摘出された!」
「そうだ。《魔核》に魅了されたのか、ヴァン君から《魔核》を取り出して、あろうことか自分に取り込んだのだよ。だが、あれを見て、私は思ったのだ。《魔核》があのように取り出せるのなら、《魔眼》も同じようにできるのではないかと」
「《魔眼》も同じように、だと?」
「そう。私の眼を誰かに移植すれば、その者が魔王の器になれるのではないかと。だが、その考えはすぐに切り捨てた。《古代遺物》の《魔眼》でもかなりリスクが大きかったからな。《原初》の《魔眼》となればそれ以上だ。そこで私は別のアプローチを考えた。エド君。君が持つ、その劣化品の《魔眼》だ」
「この《魔眼》とアンタの言う別のアプローチがどう繋がるんだ?」
「劣化品とはいえ、それが《魔眼》であることにかわりはない。ならば、その劣化品を《原初》と同等の力まで引きずり上げれば、その者を器にできるのではないかと考えたのだ」
シモンの発言に思い当たることがあったのか、エドの顔が険しくなる。
「《魔眼》の力は所有者の負の感情に呼応する。そのため、君に圧倒的な絶望を与えるために、二つの事件を用意した」
「それがおじいちゃんたちの暗殺と、アンタの自殺事件か」
「そうだ。身内が殺された悲しみ。殺した者への深い憎悪。謂れのない罪に追い詰められる理不尽への怒り。そして、誰も救ってくれないという非情な現実。そうやって君に絶望を与えることで《魔眼》の力を上げようとしたのだ」
「あぁ。完璧と言ってもいい計画だったよ。目撃者が誰もいない。証明してくれる人もいない。正に詰んだ状態だったよ。それもアンタの仕組みだったんだろう?」
「そうだ。《魔眼》を使った未来改変。瞬間移動。過去改変。全てを尽くして君を徹底的に追い詰めた。ギース君というイレギュラーもあったが、君を追い詰めるために利用させてもらったよ」
「ギースの殺しはアンタにとっても想定外だったのか」
「彼の君に対する憎悪は予想以上だったよ。だが、おかげで君が犯人であると決定づけることもできたがね」
だが、
「私にとって計算外が一つあった。それは君が諦めていなかったことだよ」
「助けてくれた人がいたんだ。その人のおかげで俺はここにいる」
「ガイ・バニングス。彼には本当に驚かされたよ。私が未来改変でルートを何回も外しているのに、何度も軌道修正して、真相に辿り着こうとしていたからね」
「……まさか、ガイさんを殺したのはアンタなのか?」
「いや、私たちは一切関係がない。彼の死は視えていたからね。手を下す必要はなかった。だが、彼がいる限り、次の行動を移せないのも事実だった。だから、彼が死んだ後に次の行動を移すことにしたんだよ」
「次の行動?」
「君とオランピア君の再会だ」
「まさか、あれもアンタが仕組んだのか?」
クロスベルの夜。殺しの依頼を引き受けていたオランピアの前に現れたエド。あの出会いは偶然などではなかった。
「君の負の感情を再燃しようと彼女を送り出したんだ。何せ彼女は母の仇だからね。だが、これも失敗に終わってしまった。まさか、君がオランピア君と行動を共にするとは思ってもいなかった」
色を感じないシモンの目はエドとオランピアをじっと見つめる。
「だが、君を絶望させる機会はいくらでもあった。私は《庭園》の幹部を刺客に送って、同時に魔王復活の準備を始めた。魔王を復活させるには大量の負の感情が必要だったからね。各地に悪魔を顕現させて霊脈をかき乱し、そこで生まれた負の感情を集めたのだ」
「各地の悪魔の出現はそういった経緯だったのか」
「ある程度、負の感情を集めた私は器を覚醒させようと、エド君、君に絶望を与えるために自ら行動を開始したのだ」
「レグラムに現れたのはそういうことだったのか」
「アリオッチを回収する目的もあったけどね。あそこにはセリス君がいたからね。愛する者を目の前で消せば、それだけで負の感情は一気に膨れ上がる。……だが、その必要はなかったようだ」
「ど、どういう意味ですか?」
「彼はすでに魔王の器として、完成していたからだよ」
「なっ……」
予想もしなかった答えにセリスたちは言葉を失う。
「あの戦いの時にエド君、君が未来改変を二回、行っていたことに気づいていたかな?」
「なんだと?」
「ふむ、その様子では気づいていなかったみたいだね。一回目は君の心臓を打ち抜いた時だ」
オランピアは思い出す。シモンが放った一撃でエドが倒れて動かなくなった時のことを。
「あの時、私は君の心臓に全力の一撃を入れた。本来なら死んでいたはずだったが、奇跡的に君は息を吹き返した。そして、二回目は《鋼の聖女》の介入だ」
「彼女は俺が呼んだって言うのか?」
「あの城は聖女殿にとっても縁のある場所だ。来ないように未来改変で設定していたのだが……」
「俺の未来改変で、アンタが選んだ未来が上書きされた」
「そう。君は自分の死を感じたとき、無意識に未来改変を行い、その命を取り留めているのだ。龍來の一件もそうだろう」
エドはオランピアが誘拐されて追跡したが、メルキオルに舟から突き落とされた。その時、偶然、川に落ちて、ユンに助けられたことで一命を取り留めた。
「あれも未来改変だったっていうことか」
「そう。君はその後、過去視、瞬間移動と《魔眼》の能力を増やしていき、確実に《原初》の《魔眼》に近づいてきた」
「……」
「君が器として完成したと知った私はいよいよ魔王復活の儀式を執り行った。オランピア君を生け贄にし、彼女を餌にエド君を誘き寄せて魔王を復活させる、はずだった」
「だが、それも失敗に終わった」
「あぁ。未来が見えるというのに、ここまで狂わされるとはね。やはり人の意志というのは恐ろしいものだ。だが、それは私も同じだ」
「まだ諦めていないってことか」
「そうだ。君をここに誘き寄せたのもそのためだ」
シモンの手に光が集まる。光は形を作り、一本の黄金の剣へと変わる。
「その剣……」
「エドさんでも斬れなかった……」
「シモン、その剣はいったい……」
「それを知る必要はない。知ったところで意味などないのだから」
剣を構えるシモンにエドたちも武器を抜く。空気が一気に重くなり、緊張感が高まった。
「さて、それでは始めよ……っ!」
仕掛けようとしたシモンだったが、突然、剣を上に振り上げた。
――カキンッ!
甲高い音が鳴った。弾かれた飛来物が空高くへと弾かれる。飛来物に向かって跳ぶ一人の影。それを掴み取って、そのままシモンに向かって振り下ろした。
「ハァッ!」
「フンッ!」
それをシモンは受け止めて、また弾き返す。後ろに吹き飛ばされた影は空中で一回転して、地面に降り立った。
「お前は……」
突然の乱入者にエドは口を開ける。銀の髪に象牙色のコート。手にはこの世のものとは思えない神秘的な黄金の剣が収まっており、鋭い眼光は真っ直ぐとシモンを捉えていた。
「《剣帝》……レオンハルト」
身喰らう蛇、執行者NO.Ⅱ 《剣帝》レオンハルト。《劫炎》、《黄金蝶》に並ぶ、結社最強の執行者の一角だ。
「久しぶりだな、エド」
「あぁ。お前も元気そうだな、レーヴェ」
「お知り合いなのですか?」
「ヨルグのおやっさん経由でな。噂じゃあ重傷を負ったって聞いたんだが……」
すました顔でエドを一瞥したレーヴェは再び、シモンの方に顔を戻す。よく見ると、額や袖の隙間から包帯のようなものが巻かれており、その姿は痛々しいものだった。
「リベール以来だな《剣帝》。こうしてまた相見えるとは思わなかったが、今回はどういう了見で来たのかな?」
「俺がここに来た目的は一つだけだ」
自身の剣――魔剣《ケルンバイター》をシモンに向けるレーヴェ。その目にはいまだかつてない闘志が燃えていた。
「リベンジだ。あの時の雪辱を晴らさせてもらうぞ」
「……フッ」
レーヴェに一笑するシモンは大きく息を吸い込む。
「……ハァッッ!!」
ドンッ、とシモンから黒い闘気が噴き出る。嵐のように吹き荒れる闘気にエドたちは後ろに押されてしまう。
「その意気は見事だが、あの時の私と一緒にしない方がいい」
「なんつう闘気だ!」
「目が、開けられません!」
正面から受け止めるセリスとオランピア。だが、シモンの強大な闘気に耐えるのが精一杯な様子で、その場で蹲ることしかできなかった。
「これほどとは……」
「くっ……(《鋼の聖女》以上かっ!)」
グンターとレーヴェもシモンの禍々しい闘気に冷や汗をかいていた。
だが、エドは――、
「……ハァッッ!!」
シモンと同じく己の闘気をぶつけた。エドの闘気がシモンの闘気と衝突する。両者の闘気は火花を散らして、やがて霧散して相殺された。
「ほぉ……」
「こんくらいの闘気が何だ? 俺は今まで、これ以上の絶望を何度も乗り越えてきた。今更、この程度のものでビビるかよ!」
二年間、シモンの策略で逃亡生活を強いられたエド。謂れのない誹謗に、理不尽な襲撃。そんなことを何度も経験し、何度も絶望し、何度も打ちのめされた。だが、そのたびにエドは何度も立ち上がった。
「それがようやく終わる。今、目の前に最後の壁が立ちはだかっている。……ならば、俺がやることは一つだけだ」
ゆっくりと剣を抜くエド。シモンと同じ魔王の眼を開いて、切っ先をシモンに向けた。
「アンタを倒す! そして、俺はみんなのところに帰る!」
「あぁ、その通りだな!」
エドの隣にセリスが並び立つ。法剣を背中に構え、紅き《聖痕》を解き放つ。
「これで全てに決着が着くんだ。こんなところで縮こまっていられるかよ!」
「……私も!」
オランピアも続く。イシュタンティを従えて、小太刀を引き抜く。
「過去の過ちを正すために、償うために。そして、皆と明日を迎えるために。全力で抗ってみせます!」
若き三人の姿にシモンは口角を上げる。
「良い覚悟だ。それで、残りの二人はどうしたのかな」
「言われるまでもない」
シモンの闘気を剣で振り払い、レーヴェは一歩踏み出す。
「この程度で躓いては、修羅に至るなど無理な話だ。貴様を倒して、俺の糧となってもらう」
「シモン、私も退くつもりはない」
金色の《聖痕》を背にグンターが腰を低くして構える。
「お主の師として、弟子であるお主の過ちを正さねばならぬ。覚悟するのだ!」
「……フッ、フハハハハハハ!!」
シモンは声高く笑う。自分に立ち向かう勇者たちへの称賛なのか、はたまた、無謀な挑戦をしようとする愚者たちへの憫笑なのか。
「いいだろう。ならば、来るがいい。私を打ち倒し、見事、その手で未来を掴んでみせろ!」
「望むところだ!」
両者が一斉に動き出す。世界の命運をかけた最後の戦いが切って落とされた。